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10まさか断ったりはしないだろうね

 桐子は雪音と向かい合って机の上に弁当を広げて休憩を取っていた。桐子の弁当は朝、早起きして手作りをしたものである。と、ちょっとドヤ顔をしながら女子力の高さを自賛しながら自慢しようとしたのだが、桐子の手作りというのは、おにぎりを握って卵焼きとウインナーとミニトマトを詰めたものであり、その女子力はせいぜいLv5程度。対する雪音の手作り弁当は、ご飯の上に二色そぼろをのせておかずは白身魚の唐揚げと人参のリボンサラダと豆腐グラタンという、Lv50の代物である。自慢しようなどとんでもない話である。桐子の中では、朝から揚げ物などやってられん、という認識なので、唐揚げが入っているだけでも雪音を尊敬のまなざしで見つめてしまう。

 そして雪音はその女子力の高さを鼻にかけるでもなく、その素直なところが実に素敵である。桐子は数年ぶりに再会を果たしたこの友人に最大限の親しみと敬意を表すると決めている。

「ねえ、桐子。もう部活はどうするか決めたの?」

 舟織第一高校は進学校であり当然に生徒たちは学業に励むのだが、同じくらい部活動にも熱意を持っていて、運動系文化系を合わせて四十の部活が存在する。入部は義務ではないものの、約九割の生徒が何らかの部活に入っているという状況だ。

 入学式の翌日には部活動紹介オリエンテーションが開かれたが、来週いっぱいまでは仮入部期間という扱いとなり、新入生は自由に部活の見学ができる。部活の数が多いということはそれだけ新入部員争奪戦が苛烈を極めるということであり、この時期は放課後になると同時に、廊下から昇降口から、いたるところでビラ配りやパフォーマンスなどの勧誘合戦が始まる。

 桐子は裏の仕事があるという事情から熾烈な争いを泣く泣くスルーしてさっさと下校してしまっていた。そういえば雪音の方は、勧誘らしい上級生と話をしている姿を見かけたような気がする。

「バイトがあるから部活は入るつもりはないのよ」

「そうなの? そんなにバイトぎっちり入れてるの?」

「不定期に入るのよね。一人暮らしさせてもらってるから、生活費は自分で稼ごうと思って」

「何のバイト?」

「それは内緒」

 働いているところを見られるのは恥ずかしいから、という理由を装って茶目っ気たっぷりにウインクすると、雪音はそれ以上しつこくは訊いてこなかった。実際の理由は勿論恥ずかしいからではなく、見られた瞬間色々と人生が終わるからであるが。

「雪音は部活、決めたの」

「うん。そう、それでね、もし決めてないんなら桐子も誘おうと思ってたんだけど……」

 雪音が残念そうに眉をハの字に下げる。そんな顔をされると、無下に突っぱねるのが申し訳ない気分になる。

「演劇部に入ろうと思ってるの」

「演劇?」

「高校から始める人もいるから、初心者でも大歓迎だって。実は中学の時からちょっと興味はあったんだけど、私の中学、演劇部はなかったから。六月に文化祭があるでしょう? それが最初の舞台だって」

「一年生でも舞台に立たせてもらえるの」

「新入生のお披露目の意味合いもあるらしいんだけど、実のところ部員数が少なくて、舞台は新入部員頼みらしいわ」

「そっかぁ……一緒には入れないけど、文化祭の日は舞台を見に行くわ。頑張ってね」

「うん、ありがとう。あ、でも、もし気が変わったらいつでも言ってね」

 桐子は表面上では「ちょっと残念」くらいの顔をする。心の中では「ああああ私も一緒に部活やりたい悔しいいいいい」と血の涙を流す勢いで未練たらたらなのだが、普通の淑女として振る舞うと決めた桐子は内心を必死で押し隠しながら不格好な卵焼きを口に押し込んだ。


★★★


 生徒会長が現れるや否や周りの生徒が一斉に道を開けるとは、この会長はいったいどんな恐怖政治を敷いているのかと思いきや、彼女を見る周囲の視線は恐れではなく心酔に満ちているようだった。

「ヤバい、ナマ会長だ」

「会長、今日も美人」

「凛々しすぎる……サインもらえないかな」

 アイドルみたいな扱いをされている生徒会長だな、と万里は唖然とする。帯刀は選挙活動中の候補者よろしく小さく手を挙げて、いたいけな少年少女たちのハートを尽く射抜いてから万里に向き直る。

「少しばかり話をする時間をくれないか」

「え、俺に? ……ですか」

 展開が唐突すぎて素のざっぱな口調が出てしまい、慌てて取り繕う。いったい高校一の有名人が何の用だと戸惑っているうちに、周りは勝手に盛り上がり始める。

「あいつ誰? 一年生?」

帯刀(たいとー)様にお声がけしてもらえるなんて羨ましい」

「碓氷万里っていったか? 至急身辺調査を」

 腹が減ってるから後にしてくれ、なんて言ったら方々から袋叩きにされそうな雰囲気を感じ、万里は断るに断れず、帯刀に付き合うことになってしまった。

 連れられた先は特別棟二階の生徒会長室だった。「生徒会長室」なる部屋に入るのが初めてのため、一般的なものがどういう具合なのか詳しくはないのだが、少なくとも、黒檀のデスクと豪奢なソファが鎮座し、給湯スペースに各種コーヒーや茶葉が取り揃っており、壁際の書棚に日本語以外の書籍の方が多いというこの生徒会室は絶対に普通ではない、と万里は確信する。

 帯刀に勧められ、万里は一生のうちに一度座れるかという具合の高級そうなソファに腰かける。もう座っただけで気分が落ち着かないのだが、向かいに座る帯刀は堂に入っていて、高級ソファに負けないくらい高貴な空気を醸し出しながら大胆に脚を組む。

「単刀直入に言おう。私は君を生徒会にスカウトしたい」

 予想だにしていなかった言葉に万里は目を剥く。

「スカウト……って、俺はつい四日前に入学したばかりのぺーぺーの一年生ですよ。それを生徒会にって、いくらなんでも」

「学年は関係ない。生徒会は常に優秀な人材を求めている。最初の試験で満点を取った秀才だ、目をつけて当然だろう」

 こんなことなら適当に手を抜けばよかっただろうか、と万里は不届きなことを考える。

「思春期の高校生がこの狭い校舎に千人近く押し込まれているんだ、色々と問題は起きる。その問題を解決し、舟織第一高校を平和に保つことが生徒会の使命だ」

「問題って……ボイコットとかカンニングとか」

「もっと面倒なことも。普通の教師では手に負えないようなこともある」

「そういうのって、会長みたいに人徳がある人ができる仕事でしょ。俺みたいに、たまたまテストでいい点とっただけの性悪な生徒には不向きだと思いますけど」

「ただ優秀なだけではない。君には他の生徒にはない力がある。何と言えばいいかな……数々の修羅場を潜り抜けてきたような迫力を感じるよ」

「……」

 万里は柄にもなく背筋にうすら寒いものを感じる。見透かされているような気がする。この学校では絶対に隠し通そうと決めていた一番の秘密をあっさり暴かれてしまいそうな、不安になるような感覚だ。

 只者ではないな、と万里は直感する。いや、常に刀を持っている変人ぶりと多くの生徒から畏怖されるカリスマぶりを見るに普通でないのは解っていたのだが、想像以上に、尋常でない女だ、こいつは。

 関わり合いになるべきではない。ひょっとすると桐子以上に面倒な奴かもしれない。第六感がアラートを鳴らし出したので、万里は曖昧な笑みを浮かべて立ち上がる。

「申し訳ないんですけど、俺、バイトがあるんで、放課後に生徒会の仕事とかちょっと無理です」

 失礼しましたー、とそそくさと部屋を出て行こうとする。が、寸前で帯刀に呼び止められた。

「では、何か困ったことがあったら助けてくれ。君は頼りになりそうだ」

「はあ、まあ、俺にできることなら。そんなこと、あんまりないと思いますけど」

 あまりにべもなく突っぱねると後が怖い、何せ相手は生徒会長だ、と妙なところで日和った結果の返答だった。

 その瞬間、帯刀がしめたとばかりに薄く笑った――ような気がした。

「では早速一つ頼みがあるんだ。私の直々のスカウトを一蹴して負い目があるはずの君は、まさか断ったりはしないだろうね」

 これはもしや嵌められたのではないか。万里がそれに気づいたのは、既に手遅れなところまで追いつめられてからだった。

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