第十話 -夢と言う名前の現実-
ある晴れた日の昼休み、心音は友人と他愛もない話で盛り上がっていた。
『それでね、昨日すごい夢を見たのよ』
『すごいって言っても、どうせ心音ちゃんの事だから珍しい高級なお菓子を食べたとか、メガ盛りの何かを食べたとか、そんな夢じゃないの?』
『え?……どうして分かるの?』
『そりゃ~保育園の時から何年あなたと付き合ってると思ってるのよ』
友人は腰に手を置きドヤ顔で返してきた。
『でもねでもね、昨日のは今まで以上にすごい夢だったのよ』
『はいはいわかったわかった、一応聞いてあげるから話してみなさい』
『それがね、いつも通り学校に来てるんだけど、なぜか体育の授業だけ私一人でプールに行かされるの、そしたらなんとプールが全部プリンで満たされていたのよ!』
『……』
『そこへ私が飛び込んで、泳いでは食べ、潜っては食べ……他に誰も居ないから独り占めで』
『……』
『何か反応しなさいよ、まだ続きがあるんだから』
友人はつっ込む気力も失うほど呆れ果てていた。
『しかも10mごとに抹茶プリン、チョコプリン、苺プリンって味が変わってて、その味がまた有名シェフのオススメってくらい絶品で!』
呆れた友人は話を遮りからかい始めた。
『へぇ~、それでプールから上がった時に全身プリンまみれになった心音ちゃんを一輝さんが美味しく食べる事になるのね』
友人の思いもよらない言葉に心音は動揺した。
『な! なに言ってるのよ! そんな事する訳ないじゃないの』
『そんな事って、別に夢なんだから何をしたっていいじゃない、それに心音ちゃんも心の奥では一輝さんに食べられたいわ~とか思ってるんじゃないの?』
容赦のないつっ込みに心音は耳まで真っ赤に染めながら相手の腕を掴み話を遮ろうとしたが、友人はスルリと攻撃を交わし、からかい続けた。
『あ、そうだ!』
ある程度からかった後、友人が何かを思いついたのか突然話題を変えてきた。
『ふと思ったんだけどさ、夢って何でもありの世界でしょ?』
『どうしたのよ急に?』
『心音ちゃんが見たようなおバカな事でもリアルに体験してるような気になるし』
『おバカって何よ失礼な、プールいっぱいのプリンって素敵な夢じゃない』
『他にも小学生の時に心音ちゃんが話してくれたけど、猫型ロボットがお家に来て一緒に遊んだとか、現実ではありえないような事が出来たりしちゃうでしょ?』
『あ~、あれは楽しい夢だったわね~……あのま~るいお手々でどうやって流暢な手話を話していたのかはいまだに謎だけど……で結局何が言いたいわけ?』
『だから、一輝さんはどうなのかなって』
その言葉で心音も何かに気が付いたらしい。
夢とは頭の中に描いたどんな世界でも現実と同じように感じる事が出来る。
ならば一輝も夢を見ている間は現実世界では出来ない事が出来、それを実体験のように感じているのではないか。
その内容や感じ方を詳しく知る事ができれば、見えないものを伝えるヒントになるのでは? 心音達はそう考えたのだ。
『じゃあ、今日は施設に行ったら早速一輝さんがどんな夢を見てるのか聞いてみるわ』
『ふっふっふ……毎晩プリンまみれの心音ちゃんを食べてる夢を見てたりしてね』
『しつこ~い』
心音は不敵な笑みをこぼす友人の頭をポカリと叩いた。
その後、授業を終えた彼女は一目散に一輝の待つ施設へと向かうのだった。
いつものように施設の中に入り笛を吹くと、一輝は音のなる方向を向き笑顔で答える。
「いらっしゃい、今日は早いんだね」
心音は一輝の隣に座るとさっそく夢の事を聞き始めた。
『きょーわ かずきさんにききたいことがあったので はしってきちゃいました』
「僕に聞きたいこと?」
『おひるにおともだちと ゆめのはなしをしてたんですけど かずきさんわ どんなゆめをみるのかな? ってわだいになって』
「夢? そりゃ色々と見るよ……って、正確には色々と感じるって言った方がいいのかな? で、どんな話をすればいいのかな?」
この時、心音は一輝の話す言葉の微妙な違和感には気が付かなかった。
『わたしわけさ ぷーるいっぱいのぷりんのなかで およぎながらたべるゆめを みたんですけど』
「そ……それはまた凄い夢を見たんだね」
『そんな げんじつではないような すごいゆめを かずきさんもみたことがないかなって』
「現実には無いような事か……」
一輝は少し考えてから話した。
「ありえない事って言えば、僕が一人でドライブをしている夢は何度かあるよ」
『どらいぶって かずきさんがうんてんしてるんですか?』
「うん」
運転をしている以上は流れる風景や操作する仕草を見ているはず、それをどんなイメージで頭の中に思い描いているのかが分かれば、見えない人にも何かを伝えるヒントが見つかる、そう心音は期待をした。
だが一輝の口からでた答えは予想に反したものだった。
一輝自身が運転している夢と言っても、それは車や風景が見えているわけではなく、いつも通り何も見えていない世界のままだった。
不思議な事に夢の中では見えない自分が運転している事がおかしいと思わないまま、ただ丸いハンドルを握っている感覚やシートベルトをしている感覚があって、あとは普段助手席に座っている時に体験しているエンジンの音や周りの音を聞き、揺れや加速といった感覚を感じているだけだった。
他にも宇宙人にさらわれたり、知らない場所へ行ってるような夢でも、宇宙人の姿かたちを思い浮かべたり知らない風景を思い描いたりしているわけではなく、テレビや何かで聞いた声や音が見えない世界のまま聞こえてくるだけだった。
『ゆめって なんでもかなうっておもってたのに なにかをみることわ できないんですね』
「そうだね、さっきの心音さんの話もそうだけど、一見とんでもない内容の夢に思えても、実際にプリンもプールも知っている心音さんが想像できる範囲内の出来事しか見ていないんじゃないかな?」
『わたしの そーぞーできることだけ?』
「うん、じゃあ逆に質問するけど、心音さんは夢を見ているときって音を聞いたり感じたりできてるの?」
心音は一輝に言われて初めて自分の見る夢には音が無い事に気付いた。
(そうだ、どんなに突拍子の無い夢でも、どんなに怖い夢や楽しい夢でも音だと思えるような物は何も無かった……夢の中の私は普通に手話で考えて、普通に出てくる人達と手話でお話していたから不思議に思ってなかったけど、そこには自分が想像も出来ない未知の物は何一つなかったわ)
夢は見る者が実際に体験した事の記憶を使って脳が作り出した世界……
どんなに不思議な出来事や考えられないような歪な物でも、その元となる記憶が必ず頭のどこかにあるはずである。
だから経験した事の無いものや記憶に無いもの、想像すら出来ないものは見る事ができないのだ。
一輝が言った夢は見る物ではなく感じるもの……心音はその意味を理解すると同時に言いようの無い感覚に襲われた。
『ゆめって なんでもできるとおもってたのに わたしわ ゆめのなかでさえ かずきさんのこえを きくことわできないんですね』
心音は大きなため息をついた。
その言葉に、一輝は何やら抑えていた感情の壁が崩れ、本心が漏れ出してしまったようだ。
「夢って願えば叶うって言われるけど、結局は夢も現実と同じで、見えない事はいくら願ってもどうしようもないんだね」
見ると一輝はこれまでに見た事が無いような悲しい表情になっていた。
「今までこんな事を思った事はないんだけど、どうして自分は目が見えないんだろうって……見えない事がこんなにも悔しいって思った事はないよ」
心音は自分が発した不用意な言葉が一輝を傷つけてしまったのではないか、苦しめる原因を作ってしまったのではないか、そう思い何も言えなくなっていた。
「ごめん、こんな事言うつもりじゃなかったんだけど」
『あやまらないで ふたりでうたのたのしさを にじのうつくしさをつたえるまで どんなささいなこともはなしあうって どんなこともかくさないでつたえあうって やくそくしたじゃないですか』
心音の言葉に一輝は素直な想いを語り始めた。
「僕は今まで目が見えないのは不便な事であっても不幸な事ではないってそう思ってたんだ、強がってるって言われる事もあったけど、実際に出来る事は全部やって生きてきたからね」
『かずきさんが いっぱいどりょくしてきたのわ わかりますよ』
一輝の生活は聞く事が全てだった、その音と言う情報を使い何でも解決できていたと思っていた。
しかし、その考えは心音と出会う事で一変した。
初めて会った時、泣いている心音を慰める事すら出来なかった事や、聞こえない世界を想像も出来なかった事に対する自分の不甲斐なさ。
心音には指点字と言う慣れない言葉を使わせておきながら、自分は今まで通りの音声言語を何不自由なく話している事に対する情けなさ。
もしかしたら自分は何も出来ないのではないか、今まで何でも出来ていたと勘違いしてるだけなのではないか、そんな想いが一気に押し寄せてきた。
『そんな! わたしわかずきさんから いろいろおしえてもらってるし それに ゆびてんじがつらいだなんて いちどもおもったことないですよ』
「ううん、それだけじゃないんだ」
一輝にとって人との出会いは声から始まる、声や話し方を聞けばある程度の人となりが見えてくるものである。
例えば大勢の人混みの中でも声を覚えてさえいれば相手を探すこともできるし、声の特徴などを伝えれば見える人に探してもらう事もできる。
だが心音に関してはそれが無かった。
会話の内容から素直で優しい性格なのは分かっているが、声と言う情報が無いため誰かに心音と言う人物を説明する事が出来ない。
もし仮に、いま目の前から心音が居なくなったとしても、自分には探す事も、探してもらう事も出来ない、そんな言いようの無い不安に駆られていた。
『そんな わたしわかずきさんのそばから いなくなったりしません』
「ごめん、変な事を言ってるのは分かってるんだけど、見えない事がこんなにも不安だなんて思った事が無くて」
いっそう悲しげな表情をする一輝に心音はある決意をする。
『かずきさん わたしわこえをだせませんけど わたしというおんなのこわ ここにいるんです ほかのだれでもない わたしをかんじてください』
そう言うと心音は一輝の両手を持ち、そっと自分の頬に触れさせた。
一輝は驚きの表情を見せたが心音はそのまま両手を目、鼻、耳へと触れさせ、髪から肩、腕、そして腰へと誘導した。
「心音さん、僕が変な事を言ったからこんな! 無理しないで! 嫌な事はやらないで!」
心音は両手を横に振り嫌な事ではない意思表示をした。
(何とかして一輝さんの不安を取り除いてあげたい……私は声を出して安心させる事は出来ないけど……微笑んで安らぎを与える事も出来ないけど……でも……でも)
一輝に対する愛しさが更に胸へと込み上げてくる。
そして次の瞬間……
心音は一輝の頭をそっと包み込むように、優しく抱き締めるのだった。
いつまでも、ずっと……