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第十二章 ~フォルストローム王都(1)(改)~

「シュイ、傭兵は体が資本だからね。絶対に無茶だけはしちゃ駄目だよ」

「わかってるよ」とシュイが返した。

「もし、腕とか足とか切られちゃったら凍らせて保存しておきなさい。後でくっつけてあげられるかも知れないから、わかった?」

 

 縁起でもないことを、とシュイが苦い顔をした。続いて、切断面までリアルに想像してしまった自らの想像力にけちをつけたくなった。


「あとねあとね、そう、黒衣のサイズが合わなくなったらどこかで仕立て直してもらいなさい。合わない装備を身に付けるのは危ないからね」

「わ、わかったよ。もう良いから」


 過保護な親子を思わせるやり取りをたっぷり20回ほどは繰り返し、尚も「何だか心配だなぁ」を連呼するニルファナをやっと(なだ)(すか)した。シュイは疲れを押し隠し、そのくせ名残惜しむ表情も忘れずに、ニルファナに別れを告げた。



 フォルストロームの城下町北部に着いたのは、レムザ大聖堂での騒動から三日後のことだった。ニルファナと別れた直後は、寂寥感(せきりょうかん)安堵感(あんどかん)が同時に込み上げてきた。とはいえ、散々な目に遭わされたこともあり、今回は安堵が勝っている。彼女と一緒にいると楽しいのは確かだが、同じくらい疲れもするのだ。

 知識と魔法習得を目的としてやってきたシュイだったが、中長期滞在するにあたっては、拠点となる宿を決めねばならなかった。まずはニルファナが断然お薦めだと一押ししてくれたホテルへと向かった。

 けれども敷地内に入ろうとしたところで、門の外から宮殿のような建物が目に入り、さらには外壁面に埋め込まれていた大理石の案内板を見て、すごすごと引き返す羽目になった。国の首都の物価が多少高いのは社会の常識であるが、それにしたって一泊20万はないだろう。

 無駄足を踏まされたが、収穫がなかったわけでもない。ニルファナの金銭感覚がおよそどれほどのものなのか、何となくは理解できたからだ。以前に貸してくれた50万パーズは、つまり彼女にとって三泊分の宿代に過ぎないのだ。平民と富裕層(セレブ)の境界線。もとい、CランクとSランクの圧倒的な差は、力にしろ金銭面にしろ、そうそう埋まるものではなさそうだった。


 それからしばらくの間、シュイは手頃な宿を探して歩き回った。王都の住民に訊ねてもみたが、どこがいいかはっきりした返事はもらえなかった。自分の持ち家がある住人にしてみれば、地元で宿に泊まる機会などないのだ。

 歩きまわっているうちに小腹が空いてきたシュイは、近くにあった飯屋に入った。そして、注文を頼むついでに一応店員にも宿について訊ねてみた。すると、女性店員が意外なことを告げた。


「うちの親戚が近くで宿をやっていますが、そちらでよろしければ紹介しますよ」

「え、本当? 値段はこれくらいで考えているんだけど」

「ええ、問題ありませんよ。料理もうちが作っているので大丈夫です」


 しかし料理は不味かった。などというオチが付くこともなく普通に美味しかったので、その宿に案内してもらうことにした。場所は飯屋から徒歩一分もかからぬ、馬車道に面した町の一角だった。赤い煉瓦(レンガ)積のアットホームな雰囲気の宿屋だ。宿に着くと、ウェイトレスは親戚と思しき中年の男性と二言三言言葉を交わし、そそくさと仕事に戻っていった。紹介料という単語がやり取りの中で聞こえた。

 宿を決めたシュイはひとまず宿の主人に三日分の料金、纏め値引きで3万パーズを支払ってから、部屋に荷物を置いて外に出た。


――――――


 広々とした部屋の天井には狼が兎を追う構図の天井画が描かれている。長方形の切子ガラス窓を縁取るのは金糸や銀糸で花園を表したシルクカーテン。優雅さと厳格さが調和した空間には鋏の音が断続的に響いていた。

 壁一面を埋め尽くす鏡に映し出されたアミナは、自分の髪型の変化に目を細めつつ、肘掛椅子の背もたれに体を預けていた。首回りには柔らかそうなタオルと、その下にコートが巻かれ、切った髪が衣服の中に潜り込まぬようにしてあった。

 その後ろにはセミディカットの、すらりとした獣族のメイドが立っていた。左右の手には、すき鋏とコームを握っている。その手付きに力みは一切感じられず、主人の髪をいじっていながらも、余裕を持って作業しているのがわかる。それは、アミナとメイドとの親交の深さを表してもいた。

 髪を整えているのは幼馴染のリズ・ヘイロン。大人の色香漂う、王城でも評判のメイド統括長だ。アミナにとっては大切な友人であり、頼れる姉のような存在でもあった。


 リズはカット中に何度か首を傾げていた。髪型がうまく定まらないわけではない。普段のアミナであればカットが終わるまで背筋をピンと伸ばし、肩を抑えて体勢を整える必要がほとんどないはずだった。

 しかし、今日に限って言えば、何故か体勢が崩れることが多いように思われた。その瑣末な違いは、しかしリズの心に疑念を呼んだ。美しい銀髪に櫛を通していきつつ、ちらりとアミナの表情を窺った。


「姫様、今日はなんだかそわそわしていらっしゃいますね」

「そ、そうか? 普段と変わらぬ心積もりだが」


 そうと返しつつも、アミナは見透かされていた事に驚きを禁じ得なかった。共に過ごした十年という年月は、言葉を交わさずとも様々なことを見破ってしまうらしかった。


「何と言いましょうか、少しお疲れではありませんか? やはりここの所の激務のせいでしょうか」


 半分以上正解だった。疲れていないわけではなかったし、激務が一因であることも事実だ。だが、今はそれよりもよそ事に思考が傾きつつあった。あの男は一体どういうつもりで、歯の浮くような台詞を口にしたのだろうか、と。

 咄嗟の嘘という事であればまだ良い――いや良くないと断じる自分もいる。ほんの冗談ですよ、などと言われたことを想像するにつけ、拳がみしみしと音を立てるのだ。

 もし嘘ではなく本心だったのであれば。自分は彼に対してどう対応するべきなのだろうか。いっそのこと、リズに相談してみた方がいいかも知れない。彼女なら恋多き女だし、様々な応対の仕方を教えてくれるのではないか。アミナはそのようなことを考えていた。

 とはいえ、リズにからかわれるネタをむざと提供するのも気が引けるし、何より今の自分の心持ちを正確に伝えられる自信がなかった。こんなことを考えている間に、近日中に決めなければならない案件の一つや二つ処理できたのではないか。そう思うと苦々しさもひとしおだ。大体、顔も見せずに告白とはどういう了見なのだろうか。


 ――あぁ、火傷していたからと言っていたか。って、それは嘘だとニルファナに聞かされたばかりじゃないか。


 なんともまどろっこしい思いが、腹の底に溜まってきていた。教会で会ったときに問い質しておくべきだっただろうか。

 けれども、あの場にはシュイの仲間らしき者たちがいた。立場上、人前で大っぴらに男女間の話をするわけにもいかない。


 ――そういえば、酒場で見かけた少女もいたな。シュイと、仲がいいのだろうか。


「これくらいの長さでよろしいですか?」


 リズに声を掛けられ、アミナが肩を震わせつつも思考を現実に戻した。

 鏡にはほどよく切り揃えられた前髪が映っている。このほどよく、というのがポイントで、揃い過ぎては幼く見えるし、乱れ過ぎては品がなく感じられるのだ。


「ん、問題ない」

「畏まりました。後は細部をちゃっちゃとやってしまいますね」


 再びリズが鋏を動かし始めたのを見て、アミナは切った髪が入らぬようそっと瞳を閉じた。

 ふと、人が顔を隠そうとするのはどんな時だろうかと、そんな疑問が浮かんだ。真っ先に思いついたのは、特定されるのを防ぐため。ひいては何らかの犯罪に手を染めた場合だ。追手の目を欺くために変装することくらい誰とてやりそうなことだ。

 だが、そうなるとシュイの取っている行動に一貫した説明を付け難い。追われている立場なら何でわざわざ傭兵ギルドに加入したのかがわからないのだ。犯罪者が、賞金首を捕まえるのが仕事でもある傭兵ギルドに身を寄せるのは、ワニの開いた口の中に飛び込むようなものだ。それよりは、大方の逃亡犯がそうするように、ほとぼりが冷めるまで静かに息を潜めて暮らすというのが一番無難な選択だろう。

 加えてもう一点、アミナがどうしても納得いかぬことがあった。仮にもランカーであるニルファナが、単なる犯罪者を見逃すとはどうしても思えないのだ。現に、彼女は何度となく賞金首を捕らえているし始末したこともあるはずだ。一見するとちぐはぐな行動の裏には、何か深い意味が隠されているのだろうか。


 などと考えていると、自己嫌悪が再発した。何で私は好きでもないやつのことばかり考えているのか、と。


「――――様」

「ひあ!」


 リズに耳元で囁かれ、アミナの身体が椅子から泳いだ。


「その、先ほどから何度もお声掛けさせていただいているのですが、身繕いが終わりましたよ」

「あ、あぁ、そうだったか。すまぬな、ちと考え事をしていた」

「左様でございましたか、やはり何か心配ごとがおありなのですね。よろしければこのリズめにお話ししてくださいませんか。話すことで肩の荷が軽くなることもあるでしょうし」

「い、いや、そう大したことでもないのだ。案ずることはない」


 アミナが肘掛けに体重をかけ、身を起こした。リズは(いぶか)しげに視線を上へとずらした。そこにはぴろぴろと動くアミナの三角耳があった。


「やっぱりあるんですね、お耳が――」

「――だからそなたは! 前々からそれはやめよと何度も言っておるだろう!」


 アミナが顔を真っ赤にして怒鳴った。耳を見られただけで感情が露呈してしまっては溜まらない。以前からリズに(ことごと)く隠し事を看破されてきた理由(わけ)を知ったのは、ごく最近になってのことだ。


「まぁ、心外ですわ。私は姫様を心の底から案じているからこそ」

「それはそうであろうが、私とて守りたいプライベートというものがある」


 他者の善意が必ずしも当人にとってためになるとは限らない。そう言い含めつつも、アミナは瞼の上に落ちてきた短い髪の毛を指の腹で拭った。


「それでしたらご安心ください、姫様の心配は杞憂に終わりますわ。誰もが逃げ出したくなりそうな責務をこなしておられる姫様が、個人的事情において解決出来ぬ困難などあるとは思えませんもの」


 杞憂とは取り越し苦労のこと、ってどっちがだろうか。本音を言えば、あれが本当に告白だったのかそうでないのかだけでも判断したいところだった。


「告……白?」

「え゛」

「まぁ! 姫様、どなたかに告白されたのですか!?」


 ずいっとリズが顔を近づけ、アミナが背中を逸らした。迂闊にも、口から漏れ出ていたようだった。


「あらあらあらまぁまぁまぁ! そうですわよね、もうお年頃ですし、そういったことに関心を寄せられてもまったく不思議ではありませんものね。

 ところでどんな方なのですか? どこぞの皇子様でございますか? それとも渋い傭兵さんかしら? お悩みになられているということはまんざらでも――」


 リズが興奮気味に身を乗り出して来たのを慌てて両手で押し留めた。


「ま、待て待て! 告白と決まったわけではない! 大体、相手の顔すらわかっておらぬのだ!」

「顔が、わからない? ということは、恋文(ラブレター)でございますか? ってそんなはずはありませんよね。姫様に届く手紙の選別は私たちがやっておりますし。そもそも姫様は、確か最近までキャノエにいらして」

「ん゛ん゛、いかんな、少し風邪気味のようだ。早めに湯浴みをしてくる」

「あ、姫様っ!」



 ボロが出る前に話を切り上げようと、アミナが早歩きで化粧室を出ていった。開け放たれたドアの隙間から覗く後ろ姿に、リズは目を細め、それからほっと溜息を吐いた。


「あの気丈な姫様が顔もわからぬ方に心惑わされるなんて、なんだかすっかりお年頃なのですねー。仕えている身としては少し寂しい気もしますが、やはりここは主人を応援して差し上げるのが真のメイドの心意気でしょうか」


 ややあって、リズは何かを思いついたように手を叩いた。そして、ポケットから手帳を取り出すと、少しうきうきした様子で、今後の休暇日程を確認し始めた。

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