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1何事も適材適所とは言うけれど

 思いがけず他人の重大な秘密を知ってしまう、ということは、人生の中で一度くらいはあるものだろう。その重大というのは、本人にとっては重大であっても周りにとっては笑い事の場合もあるし――校長が実はヅラとかはこのパターン――本人的にも周り的にも本気で重大な秘密の場合もある。

 後者の場合でも、たとえば、友達が実は自分と同じ人を好きだという事実を思いがけず知ってしまった、などという青春絶好調の甘酸っぱい話なら可愛いものだ。当事者たちにとっては、「これからも友達でいてね」になるか「これからはライバルだよ」になるかの瀬戸際で結構深刻な可能性もあるが、それでも「青春だなあ」で括れるうちはまだ大丈夫。

 問題は、ガチでヤバい秘密を知ってしまった場合。誰それが実は犯罪に手を染めていただとか、あいつとそいつは不倫関係だとか。

 その手の秘密の場合、「私、明日警察で全部話してくるから」などとわざわざ宣言すると、次の瞬間には殺されるのが定番である。「ばらされたくなかったら五百万用意してくれる? なあに、口止め料だと思えば安いでしょ」などと強請りだした場合も、次の瞬間には物言わぬ肉塊に変えられて、「だから言わんこっちゃない」と視聴者に呆れられるのがお決まりである。

 要するに、秘密の扱いには充分に気を付けなければならないのだ。

 だというのに、これまでの数々の二時間サスペンスの教訓を生かすことなく、人の秘密を使って強請りまくってる男がいる。

 三秒後に後ろからガラスの灰皿で殴られても知りませんよ、などと内心でこっそり考えながら、上原桐子(ウエハラトウコ)は今回の不届きなターゲットについて、最終確認を始めた。

 標的の名前は仁科省三(ニシナショウゾウ)。現在、築二十八年木造二階建てアパート「メゾン・メルヘン」の2‐L号室で、「会長ともあろうお方が不倫の噂ってのは拙いんじゃないですかねぇ」とスマホに向かって下衆っぽい声を出している男である。築二十八年のアパートという舞台にはメルヘンの欠片も存在しないし、住んでる男もメルヘンとは縁遠い下卑た話をしている。こんな男を相手に仕事とは気が滅入ることだ、と桐子は頭を抱えた。

 さて、桐子の今回の仕事は、幸か不幸か、仁科の頭を後ろからガラスの灰皿で殴ることではない。仁科は現在進行形で脅している相手の他にも、多数の弱みを握っている。インサイダー取引がどうとか、会社の金を着服したとか、ヤバいレベルの弱みがよりどりみどりである。仁科はそれを元に多額の金を強請り取るという、ハイリスクハイリターン、本当にいつ東京湾に沈められてもおかしくない生活を送っているわけだ。仁科がそんなにも他人の致命的な秘密ばかり蒐集できていることには、そのこと自体に秘密、というかカラクリが存在する。

 メゾン・メルヘンを臨む木立ちに身を隠す桐子は、部屋のカーテンの隙間から覗く仁科の姿を確認する。右手にはスマホ、左手には分厚い本。この本がカラクリの正体だ。焦げ茶色の上品な表紙のついた装丁で、表紙の中心に埋め込まれた小さな赤い石が煌いていて、知らない人が見たら「魔法の本みたい!」などというイメージを持ちそうだ。そして、その想像はあたらずしも遠からずである。

 対象を見つめながらページを開くと、その人物の秘密が記述されるというその書物は《機密文書(ザ・シークレット)》と呼ばれている。邪な考えを持つ人物の手に渡れば悪用必至の代物だ。



 それにしても納得がいかない、と桐子は憮然としている。

 仁科は《機密文書》を使って各所で金を巻き上げている。そろそろ誰かにブチ切れられて背後から花瓶を振りかざされてもおかしくないのだが、これまで仁科の周りに不穏な殺気は漂っていなかった。というのも、視界に入っただけで秘密を知られてしまうのだから、人は誰しも知られたくないことの一つや二つや三つくらいあるもので、わざわざ敵の懐に入り込んで自分の秘密を曝け出すような真似、誰だってしたくない。仁科の力が、というよりも《機密文書》の力が怖くて、誰も仁科に逆襲しようとはしてこなかった。仁科がターゲットに選んできたのが「危険を冒すくらいなら五百万くらいの端金くれてやるわ」レベルの金持ちばかりだったのも巧妙だった。仁科は決して、

「じゃあ次は一千万だぜ」「話が違うぞ、これで最後だと言ったじゃないか!」

 みたいな愚は犯さない。妙なところで引き際を心得ているというか、ぎりぎりの綱渡りが上手というか。そのような状況下で特攻部隊に桐子が選ばれた理由はといえば――

 あの上司の言葉は、何度思い返しても腹立たしい、と桐子は渋面を作る。

『上原君、君、別に知られて困る秘密なんて何もないでしょう』

『私がお気楽だと言いたいんですか』

『隠し事がなくて裏表がないというのは素敵だね』

『私が馬鹿正直だと言いたいんですか』

『あったとしても、ほら、テストで赤点取ったとかそのレベルでしょう』

『私が能天気だと言いたいんですか』

『そういうわけで、よろしく頼むよ』

 失礼な理由で仕事を丸投げしてきた、常に人を喰ったようなにやけ面をしているあの男、いつかはっ倒してやりたいわ、などと密かに考えていることは、秘密といえば秘密だけれど、仮にそれが本人にばらされたとしても、まあ別にいいやとは思っている。

「何事も適材適所とは言うけれど……まあ、ぐちぐち言っても仕方がないわね」

 独りごちて、気持ちを切り替え雑念を頭から追い出す。今は、本の回収任務に専念しよう。ぐずぐずしていると、どんな邪魔が入るか解ったものじゃないから。

 仁科の通話が終了した。交渉(脅迫)の首尾は上々らしく、上機嫌そうな笑みを浮かべている。そのタイミングで、桐子は木立ちから躍り出て、アパートのベランダに降り立つ。

 その物音を仁科が不審に思うより早く、桐子はブーツの底で部屋のガラス戸を蹴破った。

 がしゃあん、と派手な音を立ててガラスが砕け、月光を浴びてきらきら光りながら舞い散る。カーテンを薙ぎ払うと、部屋の中では驚いた仁科が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって後退り、侵入者に対して警戒の眼差しを向けてくる。

「誰だ!」

 ガラスを踏みながら部屋に進入し仁科に相対すると、桐子は誰何の声に応えるべく告げる。

「私は騎士団(ナイツ)のエージェント。あなたが持つ《機密文書》、回収させていただくわ」

 高々と言い渡すと、仁科は忌まわしげに舌打ちをした。

「騎士団……遺産を狩り尽くす集団か。相変わらず、お宝を嗅ぎつけるのだけは早いことだ」

「あなたが持っているとロクでもないことに使うばかりだから、大人しくこちらに渡しなさい。調子に乗ってると、真鍮製のトロフィーで後頭部をカチ割られるわよ」

「見たところ、あんたはトロフィーを持ってないみたいだな」

「私の武器はこれです」

 桐子はブーツの爪先で床をコツンと鳴らす。蹴り飛ばす準備は万端だ。

 それを理解するや、仁科はあからさまに小馬鹿にしたように笑った。

「その細い脚で何ができるっていうんだ、馬鹿馬鹿しい」

「足の細さを褒めてくれたことに免じて、少しは手加減してあげます。そうね、十分の九殺しで勘弁しようかしら」

 加減する気ゼロな宣言をし、桐子は臨戦態勢へ。

「威勢だけはいいみたいだが、お前みたいなジャリにやられるほど、俺はやわじゃない。大人を舐めたら痛い目見るぜ」

 そう啖呵を切ると、仁科はスマホを放り投げ、空いた利き手で懐からナイフを取り出す。鋭く尖った銀色のナイフの切っ先を桐子に向かって突き出してくる。

 瞬間、桐子の右脚が振り上げられる。まさしく、一瞬のことで、目で追うことはかなわない。風圧で部屋の空気が乱れ、キンと金属音が響き、ナイフの刃がボッキリ折れた。欠けた刃先は仁科の頬を掠めて吹っ飛び後ろの壁に突き刺さった。一拍置いてその事実に気づいた仁科は間抜けに口を開けて呆然とする。

 下衆な男の間抜けな面で優越感に浸る趣味はないので、桐子は淡々と告げる。

「見えなかったでしょう。そのトロさじゃ、一生かかっても私の蹴りには追いつけないわ。観念しなさい」

「さては……お前、異能者か」

 警戒に値する強敵と判断したか、仁科が更に後退り距離を取る。強がるような笑みを浮かべるが、若干引き攣っている。

「ははっ、《機密文書》の力を知りながら俺の前に立つとはいい度胸をしている。あんたの秘密、全部暴き立ててやるぜ」

「やれるもんならやってごらんなさい」

 つまらない脅しに屈するほど、桐子は甘くない。

 仁科は瞳に昏い光を宿すと、低く不穏な声を漏らす。

「だったら、お望み通り丸裸にしてやるよ」

 そう告げるや、仁科は本を開く。視線はしっかりと桐子を捉えている。この狭い部屋だ、奴の視界からは逃れようがない。条件は整っている。ページがめくられた瞬間、《機密文書》は秘密を覗き見る。白紙だったページが瞬時にびっしりと文字で埋め尽くされる。

 仁科は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、ページへと視線を滑らせる。

「お前の一番の秘密は……『この忙しい時に意味の解らない理由で仕事を押しつけてきやがった上司に対する腹いせのつもりで、上司が執務室の戸棚にこっそり隠していた高級羊羹をつまみ食い』……何だこりゃ!? 馬鹿じゃねえのか!」

「――馬鹿はあなたでしょう!」

 叫ぶと同時に、桐子は一気に仁科の眼前に迫り、顔面に渾身の拳を叩きこんだ。

 《機密文書》は驚異的な力を持ち、それを所持する人間は人知を超えた能力を手に入れることができる――が、当然ながら戦闘能力は皆無である。後ろ暗い奴らは電話越しの仁科への対抗手段を持っていなかったが、桐子の場合、脅しに屈しない覚悟で部屋に乗り込み近接戦に持ち込んだ時点で勝ちは確定していた。キックでなくパンチで済ませてやったのは武士の情けである。

 白目を剥いて仰向けに倒れる仁科の手から、《機密文書》が零れ落ちた。解ってはいたが拍子抜けの決着だ。まったく、こんな下衆くて雑魚い相手なんて気が滅入る。

「それにしても……トップに挙がってくる私の秘密が羊羹の盗み食いって……私って本にまで馬鹿にされてる?」

 おいどうなんだ、と恨みがましい目線を向け、桐子は本を拾い上げて小突いてみる。無論、《機密文書》は沈黙している。

 まあいいか、と溜息ひとつで気持ちを切り替える。

「回収、っと」

 これを持ち帰れば、桐子の任務は終了だ。気絶した仁科と、割れた窓ガラスを平然と放置して、桐子はベランダから外に出た。

 木から木へ、建物から建物へと伝って夜闇を駆ける。明日は朝が早いから、とっとと仕事を終わりにして、帰って休もうと決めて、桐子はひときわ大きくジャンプして、目の前のビルの屋上に着地した。

 その瞬間、しゅんっ、と風を切るような音がした。桐子がここを通るのを待ち構えていたようなタイミングで、突如、横合いから何かが飛び出してきて桐子の視界を横切る。

 それは、夜の闇に溶け紛れる黒い物体、小さな(アンカー)のようなものだった。アンカーはワイヤーに繋がっていて、桐子の手の中の本にしゅるしゅると巻き付くと、一本釣りよろしく本を掻っ攫ってしまった。

「ああっ!」

 突然のことで掴み直す暇もなかった。糸に釣られてすっ飛んでいく本を、桐子は視線で追いかける。辿り着いた先では、月光の下に一つの人影が浮かび上がっていた。

 右手に握るアンカーガンでまんまと奪い取った《機密文書》を反対の手で見事にキャッチしたのは、黒いコートを纏った青年であった。

「あなたは……万里(バンリ)!」

 横取りの犯人は桐子の因縁の相手であった。

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