第二十五話 -二人で少しだけ前に-
突然笑い出した佑馬を三人は不思議な表情で眺めていたが、暫くして奏が質問を始めた。
『ゆーまさん、さっきもいまとおなじよーに わらってましたけど それってぜったいに おもいだしわらいじゃ ないですよね?』
「何度も話を遮って悪いな……でもさ……」
『やっぱり なにかげんいんがあるんですね? もしかして わたしのにほんごに おかしなところがあったんですか?』
「違う違う、そうじゃなくて……理解しやすいように例え話にしてくれるのはいいんだけどさ……何でみんなの例え話って饅頭ばっかりなんだよ、他にいくらでも例える物があるだろ?」
話し終えると同時にまた笑い出す佑馬の姿を見て、言われてみれば確かにその通りだと心音と奏は顔を見合わせた。
「まぁ、分かりやすかったからいいんだけどさ、それにしてもみんな食い意地が張りすぎだって」
『べ べつにわたしわ おまんじゅーじゃなくてもよかったんだけど くいしんぼーなここねちゃんに あわせただけですから』
慌てて取り繕うように奏が言い訳をした。
『なにいってるのよ かなでちゃんのほーが くいしんぼーじゃないの うちにきても いっつもおやつばっかりたべてるし』
『ここねちゃんったら またそのはなしを むしかえすきなんだ!』
「ちょっと待ってよ! 心音さんも奏さんも喧嘩しないで落ち着いて」
『だって かなでちゃんが わたしのせいにするから』
「別に話の内容が分かりやすければ何に例えたっていいんだし、お饅頭でも何の問題もないと思うよ」
『そうですよね へんなことじゃないですよね』
「……まぁ実を言うと僕もあえて心音さんに合わてお饅頭の例え話にしたんだけどね……」
『あー! かずきさんのうらぎりものー! そんなひどいひとは こーしてやるー』
心音は、自分をからかう様に言った一輝の肩をポカポカと叩き始めた。
「ねぇ長谷川さん……また前から熱い空気が漂ってきたんだけど……何これ?」
『ふぅ……あれほどちゅーいしたのにこりもせず またふたりだけのせかいをつくって じゃれあってますね……』
「なんだと! 俺に彼女が居ないのを知っていながら二人だけの世界に入り込んでいちゃつくなんて……くっそ~! 今度こそ絶対に許さん! リア充爆発しろ!」
『ばくはつしろー!』
佑馬は二人をからかいながら更に話を続けた。
「大体だな、さっきからずっと気になってたんだが、リア充ならリア充らしい彼女の呼び方ってものがあるだろ? それを何だ貴様は! それでも軍人か!」
「き、貴様って、それ何の設定なんだよ?」
「口答えは許さ~ん! 貴様と藍原さんはお互いの気持ちを確かめ合って正式に付き合うことにしたんじゃないのか? なら何故藍原さんの事を『さん』付けで呼んでるんだ!」
「そ、それは……いくら付き合う事になったからって、女性の事を軽々しく呼び捨てにするのは良くない……と、思うから……」
少し照れるように答える一輝の姿には誠実さと優しさが滲み出ている。
しかし佑馬はそんな事は意に介さず更に追い詰めるように畳みかけてくる。
「か~~! 分かってないな、普段女性の事を軽々しく呼び捨てにしない真面目な貴様だからこそ、藍原さんを呼び捨てにする事で、その人が如何に特別な人なのかと言う想いや愛情の深さが強調されるんじゃないか! なのにまだ分からないと言うのか! こうなったら軍事裁判に掛けてやる!」
『ゆーまさん!』
奏から伝わる指点字がいつもより強く話を遮るように感じられた事で、佑馬は少し調子に乗りすぎたと思ったが、次に続く言葉ですぐに安心することになる。
『ないす あいであです!』
「だろ? ほら~、長谷川さんも俺と同じ意見なんだからさ~絶対に呼び捨てにするべきだって」
奏も呼び捨てに賛同している事が分かり、佑馬の攻撃は益々激しくなっていった。
「いったい何を躊躇してるんだよ? 恋人なら恋人らしく愛情を込めて呼ぶのは極々自然な事だと思うんだけどな~」
『そーよそーよ ゆーまさんのいうとーりだわ』
「そもそも結婚した後はどうする気なんだ? 嫁さんの事を『さん』付けで呼ぶなんておかしいよな? だったら今から練習も兼ねて呼び捨てにしてもいいじゃないか? それともアレか? 子供が生まれた後の生活まで見据えて『ママ、パパ』って呼び合う事にするか? それよりは呼び捨ての方が抵抗ないだろ?」
『いぎなーし! ぎちょー あとここねちゃんも かずきさんのことを かずくんって よぶよーにしたほーがいいとおもいまーす』
「ふむふむ、素晴らしい! 長谷川さんの意見を採用しよう!」
調子に乗った二人の攻撃は勢いを増すばかりだった。
「何をそんなに戸惑ってるのか全く理解できないぞ、俺達みたいに自然に呼び合えばいいのにな、そう思わないか奏」
『うんうん ゆーくんのいうとーりだわ こんなかんたんなことができないなんて ふしぎよねー』
ここまで調子付かせてしまっては、もう二人を止める術は何もない。
暫くして観念したのか一輝が答え始めた。
「もう分かったよ……だけどこれは僕の意見だけで決めていい事じゃないって思うから、ちゃんと心音さんの意見も聞きたいな」
『わたしのいけん……ですか?……』
心音は普段の生活の中でも男性に名前を呼び捨てにされるなどと言う経験は殆ど無い。
あったとしても、それは父親や親戚など極々近しい者に限られた事だった。
女性の事を呼び捨てにする事で更に親密になり、どんどんと物語が進展していく……そんな漫画や小説を何冊も読んでいる心音にとって”呼び捨てにされる”と言う事は、本当に心を許した身近な者にしか許されないとても特別な事であり、ある種の憧れでもあった。
『わたしわ よびすてにしてもらいたいです』
「よ~し、これで決定だな! これから一輝は藍原さんの事を呼ぶときは『さん』を付けない事!」
力強く宣言した祐馬に奏が追随して発言をする。
『ぎちょー かずきさんのよびかたが まだきまってませーん』
「そうだ! 大事な事を忘れるとこだった、これからは藍原さんも一輝の事を『かずくん』と呼ぶように」
『かずくん……ですか?』
「そう、もしお互い違う呼び方をしているのが発覚した場合は罰としてデコピン100回の後、俺か長谷川さんに豪華な晩飯を奢る事! 双方意義はないな? 本当はもっと他にも決めたい事がいっぱいあるんだけど、時間も遅くなってきたし……今日はこれにて閉廷!」
佑馬の強引な進行で有耶無耶のうちに決められてしまったが、時間が午後八時を過ぎている事もありこのまま解散する流れとなった。
「明日は学校があるのに、こんな遅くまでごめんね」
いくら話をするのに夢中になったからとはいえ、こんな時間まで女子高生を引き留めてしまった事を一輝は反省していた。
「暗い夜道に心音さんと……」
「か~ず~き~!」
一輝の言葉を遮るように佑馬が指摘する。
「さっき呼び捨てにするって決めたばかりなのに、いきなり忘れるのかよ」
「ご、ごめん……その……心音と奏さん二人だけで夜道を帰るのは危ないから僕も一緒にタクシーで送る事にするよ、だから少しだけ待っててもらえないかな」
『それならだいじょーぶですよ きょーわ おとーさんに おくりむかえをたのんでますから』
「そっか、だったら安心だね……じゃあまたね、心音」
『はい またね かずくん』
言い終えた後に照れて真っ赤になる一輝を見て、心音の心には愛しさが込み上げてくる。
程なくして迎えの車が到着し、心音と奏は帰路についた。
『いやぁ~、さっきの話し合いは有意義だったわ~、中でも一番の収穫は一輝さんと心音ちゃんの呼び方が決まった事かしらね』
『何なのよもう、奏ちゃんも佑馬さんも面白半分でからかって』
『違う違う、私は別として佑馬さんは思いやりのある人だったでしょ? 一見ふざけてるように見えたけど、あれってなかなか進展しない二人の背中を後押ししてくれたんだと思うもの』
『へぇ~、奏ちゃんの方は本気で面白がってたんだ……』
『そ! そんな訳ないじゃない 私だって心音ちゃんの事を思って』
焦って答える奏の言葉を心音は遮るように話した。
『分かってるわよ、奏ちゃんも佑馬さんと同じで私達の事を考えてくれてたんでしょ?』
『う……うん』
『二人共優しいわよね~……そうだ! 奏ちゃんも佑馬さんも似た者同士なんだからさ、この際つき合っちゃえばいいじゃない! そうすればいつでも今日みたいなお話ができるし』
突然の話の流れに奏は困惑した。
『な! 何言ってるのよ、ないない、それだけは絶対にないから!』
『そう? 結構お似合いだと思うんだけどな~』
『だって私も佑馬さんも漫才で言ったらボケ役なのよ、心音ちゃんや一輝さんみたいな真面目なツッコミ役が居なかったら誰が止めるって言うのよ、調子に乗ってどこまで暴走するか分からないわよ』
『別にいいじゃない、笑いが絶えない明るい家庭が築けて』
『ちっともよくな~い!』
そんな他愛もない話で盛り上がってると、奏が何かを思い出したのか神妙な表情になった。
『どうしたの奏ちゃん?』
『う~ん……さっきから何か大事な事を忘れてる気がするんだけど……』
『大事な事?』
『……』
『……』
『あ~! 宿題が全然終わってない!』
『そりゃあ佑馬さんが宿題を教えてあげるって言ってからもずっと別のお話をしてたし……』
『どうしよう心音ちゃん』
『知らないわよ、もうあきらめて素直に謝るしかないんじゃないの?』
『絶対に嫌! こうなったら奥の手を使うしかないわね』
奏は何かを決意したのか、いつになく険しい表情になった。
『いったい何をするつもりなの……』
『今まで秘密にしてたけど私の隠された能力を開放する時が来たようね……ふっふっふ……時を司る魔王よ! 奏の名において命ずる! 今すぐに時間を巻き戻すのだ~!』
高らかにあげた両手は虚しく空を切り、当然の事ながら時間は巻き戻される筈もなく、奏たちは次の日の朝を迎えるのだった。




