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第二十章 ~(3)~(改)

 壁際に備え付けられた木の本棚ときちんと整理された机一式。大きな窓を挟む白いカーテンと壁紙だけの殺風景な部屋。鼻歌を口ずさみながらもテンポよく稟議書に判子を押していくアミナを、リズは目を細めて見守っていた。


 ここのところ機嫌がすこぶる良いアミナに、リズは顔が綻ぶのを止められなかった。どちらかと言えば体を動かしている方が好きなアミナである。普段、彼女が公務のために城にいるときはしかめっ面をしていることの方が多かった。

 ことに、シュイが城に滞在している間はそれが顕著に現れていた。忙しい中でも何かと理由を付けてシュイの見舞いにいこうとする甲斐甲斐しさは何とも表せぬ愛おしさを感じさせた。らしいと言えばらしいのだが、アミナの思慕は真っ直ぐに向いているようだった。色恋沙汰をとんと聞かなかったリズにしてみれば、この状況は一段階文明の進んだ革新的な玩具を与えられたに等しい。こんなに愉快でからかいがいのある材料は今までにそうそうなかった。


 そんなわけで、リズは今日もそのささやかな楽しみに浸っていた。

「姫様、一つお伺いしてもよろしいですか?」

「ん、何だ?」

「姫様は、エルクンド様のことをどう思われているのですか?」

 綺麗な褐色の手がぐらりと揺れ、押した印が書類の四角い捺印場所から左に二割ほどはみ出した。アミナはうろたえたことに対して恥じ入るように唇を噛み、眉をひそめつつも笑いを隠し切れぬリズの顔を見上げた。


「い、いきなり何を言い出すのかと思えば」

「いえ、素朴な疑問というか、好奇心でございます。好きですか? それとも嫌いですか?」

「す、好きか否かと問われれば、……ほんのちょっぴり好きの方に傾いているような気がしないでもない」

 語尾に近づくにつれて段々弱々しい声になっていく。想いは真っ直ぐであっても、それを人に知らせるのはなかなか難儀なご様子だ。

「に、煮え切らない言い方ですねぇ」

「よ、余計な御世話だ。私だって戸惑っているのだ」

 年が近いとは予想していたものの、年下の可能性は全く考えていなかったのだろう。リズもアミナの戸惑いは薄々勘付いていた。自分にしても初めてシュイに会ったときの印象は、アミナと同じか、少し年上くらいだった。

「まぁ、傭兵らしからぬ可愛らしい顔立ちではありましたねー。でも、二、三年経てばきっと男前になりますよ」

 リズはしたり顔でうなずいた。

「……自分の心がわからぬことなど生まれて初めてだが、シュイが城から出ていくのを見送った際には言い得ぬ寂しさを感じたのも事実。多分、好いてはおるのだろう。しかし、な」

「立場があまりにも違う、ですか?」

 二の句を接いだリズに、アミナは首を左右に振った。

「そんなことは些事に過ぎぬ。ただ、シュイが本当に殺意を以ってディアーダ卿、ナイトマスターを殺めたのだとすれば。民の模範となるべき私が彼を慕うことなど許されまいよ」

 寂しく笑うアミナに、リズは少し間を置いてからゆっくりと口を開いた。

「これは、私がエルクンド様の話を聞いて勝手に想像したことなのですが」

 どこか思わせ振りなリズに、アミナは再び顔を上げた。


「姫様はエルクンド様の話していた滅祈歌の性質、覚えておいでですね」

「うむ、大体な。能力強化や感情が呑み込まれるといった類の話であろう。そんな危険を侵すとは、全く度し難い無茶をやったものだ」

 そう言いながらも、どこか嬉しそうな声だった。

「シュイが滅祈歌を使ったことは許し難い。その一方、心のどこかではそのことを喜んでしまっている。後先を考えず、とにかく私の下に駆け付けようとしてくれたことを」

 胸の裡を滔々と語るアミナに、リズは頬を緩めた。が、目だけはわずかに鋭さを増した。


「エルクンド様の説明によれば、効果は周囲にある想念を取り込むことだと、そしてまた、集まった想念が多過ぎると呑み込まれやすくなるとも、仰っていましたよね」

 アミナは宙を見上げながら思い出すような素振りを見せ、こくりとうなずいた。

「それが事実だとするならば、ですよ。志半ばで死した者の念はその土地を長きに亘って呪い、そこに住まう者に不吉をもたらすと言われております。エスニールの者たちとて例外ではないでしょう。突然として凶行に遭った恨みや憎しみは、相当に凄まじいものだったのではないでしょうか。そして、親しい者たちを大勢殺されたエルクンド様が、どのような精神状態で滅祈歌を使ったのかを考えれば」


 アミナは、耳の先から爪先まで一気に冷え切っていったのを感じた。胸の中に灯った火の熱さがじんわりと、全身に広がっていった。容易に想像が付く話だった。痛み、悲しみ、怒り、憎しみ。そして、残された家族を守りたいという強い想い。そして滅祈歌を使った場所は、血生臭い戦場の只中だ。


「彼はまた、似たような想念を引き寄せる、とも仰っていた。ともすれば、とても正気を保ってはいられないほどの想念が集まったことでしょう。だからこそ、ランカーにも匹敵すると言わしめたディアーダ卿を手にかけることが可能だったのかも知れませんが」

「それは、つまり」

「ええ、エルクンド様が本当に殺意を持っていたかどうかは、彼が自分で思っているほど定かでないのでは、と私は考えます」


 アミナはしばしの間口を噤んだ。もし、シュイが死んでいった者たちの感情を全て引き受けたのだとしたら。そう考えるとたった一人、現世でその罪を背負うことになってしまった彼があまりにも不憫でならなかった。


「シュイは死した彼らの、文字通りに依代となってしまった。そういうことか?」

「何百人分もの死者の想念。それにたった一人の人間が、ましてや精神的に未熟な少年が抗うことなど、できるはずもありません。彼は、終始自分だけを責めておられました。殺した記憶がしかと残っている以上、それしか出来なかったのでしょうし、死者のせいにも出来なかったのではないでしょうか」


 何ともやるせぬ話だった。アミナはリズの憶測が、おそらくは真実に近しいと感じた。死屍累々の戦場という特殊な環境で滅祈歌を使ったことにより、シュイは武に優れたエスニールの死者たちの強大な力を手中にし、その代わりに自我のほとんどを呑み込まれた。そうと認めることで、少しだけ心の靄が晴れたのを感じた。


 二、三日したらこっそり会いにいくか。まだ病み上がりだししばらくは王都に留まっているだろう。そう思案したアミナはリズに目配せして下がらせると、残った仕事を片付けるべく書類に視線を走らせた。



――――――



 シルフィールのフォルストロームギルド支部。その屋根にあたる高台の上で、青白い光が明滅した。物見高い群衆たちからは息を呑む音が発せられ、直後、全ての音が轟音に塗り潰された。

 臓腑にまでのしかかるその音に、そこかしこから呻き声が上がる。天よりその身を捩らせながら地に落ちるのは青白く輝く光の帯。それが黒衣の男に引き寄せられ、命中し、石畳に静電気を拡散させる。


 ニルファナが放つ雷魔法に打たれ続けているシュイを遠巻きに眺めていた軍人たちは、溜飲が下がるのを通り越し、気まずそうに互いの顔を見合わせていた。既に両手の指では足りない数の雷がシュイの身体に降り注いでいる。そうこうしているうちに、再び細長い稲光がぐったりと横たわるシュイに集約したのを見て、思い思いに目を瞑ったり、耳を塞いだりした。遅れて何度目かの、鼓膜を破らんばかりの雷鳴が轟いた。地面の石板を砕くほどの雷に打たれて大きく仰け反ったシュイを見て、ついに甲高い悲鳴が上がった。

 苦痛に呻く声が段々と掠れていき、確実に死に向かっているのを想起させた。もはや意識が失われているのか、雷が収まった後も一向に動こうとしない。


 公開処刑の様相を呈してきたニルファナの容赦のなさに、処断を求めにきた軍人たちの顔には焦りや戸惑いの色ばかりが浮かんでいる。アミナに泥を浴びせかけたシュイを許せないとはいえ、何もここまで望んだわけではなかった。そろそろ止めに入らなくてはと思わないでもなかったが、ニルファナに向かって足を踏み出そうと、あるいは声をかけようとする度に、彼女の身から発されているげに凄まじき圧力と、上空の黒雲がゴロゴロと放電を繰り返す音によって押し止められる。

 熱が収まった頭でよく考えてみれば、王族扱いを嫌っている節のあるアミナが、自分たちが勝手にこのようなことを申し入れたと知れば不快に思うことだって考えられる。このままシュイが死に至るようなことがあれば、今度は彼女の雷が自分らに落ち、不信を買い叩くことになるだろう。それでは本末転倒だ。


 集まった観衆たちの顔も悲壮感を帯びていた。当初はアミナに害を成した傭兵が、美しきランカーとして名高いニルファナに罰せられると聞いて興味が湧き、見世物を見物するような軽い気持ちで遠巻きにしていた。ところが蓋を開けてみれば、ニルファナがひたすらに無抵抗のシュイを打ちのめすその異様に度肝を抜かれ、ショックで涙ぐむ者や気を失いかける者が続出するという有様だった。

 ほんのりと薄化粧をしたニルファナは、アミナを慕う者たちですらも心奪われる美しさだった。細い曲線を描く眉に、深い知性を感じさせる大きな眼。桃色の唇は軽く引き締められている。ゆったりとしたドレスローブの下からでもわかる身体の曲線美は男の劣情を怪しく誘う。

 だがそれも、普段であればの話だ。無造作に振るわれるその力は、男たちが彼女の魅力に取り込まれる寸前で現実へと引きずり戻す。滑らかに動く白い五指がシュイに手招きをするような動きをし、その都度発される光と音が視覚と聴覚を奪い、反して恐怖を増大させる。無詠唱の、手を向けられた瞬間に発動するほとんど不可避の落雷。それが自分らに向けられたとすれば。そんなことを否が応にも考えさせられた。そして、その結末は決まっている。逃げることすら許されずに息絶えるだろう。

 かなりの人数が円形の人垣を作っているにも関わらず、ほとんど声が発される事はなかった。そこにあるのは喉がひりつくような熱気とも、背筋を凍らせるような寒気ともつかない、暴力に対する畏れの根源だった。


 最早微動だにしないシュイに尚も天に手を掲げるニルファナを見て、ついにランベルトが動いた。

「やり過ぎだ、ハーベル! このままでは本当に――」

「――口出しは不要、これは私とエルクンドとの問題だ。取り交わした約を違えた者に罰を与えるは自明の理。そんなに心配せずともこれくらいで死ぬほど軟弱に鍛えたつもりは、ない」

 語尾を結ぶとともに、ニルファナが掲げていた手を振り下ろす。先ほどよりはずっと細い雷が、しかし黒衣を纏うシュイの背に寸分違わず落ち、シュイが再び身体を痙攣させた。

 それが気つけになったのか、ランベルトの耳に微かな吐息が聞こえ始めた。わずかに安堵したランベルトを無視し、ニルファナがシュイに声を投げ掛ける。


「ギルドでの立ち振る舞いには気を遣うよう再三注意したはず。それがどうしてこのような騒ぎを招いたのか、おまえにその理由が説明出来るか」

 シュイが未だ痺れの残る身体を両の肘で支え、何とか起こした。緩慢な動きで視線をニルファナに向けた。そのあまりの痛々しさに、観衆たちの中にはシュイに同情的な者もいるようだった。

「正直にいって、見損なった。あらぬ疑いをかけられるような真似をしてギルドの評判を貶めるとはね。もう少し賢い男だと思っていたが、所詮はこの程度の人間だったか」

「ニ、ニルファナ……さん」

 自身の名を呼ぶシュイに対し、ニルファナは小さく肩を竦めるのみだった。

「慙愧に堪えないな。――タルッフィ殿」

 急に名を呼ばれ、ランベルトはやや面食らった様子でニルファナを見た。

「今回のシュイの処罰に関して、ランカーの権限にて口添えをさせていただく。今後、フォルストロームの支部ではシュイが依頼を受諾することを一切禁止して欲しい」

 ランベルトが目を大きく見開いた。

「な、何と! それはつまり、実質的な活動禁止ではないか!」

「だからそう言っている。いや、それでも生温いくらいか。しばらくは入国禁止にした方が確実だな。少なくとも一年くらいは」

 小さくともはっきり通るその声に、軍人や民たちがざわざわと騒ぎ出した。

「い、いくらなんでもそれは厳し過ぎるのでは。これしきのことで国外追放になるなど過去にも例がないぞ。大体、シュイはあなたの教え子なのだろう」

「なればこそ、だ。周知させるためにケジメははっきりと示す。これで今後、私に師事したいなどとのたまう者も出てくることはあるまい。一石二鳥だ」


 シュイは唇の端を吊り上げるニルファナを見上げ、喉を微かに震わせる。

「……どうして……こんな」

 シュイの被っているフードの隙間から、透明な雫が数滴石畳に零れ落ちた。誰が見ても涙だとわかるものだった。ニルファナはそんなシュイに声をかけることなく、今度は人垣の最前列にいた軍人たちに向き直った。

「さて、フォルストロームの勇敢なる兵たちよ。私は貴公らの言い分、思いに従い、忌憚きたんなく彼への処罰を施した。その一部始終、しかとその目で見届けたな」

 勇敢と言われた軍人たちは、しかしおっかなびっくりといった様子でうなずいた。

「ならば、シルフィールへの噂は責任をもって回収してくれるのだろうな?」

「……も、もちろんだ。何とかする」

 軍人はねめつけるニルファナに半ば操られたかのように、首を上下にがくがくと振った。他の軍人たちからも異論は上がらなかった。完全に彼女の威に呑み込まれていた。

「それを聞けて安心した。これで、他の傭兵たちに迷惑がかかることは避けられそうだな」


 渋い顔をしてやり取りを見守っていたランベルトもこの意見には同意せざるを得なかった。シュイの冤罪を証明するためにスキーラの罪を暴き立てようとしても相当な時間を要すだろうし、その間にも不信感が募っていくだろう。そうなった場合の依頼減少による損害は計り知れない。

 アミナに泥をかけた罰は今の雷による折檻で十二分に過ぎる、とこの場にいる誰もが思ったはずだ。また、セーニアの小村で起きたという事件関与の疑いが事実であろうとなかろうと、襲撃騒動による民の不安が収まるまで国外追放ということであれば軍人たちの面目も保たれる。噂回収の約も取り付けられたとあれば、シルフィールにとっても悪い話ではない。ただ一人、汚名を背負わされたシュイを除いて。


「話は聞いていたな、シュイ・エルクンド。おまえには今後一年間、フォルストロームへの入国を禁ずる。これは私からの最後の温情だと思っておけ。本来なら除名処分に処してしかるべきだが、キャノエでの勲功に免じてそれだけは見逃してやる」

「どう……して……」

「返事など求めるな。本当なら、今のおまえには私が声をかけてやるほどの価値もない。わかったら、とっととこの場から()ね」

 シュイは黙ったままがっくりと項垂れていたが、ややあって腰が悪い老人の様によろよろと立ち上がろうとした。周りの軍人や民たちからは罵声も、憐みの声もかけられなかった。この場に集まっている人数が数百を悠に越えていることを考えれば、水を打ったような静けさは場にそぐわぬものだった。


 強い酒で酩酊したように左右にふらつきながらも、シュイは両足を踏ん張った。ニルファナの顔を見ようとしたのか、微かに首を振り向きかけたが、思い直したのだろう。項垂れたまま消え入るような声で、ありがとうございました、と呟いた。そして背を向けたまま、ゆらりと一歩目を踏み出した。円の人垣がひび割れてCの字になった。

 シュイは目の前に出現した出口から、たどたどしい足取りながらも立ち止まることなく、その場を後にした。


 結果だけ見ればシルフィール、フォルストローム双方にとって悪くない落とし所だったはずだが、その場に居合わせた者にしてみれば、何とも後味悪く感じられた。そんな雰囲気もどこ吹く風、ニルファナは颯爽と傍らにいるランベルトに向き直った。その表情にはどこか清々しさすら感じられた。

「ではタルッフィ殿、私はこれで失礼する。軍人たちよ、しつこいようだが約がきちんと守られることを期待する」

「う、うむ」

「わ、わかっている」


 念押ししたニルファナは口元に薄ら笑いを浮かべ、シュイが消えた方角とは真逆へと歩き出した。シュイが立ち去るときよりも迅速に円が割れ、ぽっかりと大きな穴が開いた。ニルファナはそうなるのが当たり前といった感じで飄々と歩み続ける。赤い髪を靡かせながら去っていく彼女の後ろ姿を、ランベルトと軍人、そしてフォルストロームの民たちは茫然と見送るのだった。



 ――――1567年9月8日。シュイ・エルクンド、鉄工場の破壊及びセーニアの村にて野盗たちに凶刃を振るった疑いにより、フォルストロームからの国外退去を言い渡される。この知らせがアミナの耳に入るのは、彼女が支部を訪れた二日後のことだった。

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