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22油断しない方がいいですよ

 放課後、生徒会室で割り当て表を受け取った桐子が部室に向かうと、他の四人は今日使う道具類をまとめて待っていた。

「お待たせしました。割り当ては一年D組で、文芸部との折半ですね」

「解りました。では、みんな移動しましょう」

 部長の先導で、部員たちはぞろぞろと部屋を出る。

 各部は部室をそれぞれ持ってはいるものの、たいして広くない部室はたいてい荷物置き場と化していて、広くスペースを使って準備をしたい部活は自分の部室を使えないという事態が発生している。そのため、延長申請期間中は、文化祭準備をしない生徒は速やかに教室を明け渡し、準備団体は生徒会の割り当てに従って一般教室を準備スペースとしてレンタルすることになっている。机を教室の後ろに寄せれば、部室よりはマシなスペースが確保できるという寸法である。

 一年D組の教室に行くと、同じく割り当てられた文芸部の部員が既に作業を始めていた。いくつかの机を合わせて並べ、それを囲んで座った部員が、ちみちみと細かい字が両面に印刷された紙を大量に二つ折りにしていっている。どうやら製本作業のようだが、黙々と紙をひたすら折っている様子は若干鬼気迫るものがある。部員の何人かが目の下にクマを作っているのが異様な雰囲気に拍車をかけている。

 声をかけるのが躊躇われるその場景に、しかし弓香は遠慮なく入っていく。

「どうも、演劇部です。部屋半分お借りしますね」

 すると、尋常でないスピードで紙を折っていた一人の女子生徒が顔を上げて、思いのほか爽やかな声で応じた。

「こちらこそよろしく。あ、文芸部は機関誌を二百円で売るんで、みなさんよかったら当日よろしく」

「うちもステージで劇やるので、見に来てくださいね」

 きっちりお互いに宣伝し合う。

 弓香の号令の下、演劇部員たちは教室の廊下側半分に作業場所を確保すべく、まず整然と並んだ机を後ろに追いやる。床に新聞紙を広げ、その上になけなしの部費で調達したベニヤ板を置く。この上に紙を貼って背景を描き、書割を作るのである。予算が足りなくてベニヤが多くは買えなかったためたいした書割はできないが、あるとないとでは大違いなので、できる限り頑張る、という方向でまとまった。

 一方、その脇では机を二つ並べ、演劇部の数少ない高価な備品の一つであるミシンをセットして教室前方のコンセントにプラグをつなぐ。主役二人は学生の設定なので最悪制服を適当に流用すれば事足りるが、シスターの服は作る必要がある。

「じゃあ、芦屋ちゃんと上原ちゃんは衣装作りよろしくお願いします。五十嵐君と碓氷君は書割作製。私は宣伝用のポスター作りをします。では作業開始」

 弓香がてきぱきと指示を出し、自身も早速ポスター制作のために自前のノートパソコンを開いて操作を始めた。桐子はメジャーを取って雪音の修道服用に採寸を始める。伊吹が腕まくりをしてベニヤに紙を貼る準備をする。そんな中、万里が渋い顔で頬を掻く。

「書割……俺は絵心ないんだけど……」

 そういえば自己紹介で美術が苦手だって言ってたっけ、と桐子は思い出す。

「だったら万里、代わりに衣装の方を手伝ってくれる? 書割は私が描きますから」

「……裁縫も苦手なんだけど」

 桐子は柔らかい笑顔で言う。

「役立たず」

「辛辣か!」

 表情と合っていない酷評に万里が軽いショックを受けた顔をする。美術も家庭科も駄目だという事実に忸怩たる思いがあるのか柄にもなくどんよりした表情をしている。「普通の高校生モード」に入るとそういう顔をすることもあるのだと、桐子は可笑しく思う。

 様子を見ていた弓香がうーんと唸って提案する。

「すみませーん、文芸部の方でイラスト得意な人がいたら、うちの単純作業と肉体労働ならオールオッケーな男子部員とバーターしませんか?」

 いくらなんでもそれは無理なのでは、と桐子が戸惑い気味に見ていると、意外や意外、最初に挨拶代わりに宣伝をしていた女子生徒――おそらく彼女が部長なのだろう――が乗ってきた。

「絵のセンスはピカイチなのにそれ以外だとなぜか手先が不器用で紙を折らせると必ずずれが生じて困ってる子でよければお貸しします」

 予想外に交渉が成立し、万里は隣の文芸部に放り出されることになった。

 代わりにやってきた一年A組の椎名竹美(シイナタケミ)ははりきって書割作製に参加する。台本の中身をちらりと聞いただけですぐにイメージが湧いたのか、さらさらと的確に下書きをしていく。ポスター作りを進めながらそれを眺める弓香は嬉しそうに言う。

「文も書けて挿絵もいけちゃう系女子って最強じゃないですか。一家に一人は欲しい逸材ですね」

「そんなに褒められると恥ずかしいです」

「こうやって他の部の子と交友を深められるのも文化祭準備の醍醐味ですよね。うちは兼部だめだから、こういうときくらいじゃないと他の部の子のことって解らないですし。あ、兼部は無理だけど、脚本提供は大歓迎です」

 弓香が後輩女子にちょっかいをかけているのを横目に桐子は採寸を続ける。バストを計る段になって、目の前のメジャーの数字と、自分のバストを先日計った時の数字を思い比べ、ショックを受ける。

「待って……待って、これいくつ、カップいくつよ」

「桐子、胸なんて大きければいいってもんじゃないから、そんな絶望の顔をしないでよ」

「私なんてAですらカップが余ってるのに……生きるのってつらい……」

 呆然と呟くと、傷心に塩を塗りたくるが如く失笑しながら紙を折っている奴がいたので、桐子はその不届きな男の後頭部にメジャーを投げつけた。



 準備作業は時間が経つにつれて混沌を極めて行った。

 映画研究部が撮影する自主製作映画で、監督の部長の突然の思いつきにより突如大量のエキストラが必要になったとかで校内放送で呼びかけがあり、自分たちだって余裕がないくせにお人好しの生徒たちは次から次へと撮影の助っ人に乗り込んでいき、その中には当然の如く演劇部員も入っていた。

 エキストラを恙なく終了して作業に戻った途端、今度は衣装用の生地の裁断で解らない部分が発生し、急遽一年B組で作業をしていた被服研究部の部員を招聘し教えを乞うた。三年生の女子部員は快く懇切丁寧に教えてくれた上で、「ファッションショーやるから、ぜひ見に来てね」と抜け目なく宣伝もしていった。

 そして今度は、文芸部が製本と同時進行で進めていた印刷作業――既に大量に折ってあるのに更に刷っていたらしい――が、輪転機の不調により中断したと、女子部員二人が半狂乱になりながら教室に飛び込んで来るという事件が発生。丁度当直の教員は席を外していて捕まらず、どうしていいか解らず助けを求めに来たようだ。そこで駆り出されることになったのは、機械は得意だという伊吹である。伊吹を印刷室に派遣し、代わりに文芸部から絵の得意な人間を補充し、書割作製は全部文芸部員に頼むというカオスな状態になった。

 そんな具合で、部活ごとの垣根など存在しないかのように、あちこちの部員が入り乱れお互いに助け合い、行き当たりばったりの作業に戸惑っては笑いながらそれをクリアしていくという、あえて一言で表すなら「ドタバタ」としかいいようのない時間が流れ、夜は更けていく。

「毎年、延長期間ってこんな感じなんですよ。これが楽しいんですよねえ」

 などと弓香は平然と言う。「本番当日なんてハプニングがなくて味気ないくらい」とまで言うが、さすがにそれは言い過ぎだろうと桐子は苦笑する。

「ハプニングなんて起きない方がいいじゃないですか。無事に本番を迎えて、練習の成果を発揮するのが普通でしょう」

「まあそうなんですけれど。あ、でも例年、どこかの部活は何かしらのトラブルが起きるのがうちの文化祭なので、まだうちが無事に本番を迎えられると決まったわけじゃないから油断しない方がいいですよ」

「どうしてそう縁起でもないことを」

「演技だけに」

「別に洒落のつもりで言ったわけではないです」

 こんなしょうもないことを言っている余裕があるということは、作業は順調に進んでいる証拠である。弓香はおっとりふんわりして見えて、時にすっとぼけたような言動をすることもあるものの、しっかりすべきところはしっかりしている部長だ。作業に致命的な遅れが出ていたら部員の尻を引っ叩いてせっつくはずである。それがないということは、とりあえず大きな問題はないということだ。

 バタバタと夢中になって準備をしているうちに、時刻は既に七時を回っていた。そろそろ空腹を感じ始める。弓香も同じだったようで、鞄を取って立ち上がった。

「そろそろ夕飯の調達に行きますね」

 舟織一高から国道を挟んですぐ向かいのところに、「Hungry(ハングリー) Cheese(チーズ)」というピザ専門店がある。ピザ屋なのに、イートインとテイクアウトはやっているのにデリバリーだけはやっていない不思議な店なのだが、学校から近いこととコスパがいいことで人気があり、舟織一高生御用達の店だ。試験期間などで日程が午前で終了するときなどは、昼の時間、店内は舟織一高の制服で埋め尽くされる。

「ピザの希望、何かありますか?」

「部長にお任せします」

「解りました。じゃあ、適当に買ってきますね。あ、誰か運ぶのだけ手伝ってくれませんか」

「私、行きます」

 桐子はさっと立ち上がって荷物持ちを申し出る。買い出しには弓香と桐子の二人が出ることになり、その間、残ったメンバーは休憩ということになった。

 桐子は弓香と並んで、階段を下りて行き、昇降口まで辿り着く。先に靴を履き替えた弓香が昇降口の硝子戸を押して、直後に「あれ?」と訝しむ声を上げる。

「どうかしましたか」

 遅れてローファーに履き終えた桐子が追いつくと、振り返った弓香は困った顔をしていた。

「昇降口、開かないんですよ」

「鍵がかかってるんですか?」

「暗くなってきたし、防犯のためにかけているんでしょうか」

「でも、内側からなら解錠できますよね」

 いつも登下校の時には扉は開け放たれているので鍵をいじったことはないが、普通は内側から鍵は開け閉めできるはずだ。だいたいこの手の硝子戸には、上部か下部にサムターンがついているだろうと、桐子は扉を観察する。すぐに、下側につまみがあるのを発見した。

「でも、私たちが開けて出てっちゃったら防犯にならないですよね」

 弓香が言うが、桐子はそこまで深く考えず、さらっと鍵を開けてしまうつもりで手をかけていた。ところが、鍵のつまみは回らなかった。錆びついているのだろうかとムキになって捩じるようにしてみるが、鍵はびくともせず、サムターンは縦になったままである。

「……あれ?」

 そこで桐子は少し不思議に思う。ここの鍵をいじったことはないからはっきりと断言はできない。しかし、たいていのサムターンは横を向いた状態で施錠されているものではないだろうか。もしそうだとすると、ここの鍵は解錠されたままなぜかつまみが回らず、その上、解錠されているはずなのに扉が開かない、ということになる。

 桐子は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

「職員室に寄って、先生にいったん外に出るって伝えて来ましょうか」

 弓香は、桐子が扉を開けたまま外に出るのを躊躇っているだけだと思い込んでいるらしく、そんな提案をする。しかし桐子の中では既に、先生に言ってなんとかなるような事態ではなくなってきている予感がしていた。

 なぜか開かない扉。弓香は職員室に行くつもりで、もうローファーを脱いで再び上靴に履き替えている。それを尻目に、桐子は他の扉も確認する。複数ある昇降口の扉はどれも動かなかった。

 ひょっとして、何か超常的な力で――遺産の力で閉じ込められている?

 桐子の頭の中で警報が鳴っていた。

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