18日目 意識した日
表面上はまったく変わらない。ヨームさんの屋敷の居候だし魔術院で雑用をしている。
しかし心中穏やかではない。冷静に思い返してみると恥ずかしいことを言ったし言われた。
たぶん、異世界人が面白いのだろう。だから手元に置いておこうというそんな考えなのだ。おそらく。きっと。そういうことにしておこう。
冷静に思い返すべきことはそちらではない。
ナダンさんのことだ。
あの人の調子に乗せられたのではないだろうか。
セレンさんのこと、イアリカ様のこと、ヨームさんのこと。全部嘘、というわけじゃないだろうけど、あのイアリカ様に対する信奉ぶりは不信感を抱かせる。イアリカ様本人は本当に好ましい人なのかもしれないけど。
それに。ナダンさんは暗にそうだと言っていたけど、ヨームさんは本当にイアリカ様のことが好きだったのだろうか。今も、そうなのだろうか。
二階の部屋の掃除を終え、窓を閉めようとすると、足早に魔術院を出て行くヨームさんを見つけた。刃をつぶした剣を持っていて、表情は険しい気がする。
訓練場に行くにしては、物騒な感じ。誰かの命でももらいに行きそうだ。
――掃除は、終わったし。
そう言い訳して、訓練場へ急いだ。
窓から覗くと、ヨームさんとナダンさんが打ち合いをしていた。
打ち合いというより、試合とか決闘みたいだ。周りで素振りしていた人たちも手を止め、遠目に見ている。
終始ヨームさんは眉間に皺を寄せ、ナダンさんはへらへら顔をしようとしているけど余裕がなくて顔が引きつっている。剣が交わる最中何か話しているようだけど、遠すぎて聞こえない。
「ナダンに何か吹き込まれたらしいね?」
「っ、キアスさん!」
気配もなく後ろから忍び寄るのはやめてほしい。悪びれもせず、それどころかわたしが驚いたのを楽しんでいるかのように笑う。
「ヨームがナダンを呼び出したんだよ。初めてじゃないかな。真剣勝負だったら面白そうだったのになあ」
真剣――本物の剣だったら、無事では済まないだろう。危なっかしい。
「あ、次、決まるよ」
「え」
慌ててキアスさんからヨームさんたちの方を向く。
ナダンさんが大きく剣を振りかぶっていた。しかし振り下ろしきる前にヨームさんの剣が払う。そのまま剣はたたらを踏んだナダンさんの首筋に向かい、触れるか触れないかのところで止まる。
「うわあ」
すごい。ナダンさんの悔しげな顔が良い気味だと思ってしまう。
「ヨームが出てきちゃう。こっちにおいで」
キアスさんが建物の裏に手招く。後ろ髪ひかれつつ、あとをついて行った。
壁と植木に隠れる位置に来ると、キアスさんはにこにこと口を開いた。
「ヨームがね、勝ったら二度とクルミちゃんに近づくなって」
「え?」
「建国祭の日、クルミちゃん様子おかしかったでしょ? ナダンが何か吹き込んだに違いないって考えたみたいだよ」
ナダンさんと話していたところは見られているし、たしかにその通りではあるんだけど。
どうしてそこまでしてくれるのだろう。うれしい気持ちはある、けど。困惑する。
「気になることがあるならちゃんと言った方がいいよ。ヨームは気を回す性分だから」
わたしがナダンさんとの話を明かさないから、根源を絶ちに行ったのだろう。
それが申し訳ないと思うのに。でも、そうしたいからやった、とか言われそうだ。
「ヨームに言いにくいんだったら、おれでも良いけど」
イアリカ様のことを、どう思っているのか。
ヨームさんには尋ねにくい。けど。
「キアスさんじゃ、だめです」
キアスさんが知っていたとして、キアスさんの口から聞いたとして、それは本当なのかどうかわからない。あのときはついナダンさんに聞いてしまったけど。
知りたいなら本人に聞くべきことなのだろう。
「そっかークルミちゃんはヨームが良いのかー」
「え、何ですかいきなり」
唐突にふざけてくる。
引くと、キアスさんは真面目な表情に戻った。
「あと十日くらいかな? クルミちゃんが帰るまで」
「……そう、ですね」
「後悔しないようにね」
唐突に良い人になった。
魔力が溜まるまで、一ヶ月。こちらの一ヶ月が二十八日。
そうか、もう。
「あなたが巻き込まれて召喚された人だったの」
沈みかけた意識を、闖入者が引き上げる。
すらりとした体躯に軍服を纏った、セレンさんとそっくりの女性――イアリカ様。
「今日はこちらにいらっしゃる日でしたっけ」
「いいえ、暇ができたから来てみたの。そうしたら、あなたが裏手に行くのが見えたから」
彼女の顔が、こちらに向く。
「セレンの友人と言っていたから、不思議に思っていたけど。随分苦労しているのでしょうね」
建国祭の日に一度会っただけだけど、なんだか今日は違和感がある。
セレンと呼び捨てにしたり、言葉は労うようだけど口調はまったく優しくなかったり。
「こちらで保護してあげる」
「……保護?」
「本当に召喚が行われたのか確証がなかったし、なかなか接触する機会がなかったけど、軍としてはあなたを保護するつもりでいるのよ。セレンの機嫌をうかがうのも疲れたでしょうし」
キアスさんを見上げる。イアリカ様の少し後ろで、彼は口元に笑みを浮かべてわたしを見下ろしていた。
わたしに利用価値があることを知るべきだと、彼は言った。
「いいえ、保護してくださらなくて結構です。わたしは自分の意志であそこにいます」
一度は離れようとしたけど、でも、わたしはあちらにいたいと思っている。
「心配なのでしょうけど、ちゃんと帰してあげられるわ。今は軍と魔術院の勢力は拮抗しているけど、すぐに軍の傘下におさめてみせる。セレンが使えなくても、他の魔術師に召喚の術を研究させて帰してあげる」
彼女の言葉は自信に満ちている。野心家といえば、そうなのかもしれない。
けど、彼女の言葉は高みを目指して上を向いたものじゃなくて、下を向いた――他人を蹴落とすことを考えたものに聞こえる。
そのために、わたしを利用しようとしているとしか考えられない。
彼女の声には他人への思いやりなんてない。うわべだけでしかない。無表情でも、ヨームさんにあったものがない。
「わたしは、セレンさんもヨームさんも信用しています」
しかし、この人は信用できない。
はっきりそう告げると、彼女は顔をしかめた。
「あなたは、セレンが何をしてきたか知らないのよ」
建国祭の日、彼女はセレンさんを嫌っていないのではないか、と思った。他人行儀ではあったけど言葉を交わしていたから、きっと今まで関わる機会がなかっただけなのだろう、と。けどそれは、あれが公の場だったから、わたしが何者か知らなかったから、だったのだろう。
セレンという名を口にする度、彼女の顔に嫌悪が走る。
「信じるのは自由だけど、それで帰れるわけじゃないわ」
信じていれば帰れるわけじゃない。そんなこと、わかってる。帰してもらいたいから信じているわけじゃない。
「わたしが信じているのは、帰してくれるかどうかじゃなくて、その人そのものです」
直接話して、接して、信頼できる人かどうか判断している。
いくら聞こえの良い言葉を囁かれても、それが本当でなければ意味がない。
帰してくれるとイアリカ様が約束してくれたとしても、利用する魂胆が見え見えで信用なんかできない。
それならわたしは、信頼できる人のところにいたい。利用されてヨームさんたちに迷惑をかけるのはもってのほかだし。
「まあ、言ってみただけだから良いわ。そちらの方が都合が良いし」
ため息をついて、イアリカ様はそう言った。都合が良いって、何のことだ。
「わたしが協力しなくても、あなたはじきに帰れるでしょうね。彼みたいに執着されて呼ばれたわけじゃないから」
彼――吉野くんのことだろう。
イアリカ様はもうわたしに興味をなくしたらしく、あっさり踵を返した。キアスさんは何も言わずに、彼女の後をついていく。
わたしには、彼女のことをナダンさんが言うような素晴らしい人に思えない。




