17だいたい裏切り者が出るよな
鳴垣山中腹にある団体登山客用の広い駐車場にバスは停車した。一年生はぞろぞろとバスから吐き出され、最後の一人が降りるや、バスはすぐさまとんぼ返りを決め込んだ。残された生徒たちは、もう歩くしか帰る方法はないのである――というのは流石に大げさで、本気でどうしようもなくなったりちょっとズルしようと思ったりしたときは、ポケットに隠し持っている小銭で路線バスに乗ってショートカットするという方法もなくはない。ただ、入学一か月でその方法を採れる強者は、まあいないだろう。一応、車で巡視する教師もいれば、生徒と一緒に歩く教師もいる。そこそこ監視の目は行き届いている。
一年A組から順次出発していき、C組は十時十分ごろ、スタートを命じられた。
早速走り出す体力自慢の生徒、マイペースにまず手洗いを済ませようとする生徒、とりあえず一緒に歩く約束をしていた者同士で固まる生徒など、スタートの方法も人それぞれである。
桐子は雪音と、それから不本意ながら万里と足並みを揃えて、鳴垣山を下り始めた。
コースは約二十キロ。鳴垣山の緩やかな坂道を、途中まではバスで来た道をそのまま逆に辿って行き、途中からは歩行者専用の階段ルートに逸れて、下ることになる。それから田んぼに囲まれた道、閑静な住宅街の中を通る道を進んでいき、十二時ごろには清見御池公園に着く予定のため、そこで昼食休憩となる。一時間くらい休んだ後は教師たちにせっつかれるままに再度出発し、水鳴市から舟織市まで続くサイクリング・ウォーキング専用の通称「お散歩ロード」を延々歩き、舟織一高に帰還するという寸法である。
標準的な所要時間は四時間くらいらしいが、だいたいの生徒は「割と真面目に走る」か「友達としゃべりながらのんびり歩く」に二極化されるので、標準時間で辿り着く生徒は意外と少ないらしい。
桐子の予定では、後者のスタイルで、まあ四時間半くらいかけて学校に辿り着くつもりになっている。実はこの歩く会、早く着いたとしても全校生徒の到着が確認され、ホームルームを終えるまでは帰宅できないことになっているので、急いだところで、教室で座って待ちぼうけている時間が長くなるだけで面白いことはないのだ。
「桐子、もう台詞覚えた?」
「まだ怪しい。雪音は?」
「だいたい、かな。私、台詞はそんなに多くないのよ。寧ろ、殺陣の方が難しいから」
「流石に、歩きながら殺陣の練習はできないわね」
「そうだよね。碓氷君は」
「まあ、ぼちぼち」
「頑張ってよね、碓氷君が主演なんだから!」
「そうだな」
激励された万里は、ぱっと見すると「よし、頑張るぞ」と奮起した様子の、じっくり見ると「なんでこんなことになったんだろう」と戸惑っている様子の表情を浮かべていた。
桐子と万里が演じるリンとケイは序盤から割と出ずっぱりな役だ。その分、当然だが台詞が多い。対するシュウとシスターは中盤から活躍し始め、殺陣で美味しいところを持っていく。
「とりあえず最初は五十嵐君と合流して、混雑してるところを抜けたら練習しようか」
「それがいいわね。えっと、五十嵐君は……」
流石にまだ後ろの方を歩いていて追いつけないだろう、と思っていた桐子だが、雪音が平然と後ろを指差す。見ると、伊吹が全力疾走猛スピードで距離を詰めてきていた。やがて追いついた伊吹は、ぜえぜえと息を切らしつつも、強がるようないい笑顔を浮かべてサムズアップした。男前である。
「普段から、基礎トレーニング、してるからな、これくらい、へっちゃらだぜ」
へっちゃらな人にしては尋常でなく息切れしているが、折角格好つけているので誰も水は差さない。
無事に四人が集合したので、標準的なウォーキングペースで坂を下って行く。
下り坂のうちに調子を上げてぐんぐん距離を稼いでおきたい気分ではあるのだが、道は固いコンクリートのため、あまり勢いづいて走ると結構膝に負担が来るようだ。走っている運動部の面々も、足取りは割と慎重だ。
前方を数人の固まりになって走って行く同級生たちを見ていると、不意に伊吹が言う。
「ああいうさ、『ゴールまで一緒に走ろうな』っていうのってさ。だいたい裏切り者が出るよな」
最初のうちはいいかもしれないが、距離が長くなるにつれ、体力の個人差が顕著になり、疲労とストレスにより他人を気遣う余裕が徐々に擦り減っていき、最終的に自分のペースでさっさと進み出す奴と置いて行かれる奴が出てくるのが世の常である。
「置き去りにされた経験があるのか」
男子同士だからか、万里はデリケートそうなところにあっさりと切り込む。伊吹はというと、今となっては笑い話なのか、あっけらかんとして言う。
「俺はちゃんと明言してたんだぜ。短距離はまあ行ける方だけど、持久力はないって。だけど、一緒に走ろう、脚が止まる奴がいてもちゃんと待ってるって、そう言ってた奴がいの一番にペース上げてったな」
「そういう哀しい経験って男子にもあるんだね」
「そりゃあるさ。男子にもいろいろと悩みがあるのさ。能天気そうに見えるかもしんないけど、実はいろいろあったりなかったりする」
「桐子。桐子は置いて行かないでね。私が疲れ果ててもう歩けなーいとかごね始めても、見捨てないでね」
「雪音、そういうこと言うキャラじゃないでしょうよ」
「確かに」
「まあ、もし疲れ果てても、その時はおぶっていってあげるから。男子が」
「格好つけておいて自分じゃやらないのかよ」
万里が鋭いツッコミを入れた。
結果を言えば、行程の前半、公園までの道中で音を上げた者はいなかった。日々の部活での基礎トレの成果でもあるだろうし、台本の読み合わせで疲労を忘れたのもあるだろうし、単純に歩くペースが遅すぎたというのもあるだろう。何人かのグループで歩いている生徒は大勢いたが、桐子達ほど遅いグループはそんなになかった。桐子が知っている範囲でも、剣道部の男子四人組が威勢よく走り去って行ったのを皮切りに、製菓部の加藤・宮橋コンビ、合唱部三人組、おそろいのリストバンドをした仲良し四人組などが足早に進んで行った。同じ時刻に出発したクラスメイトたちからはだいぶ後れを取り、後続のクラスに追い抜かれつつある進行ペースで、清見御池公園に到着したのは十二時十五分ごろのことだった。午後はもう少しペースを上げるとして、ひとまずは昼休憩だ。
清見御池公園は、その名の通り池を中心とした公園だ。中央に柵で囲われた清美御池、その周りには芝生が広がり、ベンチや四阿も整備されている。更にその周りをぐるりと遊歩道が囲い、道に沿って約三百本の桜の木が植えられていて、春には花見客で溢れるようだ。
現在はすっかり葉桜になっていてシーズンは過ぎているが、春らしい陽気となった今日はピクニック日和といって差し支えないだろう。そのため、子供連れで遊びに来ている家族の姿がちらほらと見受けられた。とはいえ、公園敷地を闊歩するのは九十九パーセント、舟織一高の紺色ジャージを着た少年少女たちである。ベンチと四阿は早く着いた者が占領し、または先発陣が席を立った瞬間タイミングよく来た生徒が確保し、残る生徒は芝生にスペースを見つけてレジャーシートを広げる。
桐子たちが着いたとき、ベンチに空席はなかった。想定の範囲内であるので、池の南側の芝生に場所を取ってシートを広げた。
雪音が広げるシートを見て、桐子はあっと声を上げる。
「それ、小一の遠足のときから同じの使ってるでしょう」
ピンク色で、ディフォルメされた猫の柄のシートは何度か見た覚えがある。指摘すると、雪音は目を丸くする。
「うっそ、桐子、そんな昔のこと覚えてるの?」
「記憶力だけは自信があるのです」
「すごーい! もしかして、それが試験上位の秘訣なの? そうすると、碓氷君も記憶力いいよね?」
話を振られた万里が鞄からペットボトルを取り出しながら、ちょっと考えるように首をひねる。
「そうだな、割と覚えるのは得意かな」
「そういや、台本も、すんなり覚えてたよな」
伊吹が得心したように頷く。万里は台詞を覚えるのが早く、午前中も、歩きながら台詞合わせをしているとき、彼は殆ど台本を見ないでそらで言えていた。桐子の方は、まだ少し怪しい感じがしている。これが試験でいうところの一点の差なのだろうか、と桐子は忸怩たる思いである。
「文化祭終わったら、すぐに第二回考査だろ?」
伊吹が憂鬱そうな顔でぼやくと、万里が怪訝な顔をする。
「すぐってほどでもなかったんじゃないか。確か、月末だろう」
「俺にとっては『すぐ』なんだって。文化祭終わったら、勉強教えてくれないか?」
「構わないけど、何が苦手なんだ」
「現国と古典と数学と化学と世界史と英語」
「ほぼ全部じゃないか!」
万里が嘆くと、伊吹は「家庭科と保体は大丈夫だから」などとあまり意味のない言い訳をしていた。
それから演劇部四人衆の休憩時間は、弁当を食べながら、教科の好き嫌いの話で盛り上がり、あっという間に過ぎ去って行った。




