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第十九章 ~(2)~(改)

 シュイの信じ難い告白に、アミナとリズは束の間、息を吸うことを忘れていたようだった。


「い、今なんと申した? 何かの、間違いではないのか?」

 間が空いて、アミナがようやくそう言った。彼女に似つかわしくない、どこか虚ろで重みのない声だった。

 他人の内緒話すら聞き逃さぬアミナの三角耳である。シュイと三歩と離れていない距離であれば聞こえぬはずはなかった。それでも、あまりの驚きに念を押さずにはいられなかった。国の重鎮を殺すような重罪をシュイが犯したのだと、とても心情的に認められるものではなかった。

「間違いありません」

 シュイは短くそう言うと左手を掲げて手の平の傷痕を眺めた。何気ないその所作が、如何なる言を弄するよりも強い信憑性を与えた。人を斬った剣の血煙を確かめるかのような、怜悧な眼差しだった。


「馬鹿な、有り得ぬ。ディアーダ卿の武量にはジジ様、キーア王も一目置かれていた。今の私であっても、まず勝てぬと信じて疑わぬ相手だぞ。だ、大体、彼が殺されたとされるエスニールの内乱は一年半以上も前のことだぞ。そのときそなたの年齢は」

「十三になる少し前、でした。仰りたいことは良くわかります。事実、彼の強さは勇名に違わず恐るべきものでしたし、まともにやり合っても倒すことは叶わなかったでしょう。同じ事をもう一度やれと言われても限りなく不可能に近い。殺すことが出来たのは、そう、偶然によるところが大きかったんです」

 アミナの顔が険しさを増した。出来たというその言葉こそは、暗にシュイが殺害を目指していたという意思を表す文言でもあった。

「先ほど言っていた滅祈歌か。その口振りからすると、そなたは明確な殺意を持っていたと言うのだな?」

 シュイはアミナの鋭い視線を臆せずに受け止めた。

「そうです、あれを用いてコンラッドと相見えました。それから、殺意も否定しません。少なくともあのときの俺にとっては、彼の存在は排除すべき対象に過ぎませんでしたから」


 アミナが何かを言おうとしたが声の形にならず、開きかけた口を噤んだ。その横で、リズは黙考に耽っていたが、ゆっくりと顔を起こした。

「何故、ですか? ディアーダ卿は人格者として名高いお方でした。かくいう私も何度かお会いしたことがありますし、噂に違わず聡明な方だと認識しておりましたが」

「俺も、そう思いますよ。――いえ、思っていました」

 シュイは微かに笑った。どこか諦めを感じさせるような笑顔だった。

「違う、と仰るのですね?」

 重ねて訊ねたリズに、シュイは小さく首を振った。

「申し訳ないですが、そのことについてはまだ仔細を話すことは出来ません。俺も全てを把握しているわけではないので。ただ、コンラッドの殺害がイヴァンさんの手に寄るものだという誤解だけは、どうしても解いておきたかったんです。どうして彼に濡れ衣が着せられたか、その経緯はかなり気になりますけれど」


 アミナは腿の上で組んでいる両手に視線を落とした。

「おそらくは、その後のやつの動向のせいだ」

「その後の動向、ですか?」

 シュイはリズからアミナに視線を移した。

「そなたはその辺の事情を何も知らなかったようだが、カストラがディアーダ卿を殺害したという罪が明るみになったのはごく最近になってからのことだ。やつはエスニールの内乱より半年ほど経過してから、つまりは一年くらい前からセーニアの要人を立て続けに何人か暗殺している。こちらの件に関しては目撃者も複数いるようだ」

 その言を耳にし、シュイが驚愕した。

「そ、それは確かなんですか?」

「うむ。そういった事情を鑑みれば、一連の動きがディアーダ卿の殺害と結び付けられても不思議ではあるまい。とはいえ、何故シュイがその罪を免れていたのかは少し気になるところだが。いや、待て」

 アミナは言葉を切り、少しの間黙考した。

「一つ腑に落ちぬな。もしカストラが冤罪だと言うのなら、というより、セーニアがそう解釈しているのなら、そなたは何故顔を隠しているのだ?」


 アミナの疑問は無理からぬものだった。イヴァン・カストラに濡れ衣が着せられている現状では、シュイが逃げる必要はないはずだ。

 実際、彼女はシュイに疑いを抱いてから何度か高額賞金首のリストをチェックしていた。だが、今目の前にいる少年の顔は、他のどの似顔絵とも一致しなかった。


 シュイはさして動揺も見せず、淡々と応じた。

「全く身に覚えのない医者夫婦殺害の罪を、でっち上げられたためです」

「何だと? ディアーダ卿の件ではなくか?」

 アミナが混乱と怒りを含む声を発した。

「少し妙な話なのですが、俺は本来の罪ではなく別の罪を着せられ、賞金首として追われることになったんです。それでも結局、一年近くに亘って各国を逃げ回ることになったんですけれど。ニルファナさんはセーニアがそのようなことをした理由について、ある程度の目星を付けているようでしたが」

「そういう、ことですか」

「ん、リズ。わかるのか?」

 アミナが隣に座っているリズを見た。リズはアミナと視線を交わし合った。

「何となく、ですけれども。多分、ディアーダ卿を殺したのがエルクンド様だったからまずかったのではないでしょうか?」

「俺だったから、まずかった?」

 シュイが首を捻る一方、アミナはリズの言葉を鑑みて、何かに気付いたように小さく口を開いた。

「言われてみればそうだな。そんな単純なことだったのか」

「ええっと……」

 一人置いてきぼりを食らったシュイは少し困った表情になった。アミナは神妙さの薄れたシュイを見て少しほっとしたようだった。

「シュイ、わからぬか? 十中八九、セーニアは体裁を重んじたのだ。仮にも騎士団総隊長、国の最高位騎士ともあろう者が年端もいかぬ子供に敗れたとなれば、強国たるセーニアの面目は丸潰れになる。ゆえに、事件の詳細を周辺諸国に悟られたくなかったのだ。確かあの頃、かの国では開戦論で盛り上がっていたと聞き及んでいる。そのような時に軍の最高責任者が名もなき子供に殺されたとあっては士気にどれほどの悪影響があるか、容易に想像が付くであろう」


 明快な説明を聞いて、俄然納得がいった。コンラッド・ディアーダの名声は大人はもちろんの事そこいらの子供にまで浸透し、英雄視されていた。裏を返せば、悪い噂が知れ渡るのもあっという間のことだ。ナイト・マスターとまで呼ばれた男が取るに足らなかったと見なされれば、敵対国を勇気付けてしまう可能性は非常に高かった。


「とりあえずは犯人の正体を不明としておいて、ディアーダ卿を殺し得る犯罪者が現れたときに罪を擦り付けてしまえば良いと考えたのでしょう。濡れ衣を着せられた方は、ご愁傷さまですけれど」

 リズがアミナの説明を補足した。

「さりとて、実行犯であるそなたを見逃すわけにはいかぬ。だから全くの別件で賞金を掛け、足取りを掴もうとしたのだ。それほどの重罪であれば、ある程度責任のある者ならそなたのことを知らされている可能性もあるな」


 セーニアの立場としては、コンラッドの殺害に付いては秘密裏に処理したい案件。シュイを探し出すためとはいえど、大々的に兵を動かすことは出来ない。そこで傭兵を利用しようとしたのでは、というのがアミナの意見だった。


「ちなみに、そなたに掛けられていた賞金額は?」

「金額は、確か400万前後だったと思いますが」

「なるほど。法外な金額を付けていない辺り、セーニアにも奸智に長けている者がいるようだな」

「えっと、どういうことです?」

「多すぎず、少な過ぎず、現実味のある、魅力的な金額を提示しているということだ。あまりに高すぎると何かと話題になるし、かといって見向きもしない値段では意味がない。しかし、それくらいの賞金首に似顔絵が付くのは異例なことだ。先方は余程そなたを始末したかったとみえる。それがまさか、こんな所で傭兵をしているとは夢にも思わぬだろうがな」

 アミナは髪を掻き揚げながらそう言った。指に絡んだ銀髪が絹糸のように(たわ)んだ。

「それで、顔を隠すというのは、ハーベルのアイディアなのか?」

「それは、どちらとも言えないというか、自然とそういう方向になっていました。ニルファナさんが僕に気付いたのは、おぼろげなイメージと顔の特徴が一致したからだそうです。ただ、実際に顔を合わせたとき――」

「――違和感に気付いたのだな」

「みたいです。似顔絵が、当の僕が笑いたくなるくらいに凶悪な顔に描かれていたこと。それから、相対して感じた力量に見合わぬ賞金額だったことが引っ掛かったって言っていました」

 リズがぽんと相槌を打った。

「ああ、それは何となくわかる気がします。エルクンド様の顔って、こう言っては何ですけれど人殺しというにはいささか迫力に欠けますしー。おめかしすれば女の子にも勘違いされそうですよね」

 どこか楽しそうにそう言うリズに、アミナもうんうんと乗っかった。シュイは少しだけむすっとした。

「犯罪者の似顔絵が印象悪く描かれることはままあるが、度が過ぎたということか。すこぶる勘が良い彼女のことだ。おそらく裏にきな臭い物があることを嗅ぎ取ったのだろう。ハーベルは、この話を知っているのか」

「捕まった後、無理矢理聞き出されまして」

「そ、そうか」


 シュイがあからさまに落ち込んだのを見て、アミナはそれ以上この話題に触れるのを止めた。無理矢理ということは拷問に近い事が行われたのだろうと想像した。

「姫様、顔が赤くなっていますけれど、どうかなさいましたか?」

「き、気のせいであろう。そ、それで? カストラはエスニールの民なのだな?」

 リズの突込みを強引に流し、アミナは質問を続けた。

「そうです。俺は魔法道具の売買をする商隊(キャラバン)に居候していたのですが、色々あってエスニールに居付くことになりました。イヴァンさんと出会ったのもその頃ですね」

「なるほどな。ちなみにやつは、どのような人物だった?」

「最初こそ少し近寄りがたい雰囲気がありましたけれど、何というか、真摯な人でした。季節の訪れと自然をこよなく愛していて、相手が子供であっても大人に接するのと同じようにしてくれて。格好良いし、戦士としても一流だし、子供たちの憧れでしたよ。実際、俺もイヴァンさんみたいな大人になりたいと思っていましたし」

「……そうか。そのような人物が、な」

 アミナは複雑な心境だった。今回のフォルストロームの襲撃に際しては、死傷者は少ないとはいえ出ている。一国の姫の立場として、彼を許す気になれるはずはない。そのことはシュイもリズもよく理解していたのだろう。あえて口を挟むようなことは差し控えていた。


「あの、エルクンド様。エスニールの内乱の時、彼もそれに加わったのですか?」

「――内乱」

 リズの問いかけに、シュイの雰囲気が一変した。その瞳には仄暗い怒りが見え隠れしていた。リズにではなく、己の発したその言葉に対しての怒りだった。


「そう、ですよね。他国での認識としては、その程度のものですよね」

「シュ、イ?」

「イヴァンさんは、エスニールにはいませんでした。フリーの傭兵でもあった彼はしばしば村を空けることがありました。あの日の彼は、当事者ですらなかったんです」

「なんと、その場にいなかったというのか?」

「ええ。戦力として頼れる彼が不在のときに、果たして内乱など起こすかどうか。聡明なお二人ならおわかりですよね」

「では、仕掛けてきたのは」


 アミナとリズの視線を受けて、シュイは力なく項垂れた。

「当時、セーニアとエスニールが何かと揉めていたのは事実です。が、先に襲って来たのは、セーニアの方だったんです」

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