第十五話 -障碍者ではない障碍-
とある土曜日の午後、友人は一緒にと宿題を済ませようと心音の家を訪れていた。
『ふぁ~疲れた~……心音ちゃん少し休憩しようよ』
『もう、さっきから全然終わってないのに休憩休憩って』
心音は呆れた表情で対応する。
『いいじゃない、それよりもさ~、この前のアレどうだった? 早く教えてよ』
『え? ど、どうだったって? 何が?』
『心音ちゃんって気持ちがすぐ顔に出るのに、誤魔化すの下手よね』
絶対に聞かれると覚悟はしていたが、やはりいざとなると動揺は隠せなかった。
『一輝さんに色のイメージを伝えに行ったんでしょ? あの説明でちゃんと色の事が伝えられるのか聞いたんじゃなかったの?』
『え? あ、ああ、その事ね、もちろん聞いたわよ』
『じゃあ早く教えてよ、私も気になってたんだから』
『う、うん……えっと……』
(一生掛かってしまうような難しい事なのかもしれないけど、それまでずっと……ううん、その後もずっと僕の傍に居てくれないか……)
心音は一輝の言った言葉を繰り返し思い出し、ついつい表情が緩んでしまった。
『ん? どうしたのよ急ににやけたりして』
『……』
『お~い、心音ちゃ~ん! 私の言う事ちゃんと見えてますか~?』
『……』
『えい! デコピンしてやる!』
なおも呆ける心音の額に向かって、友人はありったけの力を込めて指を弾いた。
『いったーーーーーー!』
心音は額に手を当てうずくまった。
『危なかった~! いま体から魂が半分くらい抜けてたわよ、あのまま放っておいたら全部抜けて浮遊霊になる危険があったから、私の全霊力を使って戻してあげたわよ』
『何なのよその設定は、もう』
心音は額をさすりながら頬を膨らませた。
『でも、その態度を見ると一輝さんとの間で何かあったのは明白ね、なのに私に何の報告もしないなんて許さないわよ! さぁ素直に白状しなさい!』
友人の気迫に観念したのか、心音は頬を染めながら、一輝に告白された事、そしてそれを受け入れた事を伝えた。
『両想いだったなんて凄いじゃない! おめでとう心音ちゃん』
『あ、ありがとう』
『これで私の計画も一歩進んだわね、よしよし、じゃあ早速デートに備えて勝負下着を買いに行かなきゃ! 今までみたいなお子ちゃまパンツじゃ恥ずかしくて見せらんないからね』
『ちょっと待って! 計画って何? また悪巧みでもしてるの? って言うか勝負下着なんて要らないしお子ちゃまパンツでもないし! もう! 突っ込みどころ多すぎる!』
『気にしない気にしない、それより早速だけどデートの約束とかはしてないの?』
友人は目を輝かせ興味津々と言った顔つきで心音に詰め寄ってくる。
『デートって言うか、明日一輝さんのサッカーの試合は見に行くけど』
友人は心音の言葉に違和感を感じた。
『え? 一輝さん「と」じゃなくて、一輝さん「の」?』
『うん』
『一輝さんって目が見えないのよね? なのにサッカーの試合なんてできるの?』
ボールが見えなかったら蹴るどころか、どこに転がっているのかさえ分からないはず。
そう考えるのが当たり前であり、友人に疑問が出るのは極々自然な事だった。
『私も最初は驚いたけど、ブラインドサッカーって言うのがあるみたいなの』
視覚障害者五人制サッカー(通称ブラインドサッカー)
視覚に障碍を持った選手がプレイ出来るように考案された競技。
チームはゴールキーパーを含めた五人からなり、全後半二十分ずつの四十分で試合が行われる。
ボールには音が鳴るように鈴が入っていたり、エリアから外にボールが出ないように囲いがあったりと工夫がなされている。
見え方の程度によって三つのクラスに分けられているが、一輝は全く光を感じないB1クラスに出場するらしい。
『へぇ~、そんなサッカーがあるのね』
『うん、どんな音が鳴ってるのか知らないけど、音だけで転がってるボールの位置が分かって蹴ったり守ったり出来るなんて凄い事だと思うわ、さすが一輝さん』
感心する心音をよそに、少し間を置いてから友人が聞いてきた。
『ねぇ、私もその試合を見に行ったら駄目かな?』
『え? 別にいいけど、どうして?』
『二人のデートを邪魔するのは心苦しいけど、ここは母親としてキチンと挨拶をしておかないといけないし』
『……もう突っ込まないわよ……で? 何が目的なの?』
『心音ちゃん冷たいわ』
友人は目頭を押さえ、シクシクと泣く真似をしたが、心音はあきれた表情で見つめていた。
『う……本当に突っ込まない気ね……まぁいいわ、そのブラインドサッカーって言うのがどんな物なのか見てみたいし、一輝さんの顔も見ておきたいし、友人として挨拶もしたいし、とにかくやりたい事がいっぱいあるのよ』
『はいはい、じゃあ明日の朝八時に私の家に来てね、お父さんの車で送ってもらうから』
『りょうか~い』
半ば強引な形ではあるが、心音は友人と一緒に一輝の試合を応援する事になった。
翌日、心音達が試合会場に到着した時には、もう選手たちは準備を終えてベンチに控えていた。
心音は応援に来た事を伝える為に一輝の後ろの席から笛を吹くことにした。
「あっ! 来てくれたんだ、もうすぐ試合が始まるからそこで見ててね」
手を重ねられない状況では答える事は出来なかったが、こちらを振り向き笑顔で答える一輝を見ているだけで幸せな気持ちになれた。
『へぇ~、あの人が一輝さんなのね、優しそうな人じゃないの』
『うん……ありがとう』
一輝の事を褒められると恥ずかしさで顔が熱くなるが、自分が褒められる以上に嬉しかった。
試合が始まると、友人がある事に気付いた。
テレビなどで見た事のあるサッカーや野球の試合と違い、観客席で応援している人達が口を開く素振りも無く、メガホンなどを叩いている素振りも無く、静かに観戦しているように見えた。
『ねぇ心音ちゃん、たぶん今、ボールを蹴ったり走ったりする音以外してないんじゃない? これってもしかして音がしないように気をつけてるのかしら?』
『うん、一輝さん達はボールが転がる時に鳴る鈴の音だけを頼りにしてるから、試合中は拍手とか歓声とか、音の出る事はしないのがマナーなんだって』
試合中は選手達の邪魔にならないように音を出さず、得点が入った時には歓声をあげてゴールが決まった事を選手に知らせる事、選手はボールを追いかける時には相手の選手とぶつからないように「ボイ」と声を出しながら走る事、他にも色々とブラインドサッカーならではの決まり事がそこにはあった。
『それじゃあ私達は遠慮しないで拍手出来るわね』
手話において手を叩く仕草は「拍手」ではなく「褒める」と言う単語になる。
なので拍手をしたい時は、両手の指を広げてパーの状態にし、手首をひねってヒラヒラとさせる、それが聞こえない者にとっての拍手になるのだ。
また今回の心音達のように特定の人物に対して拍手を送りたいときは、両手の指先を相手に向けてヒラヒラとさせればよかった。
『凄い凄い凄い! 目が見えないなんて思えないくらい早い動き!』
『一輝さんがんばれ~!』
手話で応援して手話で拍手を送る、静かだが熱い応援が続いた。
二人の応援の成果なのかは分からないが一輝は勝利を掴む事が出来た。
その後、心音達は一輝が着替え終わるのを待ち、控え室へと向かった。
そこで椅子に腰掛けている一輝を見つけた心音は、笛を吹いたあと隣に腰掛ける。
『かずきさん おめでとーございます』
「ありがとう心音さん、今日の試合はどうだった? 面白かったかな?」
『はい!』
心音は音だけを頼りに素早い動きをする選手たちに感心し、激しい攻防戦に感動したことを伝えた。
『こんなきょーぎがあるなんて はじめてしりました ほんとーにすごいです』
「目が見えない人意外にはあまり知られてないけど、ブラインドサッカーってパラリンピックの競技にもなってるんだよ」
『へぇ~ わたしがしらないだけで すごいきょーぎだったんですね』
その後、心音は友人を紹介し、一輝は選手仲間に心音を紹介しブラインドサッカーについて色々と話をした。
「パラリンピックの競技で視覚障碍者が出場できるものって他にも色々とあるけど、僕はこの競技が一番好きなんだ、最初は余りにも危険すぎるって批判されてたみたいだけど、見えないからって保護されるのは少し違うと思うからね」
そう言ったあと、一輝はある事を聞いてきた。
「そうだ、視覚障碍者の競技は色々と知ってるけど、聴覚に障碍を持ってる人が出場できる競技ってどんなものがあるのかな?」
何気に聞いた質問に対して心音が答えた事は、一輝にとって意外なものだった。
『ちょーかくしょーがいしゃわ ぱらりんぴっくにわ でられませんよ』
「え?」
少し考えたあと一輝は話を再開した。
「あ、そうか、聴覚障碍の人って聞こえないだけで体力なんかは健常者と変わらないからね、きっとオリンピックの方に出場してるんだ」
『いいえ そーじゃなくて ちょーかくしょーがいしゃわ おりんぴっくにも ぱらりんぴっくにも でられないんですよ』
聴覚障碍者は障碍者の祭典には出場できない……障碍者であって障碍者ではない……
一輝にはその理由がまったく想像できなかった。
「オリンピックにもパラリンピックにも、どちらにも出場できないってどうしてなのかな?」
『ちょーかくしょーがいしゃわ でふりんぴっくに でるんです』
デフリンピック……それは一輝にとって初めて知る言葉だった。