第二十一話 -完全でない疑似体験-
『かずきさんわ どーしてぎじたいけんが ふかんぜんだって おもうんですか?』
「それは僕が実際にいくつか試してみて感じたからなんだけど」
『え? かずきさんが ぎじたいけんをしたんですか?』
「うん、心音さんに歌の楽しさを教えてあげるって約束した時からずっと、いつも心音さんの事ばかり考えるようになって」
『かずきさん……』
思いがけない一輝の言葉に、心音は頬を染めた。
「ねぇ長谷川さん……なんか前からやたらと熱い空気が漂ってくるんだけど、一輝と藍原さんは何してるんだ?」
『ん~……ここねちゃんとかずきさんが わたしたちのそんざいをわすれて ふたりだけのせかいを つくっちゃってますね このままだと つぎわとんでもないことを』
「何? やっぱりそうか! 一輝、それ以上の事は許さんぞ! みんなで意見を出し合ってるんだから二人だけでイチャイチャするな!」
『そーだそーだ! そんなこと おかあさんわゆるしませんからね あと りあじゅーばくはつしろ!』
「爆発しろ!」
佑馬と奏がからかうように言い放つ。
「別にイチャイチャなんてしてないだろ? 歌の楽しさを伝える為にはまず聞こえない世界がどんなものなのかちゃんと把握する必要があるって思ったんだよ……心音さんがどんな世界に居て、どんな苦労や悩みがあるのか、何に対して嬉しいとか悲しいって感じているのか、それを理解するには心音さんと同じ条件にならないといけないって考えたから」
『それで ぎじたいけんですか?』
「うん、色々と調べていたら聞こえない世界を疑似体験して聴覚に障碍のある人達の苦労を知ろうってサークルがいくつもあったから、その内容と方法を何件か電話をして聞いてみたんだ」
まず最初に聞いた方法は、何人かがグループを作り、耳栓をした上からヘッドフォンを掛け外からの音を出来る限り遮断した状態で話をすると言うものだった。
しかしこの方法では聞こえない世界の10%程度しか理解できないのではないか。
なぜなら、どんなに隙間の無い耳栓をしたとしても、たとえその上から高性能のヘッドフォンをしたとしても、完全に外からの音を消す事は出来ないし、何よりも自分の中から聞こえてくる音を消す事が出来ないからだ。
『かずきさんの からだのなかから おとがしてるんですか?』
「うん、外からの音が小さくなればなるほど、呼吸する音や心臓の音がより大きく感じられるし、自分の声もいつもより大きく聞こえるようになるからね」
「まぁ、そりゃそうだが、耳の機能が正常な限り完全な無音は不可能だろ? そんな事を言ったら疑似体験自体が意味の無いものになっちゃうぞ」
一輝の感想に対して佑馬が発言した。
「もちろん疑似体験そのものを否定したりするつもりはないよ、障碍を理解しようとする気持ちはとても大切な事だからね、ただ100%体験する事は無理だとしても、それを70%や80%に上げていく工夫は必要だと思うんだ」
「なるほどな」
外からの音を遮断するだけでは聞こえない世界を完全には体験出来ない、一輝はそう思った。
次に聞いたのは『聞こえない事で起きる孤独』を体験する方法だった。
まず十人でグループを作り、その中の一人だけが耳栓をして音を遮断する。
九人は体験者一人の事を完全に無視し、九人だけで話をしたり時折体験者を指差して大笑いしたりする、と言ったものだった。
「僕はこの方法を体験する事が出来ないから、それでどんな気持ちになるか色々と想像してみたんだ」
その結果、一輝はこの方法にも疑問点があるのではないかと話した。
「確かにこれだと疎外感を感じる事は出来るかもしれないけど、それって障碍を持つ者なら多かれ少なかれ日常の中に溢れてる事だから、あまり気にしないようにしてるよね?」
『そーですね これってよくあることですし さいしょからむしされるんだったら こちらもきにとめませんからね』
「聞こえない事が本当に辛くて孤独だと感じるのは、優しさが途中で消えてしまう時じゃないかな? 自分を助けようと声を掛けてくれる人が居て、それに対して大喜びで答えようとする……だけど言葉が通じなくて……何度も何度も繰り返しても想いが伝わることはなくて……そのうち相手が自分から遠ざかって行ってしまう」
「あぁ、俺達にも似たような事がよくあるけど確かにそれは辛いな」
「うん、外を歩く時は歩数を数えながら歩いてるから途中で声を掛けられても答える事が出来ないんだけど、それってなかなか理解してもらえないから相手は怒って離れて行っちゃうしね、それに相手に悪い事をしたって罪悪感も付き纏うし」
「そうそう」
一輝の考えに佑馬が同意する。
他にも『意思の通じない苦労』を体験する方法として、耳栓をした十人が輪を作って向かい合い、声が使えない状態で想いを伝え合うと言うものがあった。
ジェスチャーを使ったり、口の形や表情を使ったり、目の前の空間に大きく文字を書いたり、色々と工夫をして相手に想いを伝えようと考えた事により、体験をした多くの人が聞こえない事は大変なんだと言う感想を述べていた。
「でも僕はこの方法でも聞こえない世界の半分も理解できていないんじゃないかって思うんだ」
なぜなら、口の形で相手に想いが伝わるのは、相手も自分と同じ言語を理解しているからではないだろうか? 空間に文字を書いたりジェスチャーで意思が伝わるのは、相手も自分と同じ文字を覚えていたり、自分と同じ文化で育ち、その動作に対して同じ意味を思い浮かべる事ができるからではないだろうか?
これは、聞こえない者は全員手話が話せる、誰でも筆談が出来る、口話が出来る……そんな勘違いと同じ事のように思える。
なので意思の伝わらないもどかしさを体験するなら、耳栓をした体験者以外の九人を外国から来た人にしてもらう。
それもアメリカなど大きな国ではなく、あまり馴染みのない国の人がいいかもしれない。
その状況で「温泉饅頭はこんな物です」と言う簡単な文章を伝えてもらう。
当然の事だが日本語の文字やアルファベットなどは通じないので、空間に文字を書く方法は使えない。
言葉も分からないので口の形だけでは相手に想いを伝える事も、相手の意思を読み取る事も出来ない。
ジェスチャーにしても、熱いものを頬張る仕草をしても温泉饅頭その物を知らない相手には何をしているのかは伝わらない。
仮に「それは○○なのか?」と聞き返されたとしても、知らない言語の口の動きだけでは何を聞かれたのかも分からないし、そもそも自分に対して質問をしてきたのか、それとも間違えた答えを言われたのかさえ分からない。
そんな事を何分も何時間も繰り返し、だんだんと相手が嫌な顔になってきて、最後には言葉の通じる仲間とだけ話をするようになる……そんな状況を想像してもらうといいかもしれない。
「ここまでやってもまだ80%くらいしか理解できないんじゃないかって僕は思うんだ」
一輝は続けて話した。
「最初にも言ったけど、聞こえる者はどんな事をしても音を完全消す事は出来ないし、すでに音を聞いて知ってるって時点で感じ方や考え方が違ってくると思うんだよ、音楽や歌が楽しいものだって知ってるし、何かを考える時は頭の中で声を出して話してるし、時には頭の中で歌ったりして楽しんでるし……でも何より、絶望感に関して決定的に違うのは『いつでもやめられる』って事だと思う」
仮に疑似体験がすごく辛い事だったとしても、心に傷を追うくらい悲しい事だったとしても、耳栓を外せば現実に戻る事が出来る、いつでも好きな時に逃げ出すことが出来る、そう思う気持ちが心の隅にあるだけでかなり救われるのではないか。
どんな事があっても逃げ出す事の出来ない絶望感は想像を絶すると思う。
「まぁな、例えば避難訓練は避難する順序は覚えられても、実際に命の危険が迫る緊張感は分からない、それと同じって事だろ? でもな、何度も言うがそんな事を言い始めたら疑似体験そのものがだな」
「分かってるよ、だから疑似体験そのものを否定してるんじゃないって言ってるだろ? むしろ疑似体験をしてくれる人達は障碍に対して理解のある人だと思うんだよ、だからこそ自分が体験した事で全てが分かる訳じゃなくて、もっと他にも感じられる事があるんじゃないかって、他の方法を試せばもっともっと障碍者の気持ちが理解できるんじゃないかって、そう考えてもらいたいんだよ」
一輝の考えに心音と奏は言葉を失っていた。
「そう言えばさっきから長谷川さんも藍原さんも何も話さなくなったけど、どうしたの?」
『かずきさんのかんがえが すごいなーって おもって ねぇここねちゃん』
『うん それに とてもうれしいなって』
聞こえる者が聞こえない世界を想像するのは簡単な事では無い。
ましてや一輝は視覚が無い分、健常者と同じように聞こえない世界を想像するのは難しいかもしれない。
しかし心音の苦しみを知りたい、一緒に乗り越えて行きたい、そんな強い想いから一生懸命考えてくれたこと、そして心音の事をちゃんと理解してくれてた事、それが二人にはとても嬉しく感じられた。
「えぇ~! 一輝だけじゃなくて俺だって同じように考えてたよ、なのに何で一輝ばっかり」
『はいはい ゆーまさんもえらいえらい』
奏はやっかむ佑馬の頭を優しく撫でた。
「わ~い、誉められちゃった!」
『うふふ ゆーまさん かわいー』
和やかな雰囲気の中、今度は心音が視覚障碍の疑似体験について自分の考えを話し始めた。




