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23B級映画じゃあるまいし

 弓香はまだ状況の異常さには気づいていないようで、職員室を目指してすたすたと歩いていく。異能の存在を知るがゆえにいちはやく異様な状況を察知した桐子は、しかしだからといってどう弓香に伝えたものか考えあぐね、流されるように弓香についていき職員室へ向かった。

 職員室は、磨硝子越しに中の灯りが漏れていた。ノックして弓香が先に入り声をかける。

「失礼します。先生――先生?」

 二、三歩更に進んで中を覗き込む弓香だが、すぐに困ったように首を傾げた。

「誰もいないですね。電気はついてるのに……トイレでしょうか」

 桐子も中を見回してみるが、広い職員室には誰もいない。弓香が言うように、たまたま手洗いに席を外していると考えるのが普通だ。しかし、確か印刷機の不調を文芸部員が訴えた時も、職員室で当直教員が離席していて捕まらなかったため、文芸部員は教室に飛び込んで来たのだ。生徒たちは細心の注意を払って安全に作業を進めているものの、予想外のトラブルだって起きうる。そういうことに対応するためにも当直職員がいるというのに、それにしては離席の頻度が高すぎる。

 桐子は弓香が呑気にしているのがときどきじれったくなるくらい、深読みをしてしまう。はたして教員は単に離席しているだけなのか。それとも、その身に何かが起きたのか。

「とりあえず、一旦教室に戻りませんか……すぐには買い出しに行けそうにないって、言うだけ言っておかないと」

 理由をこじつけて桐子はそう提案する。本音を言えば、買い出しどころではなくなってきた気がするので、教室の様子が心配だから戻りたいのだ。

 弓香は桐子の提案を特に不審がることもなく同意した。心持ち早歩きで、桐子は廊下を引き返していく。四階までの階段がやたらと長く感じられて気持ちがひどく焦れた。

 ようやくD組の前までさしかかろうとしたとき、教室前方の扉が激しく開け放たれ、中から女子生徒が飛び出してきた。息せき切っているのは、文芸部の椎名だ。

「椎名ちゃん、どうしたんですか!」

 ただならぬ様子の椎名に弓香が叫ぶ。こちらに気づいた椎名が怯えた目で訴える。

「二人とも、こっちに来ちゃ駄目です!」

 椎名は声を震わせ足を縺れさせながらこちらに逃げてくる。来るなと言われても、わけも解らないまま椎名を放置して引き返すこともできず、桐子は次の行動を躊躇する。その間に、弓香は素早く椎名に駆け寄り、転びそうになる彼女を抱きとめた。

「いったい何が」

 弓香が問いただすより先に、先刻椎名が飛び出してきた教室から、追いかけてくるように男子生徒が出てきた。確か彼も、文芸部の製本作業に参加していた少年だ。だが、桐子が教室を出てくる時に見た彼とは様子が違っている。目が異常に血走っていて、およそ意味があるとは思えない言葉をぶつぶつと呟き続けている。なにより奇妙なのが、顔や首、両手など、露出している肌という肌に模様が浮かび上がっている。蔦が絡みついているかのように、幾つもの黒く細い線が波打っている模様で、そういう刺青だと言われれば納得してしまいそうだが、つい数分前まで彼はこんな挑戦的なタトゥーを入れてはいなかった。

 男子部員は椎名の姿を捉えると、まっすぐに彼女に向かって手を伸ばした。もたついていた椎名は肩を掴まれる。ひっ、と小さく悲鳴が漏れる。インドア部員の割に膂力があるらしい男子生徒は椎名を捕え壁に押しつける。

「女の子に乱暴は駄目ですよ!」

 弓香が怒って男子生徒の手を掴んで引き剥がそうとする。弓香はただの喧嘩だと思っているのかもしれないが、事態はそう簡単ではないだろう。

「部長、離れてください。ヤバそうです」

 しかし、桐子の警告より先に異変が起きる。少年の体を這っていた模様が動いたのだ。

 蔦が成長するかのようにぞわぞわと蠢き、少年の両手から椎名と弓香の体の方へ伝い伸びていく。その様子を直感のままに表現するなら――侵蝕している。

 わずか数秒。椎名の表情から怯えが消え、弓香の怒りが鎮められる。代わりに二人の体に、少年と同じ模様が現れ、あっという間に首筋まで覆っていく。

 この後の展開は察しがついた。追われていた側の二人が追う側に化けて、六つの目がぎょろりと桐子を一斉に見た。

「いやいやいや、そんな、B級映画じゃあるまいし、夜の学校でパニックホラーとか、全然洒落にならないから勘弁してほしいんですけど」

 桐子の抗議は黙殺され、三人がこちらに向かって歩き出す。

 明らかな異常事態。正気を失った三人。彼女たちを放っておくわけにはいかない。それに、D組にいた他のメンバー、雪音たちがどうなったかも心配だ。明らかにこれは異能の力が関係している。だが、その力の元凶がどこにあるのか不明で、どうすれば助けられるのかまったく解っていない状態で無暗に突っ込んでいくのは無謀すぎる。その上、今見た現象を素直に解釈するなら、黒い模様に侵された人間に触れると、ステータス異常が感染する。接触するだけで感染するというのはかなり危険だ。

 ここは一度退き、情報を集めてから動くべきだ。弓香たちを置いて逃げ出すのは忍びない。だが、ここは冷静に対処するしかない。

 苦渋の決断で踵を返し弓香に背を向ける。まずは彼らを撒いて、態勢を立て直すしかない。

 しかし、廊下の真ん中で立ち止まり、そうはいってもどこへ逃げればいいんだと焦燥した。走ろうとした先、校舎の東端、一年H組の方からもおかしな様子の生徒が次々と廊下に溢れ歩いてくる。その上、東階段からもおかしな状態の生徒が上がってきている。四階だけでなく、既に下の階の生徒にまで異変が及んでいることになる。ネズミ算式に増えるとしても、あまりに早すぎる感染スピードに桐子は目を剥く。

 とにかく、一般棟四階は危険な状態となると、ひとまず生徒ホールを突っ切って特別棟へ逃れるしかない。文化祭の準備はだいたい一般棟の教室を使って行われているから、特別棟の方は人が比較的少なかったはず。なら、現時点で一番被害が少なく安全なのは特別棟だ。

 スカートを翻して特別棟へ駆ける。ちらりと肩越しに振り返ると、十数名ほどの生徒が歩いてくる。だが、幸いにも全力疾走してくる強者はいない。脚の速さには自信がある。ホールを一直線に駆け抜け、まだ静かな特別棟に入った。

 ふと思いついて、ホールと特別棟の間にある防火扉を閉めてみる。火災を感知すると自動で閉まるタイプの鉄扉だが、手動で閉鎖することも可能になっていて、思い切り押せば容易く閉じられた。

 それから特別棟の中央階段を駆け下り、踊り場で手すりの陰に身を潜ませて様子を窺う。数秒の後、ドン、と扉を叩く音がして、何人かの生徒が防火扉を押しあけて元に戻してしまい、生徒たちは特別棟になだれ込んだ。

 桐子は舌打ち交じりに三階へ駆け下りる。正気を失った生徒たちがどの程度の知能を持って動いているのか試したかった。扉を閉めただけで引き返してくれるレベルなら助かったのだが、施錠されていない扉は普通に開けてしまうようだ。

「どこか、鍵をかけて籠城できるところがあれば……」

 立て籠もれる場所はどこかにないかと考え校舎を見回す。しかし、桐子は重要なことを思い出す。

 舟織一高の校舎は、生徒が悪戯で籠城したり、教師を戸閉にしたり、誰かを閉じ込めて苛めたりなどということができないように、教室の扉の施錠は、外からは勿論、内側からするのにも鍵が必要なのだ。そして、その鍵束は一般棟一階の職員室に行かないと手に入らない。現段階では鍵をかけて閉じこもれる教室はないのだ。

「ここから職員室へ行くのは……リスキーね」

 桐子は思いついた案を検討したものの一瞬で却下した。異常事態が発生したら、逃げようとする生徒は常識的に考えて階下へ向かう。だが、昇降口の扉はなぜか開かない。開かない硝子戸の前で逃げ惑う生徒たちで渋滞が起きる。そこへ感染者が一人でも追いついてきたら、一階には一気に正気を失った生徒が溢れかえる。そして、職員室はそんな昇降口のすぐ近くにあるのだ。今行ったらまず間違いなく取り囲まれて終わる。

 他に思いつくのは、トイレの個室なら鍵がかかるということ。しかし、唯一鍵のかかる場所なのは少し考えれば誰でも思いつく。同じことを考えた敵に待ち伏せされている可能性が高い。仮に相手にそこまでの知能がなく、待ち伏せがなく籠城に成功されても、あんなところに閉じ込もって周りを固められたら身動きが取れなくなる。

 どこへ逃げるべきか迷っているうちに、足音が階段を下りてくる。徐々に近づいてくる気配に思考が冷静さを失っていく。

 とりあえずどこかの教室に逃げ込むか? そう考えて、しかし桐子はまたしても自身の提案を却下した。教室に隠れる場所はない。机と椅子でバリケードを作っても、扉を平然と開ける行動パターンから考えれば、すぐに突破される。教卓の裏に潜り込んで隠れても、覗き込まれたら一発で丸見え。掃除用具のロッカーは大きめだから人が入れるかもしれないが、隠れるには中の用具を外に出すしかないが、そんなものを出しておいたら「中にいます」と吹聴しているも同然だ。

 すぐそこまで迫る足音。策もなくよろめきながら廊下を走るが、すぐに追いかけてくる。

 ふと追っ手を振り返る。その中によく知る顔を見つけて桐子は凍りつく。

「雪音……!」

 集団の中に雪音の姿があった。雪音の白い肌には黒い蔦の模様が刻まれている。焦点が合っているのか疑わしい虚ろな目がこちらを向いていた。

 異常が起こった生徒で桐子が初めて見たのは、D組から出てきた男子生徒だった。あの時既にD組にいた文芸部と演劇部の生徒は全滅していて椎名が最後の砦だったのか、それとも――桐子が逃げ出した後に雪音はあの男子生徒に襲われたのだろうか。

 あの選択は本当に合っていたのかと、目の前の異様な友人を目の当たりにして後悔する。過去を悔やんだところでどうしようもない、これからどうするか考えるほうが大事だと、理性では解っている。だが、そんな冷静な思考が吹っ飛ぶくらい、雪音が「向こう側」にいることに衝撃を受けていた。

 じりじりと後退り距離を取る。しかし、廊下はすぐに行き止まる。廊下の最奥の非常階段に続く扉のハンドルを後ろ手で弄ってみるが、案の定ここも開かない。

 どん詰まりで退路を断たれた。生徒たちを蹴り倒して怪我をさせるわけにはいかないし、だいたい人数が多すぎるし、接触したら自分がどうなってしまうか解らない。

「無理無理、もう無理、これは無理! お願いだから、ストップ!」

 苦し紛れの要望は誰にも聞いてもらえなかった。

 焦燥で頭が真っ白になって、足が止まった瞬間、桐子の体は伸びてきた手に絡め取られた。

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