002話:不良と犬
その日はとりあえず早退して帰ることにした。
とりあえず意味がわからん。俺の頭じゃ処理しきれない事態だったので、帰って自分の部屋に閉じこもり、次の日まで寝ることにしたのだ。
寝れば明日は元に戻っているかもしれない。そんな思いを抱きながら俺は瞼を閉じた。
そして、次の日。
ダメだぁぁぁ!!
やっぱりおかしい!!
朝起きて違和感に気付く。
カレンダーに写っていたはずの可愛い女の子が男の子になっていた。俺のケータイの待ち受けのお天気お姉さんが、お天気お兄さんになっていた。
はぁぁぁ、なんてこった、絶望だ、絶望しかない。
あまりに絶望しすぎて、俺は吐いた。嘔吐だ。
……しかし、胃液しか出てこなかった。
……あぁ、そう言えば昨日は何も食わずにずっと寝てたんだ。
「お兄ちゃーん? 生きてるー? お母さんまた出張行ったけど一人で生きていけるー? 私もう行くよー?」
「えっ!? いや、大丈夫だからっ! そんなに生きるのに窮してないからっ!! ってあれ? ……今何時?」
「んっ!? なんだ元気じゃん! もう八時十五分前だよ!?」
「……っ!? やっべえええ!!!」
速攻準備して、パンを鞄に突っ込んで家を飛び出した。
バスに飛び乗った俺は汗ビッショリだった。
学ランを脱いで、シャツのボタンを開ける。
右手で顔をパタパタと扇いで、少しでも体を冷ます。
……あれ? なんだかスッゲー見られてる……?
周りの視線が痛いくらい俺に注がれていた。
しかも尋常じゃない。チラ見ではなくガン見だ。
ある者は唖然とした顔で、またある者は顔を赤らめながら俺を見ていた。
オイオイ、またかよ!
この世界は本当によくわからん!
分からないものは仕方ない。どうにもならないんだから慣れていくしかないのだろうな……はぁ。
とりあえず俺はいつものバスの席に座る。
ヒソヒソ声が聞こえていたが俺は汗を乾かそうと必死だった。
バス停で降りると、後からいつも一緒のバスに乗っている先輩達が『眼福、眼福』とはしゃぎながら降りて行った。
俺のことだろうか? とうとう福をもたらす程の男になってしまったのだろうか? ふむ、なんとも素晴らしいことだな。
どうやら俺の存在が更なる高みにレベルアップしたらしいな。
うむ、どことなく気分が良い。
ウキウキと足も軽く歩いていると……
「ワンッ!!」
吠えられた……
てか、道の端に段ボールが見える……
おいおいこれって……
『拾ってワン(ハート)』
そう書かれた段ボールの中、
そいつは、俺が近寄るとブンブン尻尾を振っていた。
明るい茶色、いや黄色か黄土色って所か?
ただでさえ小さい豆芝の、更に小さな赤ちゃん豆芝が段ボールからこちらを見ていた。
すんごく嬉しそうだ。
「なんだお前! ちっさ~!!」
「ワゥン!!」
「ん? お前マロ眉だな? あはは、じゃあマロでいっか!」
「ヘッヘッヘ!!」
「あー……でも、ごめんなぁマロ、遊んでやりたいけど俺これから学校行かないといけないんだよ……あ! 丁度良かった! お前にこのパンをやろう!」
一瞬で心を掴まれた。撫でてやると気持ち良さそうに体を任せてくる。なんだこの豆芝、人懐っこくて可愛い。
そんな豆芝に、俺は鞄に突っ込まれていた潰れちまったパンを差し出す。
すると、腹が減っていたのかめちゃくちゃな勢いで食べ始めた。
うんまぁ、これで飼い主様が見つかるまでしばらく腹は持つだろう、じゃあそろそろ学校行くか。達者でなー。
俺は、夢中でパンを貪る豆芝を背に登校を続けた。
うーん。
なんだか今日は良い日な気がする。幸福をばら蒔いているようだ。幸福な王子ってやつかな?
あれ幸福な王子って幸福になれないんだっけか……?
……うんその通り、幸福にはなれなかった。
学校に着いてみるとやっぱり違和感を感じずにはいられずキツかったんだ。
何がキツいかって、俺に対する女子からの対応がおかしいことだ。
ペンや消ゴムを落とすと、音速のごとし素速さで拾ってくれるし、少し肘がぶつかっただけで過剰に心配される。購買がある食堂の観音開きのドアだって何故か先に入った女子が開けといてくれるという……なんぞこれ?
いや、嫌ではないかもしれない、でもなんというかこう、不自然だよなやっぱり。
今までガン無視だったのに突然意識された感じだろうか?
って、今まで俺のことなんだと思ってたんだ!?
石ころか? おい、クラスの女子達! お前ら俺のこと路傍の石かなんかかと思ってたのか!?
さて、その位ならまだ良い、俺にはもう一つちょっと困ったことがあった。
それは他の女子同様、クラスの一番後ろにいる石橋薫にも見られている、いや睨まれている気がすることだ。
彼女はこのクラスの女番長だ。入学したての頃は、今どきまだ絶滅していなかったということに驚いたものだが、いわゆるスケバンってやつだろうか?
凄く美少女なのだが、髪を金髪に染めていて、セーラー服がよく似合う不良。ちょっと眼力が強くて怖い、ベコベコになったバットでも持っていそうな雰囲気なのだ。
そんな石橋が俺を見ている気がする。
えっ? 自意識過剰? うるせー。命の危機には過剰くらいが丁度良いんだ。
あいつ、他校の上級生男子生徒をボコボコにしたって噂があるくらいの不良な訳で、俺が勝てる可能性は砂漠に突然花畑が生まれる可能性くらい少ないだろう。
あの眼力だけで殺される自信あるね、あいつ絶対目からビーム出すよあれ。
そんな訳で俺は一日中後ろを振り向くことも出来ずただただ睨まれ続け、その睨まれた背中だけを銅像のようにピンと伸ばしていたんだ。まさに幸福の王子像ってわけ。
……キーンコーンカーンコーン……
「ふあああ、終わったぁぁぁ!!」
やっと解放される……
世界がどうなろうとこの瞬間だけは至福の時だ。
長かった学校の授業が終わるチャイムは俺を幸せにしてくれる。
俺は帰り仕度をしながらホームルームを聞き流し、先生に挨拶してから帰路に着いた。
いつもバスで登下校するのだが、俺の家の周りは何もない。そんな訳で帰りはバスに乗る前にだいたい学校の近場で道草を食って帰ることが多いのだ。
鈴木や山田は部活動があるので帰りはいつも俺一人だった。なので俺は気ままにブラブラ寄り道しながら今日も帰ることに。
あぁそう言えばあのマロ眉の犬っころの様子でも見てみようかと思い立つ。
ウィーン。
ふへへ、コンビニで肉まんを買ってみた。マロは肉まん食うかなぁ……
てか、もう拾われてたらどうしよう?
まぁその時はその時か、別にそれはそれで良いことなんだし、拾われてたら俺がこの肉まんを一人で食おう。
「ぎゃははは! ほれほれ肉だぞー!」
「ウケるー! ストラップも美味いのかなぁ!?」
何してる……?
二人の女子学生がマロの段ボールに向かってしゃがみ込んでいた。
ウチの高校ではないな、別の学校の生徒か……?
……っ!!
こいつら、マロに肉のストラップ食わせてやがる!!
「オイ! 何してんだよ!? それ食いもんじゃねえだろ!!」
「……はぁ? 誰お前?」
「何こいつ? うざっ」
「いや、誰とかじゃなくて、変なもん子犬に食わせんなって言ってんだよ」
「はぁ? ……いい度胸してるな? 男のくせによぉ」
二人組の内、身長の高い方がぐいっと俺の胸ぐらを掴む。
この女……身長は俺と同じくらいだが、これでヤンキーのつもりだろうか?
「石橋と比べたら全然怖くねえな……」
「っ!? 石橋!?」
ポツリと呟いてしまったが、本当にその通りだ。
なんと言うか威圧感がない。いや眼光の鋭さというべきだろうか?
石橋だったらこの瞬間までに五回は俺を殺しているだろう……
いや、知らんけど。
兎に角、石橋の名前を聞いて明らかに女の子二人の顔が青ざめる。
俺の胸ぐらを掴む力も急激に弱くなった。
あいつの名前けっこう広いんだな。
ここは是非活用させてもらおう。
「お前らわかってんの? 俺の高校に石橋がいるってこと? お前らこんなことしてていいのかよ?」
視線を落とし、俺の制服を見る二人。
狼の威を借りる狐ってやつだろうか?
いやいや、この世界の常識は知らないが筋力的に見ても男の俺が負けるはずないし。別に石橋の名前を出さなくてもなんとかしただろうし。だけど無駄なことはする必要ないから、せっかくだから石橋のネームバリューを使おうと思っただけだし、いや、怖くないよ全然、うん、別に二対一でびびってるとか全然そんなんじゃないからさ。
「て、てめぇ、ふざけんなよ!? てめえが石橋の何なんだよ! 関係ないだろうが!」
「あれー? つか、こいつけっこう良い顔してんじゃん、ちょっと向こうの人気のないとこで話そっか?」
「え!? い、いや別に俺と石橋は関係なくもないわけで、一応あるっちゃあるというか、えぇまぁ……そんな感じなんですよね、だから別に向こうで話さなくても良いと言いますか……」
あれ? ヤバイ、逃げ帰ってくれるかと思ったんだけどな……
まだ突っかかってくるのかよ……てか、なんかニヤニヤしだしたし、怖いから! 人気のないところで何されるのさ俺!?
視界の端ではマロがブンブンと尻尾を振っていた。
いや遊んでるんじゃないからね!? 仲間に入れてみたいな目で見てるけど全く楽しくないんだぞ!? どうなっちゃうの俺!?
「……オイ、何してるんだ?」
「「「……え?」」」
突然の第三者の声。
しかもこの声、何処かで聞いたことあるよ?
あー、どこかって言うか教室だわ、そうそう、教室の後からよく聞こえてくる声……
俺の胸ぐらを掴む力は既になくなっている。
目の前には唖然と口を開ける女の子が二人。
そして、振り返るとそこには……
──石橋薫。
俺の背後にいたのは我が聖桜花学園一年が誇る金髪の不良だった。
そこからは時が流れるのが早かった。
なんだかんだと喚きながら逃げる女子二人。
石橋に「アザーっした!!」と深々と頭を下げる俺。
状況がわからずオロオロする石橋。
「そ、それじゃあ! 俺はバスがあるのでこれにて!! そうだ、マロ、これやるよ! 良いご主人様に出会えよー! じゃーなー!」
素早くマロに肉まんをあげると、石橋に声をかけられる前に俺はダッシュで逃げた。
コエー!! 本物来ちゃったよ!? えっ、大丈夫だよね? さっきの調子こいて石橋の名前を使ったの気づかれてないよね?
俺は一つ先のバス亭まで走り、家へと逃げ帰った。
……
一方、芝犬のマロはもらった肉まんを必死に食べていた。
肉まんはマロよりも遥かに大きかったのだが、もうすぐなくなろうとしている所だった。
「ふーん……お前、マロって言うのか……なかなか可愛いな、ふふ……」
石橋薫は、食事を終え腹が膨れたマロ眉の豆芝を抱きかかえる。
……どんな世界でも、不良には犬がよく似合うのだった。