11日目 街に出た日
季節感は日本とそう変わらない。
ヨームさんに買ってもらったコートの暖かさが、何だか申し訳ない。休日なのに、ヨームさんを付き合わせてしまって一層申し訳ない。これからいろいろ買ってもらうのだと思うと、重ね重ね申し訳ない。
しかし、街というのはテンションが上がる。ちゃんとした建物の中にあるお店もあるけど、出店や路上で売っているところもある。活気に溢れて、目をひかれる。
昨夜のうち、イヨさんたちに必要なことを聞いておいた。
砂糖のようなものはあるけど、庶民にはお高めなこと。あまりお菓子文化は発展していないようだ。
卵はある。バターと、小麦粉のようなものもある。粉の種類はいくつかあるらしいけど、厨房に一通り揃っていると聞いたので全部試させてもらうことにした。だからたぶん、スポンジはできるだろう。
問題は生クリーム。バターがあるのだから、牛乳のようなものもある。しかしお菓子文化がないせいか、生クリームの特徴を伝えてもイヨさんに首を傾げられてしまった。厨房の人に尋ねても、そういうものはないだろうと言われた。
お菓子作りをするとき、生クリームには散々苦しめられてきた。
市販のものを買ってくると、量が多すぎて余ってしまうのだ。そのくせ賞味期限が短くて保存できない。だからわたしは生クリームを代用していた――バターと牛乳で。ふたつを混ぜると生クリームのようなものができる。
どちらもあるから、ここでも作れるかもしれない。分量の調整も必要だろうし、味だって違うだろうけど、物は試しだ。
あとは果物をどうにかすれば。果物は市場に様々なものが安価で売っているらしい。ただ早めに行かないと売り切れてしまうそうで、真っ先に市場に行くことにした。
市場は王宮からは少し離れていて、雑多な感じだ。基本的には露店で通路が狭い。人がごった返していて、肩がぶつかるのが当たり前。入るのに勇気がいるな、と足を止めると、「お嬢さん、見ていかない?」路上でお店をやっている人に声をかけられる。
工芸品みたいだった。並んでいるもののうちのひとつに、目をひかれる。
桃色の小さい硝子玉みたいなものを、二重に連ねたブレスレット。色も綺麗だけど糸の編みこみが面白い。ブレスレットから垂れている房の上部分が、花のような形に編まれている。
「巷で人気なんだよー」
服を買いに行ったときもそんなことを言われたような。
「これはね、恋人に贈るのが流行ってるの」
わたしがじっと見ていたものを持ち上げ、そんなことを言ってくる。心ひかれていたけど一気に現実に帰った。
「すみません、結構です」
恋人いないし。というか買えないし。
ヨームさんとともに市場へと足を踏み入れていくと、先を歩いていたヨームさんが不意に立ち止まった。
何事かと前方を覗くと、おじさんとお兄さんが口論している。足を踏んだとか、どついたとか。お兄さんの連れがおじさんを煽る。あ、おじさんがお兄さんを殴った。
「広い通路まで出て、待っていてください」
ヨームさんはそう言い置いて、仲裁に向かう。
危なくないのだろうか。外に出ていろと言われたけど、その場に留まっておろおろしてしまう。
人を呼んできた方が良いのかな。誰を呼んでくれば良いのだろう。
途方に暮れていると、誰かに手を掴まれた。
「ちょっと向こう出てようか」
「え、あのっ」
服を買いに行ったときにヨームさんに絡んでいた二人だった。へらへらした人がわたしの手を握って、広い通路まで引っ張っていく。つり目の人は背中を押してくる。まるで連行されているみたいだ。
広い通路まで出ると、手を離してくれた。
「久しぶりー。覚えてる?」
へらへらした人が友達みたいに聞いてきた。
「覚えてます」
この人たち、ヨームさんが仲裁に行ったすぐ後に出てきた。ヨームさんを助けに行かないのだろうか。わたしに用があるとは考えられないけど。
「ヨームのところで世話になってるんでしょ?」
「はい」
つり目の人の問いに頷いた。ヨームさんが話したのだろうか。
へらへらした人が軽い口調で話しかけてくる。
「セレン様に召喚されちゃったって聞いたけど。帰れないとかかわいそー」
「……魔力が溜まったら、帰してもらいます」
「それでも一ヶ月かかるんだろ。また呼び戻されちゃうかもよー?」
神経を逆撫でしてくる言い方だ。むっとするけど、顔に出さないように堪える。
呼び戻されるどころか、帰れる確約すらないけど。
「わたしは帰ります。セレンさんは、話せばわかってくれるはずですから」
それは、自分に言い聞かせているようでもあった。まだセレンさんには帰してもらえるのか、確認していない。なんとなく聞きにくかった。魔力が溜まるまで時間がかかるのだからと、先延ばしにしてしまっている。
彼はにやにや笑いを浮かべて、近づいてくる。
「セレン様は、人じゃない」
顔を近づけて、低い調子で囁く。
「生まれたときからどこかおかしかったんだ。彼女は母親の魔力を根こそぎ奪って生まれた。幼いときは癇癪で乳母の手首を切断したし、魔術師として戦争に出れば敵味方見境なく焼き殺した。魔術院に押し込めてるのは王家も手に余ってるからだ」
魔術院でちょっかいをかけてきた少年の、『厄介払い』『バケモノ』という言葉が頭を過ぎる。
「信じない方が身のためだと思うよー?」
にたりと笑う。嫌な笑い方だ。ヨームさんに話しかけていたところを思い起こさせる。
こんなことばかりしているのだろうか。こんな、悪口を吹聴するような。
「そうやって、孤立させてるんですか」
目の前の彼が、はっとする。
「セレンさんを」
彼が話したことはまるきり嘘というわけではない気がする。あり得ると思ってしまったし、それなりに衝撃も受けた。
でも彼の笑みを見たとき、信じてはいけないと思った。わざわざわたしにそんな話をするということは、何か企んでいるからだろう。そう冷静になった。
私の憶測は外れていないのか、彼の眉間に皺が刻まれる。そして何か言おうと口を開いたけど、その前に。
「クルミ様」
後ろから伸びた手に、肩を掴まれた。その手に引っ張られるまま、へらへらしていた彼と距離があく。
できた空間にヨームさんが立った。鼻先にヨームさんの背中が触れそうだ。
なんだか、こういうのが多い気がする。かばわれたり、視界を遮られたり。
「何の用だ」
押し殺したようなヨームさんの声。怒っているみたいだ。
「ヨームが放置したから、こっちまで連れてきてあげただけだよ」
「そーそー。おっかない顔すんなよ」
「ならもう行っても構わないな」
ヨームさんの背中から移動すると、つり目の人と目が合う。逸らそうとする前に、のんきに手を振ってきた。この人、緊張感がない。
「イアリカ様が、戻る気はないかと」
へらへらした人が、聞いたことのない名前を出した。『イアリカ様』。
「おれは、お前たちとは違う」
「違うと言い切れるほど、ヨームはおれたちのことを知ってるのかな」
ヨームさんの返答に、つり目の人が笑った。
口を噤んで、「行きましょう」ヨームさんはわたしの腕を引いた。
「イアリカ様はいつでも待ってるってよ」
へらへらした人の声が追いかけてくるけど、ヨームさんは足を止めない。
一体、どういった関係なのだろう。個人的なことに首を突っ込んではいけないのかもしれないけど、もやもやする。
「あの、イアリカ様って?」
「……かつての上司です。あの二人とは士官学校の同期で、四年ほど前まで、ともにイアリカ様の下で働いていました」
少し、過去の話を聞いた。
四年前、戦争があったこと。
セレンさんの周りには人が少なかった。人々が仕えることを恐れていたせいでもあるし、セレンさん自身近くに人がいると煩わしく感じたせいでもあるという。
しかし戦争が始まって情勢が不安定になり、ひとりでも近衛をそばに置くべきだと軍の上層部が判断した。何かがあったとき、できるだけのことはしたという建前が欲しかったのかもしれない。
身分がはっきりしていて目ぼしい者が次々近衛として仕え、脱落していった。
理由は様々。単純にセレンさんの不興を買った者もいれば、セレンさんを狙った攻撃に巻きこまれた者、セレンさんの魔術に巻き込まれた者、自ら逃げ出した者もいたという。
ヨームさんは、あの二人と一緒にセレンさんの下についた。しかしあの二人は不興を買ってイアリカ様のところに戻った。
無事に働いているのはヨームさんだけ。もともとセレンさんは護衛を必要としていなかったこともあって、任されるままセレンさんの身の回りのことをこなす側近の役割もすることになった。
『イアリカ様』は軍の偉い人なのだろう。戻ってほしい、ということは。
「魔術院を出て、軍で働けってことですか?」
「いえ」
ヨームさんは少し言いよどんだ。
「クルミ様にお聞かせするようなことではありません」
明確に線を引かれた、と思った。ちくりとどこかが痛んだ気がした。
ほんの少しの気まずさがあったが、買い物はしなければならない。
市場で果物を選び、砂糖を買い、時刻は昼過ぎ。昼食にしようとヨームさんが近くのお店に入る。テラス席に案内され荷物を置いていると、女の人の悲鳴が道路から響いた。「ひったくり!」女の人の声の後、若い男が目の前を走り抜ける。
そして、ヨームさんは駆けて行った。
今回は言われたとおり、おとなしく座って待つ。わたしじゃ追いつかないし。ひったくり犯が武器を持ってなければいいけど。
「治安悪いのかなあ」
「建国祭の前でみんな浮かれてるんだよ」
「ひっ」
独り言のつもりが、向かいから返事があった。思いがけず悲鳴が出る。
つり目の人がにこにこと、テーブルを挟んだ向こうの椅子に座る。
「ナスキアスです。キアスでいいよ。さっきいたやつはナダン。あいつの名前は覚えなくてもいいよ」
「……キアスさん、ヨームさんはひったくり捕まえに行きましたけど」
「そうみたいだね。ヨームって足速いよね」
「捕まえに行かなくていいんですか」
「だって休日だもん」
「ヨームさんも休日ですけど」
「ヨーム真面目だもん」
つまりこの人は不真面目だ。なんだろう、この人と話していると疲れる。
へらへらした人――ナダンさんは一緒ではないようだ。わざわざ何の用だろう。
「クルミちゃんとお喋りしようと思ってね」
どことなくうさんくさい。なぜわたしの名前を知っているのか。わたしの胡乱な視線を彼は物ともしない。
「セレン様はどうしてクルミちゃんを召喚したのかな?」
正直に答えるか、少し迷う。でも誤魔化しても見透かされそうだし、ちゃんと答えるまでまたどこからともなく現れてきそうな気がする。
「わたしは巻き込まれただけです。召喚するはずじゃなかったのについてきたおまけです」
「召喚された人が二人いるっていうのは本当なんだ」
キアスさんは悪意の欠片もないような顔で呟く。
知っていて質問したのか。正直に答えるか試されたのだろうか。
「召喚にクルミちゃんの意志は関係なかったわけじゃない? セレン様を恨んだりはしてないの?」
「いろいろ考えましたけど。誰が悪いっていうのはないです」
責任を考えるなら、みんなにある。召喚をしたセレンさんにも、きっちりけじめをつけなかった吉野くんにも、自分から事故に巻き込まれにいったわたしにも。
「誰が悪いとか何が悪いとか、考え出すとキリがないんです。だからもう考えるのはやめました」
だから、別のことを考える。掃除のこととか。
「それに、セレンさんはそんなに吉野くんのことを好きだったってことですし」
吉野くんを日本に帰して、二年待った。それから吉野くんをまた召喚するために、魔術を使った。吉野くんも抵抗していたから何度も失敗していたのに、めげなかった。まあ、事故に遭い続けた吉野くんのことを考えると複雑だけど。
「好き、ねぇ。セレン様が本当に? 気に入った玩具見つけただけじゃない?」
「……わたしだって、わからないですよ」
苦笑すると、キアスさんが目を丸くした。
セレンさんのことを擁護しているように聞こえたかもしれないけど、盲目的に信用しているわけじゃない。
わたしはもうすぐ十九歳になるだけの、ただの小娘でしかない。セレンさんが本当に吉野くんに恋をしているのか、玩具に対する執着なのか、判別できる自信はない。
「でも、セレンさんは賢いから」
話せば理解しようとする。
「非常識で無遠慮で容赦ないけど、それは教えてくれる人がいなかったからです。吉野くんはどうしようもなく甘いけど、だからセレンさんから離れたりはしない。そんな吉野くんをセレンさんは日本に帰して、また召喚したわけで。それはたぶん、セレンさんの譲歩で。人よりだいぶ遅いけど、相手を尊重することを学び始めていて。……玩具なら、思うままに振舞っていたんじゃないかと思います」
恋愛か、友情か、はっきりとはわからないけど、セレンさんは吉野くんを人として好きだと思う。
わたしの捻り出した答えに、キアスさんは微笑んだ。
「なるほど。セレン様は成長している、と。それは彼女にはない部分だ」
「え?」
不意に、キアスさんの首もとに誰かの腕が伸びた。
「また、何の用だ」
キアスさんの首根っこを掴んで凄む、ヨームさん。息切れしてるけど、どこも怪我をしてないようだ。良かった。
「お早いお帰りで」
両手をあげて降参のポーズをとりながら、キアスさんは立ち上がる。
「ためになったよ。ありがとう、クルミちゃん。またね」
ひらひら手を振って、足取り軽く彼は立ち去っていった。なんだったのだろう。




