第二十七話 -やさしい無視をする-
見えない人に声を掛けて手助けする事が出来ない二人は、自分達に何が出来るかを調べる事にした。
暫くして奏が一冊の本を心音の前に差し出す。
『心音ちゃん見て見て! 盲導犬の事が書かれてる本を見つけたんだけど、この写真のワンちゃんすっごく可愛いから』
『あれ? 奏ちゃんてニャンコ派じゃなかった?』
『そうだけど別にワンちゃんが嫌いな訳じゃないもん、それにしてもご主人様の為に尽くしてる姿が愛おしくてたまらないわよね~』
『うんうん、その気持ちは分かるわ、ワンコってちょっと困ったような表情をしながら上目遣いで見つめてくるから胸がキュンってなっちゃうもの』
『でしょでしょ! まだ街では盲導犬って見かけた事はないけど、もし出会ったら絶対ギュ~って抱きしめちゃうわ』
『それは駄目よ!』
心音は奏の言葉を遮るよう注意をした。
『急にどうしたのよ、真剣な顔になって』
『前に盲導犬を連れた人が施設に来た事があるんだけど、私はその時に思わずワンコの頭を撫でちゃったのね、そうしたらかずくんに怒られたって言うか、注意された事があるから』
『一輝さんが心音ちゃんの事を怒るなんて珍しいわね』
『それくらい盲導犬に勝手に触れるって言うのはやってはいけない事なのよ』
『う~ん……いたずら目的だったら駄目なのは分かるけど、可愛がって撫でてあげるのも駄目なの?』
『うん、絶対に駄目』
心音は一輝から教えられた事を順を追って奏に説明をした。
盲導犬に対して注意すべき事は色々とあるが、中でも飼い主が絶対にやってほしくないと訴えている事をまとめると
①触らない
②声を掛けない
③目を合わせて気を引かない
④食べ物を与えない
の四つがあげられる。
『最初の触らないって言うのは心音ちゃんもやって怒られちゃったのよね? でもワンちゃんってお顔をワシャワシャってやったり、お腹を撫でてあげると凄く喜ぶでしょ? どうして駄目なのかしら?』
『だからその、ワンコが喜ぶって事が駄目な理由なのよ』
『え? 意味が分かんないんだけど』
盲導犬はペットのような愛玩動物ではない。
目の見えない人が外出する時の危険を減らし、安全に歩くために必要な大切なパートナーである。
眼鏡や杖と言った補助具とは全く別の”命の危険があるかもしれない場所でさえ安心感を得る事が出来る特別な存在”なのだ。
『よく勘違いされがちだけど、みんなに理解してほしいのは、あの子達が飼い主さんと一緒に歩いてるのはお散歩なんかじゃなくて、大事な大事なお仕事の最中なんだって事なのよ』
『うん』
『でもあの子達は人間の事が大好きだから、撫でられたりすると嬉しくなってついついお仕事をしてる最中だって事を忘れちゃうの……そうすると一緒に歩いてる飼い主さんはどうなると思う?』
『あ、そうか……』
心音に言われて奏は重要な事に気が付いた。
『目が見えない人は握ってるハーネスの微妙な動きで周りの状況なんかを感じ取ってるのに、盲導犬がお仕事に集中出来なくなったら困るでしょ?』
『そうよね……心音ちゃんだって授業中におっぱいを揉まれたら、そっちの方が気になってお勉強に集中できなくなっちゃうものね』
『……どんな状況なのよそれ?』
『いや、心音ちゃんは快感に弱いから……』
奏が全てを言い終わる前に、心音はチョップを繰り出した。
『誤解を生むような冗談はいいから! とにかく、盲導犬が急に予想外の方向へ動くだけでも危険なのに、テンションが上がりすぎて飼い主さんから離れちゃったり、走ってくる子供や自転車みたいな危険な出来事を見逃したりしたら大変でしょ?』
『確かにそうね』
『他の注意事項も同じ理由で、声を掛けたり目線を合わせたりすると盲導犬は「わ~い、この人は僕と遊んでくれるんだ~」って思っちゃうかもしれないし』
『うん、ましてや食べ物みたいに魅力的な物を見せられたりしたら、何もかも忘れて喜んじゃうのは当たり前よね……心音ちゃんだって授業中にお饅頭を差し出されたら、何もかも忘れて食べちゃうだろうし』
『だから何なのよその例えは!』
心音は連続してチョップを繰り出した。
『痛い痛い痛い!』
奏は叩かれた頭を手で押さえながら質問をする。
『でもね、じゃあ街を歩いてる時に盲導犬を連れた人に出会ったらどうするのが正解なの?』
『私もかずくんに教えてもらったけど、そんな時は盲導犬の気を引くような事は一切しないで”やさしい無視”をするのが一番いい事なの』
『やさしい無視?』
『そう、思いやりと愛情を込めた優しい優しい無視……』
『初めて知った言葉だけど……なんだか不思議な感じね』
本来「無視」と言う言葉には人を傷付けたりする負のイメージがつきまとう。
しかし今回のように、思いやりがあるからこそやるべき無視もあるのだと知り、二人はこの言葉が好きになった。
『やさしい無視だったら、私や心音ちゃんみたいに声が出せない人でも出来るから、これから盲導犬に会う機会があったら実践しなきゃね』
『うん、でもここで勘違いしちゃいけないのは、盲導犬に声を掛ける事が駄目なんであって、盲導犬を連れている飼い主さんには声を掛けてもいいって事ね』
『ん? それってどう言う事?』
ネットでこのような話題が上がると必ずと言っていいほど
「盲導犬を連れた人に声を掛けるのは駄目な事、ならばこれからは何があっても絶対に声を掛けないようにしよう」
と言った極端な意見の人が出てくる。
しかし盲導犬に声を掛けないのは”目の見えない人を危険な状況にしない事が目的”なのだから、何か危ない事が起きると感じた、もしくは発見した時は、白杖を持って歩いている人に対するのと同じように、迷わず声を掛けるのが大切なのだと思う。
『そうだ! 盲導犬への対応とか凄く大切な事が分かったから、忘れないようにこれを作文にしちゃお~っと』
『それはいいわね、書き終わったら先生に提出するだけじゃなくて、コピーしてクラスのみんなにも配りましょ、それで盲導犬を連れている人に対しては何が大切なのか、私たち聞こえない者はどうすればいいのか、それを伝える事が出来れば完璧ね』
『うんうん、それじゃあ私は今からまず四つのお願いについて書くから、心音ちゃんは他にも色々と調べてみて、盲導犬に対してのお願いや勘違いされて困ってる事なんかがあったら教えてね』
心音はさっそく盲導犬についての本を探したり、タブレットを使ってホームページの記事や書き込みを探し始めた。
『こうやってネットの書き込みなんかを調べると、健常者の人が書いてるデマが結構あるみたいね』
『デマ?』
『うん、正確にはデマと言うか勘違いと言うか……例えば盲導犬は嫌々お仕事をしているからストレスが溜まって寿命が短いとか』
『何よそれ? それって何か根拠があって言ってるのかしら?』
盲導犬が短命だと思い込み書き込んでいる人は「盲導犬は八年から十年で現役を引退をする」と言う記述を別の意味で捉えてしまっているのだと思う。
確かに盲導犬としての仕事は十年ほどで引退するが、それは決して寿命が来たからと言う理由ではない。
引退した後は”引退犬飼育ボランティア”の所で楽しい余生を過ごしているし、その寿命もペットとして飼われている他の大型犬と何ら変わらない。
また盲導犬は訓練を受けた犬が全部なれるものではなく、特に従順で人間が大好きな犬だけが”適正あり”として選ばれるのだから、人間の傍に居る事がストレスになる事などはない。
また、盲導犬の仕事の内容としては、交差点や曲がり角を知らせる、段差を知らせる、障害物(静止している物や動いている物)を知らせる、この三つが主なのだが、これらが上手く出来たら盲導犬の事を褒めてあげる、すると褒められる事が嬉しくて一生懸命同じ事を繰り返すようになる。
つまり、盲導犬は仕事をして人間に褒められるのが嬉しくてやっているのであって、決して嫌々やっている訳ではないのだ。
『つい人間目線で”お仕事=嫌な事を我慢している”って考える人が多いのかもしれないけど、ワンちゃんは人間のような柵が無いから体裁を取り繕う必要もないし、本当に嫌な事だったら飼主さんの言う事でも聞かないと思うもの』
『そうよね、街でペットとして飼われてるワンコなんかも、たま~に飼主さんに反抗して動かないって光景を見かけたりするし、きっと奏ちゃんが考えた通りなんだと思うわ』
『心音ちゃん、他には何かない? お願いだけじゃなくて、例えば盲導犬と一緒に居て困った事とか』
『困った事ね……色々と書かれてる内容を読むと、まだまだ盲導犬と一緒に入れない建物や乗物がまだあるみたいよ』
『なにそれ? 盲導犬って見えない人にとっては掛け替えのない存在なんだから、いつでも一緒に居られるように法律で守られてるんじゃないの?』
奏の言う通り盲導犬については平成十五年から”身体障害者補助犬法”が全面施行され、飼い主と一緒ならば全ての乗物と施設の利用が保証されている。
だがこの法律の存在を知らない人も多く、入店拒否や乗車拒否が後を絶たないのが現状である。
『障碍者の為の法律って凄く大切な事なのにどうして広まらないのかしらね?』
奏の疑問に心音が自分なりの考えを話す。
『身体障害者補助犬法とか、他にはヘルプマークなんかもそうだけど、”障碍者が暮らしやすいように何とかしなきゃ”って考える人よりも、”自分は当事者じゃないから関係ない”って興味を持たない人の方が多いから知れ渡っていないのかなって……そんな気がするの』
『そう……なのかな?』
『例えばほら、自動車を初めて運転する時に付ける初心者マークってあるでしょ? あれって表示してなかったら違反金なんかの罰則があったり、逆に表示していたら幅寄せされても相手の方が悪くなるって利点があるわよね? みんな自分に直接関係のある事だからしっかり覚えてるんじゃないかしら?』
『確かに言われてみたらそうかも』
『当事者じゃない、興味がないって考えてる人に覚えてもらうのは大変だし、私たち学生に出来る事なんてほんの小さな事しかないかもしれないけど……でも障碍を持つ人達が笑って過ごせる世界になるように、もっと健常者の人が興味を持って理解してくれるような方法を考えなきゃね』
『うんうん、私は文章を書くのが苦手だからお友達に配るくらいのものしか書けないけど、心音ちゃんだったら楽しい物語として説明文を書けると思うし、大勢の人に読んでもらえる可能性だってあるわよね』
『もしそうなったら……障碍を理解してくれる人が一人でも増えてくれたらいいわね』
その後も二人は多くの資料を調べ、聞こえない世界や見えない世界の事をどう伝えるべきか、それ以外の障碍についてもどうすれば多くの人に理解をしてもらい優しい世界に出来るのか、そんな話を夢中になってするのだった。




