12最近の子って怖いねえ
白い長テーブルを囲んで、ミーティングが開始された。
「一つ目の案件は、風美市の廃屋で目撃された怪火について」
部屋は暗くされ、天井からぶら下がるスクリーンにはプロジェクターからの映像が投影される。テーブルを囲む面々はスクリーンに注目する。
スクリーン脇の演台でパソコンを操作しているのは、機動第三課のベテラン係長の夏井和希。赤い細縁の眼鏡をかけ、パンツスーツを着こなした理知的な印象の女性である。スクリーンに一番近い席では、課長の永倉晴朝が彼女の説明に耳を傾けている。他の課員も次の仕事の説明を、時にメモを取りながら聞いていて、桐子は末席で話を聞いている。
遺産回収任務のためのミーティングは毎週土曜日と、必要に応じて臨時に召集される。今日は定例ミーティングの日であった。遺産があるところでは、事件が起きたり、怪奇現象が起きたり、それまで普通だった人間が突然脚光を浴びたりと、何かしらの異変が生じる。あらゆるところに情報網を広げる騎士団は些細な変事も見逃さずに情報をキャッチし、それらは精査され、動く必要がありと認められれば機動課員に情報が共有される。夏井が任務の内容を説明し、永倉がそれを適当な課員に割り振るというのがいつもの流れだ。
いくつかの、遺産が起こしたと疑われる事件について、調査が命じられる。起きた現象の原因を調査、遺産が原因ならそれを回収。穏便に済むこともあれば、場合によっては他組織の構成員とバッティングして戦闘になることもある。臨機応変な対応が求められるため、機動部隊のメンバーは騎士団の中でも熟練の少数精鋭となっている。
その精鋭部隊の中でも若手の方の桐子は末席で指名を待つ。割り振られたのは、その日の最後の案件だった。
「最後の案件です。舟織市、八樫神社における丑の刻参りの噂について」
その噂の発生源は、胡散臭い個人のオカルトブログらしい。
八樫神社には、本殿の裏手に名前の由来となった八本の樫の木が横一列に立ち並んでいる。そのうちの右から四番目の木に、五寸釘で藁人形を打ちつけると、呪った相手は体調を崩す。
そのブログでは他にも眉唾物の呪法がいくつか書かれている。今時こんなものを誰が信用するんだ、と桐子は呆れる。しかし、ミーティングで取り上げられるのだから、そのオカルト話は単なる与太話ではないわけである。
どうやら最近になって、SNSでこの丑の刻参りの成功例が報告されるようになったということらしい。
「最近の子って怖いねえ。いくら現代の法律で呪いが罰せられないとはいえ、誰それを呪ったなんて話をSNSで披露するなんて」
永倉はわざとらしく身震いしてみせる。
「まあ、本人たちはちょっとした悪戯くらいのつもりで披露しているようですよ。『生徒指導の男性教諭の目がいやらしかったから冗談のつもりで呪ってみたら翌日体調不良で休んだ』とか、そんな感じです」
「丑の刻参りって午前一時とかにやる奴じゃなかったっけ? 冗談でそんな夜更かしするのかな、最近の子って。どうなのかな、上原君」
最近の子の代表みたいに聞かれても困るのだが、とりあえず桐子は思った通りに答える。
「私は普段は日付が変わる前に寝ます、肌に悪いので。でも、特別なことがなくても平気で夜更かししたり、徹夜したりする人はいるみたいですよ」
「ふうん、じゃあ現代っ子にとって、丑の刻はハードル低いのかな」
「まあともかくですね、この呪いについて調査をすべき、という判断です。やってる子たちは適当にやって、その翌日たまたま相手が体調を崩したのを勝手に呪いと結び付けて成功したと錯覚している、という可能性もありますが」
「それが一番、現実的で一般的で普通だよね」
「はい。ですが、それにしては成功報告が多い、というのが情報課の見解です。遺産が関わっている可能性があります」
「成程。じゃあ、この件は上原君に任せよう。いいかな?」
「はい。では、明日の深夜、早速、八樫神社で張ってみます」
「いつになく迅速だね」
いつになく、は余計な気がするが、桐子はこほんと咳払いして簡潔に説明する。
「やっているのが中高生くらいの子なら、学校が休みの日曜深夜に来る可能性が高いんじゃないかと。夜更かししてもその日一日ゆっくりできますし。人間関係の悩みはたいてい学校にあるでしょうから、呪う相手も教師や生徒、だとすると次の日には呪いの結果が確認できる日曜日は、やはり狙い目でしょう」
「成程、解った、よろしく頼むよ」
「休日深夜手当、忘れないでくださいね」
「それが目当てじゃないだろうね」
永倉の疑わしげな視線を無視して、桐子は準備に取り掛かる。
★★★
八樫神社までの道のりは、舗装がされていないでこぼこの獣道みたいな一本道で、車で乗り入れるにはかなりの勇気と技術が必要だ。たいていの人は手前の駐車場に車を停めて、十分くらいかけて徒歩で目指す。周りは木々に囲まれていて、静謐に保たれた境内は、日中なら森林浴気分で散策してもいいと思えなくもないが、間違っても夜中に来たい場所ではない。月の光と木々のざわめきしかない場所で、うっかりすると木立の陰に何かが見えてしまいそうなぞくぞくとした気分を味わえそうだ。もっとも、そういう雰囲気のある場所だからこそ、呪いの場所として信憑性があるのかもしれないが。
午前一時。よい子なら寝ているその時間に、桐子は八本樫を臨める場所に身を隠し、丑の刻参りに現れた者をとっ捕まえるべく息をひそめていた。一般的に丑の刻と言われる午前三時まで粘ってみて動きがないようなら諦めて帰るつもりでいる。それでも、長ければあと二時間は踏ん張るしかない。いつもなら熟睡している時間のため、仮眠を取った上で眠気覚ましにカフェインを摂取してからやってきた。
深夜はまだまだ肌寒い。闇に紛れるような色のコートの前を掻き合わせ、冷えた手に息を吹きかけて温める。呪者が現れるであろう方向から目を離さずに、桐子はミーティングのときの資料を頭の中で復習する。
怪しいブログに書かれていた呪法の詳細――用意する物は、藁人形と五寸釘と、呪いたい相手の体の一部。体の一部というと、手に入れるのが難しそうに聞こえるが、これは髪の毛とか爪の先とかでいいらしい。この体の一部を、藁人形の中に埋め込む。これにより呪いたい相手と藁人形とが繋がり相互に作用するようになり、藁人形を傷つけると人間の方も同じように傷つくというわけである。
藁人形を右から四本目の樫の木に五寸釘で打ちつけると、相手は呪われる。使い終えた人形は樫の木の根元に埋める。さて、ここに遺産が関わっているとしたら、いったい何が遺産たりえるだろうか。シンプルに考えるなら、藁人形や五寸釘が呪いの力を持つ遺産ということになるが、この可能性は、今回に限っては低そうである。ネットでは呪いの成功事例が複数見つかった。つまり、呪者は複数いる。それぞれがブログを見て呪いの道具を自前で調達しているわけだ。道具が共用されていないなら、それは遺産ではないということになる。
となれば、すべての事例に共通して登場するものこそが遺産の可能性が高い。つまり、一番の有力候補は樫の木の方だ。
遺産が人間に融合すると異能者が生まれるが、稀に自然物と融合して能力を発揮することもありえる。外見上は普通の木か遺産が適合した木なのかは解らない、しかし、誰かが力を発動させれば、ここまで近づいていれば気配で解る。桐子自身も遺産と同化している身なので、遺産の存在は、その活動が活発になると何となく察することができる。これは他の異能者や保持者もだいたい同じ感じらしく、永倉は「何となく第六感」などと呼称している。役に立つときは立つが、あまり積極的には当てにならないレーダーである。
誰かが呪われるのを待たないと遺産かどうかが判別できない、というのが、少々気に入らないところだ。呪いが本格的に発動して被害が大きくなる前には、遺産の発動に強引にでも割り込んで中断させるつもりではいるものの。
「待ちの一手っていうのは、もどかしいわ……いっそ、とりあえず適当に私が誰か呪ってみればいいのかしら……万里とかを」
などとぼそぼそ独りごちていると、
「――とりあえずで人を呪うなよ」
「っ! きゃ、むぐ」
突然声をかけられて、桐子は飛び上がりそうになる。反射的に悲鳴が飛び出しかけたが、それを察した相手によって口を塞がれ、妙な奇声を漏らす羽目になった。冷やりとした手で桐子の口を押さえつけているのは、神出鬼没、噂をすれば影、いったいどこから現れたのやら、碓氷万里その人である。
万里の手を引っぺがし、桐子はひそめた声で、しかし全力で恨みを込めて言う。
「突然出てこないでよ! いったいどこから湧いてきたの!」
神社までは一本道、誰かが歩いてくるとしたら絶対に視界に入るように見張っていたのに、この男は突如背後に現れた。万里はなんでもないことのように平然と答えを明かす。
「そりゃ、ここまでは一本道だけど、そっちの方向は桐子に見張られてるような気がしたから。律儀に道を通ることもないかなーって。確かに周りは森だけど、断崖絶壁ってわけじゃないし」
道なき道を辿って来たらしい。それを選ぶ理屈は解らないでもないが、真似はしたくない、と桐子は思う。知らないうちに背中に虫とかつきそうだし。
「どうして私がいるのを知っているのよ」
よもやどこかから情報が漏れているのではあるまいな、と桐子は戦慄するが、こちらの動揺など露知らず、これまたしれっと万里は答える。
「特に根拠はないよ。俺はここに遺産があるかもって情報をたまたま手に入れて、状況的に、狙い目は今日あたりかなーと思って来ただけ。で、そういうときはだいたい桐子と同じ思考回路を辿ってるんだよな。前回もかぶって、前々回もかぶって、となると今回もどうせかぶってるだろうという雑な帰納法」
「本当に雑ね」
胡散臭さ満載の回答だが、彼が適当に煙に巻くのはいつものことなので、まともに取り合っても損だ。
「俺が気に入らないのは解るけど、俺を実験台にするのはやめてくれよ。そういうのあんまり好きじゃないし、それにSNSの成功報告をいくつか見たけどさ、呪われた奴って尽く腹下してるらしいじゃん。あれつらいからヤダ」
深刻さの欠片もない調子でそんなことを言う。万里の腹の調子などどうでもいいし、今はあまりトイレを想像させるような発言をしないでほしい、と桐子は切実に思う。眠気覚ましにコーヒーを飲んだはいいけれど、その利尿作用と寒さのダブルパンチで、そろそろお手洗いに行きたいのを実はずっと我慢している。
早く解決したいのに、こんな時に限って面倒な万里が参戦してくるなんて。桐子は既にうんざりした気分になっていた。




