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第8話 近藤勇を取り戻せ

 文久三年三月末、とうとう俺達壬生浪士組が始動した。


 始動、といってもただ京の町、それも洛外を中心に警邏して回るだけである。

 四・五人を一組として、順番に京の町を回り、怪しい輩がいないか、通りを歩き、宿を聞きまわる。

 それだけだ。


 しかし、京を堂々と名乗りを上げて歩き回れる事は、思いの外気持ちのいい事だった。

 これはどうあっても浪士の立場では出来ない事である。

 もちろん取り締まる側の不逞浪士達も、こんな事は出来まい。


 試衛館の面々も、お役を貰って張り切っているようだ。

 京に来てからというもの、大して外にも出なかったし、天下の往来を(預かり浪士という身分ではあるが)武士として闊歩出来るのだ。

 季節は初夏の匂いを感じる四月、気持ちも晴れやかだ。


 さて、この警ら活動を始めてから対して大した時間も経たずに、隊士達が色々な物を没収してきた。

 スマートフォン、タブレット、P○VITA、3D○、ウォー○マン…。

 京はこの近未来の技術に、相当毒されているようだ。

 それも持っていたのは大抵町人だという。

 『買った』という店を訪ねたが、既にもぬけの殻だったそうだ。


 容保公の話では、過激派浪士の活動資金になっているそうだ。

 いずれ大元の販売・生産をしているところを突き止め、粛清してやろうと思うが、それは長期戦になりそうだ。

 なかなかどうして敵さんも隙がない。

 ひとまずは京に蔓延る異物達を、一つ一つ処理して機会を待つしかあるまい。


 四月に入って半分も過ぎた頃、源さんの兄上が訪ねてきた。

 兄上は井上松五郎といい、同じく天然理心流を学んだ先輩でもある。

 松五郎さんは八王子千人同心の一人で、俺達とは違い、上洛する将軍に同行してきたのだった。


「元気そうで何よりだ。浪士組から分かれたって聞いたから、どうしてるか心配だったよ」


「兄上も息災そうで何よりです」


 松五郎さんは辺りを見回して笑った。


「ここが屯所ってか。大きいとはいえ、民家じゃねえか」


「今はこの規模で事足りてますから。その内隊士が増えれば、別の広い所でも探しますよ」


 お茶を差し出しながら、俺が答えた。

 この日、試衛館組で屯所にいたのは、俺と総司と源さんだけだった。

 残りは市内巡察の当番だったり、買い物だったりで不在だった。


「それにしても、良かったじゃねえか。会津侯のお抱えだなんて、いっぱしの武士になったようなもんだ」


「そうは言ってもよ、兄上。正式に武士として取り立てられた訳じゃねえから。まだまだこれからだ」


 そんな事を言いつつ、源さんは少し嬉しそうだった。

 何だかんだ身内が訪ねて来てくれる、というのは喜ばしい事である。


「みんなは元気か?左之助と新八あたりは、また喧しくやってんだろ?で、『若先生』は?」


 若先生、という単語を聞いて、俺達三人は少し顔色が曇った。

 もちろんこれは近藤さんの事で、四代目を継いで随分経つというのに、古参の門人達には若先生の印象がまだ抜けないらしい。

 源さんも気を抜くと、「若先生」と呼ぶ事がある。


「なんでえ、急にしょんぼりしやがって。まさかくたばっちまった訳じゃねえだろ」


「まあ、元気は元気なんだけど…」


「源三郎、はっきり言え!」


「若先生は、天狗になっちまった」


 源さんはそう言って肩を落とした。

 松五郎さんは「ハア?」と全く意味が分かっていない。

 言葉足らずではあるが、実は源さんの言っている事は間違ってない。

 近藤さんは『天狗』になっている。


 普通、天狗になる、というのは思い上がって調子に乗る、等という場面で使う比喩であろう。

 それもちょっとはあるかもしれない。

 しかし、近藤さんは文字通り天狗になっているのだ。


 壬生浪士組が正式発足してすぐに、芹沢はヒップホップユニット『水戸天狗』を結成。

 メンバーには芹沢一派に混じり、近藤勇の名前が入っていた。


 水戸天狗は結成してすぐに大坂へ行き、ストリートでのゲリラライブを敢行。

 さらに大坂の両替屋、平野屋五兵衛に百両を供出させ、それを活動資金に京でライブ活動を始めた。


 俺は出会った時から芹沢の存在を不倶戴天の敵と見ていた。

 しかし近藤さんは本庄宿の一件から、どうも芹沢と近しい間になっている。

 事ある毎に俺は芹沢の危険性を近藤さんに説いてきたし、近藤さんもその都度理解を示していたが、京に着いてからその距離が一気に縮まったように感じる。


 分かりたくもない解釈だが、ラップとやらをやる中で、褒められ、認められる事が快感なんだろうと思う。

 クラブから帰って来た時に、新見やら野口やらに「今日も良かったよ」「ISSAのパンチラインはソウルに響くね」と言われてご満悦だった。

 てか、近藤さんISSAって呼ばれてるのかよ。


 身に付ける服も徐々に芹沢みたいになってきた。

 何だかジャラジャラしたものを身に付けるようになったし、良く分からない「23」と英数字の入ったドデカいTシャツとやらを着ていた事もあった。

 あと、物凄く香水臭くなった。

 これにサングラスを掛け始めたら、ぶった切ってやろうと思う。


 新八や左之助が「心配だから様子を見に行きたい」と言ったので、一度ライブをこっそり見に行かせた。

 するとそこで近藤さんは「マイク一本で成り上がりたい」みたいな事をラップで言っていたらしい。

 武士の誇りはどこに置いてきたのか。


「まあ、なんだ。乗せられやすい若先生らしい話だな」


 松五郎さんは一通り俺達の説明を聞くと、もっともな事を言った。

 それを聞いて三人で「そうそう」「乗せられやすいんだよなあ」と、全面的に同意した。

 乗せられるとどこまでも踊り、留まるところを知らないのだ。

 どこかで歯止めを掛けないと。


「法度を使って、芹沢局長を何とか出来んもんかね」


 源さんは俺の目論見と同じ事を言った。


「ダメですよ、それだと芹沢局長と一緒に近藤先生まで切腹してもらわなきゃならなくなる」


 「そうだよなあ」と呟いて、源さんは大きなため息を吐いた。

 芹沢の狡猾な事よ。

 近藤さんを巻き込んだ事によって、うかつに処罰出来なくしてしまった。

 奴の余裕はこういう事だったのか、と後になって気付いた。


「江戸にいた時も、こんな事があったなあ」


 松五郎さんが思い出しながら、そんな事を言った。

 あれは確か…。


「そうそう、四代目襲名が決まった時に、みんなで若先生を吉原に連れてって」


「ああ、あれ!」


 初めて吉原へ行った近藤さんは、綺麗に着飾った太夫に大興奮。

 褒められ、おだてられた挙句に三日も居続けて、女房のつねさんの顔が般若のようだった事を思い出す。

 それだけに飽き足らず、近藤さんは試衛館の土地家屋を質に入れ、件の太夫を身請けしようとしたから、さあ大変。

 試衛館は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

 俺はどうやって解決したのか、未だに聞いていなかった。


「あの時って、結局どうしたんだっけ」


「ああ、思い出した!例のアレですよアレ」


 総司がパンと手を打つと、井上兄弟も揃って「あーアレか!」と納得した表情に。

 すまんが、俺だけ蚊帳の外なんだが。


「で、総司よう。アレ、持って来てんのか?」


 源さんが心配そうに聞くと、総司は親指を立てた。


「こんな事もあろうかと、この沖田、持ってきております!」


 「オーッ」と井上兄弟。

 頼むから、俺にもその、『アレ』が何だか教えてくれよ。


「大丈夫、この沖田に任せて下さい」


 総司は俺にも親指を立てて、片目をパチリと閉じた。

 「大丈夫」じゃなくて、教えてほしいんだが。


 結局松五郎さんは、近藤さんの帰りを待たずして戻っていった。

 松五郎さんも「総司に任しとけ。大丈夫だ」と俺に言い残していった。だから、何なんだよ。


 この日も近藤さんはクラブでライブだった。

 近い内にそのクラブとやらもぶっ潰してやろうと思う。

 とにかく俺達は近藤さんの帰りを待った。


 日付も変わろうか、という頃、水戸天狗の面々は屯所に戻った。

 廊下で隠れて部屋に戻る近藤さんを見ていたが、野郎サングラスを掛けてやがる。


「ぶった切る!」


 飛び出そうとした俺を総司が止めた。


「待って下さい、ここは僕に任せて下さい」


 そういうと総司は近藤さんの部屋に躊躇なく入っていった。

 何やら片手に持っていたようだが、暗闇の中、判別は付かなかった。


「どういう事だ、え?源さんよう」


 近藤さんの部屋の近く、廊下で源さんと俺は部屋の中の様子を窺っていた。

 燭台の明かりがチラチラと障子に漏れるのみで、目立った動きはない。

 よく聞くと、総司が喋っているようだ。


「まあ、前回も『アレ』で何とかなったんだから、今回も大丈夫だろうさ」


「『アレ』って何だよ?源さん、知ってんのか?」


「まあトシさん、ここは総司にお任せだよ」


 何故ふがふがとごまかすのか分からない。

 部屋の中の声も、総司一人だけのようだし、何か説得でもしているのか。

 説得といっても、この間俺が近藤さんに苦言を呈すると「トシ、音楽は耳で聞くんじゃないんだ。会場を埋め尽くすヘッズ達に、バイブスが伝わってるかどうか、これだよ」と握り拳で胸を叩いていた。

 全く会話にもならない状況まで陥っているのに、総司は何を出来るというのか。


 半刻程経った頃か、部屋の中から「シクシク」と泣き声のようなものが聞こえてきた。


「あいつら、何やってんだ」


「お、おい、トシさん!」


 止める源さんを振り切って、俺は勢いよく近藤さんの部屋の障子を開けた。

 するとそこにはサングラスを外して泣いている近藤さんと、一冊の本を持った総司の姿があった。


「シッ!もう少しで終わりですから、静かにして下さい!」


 総司に睨まれ、俺は仕方なく源さんと部屋に入ってその場に座った。


「『ネロとパトラッシュは、おじいさんとお母さんのいる遠いお国へ行きました。もうこれからは、寒いことも、悲しいことも、おなかのすくこともなく、みんないっしょにいつまでも楽しく暮らすことでしょう』」


「おお、ネロッ、ネローッ!!」


 総司が最後の一文を読み上げると、近藤さんは憚る事無く号泣し始めた。


「アオオオオオオオオオオオオォン!!ウワアアアアアアアアアァン!」


 まるで子供のような泣き方に、掛ける言葉もなく、ただそれを見ていた。

 源さんは何故か「ウンウン」と一緒になって泣いている。

 何だこれ。


「トシ!俺が、俺が間違っていた!俺はいつからか武士としての魂を忘れ、ヒップホップの世界にのめり込んでいた!DJの繰り出す多彩なトラックにグルーヴを感じて、ヘッズ相手にどれだけ自分のライムとフロウが通用するのか、という事に現を抜かしてしまっていたんだ!」


「お、おう…」


 泣きながら反省する近藤さん。

 どちらかというとヒップホップ賛美にしか聞こえないのは俺だけか?


「これからは武士の本分を全うする事に命を懸ける!ありがとう総司、ありがとうトシ、ありがとう源さん!俺、何が一番大切なのか、思い出した!」


「そ、それは良かった」


 俺は近藤さんの引く程の泣きっぷりと、一気に掌を返した様子に戸惑っていた。

 改心するのはいい事なんだが、余りにも劇的過ぎて気味が悪い。


 何がそんなに近藤さんの心を動かしたのか気になって、総司の持っていた本を取り上げた。


『フランダースの犬 ウィーダ作』


「おい総司、何だよこれ」


「ああ、近藤先生は昔からこの本が好きでして…」


「いやいや、これは『あり』か?」


 どうやら外国の絵本らしい。

 こんな本見た事がない。装丁も現在の日の本でそんな技術はないだろう、という程綺麗なものだ。

 どこで手に入れたのか。


「『あり』じゃないですか?だって、近藤先生の心をこれだけ動かすものが、他にありますか?」


 理由になってない。

 とりあえず怪しいので、預かっておく事にする。


 改心した近藤さんは、水戸天狗を脱退する事を誓った。

 しかし余りに急な変心は芹沢達に妙な警戒をさせる事になるだろうから、当座の所「隊務に専念したい」という事で言い訳をしておくように言い含めた。

 近藤さんをこちら陣営に取り戻した事で、芹沢一派に対する圧力をかけやすくなったが、当分の間は奴らの動きを黙認してやる事にした。

 しかし、いずれは。


 近藤さんの脱退の報を受け、水戸天狗のメンバーはがっかりしているようだった。

 「じゃあ引退ライブを」と言われて近藤さんは一瞬色めき立ったが、俺の鋭い視線にこの話を固辞した。


 遠くで芹沢のサングラスが俺の方に光ったのを感じた。

 周りのポンコツ共はいざ知らず、芹沢だけは近藤さんの変心に気が付いたようだ。

 …近藤さんさえこちらに付けば、後はこっちのもんよ。

 せいぜい今の内に馬鹿騒ぎをしておくがいい。


 数日後、山南さんにある話を聞いた俺は、総司の部屋にあの本を持って飛び込んだ。


「おい総司!この本、『なし』だろ!」


「どうしたんですか、そんなに怖い顔をして」


「山南さんに聞いたんだがな、この『フランダースの犬』ってのは、九年後に出版される筈の本だそう

だ!だから、この本は『なし』だ!覚悟しろ!」


 鬼の首を取ったような勢いでまくしたてる俺に、総司はすっとぼけた声でこう言った。


「でも、『九年後に出版』って知ってる山南さんもおかしいですよね」


「あ…」


 二の句が継げなくなった俺はそのまま部屋を出て、この本の件は有耶無耶になった。

 このはっきりさせずにごまかしたような決着は、後に俺を苦しめる事になる。




 山南敬助、当年とって三十一歳。

 近藤さんの一つ上である。

 北辰一刀流を学び、知識も豊富な、文武両道の士である。


 試衛館に山南さんが来た事は、俺たちにとって少なからず影響を与えた。

 読書好きの近藤さん以外は剣術馬鹿ばかりで、思想もへったくれもない連中だったが、時勢に明るい山南さんのお陰で、いっぱしの攘夷を語る志士になった気がする。


「攘夷、攘夷、とにかく攘夷だ!」


「一に攘夷二に攘夷、三四がなくて五に攘夷!」


 山南さんが来てから、左之助や新八辺りは何かにつけて攘夷と言うようになった。

 こいつら攘夷の意味分かってんのか?


「ほら、あれだろ?外国から来る奴らをぶっ倒す、って事だろ」


 意外にも合っていた。

 じゃあ尊皇はどうだろう。


「天朝様を大事に」


 あながち間違いではない。

 実は左之や新八なんかは馬鹿の振りをしているだけで、本当は賢いのか?


「お前達、天朝様はどこにいらっしゃるのか知ってんのか?」


 そう訊くと、威勢の良かった二人の顔が曇り、ウーンと首を傾げた後で答えを絞り出した。


「カリン塔」


「ヴァルハラ」


 前言撤回。

 こいつらは馬鹿だ。


「ハハハ、原田さんも永倉さんも、攘夷には知識など無用、ただ夷狄を撃たん、という気概こそが肝要、と分かってるんですよ」


 平助が褒めてるのかどうか分からない言葉で、二人に割って入った。


 平助は『大名の落胤』を自称していた。

 伊勢津藩主たる藤堂家の隠し子だというのだ。

 いかにも眉唾な話だが、はっきりとした目鼻立ちや余裕のある立ち振る舞いを見るに、どことなく育ちの良さが感じられ、落胤の話を聞いた人は「さもありなん」と思うのだった。


 だがどことなく抜けているところがあって、俺はその話、全く信じていない。

 だいいち、その伊勢津藩ってのがどこにあるのか知ってるのか。


「ヴァルハラ?」


 だからヴァルハラって何だよ。

 やっぱりこいつは大名の子なんかじゃねえわ。


「ヴァルハラっていうのは北欧神話に出てくる神様、オーディンの住む宮殿で…」


 俺が突っ込みを入れるまでもなく、山南さんが解説を始めている。

 …恐るべし山南、一体どこまで知識があるのか。


 脳味噌筋肉揃いで学のない試衛館の連中相手にすら、武士道やご政道の話を熱っぽく語る近藤さんには、山南さんは格好の話し相手になった。

 無学の俺とは合わないかと思いきや、俺が皆に内緒でやっていた発句の趣味が山南さんにもある事が分かり、非常に懇意になった。

 山南さんは下手くそな俺の句にもケチ一つ付けず、こっそりと二人で句をひねる時間がささやかな俺の憩いの時間となった。


「それで、オーディンっていうのは、ミーミルの泉の水を飲むことで魔術を覚えて…」


 どこまで解説してんだよ。もういいよ。

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