4日目 つきまとった日
ヨームさんはセレンさんの護衛兼側近、らしい。よくわかっていないわたしに、だいぶ噛み砕いた言い方をするとそうなると彼は話した。もともとは近衛として貴人の警護などをしていたが、成り行きで側近みたいになっている、とか。
セレンさんは一日中魔術院――わたしが召喚されたところ――にいるため、ヨームさんも魔術院にいるのだという。
言葉が通じなくて不便だろうけどおとなしく部屋にいてくれ、というヨームさんに、あの有名アニメ映画の主人公ばりにお願いした。
「働かせてください!」
「……その必要はありません。クルミ様は客人ですから」
「吉野くんと違って、わたしは招かれたわけじゃありません」
ヨームさんは客人と尊重してくれるけど、わたしは吉野くんのおまけだ。誰からもお呼びでない。働かざるもの食うべからず、だ。
「巻き込んでしまったのはこちらの責任です。時間がありませんので」
あっさり断り、ヨームさんは出て行ってしまった。
入れ替わるように、お姉さんが入ってくる。朝食のお皿を片付けにきてくれたらしい。皿を片付けようとする彼女より先に、皿を手に持つ。自分の顔を指差し、自分で片付ける、とアピール。お姉さんは小首を傾げた。
「クルミ、さま?」
たどたどしく、名前を呼ばれた。
「くるみ、くるみです!」
名前を呼ばれただけだけど、うれしい。意思の疎通が図れているような気がする。ヨームさんがわたしの名前を伝えてくれたのだろうか。
自分を指差して「くるみ」と繰り返したあと、お姉さんの方に手を向け首を傾げる。彼女の名前が知りたい。
彼女は自分を指差し「イヨ」と教えてくれた。通じた。
「イヨさん」
にこり、と彼女は笑う。そして、わたしの手から皿を取る。
「あ」
食器をカートに載せ部屋を出て行こうとする彼女のあとを、ついて行った。
カートを押すのを代わろうとしたけど、運ぶ先がわからなかったのでイヨさんの後ろを歩いた。彼女は何度か立ち止まったものの、わたしが部屋に戻る気配がないと察したのか、時折振り返って苦笑するだけになった。
カートを厨房まで運ぶと、彼女は掃除を始めた。わたしが使わせてもらっている部屋だったり、別の知らない部屋だったり。箒や布巾などの掃除用具を手に取ってみたものの、そのたび彼女にかっさらわれた。首を横に振って、やんわりだめだと言われた、気がした。
それでもわたしは諦めなかった。掃除用具を手に取る、気づかれ奪われる、といたちごっこになり、結局イヨさんが先に折れた。執念で勝ちをもぎ取った。
わたしが好き勝手あとをついて行けたのはそこまでだった。
お昼の時間になり、昼食を載せたカートを押すイヨさんについていくと、着いた先はわたしが使わせてもらっている部屋。そこにひとり分の食事が並べられ、イヨさんに席に促される。ひとりで食べろということかとそれを食べ、片付けにやってきたイヨさんのあとをまたついて行こうとして。
部屋を出ようとすると、イヨさんが立ちふさがった。首を横に振って、困り顔だけど一歩も譲ろうとしない。そして扉を閉められた。
さすがに、迷惑だっただろうか。そう思いつつも試しに一度扉を開けてみた。カートを押しかけたイヨさんがわたしに気づき、再び首を振って扉を閉める。
耳を澄ましてみたけどカートを運ぶ音がしない。わたしがまた開けないように、様子を見ているのかもしれない。
それ以上つきまとう度胸は持ち合わせていなかった。
つきまとって迷惑をかけた自覚はあるし反省はしている。でも、それ以外にできることがわからなかった。
何をすれば良いのだろう。ヨームさんは客人だから働く必要はないと言うけど。
何もせずにいるのはもどかしい。
それに自分のことが他人任せになっているのは不安だ。何かしたいし、できることがひとつくらいはあるんじゃないかと思ってしまう。
ヨームさんたちからしたら、じっとしている方が扱いやすいのかもしれないけど。帰れる日まで、ずっとこんな風に過ごしていかなければならないのだろうか。
それはとてつもなく長い時間のように思えた。終わりがあるのかわからないくらい、本当に帰れるのかわからないくらい。
――時間があると、ろくなことを考えない。
ひとりで考えていたってどうにもできない。今後のことはヨームさんが帰ってきてから話さないと。
とりあえず今は、ヨームさんが帰るまで何かしていよう。
部屋の中にあったのは、本と紙、インク、万年筆みたいなペン。
本をぱらぱらめくって、ただの記号にしか見えない文字を観察してみた。なんとなく何度も出てくる文字を書き写してみたりしたけど、自分でも何をやっているのかわからなくて三ページ目でやめた。言語学者の偉大さを思い知った。
次に、紙に素数を書き出してみた。落ち着くというより疲れてやめた。
そして紙は何も書くためだけにあるんじゃないと思い至り、五センチ角に切って鶴を折り始めた。
とにかくわたしは暇を潰すことしか考えていなかった。
「イヨについて回るのはやめてください」
夜中、ヨームさんがそう諌めてきた。
「だって言葉が通じないから、目で見て覚えようとしたんです」
「何をですか」
「仕事です」
「ですから、しなくて結構です」
「……ずっと部屋の中にいれば良いんですか」
正直、イヨさんに迷惑をかけたことは申し訳ないと思っている。でも、いろいろ見て回って、ときどき無理矢理手伝って、気が紛れたのは事実だ。
何もしていないと考えてしまう。せめてもの恩返しに働きたいという気持ちも本当だけど。
「何かしていたいんです」
ヨームさんの視線がテーブルの上をさまよう。そこにはわたしの暇潰したちが鎮座していた。よくわからない文字を書き写した紙、素数でびっちり埋まった紙、百を超える小さな折鶴。改めて見ると、自分でもちょっと引く。
「……わかりました」
渋々、といった感じでヨームさんが了承する。
「ですが、あなたをわたしの使用人と同じように扱うことはできません。わたしの目の届かないところへの外出も許可できません。魔術院で細々としたことの手伝いなどでしたら、できないこともないでしょう」
珍しく歯切れが悪い。他の人とは言葉が通じないし、無理を言ってしまっている自覚はあるけど、なにかすることがある方が助かる。
「お願いします!」
魔術院にはセレンさんがいる。正直、セレンさんに会うのはちょっと怖い。けど、ヨームさんがなんとか出してくれた妥協案だ。少し迷ったものの、魔術院に行かせてもらうことにした。