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第十五章 ~総力戦(1)(改)~

 ――1567年 8月23日――



 その日、太陽は姿を現さなかった。陽光の祝福をすっかり遮断した炭色の雲からは、雨が雫ではなく細く束ねられた流水となって大地に降り注いでいる。


 日が下り始める時間帯に差し掛かる頃、郊外の森の中から薔薇のような花火が、暗闇に染まりつつある空で赤く咲き誇った。少なくとも離れた場所からはその様に見えたに違いなかった。

 だが、花火と思われたその光は咲いた後も燃え尽きなかったし、激しい雨に濡れて消失することもなかった。空に拡散した光は明滅しながら同じ方向を一斉に目指し始めた。ぽつりぽつりと、灯りが広がり始めている王都へ。


 急いでくれ。大木の根元に寄りかかるように座っていた若い獣族の男が血に濡れた手から生じた霊体を見届け、言葉にならぬ声を発した。

 掲げられていたその手が、再び男の胸元に治まった。その指の隙間からは湧水のように、とくとくと濃色の血液が溢れ出していた。男の腹を、腰を、太腿を汚していく。その血もやがて雨水に混じり、急激に色を薄めていく。男の意識と同じように。

 視界が空と同じ色に塗り換えられていく。輪郭がぼやけ、物の形が失われる。つい先ほどまで感じていた、雨に濡れた髪の鬱陶しさも意識の外へ出ていた。

 これが死か。今度は声すら出ず、意識の表層を(こす)るだけに留まった。口を動かし、喉を鳴らすことを赦すほどの力も残っていなかった。

 男は霧散しかけた思考の中で家族への謝罪の言葉を(つづ)ろうとしたが、それより先に意識が途切れた。


 木の幹に寄りかかって息絶えた男を一瞥もせず、黒衣に身を包む者たちはその光の行く先を追っていた。その眼下にはフォルストロームの王都が広がっている。北区の雑多な商店街と住宅街が、南区の城下町と王城が。そして、それを分断する川と、繋ぐ架橋が。


「さっき飛んでいったのは援軍要請の霊体か。好都合だな」


 やや背が低い黒衣の男の呟きを、同じような黒衣を着た男が(たしな)める。


「油断するな。全てが計画通りに運んだとして、五分五分だ」

「わかってるって。イヴァンさんの言い分が全て正しいってことはさ」


 あっけらかんとした、少年のような声が返ってきた。


「皆も本懐を見失うな、ここでなすべきことはただ一つ。我らの犠牲を最小限に止めた上で、最大限の成果を出すことだ」

「当然、抵抗する者は皆殺しでよろしいのでしょうな?」


 今度は老人のようなしゃがれた声が響いた。


「我らの真の戦場はここではない。それを踏まえた上での行動を望む。俺が言えるのはそこまでだ」

「はんっ、アンタともあろう者が何とも(ぬる)い言い回しだな。ここんところ実戦からは遠ざかっていたみたいだが、勘は鈍っていないのかねぇ」


 イヴァンの真後ろにいた巨躯の男がからかうような声を出した。頭が大き過ぎて被れるフードがないのか、その男だけは顔が剥き出しだった。無精ひげを生やした獣族の中年の男だ。鋼のような胸筋、太い眉に犬歯が剥き出しになったその威容は、初見でも十分に攻撃性を警戒させる類のものだった。


「おいリック、イヴァンさんに舐めた口を叩くな。僕がただじゃすまさないぞ」

「てめえみたいなオシメも取れていない餓鬼に呼び捨てされる筋合いはねえ。ちゃんとリックハルドさんと呼べ」

「何だと……」


 取っ手のついた細い金属棒を腰から抜きかけた黒衣の男を、イヴァンが手を出して制した。


「いい加減にしろ、イルナヤ。目上の者に対してその口の利き方は感心しない」

「でも! そいつイヴァンさんを――ひっ」


 イヴァンの体から凄まじい圧力が放たれた。二度は言わぬ、とばかりに。周りの者が思わず喉を小さく鳴らす中、リックハルドだけがにぃと笑った。


「くっ、はっはっはっ! いいねぇ、この空気、嫌でも気が引き締まるってもんだ。ちったぁ安心したぜ、多少のブランクで鈍る腕じゃないってわけだな」


 リックハルドの豪放な笑声を聴いて、しかしイヴァンの表情には何の変化も訪れなかった。遥か遠方にある、要塞で囲まれた王都の上空に視線を送っている。

 ややあって、空に変化が訪れた。


「連絡が飛び交い始めたようだな。そろそろ相手も動く頃合いだ、抜かるなよ」

「はい!」

「うむ」

「任せろ」


 一斉に各所から立ち上ってきた蛍火のような魔石の光を確認し、イヴァンの周りにいた黒衣の8人が方々に散っていく。あっという間に姿を消した彼らを一瞥してから、イヴァンは息絶えた若き獣族の男に視線を向けた。その目は哀れみとも、諦めともつかぬ憂いに満ちていた。


 勇敢に戦った者に対して謝罪の言葉を口にするのは、違うな。口を開きかけたところでイヴァンは思い止まった。人差し指と中指、二本の指を揃え、国のために戦って散った兵士へ略式の敬礼を捧げた後、王都の方に向き直った。



――――――



 (すす)けた空からは篠突く雨がひたすらに地面を叩き、万雷の拍手のような音を打ち鳴らしていた。シルフィールのギルドに所属する総勢三十余名の傭兵が、緊急召集の連絡を受けて高台の上に集っていた。

 そろそろ炊事の白煙が上がり始めても良い時間帯。眼下にある王都の大通りには人手がほとんどなく、ひっそりと静まり返っている。十数分前に町の全域に鳴った拡声魔石による警鐘のためだ。


 フォルストロームのギルド支部を統括する獣族の準ランカー、ランベルト・タルッフィ。白髪混じりの茶髪をウルフヘアに整えた美丈夫だ。鈍い光沢の金属鎧を上半身に纏ったランベルトは、集まった者たちを一瞥した。


「急な呼び出しにも関わらずよくぞ集まってくれた。火急の件故、先に要点だけ説明させてもらう。小二時間ほど前にフォルストローム王都の周辺にて魔物が多数出現した。近隣の村々で待機していた軍の二個小隊が駆除しに向かったところ、正体不明の集団と鉢合わせしたらしい。交戦の(のち)に、壊滅させられたとの報告が来ている」


 ついに軍の者にも犠牲者が出たか、と傭兵たちの群れが揺れた。雨の音に小波(さざなみ)のようなざわめきが加わった。


「静粛に。大方の者は気がついていようが、連中の狙いは十中八九陽動。おいそれと王城の警備を緩めるわけにはいかぬ。よって、町の巡回兵の大半がアミナ姫と共に魔物退治と敵の迎撃に駆り出されている状態だ。我々の任務は彼らの穴を埋めるべく町中を見回り、異常が見つかった時点で対処することだ」


 ランベルトが一呼吸置いたところで、傭兵の集団から声が上がる。


「異常が無くとも給与は出るんだろうな」


 発された声にランベルトは一瞬険しい顔をし、次いで不快を顔に出した自分を恥じるかのように瞑目した。


「無論、事無くともランクに応じて支払われる」

「だが、フォルストロームが出し渋ったら――」

「諸君らは緊急クエストの原則も知らぬというわけか。万が一報酬が支払われなかった場合はマスター・ラミエルが私財で(まかな)うと取り決められている。これでいいか」


 違う場所から出掛けた声も怒りの籠もった返答で即座に封殺された。これ以上時間を無駄にしたくないようだ。


「話を続けるぞ。シルフィールの傭兵は南区でフォルストローム軍と共に三人一組で警戒を行う。同じく北区は軍とフラムハート他、北区に支部を持つギルドの傭兵が共同で任務に当たる予定だ。橋を境として領分を定めている。北へは行かずに持ち場をしっかりと確保――うん、今度は何だ?」


 アルマンド・ゼフレルが大きな手を上げているのに気づき、ランベルトが眉をひそめた。


「話の腰を折ってすまんがちょいと質問。警戒中、魔物に出くわしたら討伐でいいんだよな」

「無論だ。手に負えぬほどの魔物が出た場合は近くにいる組と合流して対応しろ。連絡の魔石を有効に使うがいい。それから、今回に限っては赤も使って問題ない。援軍要請の連絡を受けた組は状況が許す限り早めに合流しろ」

「なら、使役者の方と遭遇した場合はどうすんだ?」


 アルマンドの問いにランベルトの顔が少し曇る。


「本格的な対人戦闘になれば民間人に危険が及ぶ可能性が高くなる。敵を追い詰めたところで人質に取るような行動に出る可能性もないとまでは言えない。始末しておきたいのは山々だが、フォルストローム王が望んでいるのはあくまで民間人と町の安全確保。戦闘行為に及ぶのは相手から仕掛けてきた場合など、已むに已まれぬときに限定する。それから、Bランク以下の傭兵は決して戦ってはならん」

「Bランク以下、ね」


 そう言い、アルマンドは肩越しに後ろを向いた。自分に向けられている視線に気づき、シュイは首を傾げた。


「ははん、そこまでの相手ってことか」


 エグセイユ・スキーラが列の一歩前に出、会話に割り込んだ。シュイの瞳がそちらに向けられ、半眼に変化した。ああ、こんなやつがいたような気がしないでもないけどやっぱりいなかったことにしたいかな、と。


「公にはされていないが、フォルストローム軍大隊長の一人が敵に重傷を負わされ、戦線離脱している。私が知る限り、準ランカークラスと言って差し支えない実力を持っている男だ」


 その言にシュイを含む大部分の傭兵たちの顔が引き締まったが、エグセイユだけは嬉しそうな顔をした。


「面白ぇ、大隊長様をやった奴を()せれば準ランカーも務まる力量ってわけだなぁ」


 何をそんなに浮かれているんだか。シュイは薄笑いを浮かべるエグセイユを見て、注意しなければならない相手が敵だけではないのだということをひしひしと感じていた。こういう人間は根に持つタイプだと相場が決まっている。今回の件は仕掛けて来る絶好の機会だ。ドサクサに紛れて後ろからブスリとやられかねなかった。


「遊び感覚は捨てろ、連中の実力は未知数だ。使役されている魔物などはまだ可愛い物だが、準ランカークラス以上と本格的な市街戦にでもなってみろ。未曾有(みぞう)の被害を(もたら)すぞ」


 ランベルトの言葉に陽気さはいっさい含まれていなかった。それもそのはずで、準ランカークラスとの戦闘ということはアミナやアルマンドを敵に回すようなものだ。味方であれば非常に心強いが、敵に回ればこれほど恐ろしい存在もなかった。


「そうなってしまえば連中だけではなく我々も非難され、積み上げてきた信頼を一瞬にして失墜させることになる。そのことを肝に銘じて行動――むっ!」


 突如遠方で雨音を掻き消す程の爆音が轟き、ランベルトも含めて傭兵たちが瞬時にそちらを向いた。彼らの視界に飛び込んで来たのは住宅地から火の手が上がり、黒煙が空へと上り始める光景だった。


「……おいおい、連中、本当に戦争でもおっぱじめるつもりかよ」


 アルマンドが凝らす目には、空を飛ぶ数匹の飛竜ワイバーンが住居に向けて火焔を吐きかけている光景が映っていた。油樽か何かに引火したのか、再び小規模な爆発が起こり、火花が上空に吐き出される。


「手をこまねいている暇もなさそうだな。あれは私が対応する。説明は以上。お前達は各々チームを組んで魔物の掃討に当たれ」


 ランベルトがそちらへ歩き出そうとするのを、アルマンドが肩を掴んで制した。


「いくら何でも一人じゃきついだろ。俺も行くぜ」

「馬鹿を言うな。大体、同じチームに準ランカーを二人も配置するわけにはいかんだろう」


 戦力のバランスを考えてのことだろう。シュイはそう解釈した。


「んー、それもそうか。じゃあシュイ、お前付いてけ」


 ――そうだな、一人じゃ危ないし

「て、俺が?」


 予想外の提案に対し、シュイは返答するのに数秒の間を要した。そもそもランベルトとの面識がないため、自分が組むのに適しているのかどうかもわからなかった。


「使えるのか?」

「足を引っ張る事はないはずだ。ランクこそCだが、実力はBランクと思っていい。おまえもいいよな、シュイ?」

「いいだろう。シュイとやら、遅れるなよ」


 返事をする前にランベルトから促す声が掛けられた。どうやら拒否権はないようだった。

 シュイはアルマンドに向けていた恨めし気な視線を渋々飛竜の方に転じた。空は滝のような雨と夜の闇で不気味に霞んでいた。

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