19そっちはよろしく
昼まで一緒だったメンバーがいつの間にかいなくなっているのに、他の三人が揃いも揃って気づかないなんて、何も知らない人が聞いたら「薄情」とか「注意力散漫」とか「希薄な友情」とか扱き下ろすかもしれない。
しかし、どうしようもなく、不自然なほどに、誰も伊吹の不在に気づかなかった。こんなことがありえるだろうか? 桐子は頭痛を覚えて頭を押さえる。
いったい、いつからいなかったのか。桐子は手探りで記憶を掘り返す。一時十分前、一時解散を宣言したのは伊吹だった。その時は確かにいた。十分後、公園出口に集まった時、伊吹はいなかった。桐子が一番最後に戻ってきて、先には雪音と万里がいて、そして三人しか揃っていない状態で、三人全員が「これで全員揃った」と判断して出発してしまった。誰も「ちょっと待って、伊吹がまだ来てない」と言わなかった。
公園を出てもう十分くらいは歩いている。この間、誰も伊吹の存在を気にかけなかった。これは異常事態だ。うららかな陽気のはずなのに、背筋がぞくりと冷えた。
この件を念頭において、桐子は昼ごろから覚えていた違和感の正体にも気づき始める。
リストバンドを届けに行ったとき、木場たちのグループは三人しかいなかった。だが、午前中に抜かれた時、彼女たちのグループは四人だった。たまたまあの時もう一人は別の場所にいた、というわけではない。木場はリストバンドの落とし主を尋ねた時、後ろの二人を振り返っただけで、自分たちのグループの誰も落としていないと断じた。四人目など存在しないかのような振る舞いだった。
そして、製菓部の加藤千鶴。彼女は同じく製菓部の宮橋と一緒だったはずなのに、今走って行ったときは一人で、昼休憩の時も一人しかいなかったような口ぶりだった。
生徒が消えている。そして、消えたことに誰も気づかない。最初からいなかったかのように。
桐子が気づいたのは、偶然によるところが大きい。演劇の台本を持ってきていて、一人足りないことが致命的な齟齬となって顕在化したから気づくことができた。これがなかったら、最後まで気づけなかったかもしれない。そう思うとうすら寒くなってくる。
「五十嵐君、いつからいなかった? 私、全然気づかなかった……」
雪音が不安げな顔で呟く。伊吹の不在に気づかずに振る舞っていた自分の言動、それを回想して、雪音は戸惑っているようだ。現状は明らかに異常事態だが、それをそのまま雪音に伝えるわけにもいかない。桐子がどうしたものかと逡巡していると、万里がひときわ大きな声を上げる。
「――解った、今から迎えに行くから」
振り返ると、万里は耳に当てていたスマホで丁度通話を終了するところだった。
「五十嵐君に電話してたの?」
雪音が問うと万里が笑って頷く。
「ああ。急に腹の調子が悪くなって、公園のトイレに戻ったらしいんだ。待ってるように声をかけたらしいんだけど、俺たちが聞こえなくて先に進んじゃって……ってことらしい」
「じゃあ、まだ公園にいるんだ」
ひとまず所在が解ったことで雪音がほっと息をついた。
「トイレから出たら誰も待っててくれてなくて焦ったって、しょげられたよ。そういうわけだから、ちょっと迎えに行ってくる。伊吹と合流したら走って追いかけるから、まあ、二人で先に歩いててくれよ」
「解った。ゆっくり歩いてるから」
てきぱきと方針を決めると、万里は一人背を向ける。それから万里は肩越しに桐子を振り返り告げる。
「そういうわけだから、そっちはよろしく」
「……了解」
アイコンタクトで以心伝心すると、万里は小走りに来た道を引き返して行った。
★★★
まるで神隠しみたいに何の前触れもなく人が忽然と消える。そして消えたことに誰も気づかない。周囲の人間の記憶にまで干渉するとは、タチの悪い能力だ。面倒な遺産が関わっている予感に、万里は溜息をつく。
よりによって学校行事中に面倒事が起きてしまった。普通の生徒として振る舞うと決めているのに、今、万里は異能者として行動している。
理由はいろいろとある。この件、遺産が関わっているのは間違いない。放置しておいて、情報を掴んだ組織が遺産回収のために、生徒たちが溢れ返っているこの歩く会に乱入して来たら、更に事態が面倒になることは避けられない。そうなる前にさくっと片づけてしまおう、というのが一つ。
遺産が近くにあるなら、自分が手に入れたいというのも一つだ。桐子も遺産が関わっていることには気づいているはずだが、彼女が余計な手出しをしないよう、こちらは任せて雪音のことを頼むと目線を送っておいた。実際に生徒に被害が出ている以上、雪音を一人にして桐子まで遺産回収に動くということはないだろう。先手を打って万里が遺産回収側に向かうことを示唆したわけだが、桐子は特に食い下がることもなく受け入れた。桐子を遺産から引き離しておいて、彼女と競合することなく遺産を手に入れたい、という打算が少しは働いたことを、万里は否定しない。
けれど、一番は、純粋に伊吹のことが心配だった。
「ったく……平々凡々な高校生の設定で通ってるっていうのに、困ったことだね」
すれ違う生徒たちは、逆走する万里を一瞬怪訝な目で見るが、忘れ物でもしたのだろうと勝手に納得するのか、すぐに気に留めなくなる。周りの無関心をいいことに、万里は堂々とルートを逆戻りする。
清見御池公園に戻ってくると、流石に舟織一高生は全員出発済みのようで、いつまでも休んでいるような者はいなかった。
雪音の手前、公園にいる伊吹を迎えに行くようなことを言ったが、勿論嘘だ。伊吹のスマホには念のため電話してみたが、現在電源が入っていないか電波の届かないところにいると無機質なアナウンスが流れるだけで繋がらなかった。何も知らない一般人の雪音に余計な心配をかけず、かつ自然な成り行きで一人離脱するために芝居を打っただけだ。当然、伊吹が今どこにいるのかは解らない。ただ、最後に伊吹を見たのはこの公園だ。何かあるとしたらここが一番可能性が高い。
遺産が問題を起こすパターンは色々とある。眠っていた遺産がある日突然目を覚まして寝ぼけているかの如く勝手に暴走することや、一見するとただのアンティークにしか見えないような遺産を何も知らない人間が手に入れて無意識のまま力を使ってしまう場合も多い。だが、一番多いのは、遺産を手に入れた人間が意図的のその力を利用して悪事を働くパターン。裏側の世界に足を突っ込んだ人間は、その気になれば遺産の情報を得ることができる。遺産の存在を知り、その力を知れば、魅了される奴だって現れる。以前に桐子とかち合ったターゲット、《機密文書》を使って強請りをしていた仁科がいい例だ。
さて、今回はどのパターンか。
「――どんなに大切な人間でも、消えた瞬間それを忘れるなんて、人間ってのは残酷だ……いや、それともこの遺産が強力すぎるのか」
嘲笑を含んだ独白が聞こえ、万里は反射的に振り返る。視線の先に立つ男を認めるや、一瞬で敵と判断し《武器庫》から拳銃を取り照準した。一連の動きに迷いや躊躇いはなく、一秒もかからない。
立っていたのはモスグリーンのパーカーを羽織った、二十歳前後の男だった。今の発言を聞いて、この男を善良な一般人だと考えるような能天気な思考を万里は持ち合わせていない。「神隠し」の黒幕はこの男とみて間違いなさそうだ。
「遺産の力で一般人に手を出すあんたは、どこの組織の三流小悪党だ」
「その推測は外れだ。俺はどこにも所属しないフリーランス。で、そういうそっちは、救済社の異能者だな? 今の異能、それが噂の《奇術師の武器庫》か」
こちらの素性も能力も割れているらしい。万里は小さく舌打ちする。
「有名になるのも困りものだな」
「すぐに俺の方が有名人になるさ。なにせ、俺はそのへんの有象無象の遺産使用者とは違う」
男は右手を掲げる。袖を捲ると、そこには緑の宝玉が嵌め込まれた、金色の腕輪が輝いている。遺産を堂々と晒すとは、よほど自分の力に自信があるのか。男の自信過剰ぶりに、万里は鼻白む。
しかし、それで終わらなかった。男は更に左手を掲げ同じように手首を晒す。現れたのは、青い宝玉が埋め込まれた、二つ目の腕輪だ。
万里は瞠目する。この男、遺産を二つも持っていやがる。
「勿論、ただ数を揃えているだけじゃないぜ。『忘却』を操る《記憶流失》と『隠匿』を操る《鬼の隠れ家》、二つの力を使いこなし、組み合わせ、単一の遺産では為しえない複雑な現象を作り出す『二重保持者』として、俺の名は裏世界に瞬く間に広まる。覚えておけ、俺の名はダブルホルダーの鷺沼幹人だ」
もっとも、お前はすぐに忘れちまうだろうけど、と男は挑発的に付け加えた。




