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第十八章 ~(3)~(改)

 階段を上りきったランベルトがドアを開けると、赤く染まった太陽が海に姿を隠しつつあった。長い雨が降ったこともあって、その色合いは一際鮮やかだった。藍色に染まった空には一際明るい星が三つ瞬いている。


「ふぅ、少し遅れてしまったか」

 屋上のオープンレストランには落下防止のための鉄柵が四方に取り付けられていた。白木の丸いテーブル一つにつき、四つの椅子が置かれている。混む時間帯ではあるが魔物襲来直後ということもあって客は少なめだ。ランベルトが目的の人物を見つけ出したのとほぼ同時に、相手の大きな手が掲げられた。



「……やれやれ、とんでもねえ忙しさだったぜ」

 アルマンドはランベルトと軽くグラスを合わせると早速麦酒を煽った。テーブルに置いたグラスの淵にきめ細やかな泡がこびり付き、白い輪が出来上がった。

 一昨日の戦いの後、フォルストローム軍部は戦後処理で被害状況の確認、はたまた破壊された主要道路の復旧作業などに忙殺されていた。その間、シルフィールを含むギルドの傭兵たちは軍に代わって身回りを任されていたため、碌々寝る暇もなかった。

「結局、敵の狙いは分からず仕舞いか。せめて痕跡だけでも残してくれていれば」

 そういい、ランベルトも麦酒を口に含んだ。アルマンドが枝豆に手を伸ばしながらランベルトを見た。

「過ぎたこと言ってもしょうがねえ。前向きにいこうぜ、前向きに。あれだけ大規模な戦いになったのに被害の方は軽微で済んだんだからよ」

「うむ。しかし、あのイヴァン・カストラが陰謀に関わっているとすればのんびり構えてはおられぬ。各支部の増員を検討せねばならぬな」


 麦酒の立ち上る泡を、それに映る自分の顔を物憂げに見つめるランベルトに、アルマンドは興味深げにテーブルの上に乗り出した。

「実際会ったんだってな。どんな奴だった? 似顔絵でしか見たことがねえからちっと興味あるんだが」

「どんなやつ、か。そうさな」

 ランベルトは遠くを見るような目を宙に向ける。

「想像していたよりは、人間臭い男だったな」

「ほぉ、稀代の暗殺者の意外な素顔、か」

 アルマンドが眉を上げた。

「茶化すな。その力については疑う余地もない。一目見ただけで武者震いがしたわ」

「そりゃあそうだろうな。やつぁ言ってみりゃ犯罪者のランカーみたいなもんだし。あぁ、そういや――」

「――ん?」

「シュイもその場にいたって聞いたんだが」

 何気なく発された言葉に、ランベルトが手に持つグラスから酒をわずかに零した。木目に落ちた酒がゆっくりと吸い込まれていった。

「……誰から聞いた?」

「さっき道すがら軍人たちが話していたぜ。あまりいい雰囲気じゃあなかったけれどな」

 アルマンドが思い出すように顎を上げた。

「軍人、とすると、情報源はあのときの兵たちか。やはり口に戸は立てられぬな。少し厄介なことになるかも知れん」

「何でもアミナ姫を口汚く罵倒したとか、泥の川に突き落としたとか言って憤慨していたんだが、それホントなのか?」

「これはまた、随分と脚色されてしまったようだな」

 ランベルトは溜息混じりに頬を掻く。

「掻い摘んで言うと、シュイがアミナ様に暴言を吐き、意図的にではないにせよ蹴り足で泥を引っ掛けた。それだけの話だ。まあ、泥の方は未遂に終わったのだが、どうやらその噂が一人歩きしているようだな。内容が内容であるし多少の尾ひれがついても仕方あるまいが」

 アルマンドが口をあんぐりと開けた。

「それだけの話って、いくらなんでもまずいだろ。彼女はフォルストロームの顔だぜ。何をどうしたらそんなことになるんだ?」

「私に訊くな、むしろ知りたいのはこちらの方だ。シュイとはぬしの方が付き合いは長かろう。私もやつと少しは話もしたしある程度分別はつく者だと感じていたのだが――」

「――が?」

「一度別れてから再び合流したとき、やつの様子はとかく尋常ではなかった。もしあの場に私が駆け付けなかったら取り返しの付かぬ事態に陥っていたかも知れん。今となってはどちらが本性だったのか」

「お待たせしましたー、こちらボンボン鳥の手羽先、天日干し大根の旨煮になりますー」

 女性店員が湯気立ち上る大皿を二つ、器用に両手に乗せてきた。

「おお、きたきた。アルマンド、その皿、少しそちらに寄せてくれ」

 ランベルトが枝豆の皿を指差し、アルマンドがそれに従った。テーブルに大皿が二つ並ぶと、店員は一礼して去っていく。


「シュイ個人が非難されるならまだしも、シルフィールに対する心象が悪くなったらまずいな。ギルドの評判まで落としたらあいつ、居場所がなくなるぜ」

 アルマンドは渋い顔を作りながらフォークで大根を一口サイズに切り分けていく。

「身から出た何とやら、だ。私とて泥を掛けられたのだから怒っていないわけではない。――と言いたいところなのだが、当のアミナ様本人は、シュイが駆け付けなければ確実に殺されていたと言っておったからな。それが事実ならば酌量の余地はあろう」

「んー、って、事実なら? ランベルト、おまえまさか、アミナ姫を疑っているのか? 彼女、礼節には人一倍うるさいし、嘘を吐くタイプでもないぜ」

「それはわかっているのだが――アルマンド、ぬしの目から見てシュイはどういった印象だ」

「ん? んー」

 アルマンドは空になったグラスを置き、天を仰いだ。

「そうだなぁ。意外とやんちゃなところがあるみたいだけど、それなりに好感は持ってる。といっても、俺もそこまで親しいわけじゃないんだが。あ、おねーちゃん。ここ、麦酒追加。二本ね」

「あ、はーい。ただいまー」

 横を通り過ぎようとした店員は足を止め、メモ帳にアルマンドの注文を書き込むと足早に去っていった。ランベルトはその後姿を見送ってから姿勢を正した。


「そうなのか。推薦までするくらいだからてっきりそれなりの親交があるのかと思っていたぞ」

「ああ、俺の、まぁ弟分ってところか。ピエールって傭兵がいるんだけどな。そいつとは結構仲良いみたいだ。力量は申し分ないし今までそれなりに任務もこなしていたみたいだから問題ないだろうと思ったんだが、まさかそんなことになるとはなぁ。ちっと責任感じちまうぜ」

「ふうむ。一先ずは保留か。王国側がどう出るか、だな」

 ランベルトは二つの小皿に手羽先を二本ずつ入れ、片方をアルマンドに寄越した。

「おお、さんきゅ。ま、しばらく大人しくしていればほとぼりも冷めるだろう、ってそう言やぁ」

「ん、どうした」

「当の本人はどこにいるんだ?」

 ランベルトは咥えていた手羽先を口から離す。

「危篤状態に陥っていたのでな。私がアミナ様共々王城へと運んだ」

「危篤って……ああそうか、イヴァンにやられたのか。となると、Bじゃとても太刀打ちできねえなぁ」

「私たちとて、一対一では相当に危うい。葬るなら最低三人、捕えるなら十人は必須だ」

「うへぇ、おっかねぇな、そんなやつが街中をうろちょろしてるなんてよ。それはそうとして、なんでわざわざ王城に連れていったんだ。ギルドにだって治癒術師はいるぜ?」

「頭の回る彼女のことだ。こちらの負担を減らすことも考えていたのだろう。一般人にも傭兵にも少なからず死傷者が出たせいでギルドの医術師が引っ張りだこだったからな。あとは、この件についてシュイの立場を気遣ったのもあるかも知れん」

「いくら命の恩人だろうと、礼節を欠いた行為をしたのは確かなんだろう?」

「うむ……。私も確信を持っているわけではないが」

 ランベルトは声を一段と抑える。

「もしかしたらアミナ様がシュイに好意を抱いているのでは、と思わせる節があってな」


 束の間、沈黙が下りた。いつの間にか周りのほとんどの席が埋まっていた。先ほどより音量を増した喧騒は二人の耳にも届いていたはずだったが、意に介した様子もなかった。

「ほぉ。――ほーぉ」

 アルマンドが口を窄めながら何度となくうなずいた。

「何を面白い顔をしておる」

「生まれつきだ、ほっとけ。てか、あれじゃね? シュイの無礼云々よりその話が広まる方がよっぽどやばいんじゃね?」

 そう言いつつも、アルマンドは凄く楽しそうだった。

「言われてみればそうかも知れぬな。ま、人の恋路に他人がケチを付けるのも野暮と言うものであろう」

「へぇ、あのお姫さんがねぇ。いやぁ、一大事だなぁ、そりゃ」

 にやにやが止まらない様子のアルマンドをランベルトが鋭く睨む。

「他言は無用ぞ」

「おうおう。俺の口の堅さはお墨付きだぜ」

「……誰のだ」

「へ? えーと、そりゃ、俺のだな」

 それは単なる自画自賛ではないか。どこか胡散臭さを感じる笑顔を貼り付けたアルマンドに、ランベルトは不安げに髭を撫でた。



――――――



 フォルストローム王城。アミナは角部屋の執務室にて黒い革椅子に座り、己の背よりも高く積み重なった書類を処理していた。ドアを挟むように木の本棚が設置され、向かい側の二つある窓にはクリーム色のカーテンが掛けられている。処理済みの書類の束がある程度の厚さになったところで足元にある木箱に移していた。

「ん、誰だ?」

 ノックの音が二回室内に響くと、アミナは書類に向けていた顔を起こした。

「リズでございます。姫様、お茶をお持ちいたしましたが」

「ああ、すまぬ。入っていいぞ」

 少しして、ドアの蝶番がきぃと軋んだ音を立てた。


「怪我は大事ないか?」

 アミナはトレイを持ったリズの左頬に貼られている白い絆創膏に、次いで左腕の包帯に目を移した。

「ご心配には及びません。この通りですわ」

 紅茶をアミナの前に差し出したリズは、包帯の巻かれた腕を掲げて力こぶを作って見せた。アミナはそれを見て、胸を撫で下ろした。

「良かった。ところでシュイの方は、相変わらずか?」

「ええ、それはまだ。骨接ぎは済んだのですが、身体に負荷を掛け過ぎたのか手足の筋肉繊維の断裂が酷くて、熱もあまり下がりませんね」

「そうか、わかった」

 礼を述べるとアミナは紅茶を一口飲み、再び書類の処理に取り掛かった。

「あの、姫様もお疲れでしょうし、少し休まれては。なんなら私もお手伝い致しますし」

「いや、大丈夫だ。丸一日十分に休んだ」

 そう言いながらも書類の上でペンを躍らせている。

「姫様。お気持ちはわかりますがそうやって無理をした結果、今回危ういことになったのではありませんか。タルッフィ様がぼろぼろの姫様を抱えてこられたのを見たとき、キーア様や私がどれほど肝を冷やしたかお分かりですか」

「うぐ……」

 アミナの手が止まった。普段の口調が柔らかなリズであるだけに、その言葉は胸に突き刺さるものがあるようだった。


「そもそも、指揮官の姫様が突出してどうするのですか。仮に被害が出ようともそれは兵としての責任、領分です。そのために常日頃訓練しているのです。他者への気遣いは大切ですがそれにも限度というものがありますよ。万が一あの場で姫様が殺されていたら、兵たちの士気にどれほど影響があったか、どれほど被害が拡大したか計り知れません」

「……すまぬ、返す言葉もない」

 力なく俯くアミナに、リズは少し言い過ぎたかと自分のこめかみを軽く叩いた。

「別に寝ていろとは申しませんが、少しくらい気分転換されてきては如何ですか。夜風が気持ち良いですよ」

「しかし、シュイが未だに苦しんでいるというのにそのような気分には……」

「早くに治療した甲斐もあって大事には至りませんでしたし、私の見立てでは明日にも目覚めますわ。それに、エルクンド様だって目覚めたときに姫様の元気がなかったら絶対がっかりします」

「が、がっかり……?」

 確信に満ちたような言葉を聞いて、アミナがおずおずとリズを見た。

「めっさがっかりですわ。彼だって姫様を心配して助けに馳せ参じたのでしょう? 元気な姿を見せて差し上げた方が喜びますわ」

「い、いや、それはわからぬが。そうか、そういうものか」

 アミナは、今度は恥ずかしそうに俯いた。

「絶対にそうですわ。傷付いた身体で尚も守るべき少女のために身体を投げ出す男……の子。……あぁ、素敵ですわ」

 どこか恍惚とした表情のリズにアミナが上目遣いをした。

「リズ、シュイの容姿については――」

「――他言無用、でございますね。わかっております、姫様のご判断に従いますわ」

「うむ。今後もし、シュイがイヴァン・カストラに関わり合いがあると知られれば、在らぬ疑いを持つ者が現れぬとも限らぬ」

「イヴァン・カストラですか。凄い美男子だそうですねー、是非一度お目に……」

 アミナのきつい眼差しに気付き、リズは慌てた様子で口を片手で抑えた。


「じょ、冗談はそれとして、姫様。エルクンド様が起きたらどうなさるおつもりですか?」

 飲み終わったカップをいそいそとトレイに戻しながらリズが訊ねた。

「あまり人の事情を根掘り葉掘り訊きたくはないが、最低でもイヴァン・カストラのことは問い(ただ)さねばならぬな。黙っているなら、それなりの対応を取るしかあるまい」

「それもそうなのですがー……姫様に告白した方ってエルクンド様なのでしょう? 本心を訊くチャンスではございませんか?」

「今は浮ついた気分になれぬ」

 アミナはふいと横を向き、次いで己の身体をそっと抱きすくめた。伏せられた紅い目には不安の色が過ぎっていた。

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