第十四章 ~(2)(改)~
巨鳥を追い払ったシュイとビアラスは、再びガラムの操縦する魔石船に乗り、フォルストローム王都に戻ってきていた。本来は依頼を達成した時点で完了報告をする必要があるのだが、近いうちに鳥が再び戻って来ないとも限らなかったため、ガラムが一週間生簀の様子を観察し、異常がないのを確認してから報酬を支払うということで双方の意見が合致した。
完了報告までの一週間。知り合ったばかりのビアラスはギルド支部の受付の計らいにより、麻薬を抜くための専用施設へ拘留されることになった。医師の話によると、服用していた物は一応合法化されている薬のようだが、それにしても明らかに使用限度量を超えているということだった。本人の健康面を考えれば一刻も早い処置が望ましく、数ヶ月くらいは療養生活が必要とのことだった。
そんなこともあって、甚だ不本意ながらビアラスの分の報告書までシュイが纏め上げることになった。仕事中に歌詞ともポエムとも付かぬ物を書いていたから、ビアラスも報告書くらいは書けるはずだ。そう必死に訴えたシュイだったが、禁断症状でそんな物が書けるはずがないと断言され、申し出は敢え無く却下された。
何でこんな貧乏くじを引かねばならないのだ。シュイはぼやきながらも宿に籠もり、二人分の書類と向かい合い、必死に筆を走らせた。手の間隔がなくなり、小指の下が真っ黒に染まるころ。何とかそれを纏め上げると、筆記用具も片付けぬまま布団に入った。
翌日、シュイは朝早くに呼び鈴を鳴らされ、次いで宿のボーイに来客を告げられた。客と聞いて真っ先に浮かんだのはニルファナの顔だった。
シュイが恐る恐る一階のロビーに顔を出すと、フリル付きの黒い生地で出来た服を着た獣族の女がパーソナルソファから立ち上がるのが見えた。初めて見る顔だった。
「初めまして。シュイ・エルクンド様ですね?」
シュイが口を開く前に、女が機先を制した。
「あ、はい。初めまして」
かつて見た事がないくらい優雅な会釈を披露した女に、シュイは自分なりの、精一杯の会釈を返した。やや背の高い、大人びた女だ。服だけでなく頭にもフリルの付いたカチューシャを付け、その一挙一動には、戦闘とは別の意味で隙のなさが感じられる。背筋はピンと伸びていて、合わさった足は些細なズレもない。その着こなしから見ても一家言ありそうな雰囲気だった。
シュイは自分がどこか構えているのに気付き、その事に内心で苦笑いした。知らずと年上の女性に対する苦手意識が芽生えているらしかった。
「よかったです。昨日こっそり後を付けさせていただいたのですが途中で見失ってしまい――あら、いけない。私としたことが申し遅れました。私、フォルストローム王城でお勤めさせていただいているリズ・ヘイロンと申します。実は少々お聞きしたいことがございまして」
「俺に、ですか? 何でしょうか」
聞き捨てならないことが一点あったが、触れるのも怖いので後回しにした。
「失礼ですが、シュイ様は我が主君アミナ様とご面識が?」
「あ、ええ」
シュイは返事をしつつアミナの姿を思い浮かべた。続いて、あれが面識と言えるかどうかは微妙なところかな、と首を傾げた。何分、まだ2回しか顔を合わせていないのだ。
「それより今、主君と言いました?」
「はいっ。私は姫様が幼少の頃からお仕えさせていただいております。言わば、幼馴染兼お付きメイドといったところでしょうか。あ、どうぞそちらの席にお掛けになって」
「は、はぁ」
シュイはどこか緊張気味に、奨められるがままに向かい側のプライベートソファに腰掛けた。
「では、単刀直入にお聞き致しますね」
リズはコホンと一つ咳払いをする。
「その、姫様への想いはまこと、偽りなきものなのですか?」
「……は」
言っている意味がわからず、言葉を返すことが出来なかった。姫様、アミナへの想いとはなんなのか。憧れとか尊敬といったことだろうか。それなら多分にあったが、なぜお付きメイドがそのようなことを聞きにこのような場所まで足を運んだのかがわからなかった。
「真剣に答えていただきたいのです。その、恐れ多いことだとはわかっているのですが、私は姫様のことを実の妹の様にも思っております。あの子が思い悩む姿を見るのはどうにも辛過ぎて、一周して萌えてしまうんです。このままでは仕事に手が付かなくなってしまいますわ」
「はぁ、それは」
何かを言いかけたシュイに、リズは言葉は不要とばかりに首を横に振った。ついでに向けられた、白い手袋に覆われた手の平に得体の知れぬ威圧感を感じた。
「仰らなくともあなた様の懸念はわかっております。ええ、わかっておりますとも。確かに由緒正しき王家の姫君とそこいらの犬の糞、身分差は歴然です。悲劇的なまでに。ですが、だからこそ萌え、もとい、燃え上がると思いませんかっ?」
「その、ええとですね」
とりあえず、犬の糞はないんじゃないでしょうか。せめて石ころくらいに格上げしていただけると。そのささやかな反論はリズが継ぐ言葉に遮られた。
「あぁ、やっぱりそうですよねっ! 禁断の恋、いいですよね。大丈夫、ベタと言われようと怯むことはありません。良いものは良いのですから。そう、恋愛小説でいえば、ナハル・ベルファーニ辺りの作品でしょうか。引き裂かれた運命を何度も紡ぎ直す甘く切ない恋物語は巷でも泣けると評判で――」
「――あ、あの!」
歯止めのかからぬ会話を遮断せんとシュイが発した大声に、リズは我が意を得たとばかりに強くうなずいた。
「そうなんですっ、あのナハル・ベルファーニですよ。傭兵さんでも知っておられるということは、やはり有名なんですね」
自信を深めたようなリズの顔を見て、シュイはフードの奥で困った顔を作った。リズは尚も、身振り手振りを交えて切々と語った。
「如何にも貴族チックなペンネームを使っていますし作者のあと書きでも男性作家のように振舞っていますが、ここだけの話、実は、何と女性なんですって! あの微妙な男性の心理描写が、まさか女性に執筆されていたなんて驚きですよねー」
違う違う。そんな裏情報はどうでもいい。シュイは半ば必死に首を振りながらも最後の手段に打って出た。
「そうそう、男性と言えば私も以前は――」
〈すみませんが。先に誤解を解かせていただいても?〉
念話を送ったシュイは、リズの目が丸くなるのを見て作戦成功を確信したが――
「――そう、誤解での擦れ違いといったこともありました。でも、彼ったら照れる表情がとても素敵で、――キャッ。あまり恥ずかしい事を言わせないでくださいっ!」
頬を染めるリズを視野に入れ、万策尽きたことを悟った。
――――――
フォルストローム王都の程近くにあるレダの森。入り口から少し奥まったところには伐採済みの木々に囲まれた丸太小屋があった。家を形作る丸太は長い蔦や色鮮やかな茸の苗床となっている。切る木がなくなった後はそのまま解体されることもなく、長い間放置されていた。小屋の周りを囲んでいる切り株は断面が荒れており、そこからは新しい芽や他の植物が芽吹いている。
かびの臭い漂う小屋の中で、長身の男は外に人の気配を感じた。呼吸の音を消し、腰に提げている物に手を添える。所々風化し、はたまた白アリに食われ、細い線状の日差しが差し込んでいるドアがゆっくりと開いた。一呼吸置いて何者かが中に入ってくる。
「――ヒッ」
真横から喉元に刃を突きつけられ、侵入者が掠れた声を上げた。
「何だ、あなたか」
人族の男は逆手に持った短剣をピクリとも動かさぬまま、侵入者の喉元から上へと視線を移した。魔族の女は顎を上向きにしたまま
「な、納得されたなら早く、その物騒な物をしまってください」
そう言った。
イヴァン・カストラは突き付けていた刃を一瞬にして引いた。三本の薄い刃がついた短剣を扇のようにパチンと閉じ、視線を向けることもなく無造作に鞘に戻す。その一連の動きに三秒とかからなかった。
凶器から解放された女、ヴィオレーヌはゆっくりと止めていた息を吐き出した。青く染められた薄絹で作られた、体に吸い付くような法衣を身に纏っている。肩甲骨の下まである黒く長い髪は漆を施した木製品のように上品な艶があった。その佇まいはどことなく育ちの良さを匂わせる。
「全くもう。警戒心が強いのは結構なことですが、何度となく驚かされるこちらの身にもなってください」
「以後気を付けよう」
イヴァンの気のない即答にヴィオレーヌは頭をがっくりと傾いだ。こういうやり取りが以前にも何度かあったようだが、その分立ち直るのも早かった。
「決行日は明日に変更です。ジュキニ様の占いでは明朝から夜半にかけて雨が降るとの事ですので」
自分を抱くように腕を組むヴィオレーヌの少し怒ったような言葉に、壁に寄り掛かっていたイヴァンが伏せ気味だった顔を上げる。
「やれやれ、当日になってから計画変更を伝えられるとはな。そんなに俺たちは信用されていないのか」
「それについては申し訳なく思っております。少し前に痛い目を見たことがありまして、ここ数年は新参の者に対する警戒感が強いのです。でも、今回の仕事が終わるまでの辛抱ですよ。ジュキニ様を初めとして、上層部の何人かはあなたの力量を高く評価しておいでですし」
「だといいが、な」
高く評価している割にはこの扱いか。イヴァンはそう言いたげに肩を竦めた。
「そんなことよりも、もっと気にするべきことがあるのではないのか? 下準備の段階で実行部隊が五人もやられるとは上も予想していなかったはずだ。今後の計画に差し障りがないとも思えないが」
投げかけられた問いに、ヴィオレーヌは顔色を変えずに答えた。
「予想外の被害であったことは否めませんが、四大ギルドの上級傭兵が相手では致し方ありません。ガーソンとベルゼルにのみ言及するなら、むしろ殺してくれたことに感謝すらしていますけれどね」
「思うのは個人の勝手だが口にすべきではないな」
今は亡き人族至上主義の二人を思い浮かべ、イヴァンは特に悲しんだ様子もなくそう言った。腕は確かだったが、差別意識に満ちた連中の言動が鼻に付いたのも事実だ。厄介払いが済んだといわんばかりのヴィオレーヌの態度もわからないではない。
「全てはエスペランの意志のままに、ですわ。教団内で反目しながらできるほど楽な業ではありませんもの。森龍と接触できなかったのは少し残念ですが、あれを計画に組み込めば危険因子も大幅に増えてしまいます。結果としては悪くない首尾だったかと」
ヴィオレーヌが長い己の前髪を横に払った。指に纏わりついた髪が一瞬解け、再びいくつもの束となった。
機は熟していた。普段は警備の厳しい王都だが、ここの所は魔物騒動によって兵たちが各地に駆り出され、今は通常の七割ほどの体制だ。王城の警備には手抜かりがないものの、騒ぎを起こすための環境は整っている。
「まぁ、そういう考え方もできぬことはないが。明日以降、フォルストロームの民は眠れぬ夜を過ごす事になるだろう。気の進まぬ仕事だな」
「あら、今更怖気づいたのですか?」
重い溜息を吐き出したイヴァンに、ヴィオレーヌが咎める様な口調で訊ねた。
「愚問だな、危機は刻一刻と迫っている。もはや目的のために手段を選んでいられる状況ではない。個を殺してでも逸脱した流れを食い止めねばならん。それを理解しているからこそ俺は貴様らの申し出を飲んだのだ」
「……そうでしたね。これが終わればセーニアも、必ず動きだすはず」
「あぁ、最後の仕上げに取り掛かるとしよう。そして、これが始まりだ」
束の間、小屋の中に沈黙が下りた。イヴァンの遠くを見るような視線に気付いたヴィオレーヌは、注目せねばわからぬくらいの憂いを顔に滲ませていた。彼が何を考えているのか、誰を想ってそのような目をしているのか。それがわからぬことにもどかしさを感じているようだった。
「長い戦いに、なりそうですね」
雰囲気に流されて出た言葉だったが、ヴィオレーヌは口にしてからその意味を考えずにはいられなかった。数年越しか、あるいはもっとかかるのか。戦が無事に始まり、無事に終息したそのとき、彼は、そして自分はどうなっているのか。
「承知の上だ。ところで、船はいつ頃到着する?」
思考を仕事モードに切り替え、ヴィオレーヌは覚え立ての台詞を口にした。
「明後日の六時、モビ川の下流に五分間だけ停泊する手筈です。作戦の成否に関わらず船は時間通りに到着し、時間通りに出発します。絶対に遅れないようにお願いします。以前にもお話しましたが、長い船旅になりますので必要な物がありましたら持参してください」
「了解した。……ん、どうした?」
去り際、ヴィオレーヌがドアを開けかけて立ち止まったのに気づき、イヴァンは不思議そうにそちらを見る。
「いえ、どうかご無事にお戻りください」
ささやかにして、強い願いの籠もった言葉が小さな背中越しに、イヴァンへと向けられた。
「そのつもりだ」
「はいっ」
肯定の言葉を聞いて満足したのか、ヴィオレーヌは明るい声で応じてから小屋を後にした。イヴァンは彼女が出ていくのを見送った後で、果たせるかどうかもわからぬ約束をする必要があったのかどうかを考えた。