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14踵落としの届く範囲で

 呪いを引き起こす遺産、と言われると、桐子が知っている中に直接的にそのような効果をもたらす遺産はなく、ぴんとこなかった。しかし、《満月の聖杯》を目の当たりにすると、成程、あれなら確かに呪いを引き起こせそうだ、と桐子は納得する。

 呪いが成功するのはあくまでも副次的な効果だ。《聖杯》は、何も知らない少年少女たちがネットの胡散臭い情報を元に適当に作った紛い物の呪具を、本物の呪具に変えてしまう。呪いの力で満たされた藁人形は、当初込められた憎悪の感情と被呪者の体の一部を元にして発動する。呪った本人は、自分の実力で呪いが成功したと思い込んでネットで武勇伝を披露する。裏工作している黒幕がいるとは誰も気づかない。

 現象に説明はついた。解らないのは、霙がなぜわざわざこんなことをしているのかということ。

「トレジャーハンターのあなたが、どうして遺産の力を使ってこんなことをしているのかしら」

 金目当ての人間なら、手に入れた遺産はさっさと売っ払うべきだ。そうせず、わざわざ自分で遺産を使うというのは解せない。そう問うと、霙は何を当たり前のことを、とばかりに冷笑する。

「鈍いわね。商品を高く売りつけようと思ったら、その商品が確かにすごい力を持っているっていう実績が大事でしょう」

「つまり、値段を吊り上げるためだけに人を呪っているの?」

「そういうことよ」

 思わず溜息が零れる。

「元はといえば人を呪おうなんて不届きなことを考える子が悪いんでしょうけれど、それに便乗してるあなたもなかなか最低ね。呪われた子たちが不憫でならないわ」

「あら、呪われる側にもそれなりに問題があるんじゃないの? 呪法に頼るほどの恨みって、よほどのことがないと抱かないのじゃないかしら」

「呪われる側がどんな性悪だったとしても、文句は踵落としの届く範囲で言うべきというのが私の持論なの。夜中にこそこそと藁人形作ってる時点で呪者に擁護する余地なし」

「文句言っただけで踵を落とされるなんて想定したくないわ。それで? 高潔な女騎士サマは、見も知らぬ可哀相な誰かを助けるために来たのかしら」

「私の目的は遺産の回収。見も知らぬ誰かさんは、まあ、ついでに助けてあげようじゃない」

「いや、勝手に話進めてるとこ悪いんだけど」

 さあ始めるか、という気分で盛り上がって来たところに、万里が水を差してくる。

「君が遺産を回収して竹部何某ちゃんを助ける流れになってるけどさ、あの遺産、俺がもらうからね」

 聞き捨てならない。桐子はしれっと図々しいことを言う万里を睨みつける。

「渡さないわよ、あなたには。というか、あなたさっき帰ろうとしていたじゃない。どうして堂々と居座っているのよ。帰っていいわよ」

「帰らないって言ったじゃん。君がいけないんだろ、思わせぶりなことを言って俺を引き留めるから」

「引き留めてないわよ、あなたが勝手に尻馬に乗ったんでしょう。邪魔しないでくれる?」

「解った、じゃあこうしよう。邪魔はしないから、君は彼女を倒す。遺産を手に入れる。俺はそれを横から奪う」

「帰れッ!」

 さも名案みたいなノリで横暴なことを言わないでもらいたい。

 万里に気を取られているうちに、霙は《聖杯》を懐に仕舞い込み、代わりにナイフを取る。唇が愉悦を滲ませて歪む。

 おそらく呪いの力は既に満ちており、藁人形は呪具として完成している。ナイフが人形を切り刻めば、呪われた人間の方も同じように切り刻まれる。

 止めなければ――桐子は警棒を引き抜く。と、同時に、隣で万里が銃を構えた。彼が引き金を引く方が桐子の反応より早かった。

 銃口からは弾丸の代わりにワイヤーが飛び出す。たびたび桐子から遺産を強奪するのに使われるアンカーガンだ。ワイヤーは霙の手の中の藁人形に巻き付き、万里が再び銃を操作するとワイヤーが巻き取られ、人形が華麗に宙を舞い釣り上げられる。

 見事に一本釣りを決めた万里は人形をキャッチする。

「はい、捕獲完了ー」

 霙は面白くなさそうに舌打ちをするとローブを翻し、本殿の陰に身を躍らせ参道の方へ走って行く。

「逃がすかよ」

 そう呟いた万里が、しかし霙を追いかけるより先にしたことは、捕獲した藁人形をあさっての方へ放り投げることだった。

「なッ!」

 何しとるんじゃこいつ。桐子は目を剥く。霙が逃げた方とは逆方向に高々と放り投げられた人形を、桐子は放っておくことができない。藁人形へのダメージが本人にどれだけのレベルで伝わるか未知数。人形が高所から落下して踏み固められた地面に激突した際の衝撃を無視するわけにはいかない。

 桐子は慌てて放り出された人形を追いかける。予想外に高く放り出された人形を、夜闇の中、目を凝らして追跡する。やたらとゆっくりと浮遊しているように感じられて、桐子はもどかしく感じる。そしてようやっと、弧を描いて落ちてくるそれを、両手で優しく受け止める。まったく冷や冷やとさせられた。乱暴に扱うんじゃない、と文句を言おうとして振り返ると、その時には当然、万里の姿はそこにない。

 いちはやく万里が霙から藁人形を奪い取ったのは、竹部何某を心配してのことではなく、桐子を足止めして《聖杯》を取りに行くためだったわけだ。万里の厭らしい思考に気づいて、桐子は悔しさで歯噛みする。

「万里の奴! 抜け駆けは許さないわよ」

 桐子は藁人形をウエストポーチに仕舞い込んでから、万里に出遅れること数十秒、ようやく霙を追いかけ走り出した。

 不安定な参道に足を取られながら走り、闇の中で二人の姿を探す。左右に立ち並ぶ木々が頭上に覆いかぶさるように伸びていて、ただでさえ頼りない月光が遮られてしまう。道を逸れて森の中に入られていたら、しっかり目を凝らさないと見逃してしまうだろう。足場が悪くて動きづらい方へわざわざ踏み入れるとも考えにくいが、念のためそちらにも注意を割かないわけにもいかない。僅かな手がかりも見落とすまいと、神経を研ぎ澄ませ、足音に耳を澄まし、気配を追いかける。

 やがて細く狭い参道が終わり、さして広くはないものの一応舗装されている駐車スペースに出る。二人はそこにいた。

 これまた頼りない街灯が疎らに立つスペースで、二人は対峙していた。とりあえず、まだ決着はついていないようだ。これで既に決着していて万里が遺産を持って逃走した後であったら目も当てられなかった。桐子はひとまず安堵の溜息をつく。

 すると、それを耳聡く聞き取ったらしい万里が忠告をくれる。

「安心してる場合じゃないかもしれないよ」

「どういう意味よ」

「そこそこ手強いってコト」

「彼女が?」

 とてもそうは思えないという色を滲ませて訊き返すと、万里は「そうじゃなくて、遺産が」と訂正する。

「汎用性高すぎ。反則でしょ、あれ」

 疲れた風にぼやいて、万里は頬についた血を手で拭う――血? 桐子はその仕草で初めて、万里が左頬に浅い切り傷を拵えているのに気づく。万里に自傷癖でもない限り、その傷をつけたのは霙ということになる。桐子でも手こずる相手の――認めるのは大変癪だが――万里に、桐子が出遅れているほんの数十秒の間に手傷を負わせたというのか。それが本当なら、確かに万里が言うように――彼も彼で大変不本意そうだったが――そこそこ手強いということなのだろう。霙が、ではなく、《聖杯》が。

「適当なことを言ってるみたいだけれど、私こそが手強いって理解した方がいいわよ」

 不敵に笑う霙が自意識過剰気味の台詞を吐く。

「解っていないようだから教えてあげる。この《聖杯》が真価を発揮しているのは、私が使っているからなのよ。遺産と使用者には相性がある。誰でも同じように力を引き出せるわけじゃないわ。どれだけ力を発揮できるかが『適合率』で表されるのは、当然知ってるでしょう? 私は《聖杯》との適合率六十五%を叩き出している。誰よりも使いこなせるってわけよ」

 適合率は大手の組織が持っている計測器や裏で出回っている簡易計測器などで測ることができ、遺産に関わる者なら指標の一つとして一度は測っておくべきもの。五十%を超えるとそこそこ使いこなせる水準と考えてよい。のだが、

「六十五%って、褒めるか貶すか迷う微妙なラインね」

「その程度で『誰よりも』とかイキられると反応に困るな」

 桐子と万里は揃って酷評した。

「ふん、安い挑発に私が乗ると思って?」

 鷹揚に笑いながら霙は言う。

「細切れにしてあげるから覚悟しなさいよジャリ共」

 安い挑発にしっかり煽られているではないか。

「《聖杯》よ、夜の器を闇で満たせ――『漆黒の帳(ブラックアウト)』!!」

 直後、視界が真っ黒に染め上げられる。

「何……!」

 夜だから、というだけでは理由のつかない、ペンキをぶちまけたような濃く黒い闇が広がる。比喩ではなく何も見えない。意味もなく目を擦ってみるが、視界は回復しない。一切の光が消えてしまった完全な闇の世界。

 異世界にでも放り込まれたかのような錯覚。だが、そうではない。すぐ近くには万里の気配がそのまま残っている。

 突然のことにパニックになりかけるが、落ち着いてみれば、《聖杯》が引き起こした現象であることは明白だった。何が起きたのかは、霙が詠唱した通りだ。この空間を器に見立て、闇でいっぱいにしてしまったのだ。

 普通、器と言われれば、コップとか瓶とかを想像する。だが、霙は藁人形でも屋外空間でも「器」と定義してしまう。その想像力と、それに応じる遺産の力は確かに脅威だ。

「何も見えないでしょう? さあ、蜂の巣にしてあげるわ」

 《聖杯》の使用者である霙はこの闇の影響を受けないのだろう。つまり、桐子から霙は見えないが、霙から桐子は丸見えの状態。向こうは桐子を狙いたい放題、こちらはどこから攻撃が来るか解らないという状況だ。

 これはまずい。だが、ある程度敵の出方は想像できる。近づいてくるような足音はない。わざわざ接近戦に持ち込むつもりはないらしい。近づけばカウンターを受ける可能性があるのだから、距離を保ったまま攻撃を仕掛けようとするのは妥当な考えだ。彼女が宣言した通り、蜂の巣にする――すなわち銃撃するつもりだろう。

 桐子は瞬時に判断して動く。霙の位置は解らないが、すぐ隣の万里の位置くらいは見なくとも解る。手が届く距離まで近づいて、手探りで万里を見つける。手が触れた瞬間、万里をひっ捕まえて、彼の背後に回って身を屈める。

「おいこら桐子! 人を盾にするんじゃねえ!」

 万里からは当然苦情が飛んできたが、桐子はそれを聞き流し、万里の体をしっかりホールドしておく。

「よし、いいわよ、じゃんじゃん撃って!」

 桐子は勝手にゴーサインを出す。

「桐子、君、あとで覚えてろよ」

「いいじゃない別に。あなた、どうせ盾くらい持ってるでしょ」

「まあ、持ってるけどさ」

 万里は焦りもしない。ごとん、と何かが置かれる重い音。大方、《武器庫》からライオットシールドでも出したのだろう。

 そして響く銃声。

 立て続けに鳴り響く銃声、しかし弾丸は桐子まで届かない。二重の盾に守られて、桐子は安全地帯で悠々としている。

「成程、この初見殺しに引っかかったわけね」

「これ喰らって掠り傷で済んだんだから、寧ろ褒めてほしいよ」

「褒めないわよ。敵だもの」

「適合率六十五%程度じゃ、この無茶な効果はそう長くは持たせられないみたいだぜ。時間切れまで、あと……三、二、一」

 万里のカウントダウン。ゼロになると同時に、さあっと闇が晴れ、視界に光が戻ってくる。微かな月光と街灯だけとはいえ、あるとないでは段違い。霙の姿が露わになる。

 不意打ちで視界を奪って攻撃する――霙の攻撃パターンは読めた。桐子は反撃に出るべく、警棒を片手に立ちあがる。

「同じ手が何度も通じると思わないことね。一気に決めるわ」

 瞬殺してくれる、と桐子は意気込みタイミングを計る。

 相対する霙は、どこからその余裕がくるというのか、不敵な微笑みを絶やさず浮かべていた。

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