25日目 告げられた日
セレンさんの部屋の扉を開けると、クラッカーの音が響いた。いつだったか、セレンさんに概要を伝えて作ってもらったもの。扉を開けたまま、わたしはしばらく固まった。
誕生日おめでとう、と言われて、今日が自分の誕生日だということに気がついた。つまり、吉野くんの誕生日の十二日後。
テーブルの上には、わたしが考案したショートケーキもどきが鎮座していた。もちろんわたしは作っていない。目を疑ったけど、幻影ではない。
「屋敷の者に作らせました」
ヨームさんが言う。
厨房のおじさん、お兄さんの顔が浮かんだ。ずっと手伝ってくれていたから、作り方がわかるのだろう。作ってくれてうれしい、うれしいけど。わたしが作ったものより綺麗でおいしそうだ。悔しい。
「クルミ、おめでとう」
セレンさんが口元を緩めながら、近づいてくる。手にはペンとインクを持っている。
「魔術が一番だと思って」
吉野くんの誕生日のデジャビュ。
自分の取り柄は魔術だと、吉野くんの誕生日にも彼女は同じようにペンとインクを持っていた。紋様を描くのに必要だという、それ。
――いつだったか、吉野くんは『空を飛びたい』とこぼしたことがある。
疲れていたのだと思う。空を見上げながら魂の抜けたような顔をしていた。
セレンさんは単純に、じゃあプレゼントとして魔術で叶えてあげたら喜ぶだろう、と考えたらしかった。
彼女は吉野くんを放ってひたすら紋様を試行錯誤した。その間吉野くんは気力を回復していたから、『空を飛びたい』とは『自由になりたい』の比喩だったのかもしれない。
そうしてできあがった紋様を、断ろうとしたが押し切られた吉野くんの背に描いて。
彼は木に突っ込んだ。爆発的なエネルギーで地面から飛び立ち、しかしそのエネルギーは一瞬だけで、まるでペットボトルロケットのようだった。墜落せず木に引っかかったのは僥倖だと思う。
魔術は万能ではなかった。
「いや、魔術はちょっと」
よみがえる悪夢に青ざめる。
「大丈夫だよ、おれも一緒に考えたから」
吉野くんがなだめてくる。もしかしたらペットボトルロケットになったときにセレンさんをちゃんと説得しなかったから、仕返しなのかもしれない。いや、そんな人じゃないって信じてるけど。
「変なものじゃないし、おれが実験台になったから」
苦笑する吉野くんに、疑心暗鬼になった自分を恥じた。
「手の甲、出して」
右手を差し出すと、甲にペンですらすら描かれる。丸い円を二つ。縦横無尽に走る線。
「――――」
ぼそぼそとセレンさんが呟くと、紋様が溶けるように消えた。
「これ、何の魔術なんですか?」
「秘密」
悪戯っぽく、セレンさんが笑う。
「サプライズ、って言っていたから」
吉野くんの誕生日に、わたしが倒れたとドッキリを仕掛けたとき。普通に喜んでもらうより、驚かせた後の方が面白い、とサプライズの説明をした。何の魔術がわかるまで秘密ということだろうか。
「お守り、みたいなものだよ。ある条件で発動するけど、発動しない方が良いかも」
吉野くんが補足する。どんな魔術なのか、ますます気になる。
「あと、クルミ」
珍しく躊躇うように、セレンさんが口を開く。
「四日後、帰すのに必要な魔力が溜まる」
はっと、した。一ヶ月で帰ることはできると言われていたけど、セレンさんの口から直接その話が出るのは初めてだ。
「クルミを帰すことができる。……でも」
言いよどむのは、なぜか。言いかけてセレンさんは首を振る。
「とにかく、準備を進めておくから」
吉野くんと話をした。
セレンさんに、吉野くんを帰す気はないらしい。日本に帰れたらもうこちらに来たくないと考えているのがばれているのかもしれない、と苦笑した。
「金重さんは先に帰ってて」
「……でも」
「もともとこっちに来るはずじゃなかったんだから。お礼言いそびれてたけど、召喚されるときに金重さんが助けようとしてくれて、うれしかった。ありがとう」
お礼を言われるほどのことを、わたしはできていない。わたしは自分から事故に巻き込まれに行っただけだ。
「また時間をかけてセレンを説得しようかな。おれの方が説得されちゃうかもしれないけど。金重さんはすぐ帰れるんだから、おれのことを待つ必要はないよ。いつまでかかるかわからないし、講義のレジュメでも取っておいて」
吉野くんは優しい。躊躇しながらも、それでも帰りたいと考えるわたしにも。
こちらにきた日からずっと、帰りたいという思いが中心にあった。こちらにも馴染みはじめてはきたけど、帰る場所はここじゃない。
わたしはたぶん、吉野くんを置いて行ってしまう。
謝ることはできなかった。吉野くんを本当に突き放してしまいそうで。
椅子の上で、膝を抱える。行儀が悪いけど、小さくなっていると落ち着く。屋敷に戻ってからずっと、そうやってじっとしていた。
イヨさんと言葉が通じなくて逃げ出したときも、木の陰に隠れて小さくなっていた。絶対にどんなことをしてでも帰ると決意して、気を張った。
帰れる日を待ち望んだけど、望んだかたちとは違う。
帰るしかない。帰らないなんて考えられない。でも。
不意に、控えめのノック音がした。姿勢を正して返事をする。
「はい」
ヨームさんだった。
おもむろにわたしの前にくると、「手を出してください」と言われる。よくわからないまま、左手を差し出す。
「誕生日おめでとうございます」
手を取られて、手首になにかを通される。
――買い物に行ったとき、市場で見かけたブレスレット。
桃色の硝子玉が二重に連なった、わたしが目を引かれていたもの。親指の爪くらいの硝子玉が、光を反射して輝いている。
「こ、これ」
「プレゼントです」
一気に心拍数が上がった気がする。
「いただけません!」
『これはね、恋人に贈るのが流行ってるの』
売っていた人が、そう言っていた。
そういう謳い文句で売っているだけなのかもしれないけど、もらってはいけないものだと思う。
「気に入りませんか」
「いえ、すごくかわいいですけど! 恋人に贈るものだって……!」
「恋人はいませんから。要らないというのでしたら、捨てますが」
「いただきます、ありがとうございます」
本当に捨てそうな声音だったので、困惑しつつもお礼を言う。少し、ヨームさんの目元が和らぐ。
恋人は、いない。でも好きな人はどうなんだろう。イアリカ様の顔が浮かんでしまう。
それでも、もらったことは素直に嬉しい。
いつも何もつけていないからか、ブレスレットの存在をやけに気にしてしまう。手首の慣れない感触と重みに、そわそわする。
硝子玉の中は空洞になっていて、向こう側が透けて見える。割ってしまいそうでちょっと怖い。大事に扱わないと。
そっと硝子を撫でながら、ヨームさんにはもらってばかりだ、と思う。四日後には帰るのに、わたしに何ができるだろう。




