第十一章 ~(3)(改)~
砂利の多い山道を登っていくと、強い吹き下ろしの風音に混じってどこからか荘厳な音が響いてきた。
坂を登り切ると、土肌の山道が途切れ、人工の、様々な文字が彫られている灰色の石板が嵌めこまれた道が奥まで続いていた。
道の先には白塗りの壁に囲まれた宮殿があった。建物の頭頂部には細長い石柱がいくつも立っており、隙間からは金色の鐘が見えた。鐘を囲む四柱の上から蓋をするように、円錐の白い屋根が被せられている。
まだ八月半ばだったが、山頂部では肌寒い風が吹きつけ、秋の気配が漂い始めている。神殿の背後に佇むのは世界最大級の山脈、オーギュス。失われた言語で<高みに在らん>という意味だと伝えられている。
「これはまた、随分と立派な建物だね。こんな高いところまでたくさんの資材を運び込んで、大変だっただろうなぁ」
シュイは半ば感心し、半ば呆れつつも見た目には美しい建築物を舐めるように見渡した。運搬費用に建築資材費。一体いくらくらいかかったのか想像もつかなかった。
「でもさ、シュイ。これって全部レムース教徒の寄付金で作られているんだよ」
「へぇ、そうなん……え!」
驚き振り返るシュイに、ニルファナはさもあらん、といった感じで肩を竦めてみせた。
「ご覧の通りご立派な建物で、所々に精巧な細工や煌びやかな装飾も施されている。こんな建物は世界中見回してもそうはないから、建築美術の観点からすれば見ておいて損はない。でも、利便性とか考えてみてよ。こんな山奥に作られたところで巡礼する信者さんが困るだけでしょ」
「……う、うーん。確かにそうかも」
「なのに、ここの聖堂を訪れないと真のレムース教徒とは言えず、なんて平気で嘯いているんだからお笑い草だよね。そんなこと言ったら足や腰を悪くしている人はみんな信者失格になっちゃう。信仰っていうものは献身や節制から生まれるものであって場所や格式を重んじればいいってものじゃないのにさ」
冷やりとするニルファナの発言に、同意せざるを得なかった。救いを求めている人の金でこんな僻地に立派な建物を作ってしまうとは、何かが狂っている気がした。もっとも、これは宗教に関わらず、国や自治体等が建てる箱物にも通じることだったが。シュイは先ほどニルファナが言葉を濁した理由がわかったような気がした。
「で、それは兎も角。ちょっと後ろを見て御覧」
「え、後ろ?」
シュイは首を傾げながらも、自分たちの登ってきた山道を振り返った。
「……うわあ」
今度こそ、混じり気のない感嘆の息が吐き出された。
登って来る時にはまるで気付かなかったが、山頂付近からレグゼムの谷の全景を見渡すと、菱形の谷がまるで眼の形をしているように見えた。左右に分かれた山道が目の淵を象り、中央に密集した建物が瞳を表しているのだ。
「……すごいや。これ、全部計算して作ったのかな」
「きっとそうだろうね。空を飛べる翼族だからこそ、上から見える景観にもこだわったんだと思うよ」
「上からじゃないと何を表しているのかわからない建築物なんて初めて見た。教えてくれてありがと、ニルファナさん」
「ふふ、どういたしまして」
ここまで足を運ぶ機会はこの先そうないだろうということで、一応レムース神殿内にも入ることにした。ごてごてっと銀箔が施されたアーチ門をくぐると、入口には受付が何人かいたが、シュイとニルファナを見るとにこやかに挨拶した。
「いらっしゃいませ。世界に名高きレムザ大聖堂へようこそ。こちらで入館料をお支払いいただいております」
自分で世界に名高きとか言ってしまう辺り、世俗臭に塗れているような印象が否めない。そんな感想を持ちながらも、シュイは受付の一人がよたよたと持ってきた木箱に目を映した。かなり重そうなその箱は、縦に振ればさぞかし濁った音がするだろうと容易に想像が付いた。
「入るだけなのにお金取るの?」
不満を隠さず訊き返したシュイに対し、受付はあくまで丁寧に応じた。そういった質問は何度となく受けているのだといった感じの余裕があった。
「申し訳ありません。風雪の強い地域なので施設の補修になにかと費用がかかりまして、あくまで維持するための費用のみ徴収させて頂いております」
苦笑いを浮かべながらもへこへこする受付を見て、シュイは以前どこかで似たような人種を見かけた気がした。ややあって、ケセルティガーノから来ていた行商人の姿にそっくりなのだと思い当たった。
「あー、まぁそういう理由なら仕方ないね。いくらくらい?」
「7000パーズでございます」
フードの奥で、シュイの顔があからさまに変わった。良心的な宿なら二食付きで泊まれる値段だ。周りにある受付では渋々といった様子で金を払っている旅行者が見受けられた。
「以前、お姉さんがここに来た時より2000ほど上がっているんだけど?」
ニルファナが口を挟むと、受付の言葉が詰まった。
「も、申し訳ありません。つい最近、料金の改定がありまして」
「あっそぉ。さっき補修とか言っていたけれど、具体的にどこをどう直したのか教えてくれるかな?」
すかさずニルファナが二の矢を放った。
「え……あ、いえ、それはその、担当者が違いまして、詳しく訊いてみないことには、ですね」
「是非、詳しく訊いてみてくれ。なんなら、ここへ連れてきてくれてもいい、差額の2000分もどういった経緯で値上げしたのか、納得のいく説明をしてもらおうじゃないか」
続いて三の矢が、再びシュイの方から迫った。
「あ、あの、ええと」
どもる受付の返答を聞くにつれ、ニルファナが不機嫌になっていくのがシュイにもわかった。
「何だかなぁ、この分じゃレムース教も先は長くなさそうだねぇ」
「なっ――」
ニルファナのはきはきした声が響き、周りにいた旅人と受付の視線が一斉にこちらを向いた。
「シュイ、行こう。この中にそれほど価値のある物はない」
「なんだか、そうみたいだね」
「ちょっと! 営業妨害は困りま――」
「――は、営業?」
鼻で笑うニルファナに、受付はしまったという顔をした。
「ご大層な事言ったって、所詮この程度の低俗な連中が管理している施設じゃ有難味も薄れるよねぇ。レッドフォードからちらほらと話は聞いていたけど、正直これほどひどいとは思わなかったな」
周りの旅行客にも漏らさず聞き取れるように、ニルファナは声を大にしてそう言った。
「お、おい! 衛兵!」
堪りかねたのか、他の受付が大声を上げた。すぐに部屋の奥から鎧を来た宗教騎士が6人現れ、ニルファナとシュイを取り囲んだ。
「レムザ神を侮辱しに来た不届き者だ。少し痛い目に遭わせてやれ」
そういう話だったっけ、とシュイは溜息を吐き、次いで騎士たちを睨んだ。その一方で周りにいた旅人たちは関わり合いになるまいと、払い終えた者は施設の中に、未払いの者は外に撤収していった。
「シュイ、ちょっと――」
「いいからやらせて、こんな連中、ニルファナさんが出るまでもないよ」
シュイは一歩前に出るとゆっくりと背負っていた鎌を降ろし、布を取り払いかけ――
「はぐっ」
――後ろから殴られた。シュイは頭を抱えながら後ろを振り返った。
「な、何するのさ!」
「こういった建物内で刃物は禁制なの。やるなら武器なしでやりなさい」
「あ、ああ。そういうものなの」
不承不承といった様子でシュイは鎌を床に置き、拳を構えた。体術のみで六人を相手にしたことはなかったが、魔法を使えるなら問題ない。視点を視界へと変化させ、敵の姿を漏れなく収めた。
おもむろに、一番端にいた騎士が襲いかかってきた。鉄甲に覆われた手を上から振り下ろすのを見て、シュイは迷わず前に進んだ。相手の拳を掻い潜ったところで、手を鎧の腹の部分に添え、言霊を紡ぐ。
「<絡み付くは雷の蛇>」
騎士の銀色の鎧に青い電流が走り、絶叫が上がった。電撃が鎧の中まであっさりと伝わり、騎士が断続的に悶えた。添えていた手を軽く押し出しただけで、背中から後ろに倒れ込んだ。
「おー、大分決断力がついたね」
「こ、この野郎!」
感心するニルファナを差し置いて、今度は2人一度に向かってきた。
左手側の騎士が放った拳が頭部に放たれるのを見止め、シュイが相手の手首を下から弾き飛ばす。
ほとんど同時に、右手の騎士が胴を狙って回し蹴りを放った。柔軟体操の様に足を前後に伸ばし、身を低くする。ぺたんと両足が地に付き、蹴りが頭上を通過。その風圧を頭に感じながらも、そのままの体勢で相手の踏み込んだ方の足首に水面蹴りを仕掛けた。
軸足を外された騎士が、よろめいて前のめりに膝を突いた。その傍らから鎧の脇に手を添えて再度<ライトニング・リロード>。四つん這いになっていた騎士は凍えているかのように細かく痙攣し、そのまま動かなくなった。残った四人が慌てて向かってこようとしたが、跳ねるように立ち上がったシュイを見て動きが止まった。
「どうしたどうした、この程度で勝とうなんざ10年早いぞ。ましてやニルファナさんが相手だったら――」
「――遠慮する必要はない、やれ!」
喋っている最中、予想外のことが起こった。驚くべきことに残っていた騎士たちが揃いも揃って剣を抜き放ったのだ。煌めく刃の連なりを見て、ニルファナが眉を顰めた。
「自分たちで作った誓約すら守れないとか、もうお話になんないよ。人として恥ずかしくないの?」
ニルファナの手厳しい説教に、騎士達は苦い薬を口に含んだかのような顔をした。
「生憎と、信仰を脅かす者には力づくでの排除が認められている」
「……それで? その剣でお姉さんたちをどうするつもりかな。黙っていれば大人しく帰るって言っているのにわからない連中だね」
騎士たちは旅行者がこの場にいないことを確認した上で、ほくそ笑んだ。剣さえ抜けば負けないと本気で思っているようだった。シュイはいささか白けた様子で、しかしニルファナの挙動を見守った。触らぬ神に祟りなしといった様相だった。
「アンタは一応女だからな、態度次第で見逃してやらんこともない。が、その黒いのは我々に危害を加えた。極刑以外考えられぬな」
『一応』という言葉と『極刑』という言葉。果たしてどちらの言葉で怒りを喚起されたのかはわからなかった。ニルファナの赤髪が揺れ動いた。全身から解放された魔力が風となって吹き抜けた。
「<更なる威に屈せよ>」
短くそう言い、手招きするように左腕を振り降ろした。
途端、騎士たちが剣を取り落とし、一斉に膝を付いた。次々に剣が床に落ち、カツンカツンと音を鳴らして横倒しになった。
「なっ、た……立てぬ!」
「こ、これは……一体……」
「……お、おい女! 貴様、何をした!」
まるで数人の大人にのしかかられているように、騎士たちが地べたに手を付きながら喘いだ。ニルファナは腹ばいになっている男たちに冷ややかな視線を送った。
「身の程知らずが。シュイが手加減してくれているのもわからずに良くもまぁ、そんなことを言えたもんだね」
おもむろにニルファナが、空いている右手の平を騎士たちに向けた。途端、彼らの顔色が蒼白になった。
「ま、待て! ここで刃傷沙汰をやらかせば貴様はレムース教全てを敵に回す事に――」
「んで?」
「んで……って……」
他に反応はないのか。そう言いたげに、けれども男は口を噤んだ。ニルファナの全身が魔力に覆われ、薄らと光を放っていた。それだけでも威嚇として十分効果があるだろうことが、ニルファナを見上げているシュイにもわかった。
「敵に回すからなんだっていうの? 君らがわざわざ剣を抜いて喧嘩を売ってきたから、受けて立ってあげたんだよ。大体、こんなくだらないことで刃傷沙汰をやらかすような組織なら潰したって誰も咎めないだろうし」
不遜な言動が騎士たちの耳をその思考毎貫いた。制止しようとしていた騎士たちすらどこまで本心で述べたか疑わしい言葉を、ニルファナは受け入れた上で反発した。レムース教全てを敵に回して、なお勝算があるというように。
「ば、馬鹿な! イカれてるんじゃないのか!」
「今更気づいたって手遅れだけどね。誰がシュイを極刑にするって? この子がお姉さん以外に殺されるなんて、絶対に許さない」
断固とした態度を崩さず、ニルファナが右手に魔力を溜め始めた。<プレッシャー>で相手を拘束したままの二重魔法。防御することも叶わずにランカークラスの攻撃魔法を受ければどうなるか。火を見るよりも明らかだった。
「……じょ、冗談だろ。や、やめてくれ」
騎士たちの顔が、大量の汗を掻き始めた。動けぬだけでも相当な恐怖があるはずだったが、今また、新たな魔法を放とうとしているのは一目瞭然だ。その選択次第で命が奪われるということに疑問を挟む余地はない。今や死は確かな実感を持って迫っていた。
「わ、悪かった。悔い改めるから――」
「――ちょっとばかし、遅かったね」
身体と声を震わせている騎士たちに向けて、ニルファナが妖艶な笑みを浮かべた。すかさず右手から溢れんばかりの眩い光が放たれ、騎士たちの絶叫と共に神殿内を覆い尽くしていった。
「口ほどにもない連中だねぇ」
ニルファナは口から泡を吹き、レギンスの隙間から小便を垂れ流している騎士たちを見つめ、腰に手を当てて下唇を付き出した。その所作は少女のように可愛らしかったが、やったことは蛮行と言って差し支えぬ行為だった。
「ニルファナさん……。いくらなんでもちょっとやり過ぎ」
最後に放たれたのは<照明魔法>だった、はずだ。暗い洞窟や夜道を照らすための魔法だが、あれほどまでに光量が多い、昼間の明るさまでもが白く塗り潰されるほどの<フラッシュ>を目の当たりにするのはシュイも初めてだった。
「まぁまぁ、硬い事言わない。シュイのためであればこそ、こんなに怒ってあげたんだよー?」
「う、うん、それはわかっているし、嬉しくもあるんだけどね。……ところでさ、この魔法、どうやれば解けるのかな」
シュイの質問に、ニルファナは訝りながら視線を横に向けた。が、そこには誰もいない。更に視線を下に向けると、いた。騎士たちと同じように、四つん這いになっている黒衣の男が。
ニルファナは両膝を持って前屈みになって一言。
「……何遊んでるのさ?」
そう口にした。
「遊んでるわけないでしょ! 僕もさっきの巻き添えを食ったんだよ!」
いきり立つシュイを見て、ニルファナは長年会っていなかった友人に偶然会ったかのように口に手を当て、目を丸くした。