第十三章 ~解決手法(1)(改)~
湖が連なったような大河を小舟がゆっくりと遡っていく。どちらが上流でどちらが下流かわからないくらいに緩やかな流れの中を。川辺に植わっているマングローブの細い幹が水面を覗きこむように傾いでいる。穏やかな川のせせらぎの音と、森の奥から聞こえる鶫の声が耳に優しい。
「ウェーイ!」
時折鼓膜を震わせる雑音を無視し――
「ヒァッ! ウェーイ!」
鼓膜を震わせる音を――
「ランナアウェーイ!」
鼓膜――
「あはアハアハ、ウェーーーーイ!」
「うるせえーーーー!」
無視できるわけもなかった。
水を掻く櫂の傍から魚が一匹、面と向かい合う傭兵2人をおちょくるかのように小さく跳ねた。
――――――
昨日。ギルドのカウンター前にやってきた依頼人は、荒んだ吟遊詩人のなれの果てみたいな金髪と、人を何人も殺していそうな黒ずくめを見比べ、顔を不安そうに歪ませた。
「こ、こいつらがその、傭兵?」
遠洋漁業の漁師のように逞しくも肉厚な腕。満遍なく日焼けした黒髪の森族の男は不審げに、不安げにシュイとのっぽの男を見比べた。
のっぽの男は魔族だった。整髪料の影響か、肩にかかる金髪は無残に色落ちしてちりちりになっている。じっとしていられないタイプなのか、心臓の拍動が体全体に及んでいるかのように痙攣を繰り返していて、正直少し怖かった。
白いワニ革のジャケットを、胸元を肌蹴るように着こなし、下にはオレンジ色のカーゴパンツを穿いている。爪先がやたらと長く尖った黒い靴を履き、首には緑柱石が付いたネックレスを下げている。背負っているのは古びたリュートだろう。場末の酒場で丸椅子に座り、一人拗ねたように楽器を弾いているのが似合いそうな格好だ。
――こいつら、って一緒にすんな!
などと心の中で叫びつつも
「シュイ・エルクンドだ、よろしく頼む」
シュイは仕事と割り切って紳士的に会釈した。
「アーハァー! イヤッハァー! ウーハァー!」
――ベベンベンベンベベン♪
台無しだった。自己紹介の後に三文芝居で入りそうなリュートのリフを入れられ、シュイが閉口した。傍から見れば息の合ったコンビだと勘違いされかねなかった。依頼を受ける前から帰りたくなったのは初めての経験だ。
思い悩むシュイを差し置いて、のっぽの男が颯爽と前に出た。背負っていたリュートを両手に抱きかかえ、呆気に取られた依頼人の前で苛烈なまでの自己アピールを始めた。
音階を低音から五音ないし六音ずつ階段状に重ね、一気に高音域へと引き上げていく。限界まで上り詰めたところで吃音が響き、耳鳴りの様に細い余韻を残した。
相当な技術を要するのであろうし、楽器自体の音色も決して悪くなかった。が、男の決死の形相を見ながらでもそう思えるかは別問題だし、それを今やる必要があるのかも別問題だ。
「……ハァ……ハァ」
全身全霊を込めたのだと言わんばかりに、のっぽの男が荒く息を継いだ。仕事前に息切れしてどうするのか、とシュイは頭を抱えた。
のっぽの男の声が途切れるのを待っていたのか、受付がようやく口を差し入れてきた。
「あー、2人とも、紹介が遅れたが、こちらが今回の依頼人であるガラムさんだ。ガラムさん、黒衣の方がエルクンド殿、背の高い方がビアラス殿だ」
「あ、あぁ、そうか。なかなか個性的な傭兵さんたちだな。まぁ、入るのも厳しいと噂のシルフィールだし、腕はまともなんだろう、きっとな」
そう言って、ガラムが剃り損なった顎髭を摘んだ。僕は頭もまともですよ、と念話で伝えたかったが我慢した。格好の方を気にしているのかも知れないからだ。実際、普通なら廻れ右して他のギルドに駆け込んでいるところだろう。自分が依頼する側だったらまずそうしているはずだ。
「もちろんですとも。エルクンド殿は先の件で大毒蜂の大群からキャノエを守った新進気鋭の傭兵。ビアラス殿は仮にも、Bランク傭兵ですからね」
予想外の言葉に、シュイがビアラスの方を向いた。当然、自分と同じランクかそれより下だと思い込んでいたのだ。
ビアラスはがに股で踏ん張り、両手を前に突っ張り、腰を動かして体全体で円を描いていた。その動きの滑らかさに驚くとともに、鬼気迫る表情を見て、何がこの男をこうまで突き動かしているのだろう、と真剣に考えた。考えた後でその無意味さに気付き、げんなりした。
「わかった、詳しい話は船でする。外の河に出してあるから付いて来てくれ」
「了解だ」
「――ダニロ・ビアラスでっす!」
遅れること二秒半、『遅いわ!』と三者息の揃った突っ込みが入った。
洞穴のようなギルドから外に出ると、暗闇に慣らされていたせいか日差しがやたらと眩しく映った。片手で光を遮りながら階段を下りていき、南区と北区を隔てている大河へと向かった。滑らかな曲線を描く巨大な陸橋を左手に望み、河のほとりにある階段を下りていくと、波止場に大小の船が連なって停泊していた。
「奥から二番目の船が俺のだ」
ガラムは二人が後ろから付いて来るのを確認し、浅瀬に設けられた板組みの桟橋へと飛び移った。シュイとビアラスも後に続いた。突端のやや手前側に停められていた木造船が、ガラムの船のようだった。小型船の範疇だが、わりに立派な寝室も付いていた。
先に乗るよう奨めたガラムにうなずき、船に飛び乗ると足元に揺れを感じた。後ろのビアラスが乗ったのを見計らって、ガラムは船を繋いでいた太い鉄鎖を係船柱から外し、自らも船に乗り移った。
やや船尾寄りに設置されている、大きな風魔石の円柱の上に、ガラムが首にぶら下げていた鍵石をかざした。すると、船の底の方から泡が立ち上り始めた。私印を感知して魔石の共鳴が始まったのだとわかった。
船は、桟橋からゆっくりと離れていった。魔石が完全に起動すると、ガラムは舵の方に手をかけ、停まっている船団から抜け出した船首を、ゆっくりと川上の方へ向け始めた。
「大怪鳥がモビ河の上流に現れたのは、半年くらい前だったか」
2人が四角い木箱に腰を降ろすのを見計らって、ガラムがポツリポツリと語り出した。進行方向の水面には強い日差しが直視できぬほどに煌いている。
「俺ぁ、河ん中に拵えた生簀に高級魚の稚魚を放流し、増やして成長させてから売って生計を立てているんだ。所謂養殖業ってやつだな。商売を始めてから、そう、足掛け十年くらいにはなるか」
シュイは聞いている、という意思表示をするべくガラムと視線を合わせた。その隣にいるビアラスは、空にある大小の雲をぼんやりと眺めていた。ガラムは、一人でも聞いていればいいかと諦め顔で口を開いた。
「始めた当初は、そりゃあ色んな苦労があった。稚魚が大きくなる前に侵入してきた他の魚に食われちまったり、餌の食い付きが悪くて、あまり大きく育たなかったりといった具合にな。普通に漁業をやっている連中からは鼻で笑われて、何度諦めようと思ったことかわからない。
それでも、未練がましく試行錯誤しているうちに、数年前の暖冬で不漁がしばらく続いたようでな。こっちの魚を試してみたいって客が何人かいたんだ。実際、食べ比べをさせてみたりもして、そんなに味が変わらないことがわかってな。そいつらの口コミがきっかけでなんとか商売も軌道に乗り始めた。飲食店の経営者を中心として固定客にも恵まれて、ここ数年くらいはずっと上り調子だった。天候も穏やかだったし出荷量も増加傾向にあった。小さいとはいえ、魔石付きの船を購入できるくらいは潤っていたんだよ」
そういいながら、ガラムがばしんと船縁を叩いた。通常、この規模の魔石船であれば1000万パーズ近くするはずだ。それを買う余裕が出来るほどには、儲かる商売なのだろう。
「ところが、邪魔が入ったってわけだ」
「……ああ、そうだ。半年前、肥え太った魚の出荷を目前に控えていた日のことだった。四つある生簀の一つに様子を見に行ったら、びっくりしたぜ、中にいるはずの魚が忽然と消え失せていたんだよ。あまりに鮮やか過ぎて、初めは密漁者かと思っていたくらいだ。そのときの怒りといったらなかった。見つけ出して殺してやりたいくらいにな」
穏やかではないがわからないでもない。馬泥棒が殺されたという事件は、何百年も前から今日に至るまで、毎年何件も起きているのだ。何の苦労もせずに他人の血と汗と涙の結晶を奪おうというやつらには相応の報いをもってしかるべきだとは思う。
「今度は絶対に追い返してやろうと、場合によっては腕の三本くらいは圧し折ってやろうと、他の無事だった生簀の前で張っていたんだ。そうしたら深夜、犯人が思わぬ所から現れた。どこからかって、空からだよ。ばかでかいメルセグが凄まじい羽音を立てながら舞い降りてきたんだ」
腕は三本もないと心の中で突っ込みつつ首を捻った。夜に活動する鳥類は相当少ない。メルセグにしても少なくとも夜行性ではなかったはずだとシュイは記憶していた。
「そいつ、本当にメルセグかな? 大きさはどれくらいだったんだ?」
「慌てていたんで細かくはわからんが、翼を広げた時はたっぷり5メードはあったんじゃねぇかな。遭遇した時は開いた口が塞がらなかったぜ。奴ときたら空から雷の吐息を放って河底にいる魚を一気に感電させちまったんだ」
「ご、5メード? それに、サンダーブレス? メルセグが?」
メルセグの大きさは4メードで成体と言われており、しかも連中が吐き出すのは熱の吐息のはずだ。話を総合する限りでは未確認種の可能性も否定できなかった。
「俺も目を疑ったが、青白い稲妻みたいなのを吐き出しやがったのは確かなんだ。実際に魚は浮き上がってきたわけだしな。そんでもって、水面に浮いてきた無数の魚を河の水ごと吸い上げ、美味そうに平らげていきやがった。一網打尽だ。これじゃあ商売上がったりなもんで、ギルドに頼むしかなくなったってわけだ。俺だって荒事の解決くらいは自分でやるが、あくまで一般人レベルでの話だ。戦闘の専門家でもないのにあんなのを相手にしたら逆に殺されちまわぁ」
「つまり、討伐というよりは撃退ということかな?」
ガラムは返事をする前に、河の中央に突き出ている岩を避けようと舵を修正した。
「まぁ、追い払ってくれりゃあ問題はない。無用な殺生は俺だって避けたいからな。ただ――」
「――ただ、なんだ?」
ガラムはばつが悪そうに頭を掻いた。
「ああ、その、気を悪くしないで聞いて欲しいんだが。実はシルフィールに頼む前、他のギルドの傭兵たちがもっと安くやってやるって言うんで任せてみたんだ。ところが、倒すどころか大怪我して逃げ帰ってきたもんだからさ。相当手強いのは確かだぜ」
被害が出てから依頼するまでに半年も間が空いたのはそういう理由か。シュイは先ほどの言葉を思い出し、納得した。
「それは別に構わない。どこのギルドを選ぶのかは依頼人の自由だしね。じゃあ、あと一つ確認しておきたいんだが、メルセグは決まった場所に現れるのか?」
ガラムは支流に入るべく、河の左側を見遣りながら小刻みに船首の向きを修正した。
「ああ、向こうも良い餌場を見つけたと思ったらしくてなぁ。幸か不幸か、前に依頼した傭兵の話じゃ巣も作っちまっているらしい。おおよその場所も聞いているから後で地形図に印付けておくよ」
「それは助かるな、無闇に森の中を歩き回らないで済みそうだ」
ふと、先ほどと打って変わって大人しいビアラスに視線を移した。いつの間にか取り出したノートに、鉛筆で何やら一生懸命書き込んでいた。
何だ、結構真面目なところもあるんじゃないか。シュイは先入観に囚われ過ぎていた己を少し窘めた。それはそうだ。どこか一つくらい取り柄がないとBランク傭兵になどなれるわけがない。ちゃんと依頼人の話した情報を事細かに――
「フンフンフフーン♪」
一目ではわからなかった。ビアラスの身体は、止まる寸前の時計の振子ほどではあったが、左右に小刻みに揺れていた。
何を書いているのか。興味をそそられたシュイはゆっくりと立ち上がり、後ろに回り込んでノートを肩越しに覗き込み、絶句した。
<ヘイッ! あなたの足首は何でそんなに細いの 太腿とのギャップがまるで大根 ヘイッ! その厚ぼったい唇は赤芋虫の番のよう 歯の隙間から洩れ出る息が堪らなくセクシー でもちょっと臭い モーニングキッスなんて幻想よ ちゃんと歯を磨いてからチュッチュして♪ byビアレス>
釣り針に引っ掛けられたかのように頬が引き攣るのを感じた。どうみても依頼の詳細を書き込んだ内容ではなかった。もしや暗号かと一瞬考えた自分を意識の底で引っ叩き、何かを言おうとしたが何と言って良いのかわからず、拳を振り上げてみたものの依頼人の前ではそれも適わず、不完全燃焼のまま座っていた元の場所に戻り、勢い良く腰を降ろした。その弾みで船が大きく振動するくらいには。
とにもかくにも、これだけは言えた。もしニルファナがこの場にいたら全力で殴っているレベルだ。
――――――
翌朝、事情を聞き終えたシュイたちはガラムが以前使っていた動力なしの小舟で現地に向かっていた。万が一にも、メルセグのサンダーブレスで魔石船が破壊されたら大損害だからだ。両手にオールを持ち、押しては引き、引いては押す。
その様子を不思議そうに眺めているビアラスを見て、船から蹴り落としてやりたい衝動に駆られた。緩やかな流れであろうと上流に遡って漕ぐのは相当にきついのだ。その作業をやっている真正面で、涼しげな顔をしながら傷み具合を確認するかのように金髪を弄られていては憤るのも無理ないと思うのだがどうか。
まったく、何をどう評価したらこんな奴がBランク傭兵になるのか。シュイはしきりに首を捻っていた。
コミュニケーションはまともに取れず、常々叫んでいる。落ち着きもあるとは思えない。戦闘能力にしたってそもそも楽器しか持っておらず、懐疑的にならざるを得なかった。
一日経った今でもその疑問が解消されることはなかった。昨日、ビアラスは船から降りると今度はリュートの弦の調整にやっきになっていた。結局、地形図やメルセグの特徴などは全て自分の頭に叩きこむ羽目になったのだ。これで報酬が均等分配。切ないにもほどがあった。
時折我に返ったように叫び声を上げるビアラスを怒鳴りつつも、シュイはガラムに教えられた場所を目指して必死に船を漕いだ。川を遡ること三十分。ようやくその目印を見つけた。川の中州を取り巻く様に蓮の葉がびっしりと浮いている。中洲の中央には石が上へ行くほど小さくなるように何段も積まれている。
その付近から辺りを見回してみると、あった。茂みで覆われている岸辺に細い間道を発見し、そちらに船を接岸する。陸地に降り、二本の太い木の幹と船をロープでしっかり繋ぐと、シュイとビアラスは森の奥へと歩き出した。彼が大人しく付いてきてくれることが意外に思え、その程度のことでちょっと喜んでいる自分にまた腹が立った。