第一章 ~(4)~(改)
ギルド支部から出てくると、先程まで晴れていたはずの空にはどんよりとした灰色の雲が幅を利かせていた。雲の動きがやたらと早い。青空がどんどん東の方へと追いやられているのがわかる。風も強くなってきているのか、先ほどよりも黒衣の生地が靡いていた。
雨、振ってくるだろうか。などと不安げに空を仰ぐでもなく、シュイは依頼達成でもらえる報酬の多さに心を奪われていた。たった6日で102万パーズとはどんなお金持ちだろうか。三人で割ったって34万ずつ。一日5万以上の仕事なんてざらには落ちていない。C級の任務でこれならB級以上なら一体どれくらい稼げるのか。
頭の中で未来にいる金持ちの自分をでっち上げつつ、石畳で舗装された道を歩く。と、突然目の前に若い男が立ちはだかり、思考が煙となって消えた。
シュイは首を傾げながらもその男を観察する。身長はさほど高くもないが、燃えるような赤の短髪が特徴的だ。色黒で濃い眉毛に切れ長の鋭い眼。広い肩幅と厚い胸板。黒光する革鎧を身に付け、腰に剣を下げているところから察するに、同業者のようでもある。
立ち塞がられる覚えのないシュイは、その脇を通り抜けようとした。しかし男は組んでいた腕を横に広げ、行く手を遮った。
「てめえが、ハーベルさんの推薦を受けた傭兵か」
おもむろに男が言った。
「……なに?」
その物言いが初対面の相手に対する態度とは思えず、何とも言えぬ苛立ちを覚えた。丁寧な挨拶と朗らかな笑顔。人と人の出会いはそこから始まるはずだ。かくいう自分は顔を隠しているので笑顔もくそもないのだが、少なくとも気持ちだけはそういう心持ちだ。
「だったらどうだというんだ」
言葉に少々の怒気を含ませると、色黒の男は苦笑した。
「そうカリカリするなよ、単に興味があったってだけだ。推薦の例はないこともないが、人を寄せ付けないって言われている彼女が自ら傭兵を推薦するなんてこたぁ前例がない。支部じゃあちょっとした話題になってるんだよ。一体どんなやつなのかってな」
男の言はシュイの寝耳に水だった。あまりにニルファナの手続きが手馴れた様子だったので、てっきり普段も傭兵を推薦しているのかと思っていた。とはいえ、思い当たる節がないことはない。ニルファナが受付のフランコに推薦状を渡した際、彼の驚き様を少々大袈裟に感じたのも事実だ。
「で、わざわざ実物を見に来たってのか。暇なんだな。だが生憎と、見世物になる気は全くない。そもそもお前は誰なんだ」
シュイは少しだけ気を取り直した。
「なぁに、名乗るほどのもんじゃねえ。まぁシルフィールの傭兵ってことだけ教えておいてやる。名高いランカーに推薦される傭兵様が果たしてどれほどの実力なのか、ちょいと拝ませてもらおうと思って、ね」
男が悪戯小僧の様にニヤっと笑う。詰まる所、喧嘩を売っているようだ。
くだらない、とシュイは嘲笑した。
「……あん?」
わずかに男の眉間にしわが寄った。
「道端で蟻を見つけたからっていちいち踏み潰してたらきりがないだろ。それくらい察してくれると助かる」
男の威圧感が増したような気がしたが、シュイは軽く肩を竦めるだけだった。対人の戦いにおいて敵に正常な判断をさせなくするためには怒らせることが効果的だ、と言うニルファナの教えを思い出しながら。
気付けば、周りにはちょっとした人垣が出来ていた。物見高い観衆からは文句とも野次とも付かぬ声が飛んでいる。こういった即席のイベントは彼らにとってもささやかな娯楽になりうるようだ。怖いもの見たさか、興味津々といった様子で成り行きを見守っている。
「……ほほー、ほざきやがったな」
男の押し殺したような声から怒気が漂ってきた。どうやら少しは怒ってくれたようだ。折角だからもう少しだけ怒らせてみることにする。失敗を恐れてはいけない。何事にもチャレンジだ。
「それにしてもお前、えーっと、そうだな。……うん、ファッションセンス、がいまいちだなぁ」
相手のアラを探し終えたところで、人差し指でビッと指摘する。
男の顔色が変わった。慌てて自分の服装をチェックしているところから察するに、少しは気にしているようだ。手応えあり、とシュイは畳みかける。
「何ていうかさ、上手く表現できないんだけれど、見るに堪えないんだよね。全身の皮膚がむずむずする。凄く……ださい」
好き勝手に言葉を羅列した上で、田舎者はこれだからと言わんばかりに首を振る。怒らせるには間も非常に大事だ。
色黒の男は数秒ほど肩をぷるぷると震わせて俯いていたが、どうやら結論が出たのだろう。
「ぜ、全身黒ずくめのてめえに、ファッションがあーだこーだ言われる筋合いはねえ!」
至極もっともな台詞を吐くと同時に、男が地を蹴り出した。かなりの速度だが剣は抜いてない。流石に道端で刃傷沙汰をやらかすつもりはないようだ。
―――体術なら、負けない。
ならばとシュイも鎌を舗装路に放り投げ、素手で相対する。布に包まれた鎌が地面に接触し、こもったような金属音を放つと共に男の拳がシュイの顔目掛けて振り被られる。
「うおっ!?」
シュイとの距離を詰める寸前、男の身体がガクっとつんのめった。一瞬にして男の背後に回り込んできた人影に、首根っこを掴まれたのだ。
「なぁにやってんのよ、ピエール! 公でのギルド員同士の私闘はご法度でしょう!」
叱咤するような、それでいて高い声が鼓膜に響いた。筋骨逞しい男の傭兵は、頭半分は背の低い<獣族>の女に鎧の袖部分を掴まれて宙に浮いていた。その絵図が首輪を掴まれた犬や猫を髣髴とさせ、シュイは思わず吹き出した。
「……ぷはっ。……くく……いやぁ、良かったな、命拾いして」
「……て、てめえふざけんな! おいミルカ! こいつしめっから手ぇ放せ、放しやがれ!」
ピエールと呼ばれた男は日焼けした顔を真っ赤にしながらも、シュイに届かない拳を握りしめ、両の腕をぶんぶんと振り回した。それが殊更に滑稽さを助長する。
「おおぅ、真夏の炎天下にもかかわらず何という涼しさ。何という凄まじい回転力だ。いやぁ、実に惜しい。君が馬車の車輪に生まれなかったのは世界の大いなる損失だった」
「こっ―――! てめえ、絶対死なす!」
感心したように、だが、しっかりと皮肉ったシュイに、ピエールは今にも飛び掛ろうとしている。先ほどよりも身体の揺れ幅が少しずつ大きくなってきた。その振れ幅に合わせて、シュイも腰から上を振り子のように動かす。
「ちょっと、暴れないでよ! ……あなたも挑発するような言動は避けてくれる?」
ミルカと呼ばれた獣族の少女は大きな褐色の目でシュイをキッと睨みつけた。上は白黒横縞のチュニック、下はカーキのホットパンツ。栗色の長い髪を白いリボンでポニーテールに纏めていて、何にも活発そうな印象だ。やや小柄だが、手足共にいい筋肉の付き方をしている。年は男の方とそんなに変わらなそうだ。
厳密にいえば、最初に挑発してきたのはその男なのだが。と、そう言い返したいところではあるが、それも何だか子供っぽいと思ったのでやめておいた。
「ふん、興が削がれた。失礼する」
シュイは投げた鎌をひょいと拾い、二人を置いて人ごみの中へ消えた。それをきっかけに人垣が崩れ、観客たちは消化不良といった面持ちで思い思いに散っていく。
「……あんの野郎。今度会ったらただじゃおかねえ!」
ようやくミルカに開放されたピエールは、憤然とした様子で怒鳴った。その様子を見て彼女は溜息をつく。
「もう、あんたは喧嘩っぱや過ぎるんだよ。ねね、それよりさ。依頼の方さっき三人目決まったらしいよ。さっき連絡きたんだ」
ミルカの言葉に、ピエールが「おっ」と顔を綻ばせた。。
「昼過ぎに依頼人と待ち合わせだって。わかっていると思うけど、さっきみたいなトラブルは御免だからね?」
ジロッと睨むミルカを尻目に、機嫌よく歩き出したピエールは「はいはいっ」と軽く返事をした。
――――――
「ありがとうございます、またお越しくださいませ」
元気のいい挨拶で店員に送り出されたシュイは、満足げに腹を軽く叩くと、再びギルド支部の方角へと歩き出した。
活気ある魚市場の傍にあった、こじんまりとした定食屋に入ると、予想に反して客は大入りだった。店は外装よりも内装に力が入れられており、床も窓も丹念に磨き上げられている。
四つあったテーブル席は全て埋まっていた。カウンター席も二つ空いているだけといった盛況ぶり。壁に掛けられているメニューの板を見てみると、なるほど、値段はかなり良心的だった。観光客用というよりは、地域に密着した昔ながらの店というところだろう。店内の奥まで進むと、愛想の良い少年がカウンターの椅子を引いた。少年といっても、年の頃は自分とあまり変わらなそうだった。
背もたれのある席に着くと、直ぐにお冷やが、次いでメニューが運ばれてきた。二、三頁捲ってからお奨めを聞くと「今日は焼き魚定食だね」と即答される。ならそれで、と待つ事十五分。熱々の料理が次々に運ばれてきた。<焼き魚定食>という字面から、細身の魚を勝手に予想していたのだが、良い意味で裏切られた。皿の上に乗っていたのは<オール鯛>だった。身が厚く、骨が少ないので食べ易く、味にも定評がある高級魚だ。
港町だけあって魚は新鮮で生臭さが全く感じられず、脂もたっぷりとのっていた。箸を身に埋めると、骨からほっこりとした白身がほぐれる。軽く塩が振られているだけのそれを小皿の水蕪下ろしに付け、口に運び、米を頬張る。美味だ。
ツバ貝と海草の澄まし汁も中々のものだった。ツバ貝は砂を吐き出す時にプッと唾を吐くような音を出す。小さい貝だが、いいダシが出るので汁物の具としては悪くない。舌に複雑な旨味を残すそれを、食事の進行に合わせて啜る。
他にもサラダや漬物などが付いていた。こういった細かい部分にも手落ちがない。ホテルの味気ない料理に飽いていたシュイは、それらをペロリと平らげた。何てったって育ち盛りである。
ふと、先ほどの支払い時に見た、財布の中身を思い出す。残金は7万パーズほどだった。シルフィールに入る前、ニルファナに借りた金は50万パーズ近くあったのだが、鎌を購入し、宿に泊まったり食事したりで既に底を付きかけていた。
彼女に出会うまではほぼ文無しの状態で一年近くを過ごしてきたため、そんなに切羽詰った感じはしていなかった。人間、多少の身体能力と野にある食べ物の知識さえあればどこでだって暮らしていけるものだ。それでも高い報酬の依頼を選んだのは、彼女から金を借りている後ろめたさから少しでも早く解放されたいという気持ちを多分に含んでいる。何だかんだ言っても、彼女から受けた恩は言い尽くせない。そして、恩に利息はつかない。むしろ時と共に薄れてしまう。ならば、記憶が鮮明なうちに返しておくのが人の道というものだろう。
考え事をしているうちに、シュイはギルド支部の入り口を通り過ぎかけていた。慌てて五歩戻り、再び入口を目の前にする。鳴り響く遠雷が鼓膜を微かに震わせた。
ギルド支部の建物内に入り、再び先ほどの受付に戻ると、直ぐ傍にどうも見知った顔が二つ並んでいた。
「あ、てめえさっきの!」
喚き散らす褐色男。
「あれ、もしかして……」
そして、馬鹿力の獣族女。
二人がこちらを見て何か言っているのを無視し、シュイは受付の女性に話しかけた。
「先程、キャノエまでの護衛を受けた者だけど」
「はい、シュイ・エルクンド様ですね。一応控えの方をお見せ頂けますか? ……はい、結構です。今回の任務はあちらの二人と合同になります」
シュイは二人の方を見て、これみよがしに首を傾げる。
「てっ、てんめえっ! いいだろう、ここでどっちが上か決着をつけて――」
「―――もういい加減にしてよ。ホント、大人げないわね!」
ピエールが再び騒ぎ始めるのをミルカが羽交い締めにしている。全くいい年して恥ずかしい連中だ。見て見ぬ振りをしてシュイは会話を続ける。
「依頼人は来ているのかな?」
シュイが受付に訊ねた。
「ええ、連絡しましたので間もなくお見えになると思います」
ほどなくして、受付の言った通り、四十前後とみられる背の高い男が入口の方からやってきた。黒いシルクハットを被り、赤いネクタイに白いワイシャツ、やはり黒いスラックス。鼻の下には緩やかなWを描くように剃られた淡い黄金色の髭。如何にも紳士といった佇まいだ。おそらくは帽子の中にも金髪が収められているだろう。もし髪の毛が後退していなければの話だ。
「おや……もしやお待たせしてしまいましたか?」
戸惑ったように紳士が訊ねると、受付は首を振った。
「きっかり5分前です。問題ありませんわ、お客様。今回の護衛任務はこちらの方々が承ります」
受付がそう言い、シュイたちの方に手を翳した。
紳士はうなずき、三人に視線を移した。意外にも、シュイの姿を見ても眉をひそめたりはしなかった。もしかしたら何度か利用しているのかも知れないし、こういう手合い、つまりは黒いローブを来た怪しげな男が依頼を遂行した事もあるのかも知れない。始めから敬遠されなかったことに、シュイは少し安堵した。
「初めまして、シルフィールの皆様。私はルイス・デルモント、宝石商を営んでおります。どうぞお見知りおきの程を」
物腰の柔らかい紳士は、慇懃に挨拶した。宝石商と聞き、シュイは報酬の高さに何となく納得する。
「こちらこそ。シュイ・エルクンドです」
シュイに続いて後ろの二人も頭を下げる。
「ピエール・レオーネだ。宜しく頼む」
「ミルカ・フランティアです。どうぞよろしく!」
簡単な自己紹介が終わると、デルモントは依頼の説明を始める。
「今回の依頼は私と馬車の護衛、それから馬車の積み荷を守って頂くことも依頼に入っております。何せ取り扱う商品が宝石でして、値段が値段ですからな。お三方には周囲を警戒して頂くために馬車を囲むように移動して貰おうと思っているのですが。宜しいですかな?」
「ああ」
「勿論だ」
「大丈夫」
三者三様の、肯定の返事が返ってくると、紳士は満足そうな笑みを浮かべた。
外に出てから路地を進んで人通りの多い大通りに出ると、道の脇に依頼人のものと思われる立派な四頭立ての馬車があった。馬はそれぞれに毛並みが良く、色も黒毛で統一されている。
馬車を操る従者がこちらへ向かってぺこりと頭を下げた。シュイも軽く会釈を返す。デルモントは馬車の踏み台に足をかけ、従者の隣に座ってから三人に呼び掛けた。
「それでは雲行きも怪しいようですし、早速出発いたしましょう」
言葉に合わせて三人がそれぞれに所定の位置につく。従者が馬の背に鞭を入れると、車輪が軋む音と共に馬車が動き出した。それと調子を合わせるようにして、三人は走り始めた。
―――いよいよ初任務だ、しっかりやり遂げなきゃ。
馬車の後方に付いたシュイは、依頼達成を強く心に誓っていた。