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第十章 ~(2)(改)~

「……はん、貴様ら傭兵か」


 濃い暗闇の中。互いに顔は見えぬ距離はずだったが、男はシュイたちの所在を正確に言い当ててみせた。シュイは相手が自分と同じく、何らかの方法で力量を感じ取っていることを確信した。



「……警戒」


 ピオラは先ほど殺気を向けられた時点で短剣を抜き放っていた。経験上、全力を出さずに済む相手ではないと察したようだ。シャガルやピエールも戦闘態勢といった佇まいで、糸を紡ぐように呼吸している。


「……小娘が。一丁前に刃を向けてんじゃ、ねぇ」


 そう言い捨てるや否や、小さかった影が肥大化した。男が尋常ならざる速度で通路を駆け、距離を詰めてくる。

 やるしかない。束の間湧いて出た逡巡(しゅんじゅん)を捨て、シュイが鎌の柄を握り締めた。相手に刃が向かぬよう留意しつつ足を踏み出し、腰ほどの高さに合わせて鎌を振りかざす。

 遠心力で勢いを増した柄が反り返った。切っ先が男の胴に吸い込まれる。そう確信した次の瞬間、男の姿が闇に溶けた。


「――がっ……はっ」


 敵を見失うのと同時に、斜め後ろから(むせ)るような、喉が絡んだような声が発された。次いで何かが床に落ち、乾いた音を立てた。ピオラが先ほどまで手にしていた短剣だった。


「ピオラッ!」


 焦りを含んだシャガルの声に後ろを振り返った。仰向けになっている男の姿が目に飛び込んできた。スライディングで鎌の下を潜り抜けたのだ。

 しかも予め狙いを定めていたのか、斜め上に向けられた靴の爪先が、ピオラの下腹に深々と食い込んでいた。狼狽したシュイたちが動き出す前に、男は両肘を床についたままの体勢で、足を思い切り真上に振り上げた。


「――ぐぶぇ!」


 前屈みになっていたピオラの体が、天井に向かって高々と蹴り上げられた。驚異的な脚力によって胃が更に圧迫され、口から粘っこい胃液が溢れ返った。


「て、めぇ……!」


 激したピエールが背中から剣を抜き放ち、男のそっ首目がけて振り下ろした。時を同じくして、シャガルが目に怒りを滾らせながら男に手をかざす。

 男が驚異的なバネで跳ね起き、ピエールが振り下ろした剣を間一髪で避けた。床に長剣が叩き付けられ、鉄杭を金槌で打ち損じたような音を奏でた。

 息つく暇も与えまいと、シャガルが起き上がった男に素早く手の平を向け、至近距離から魔法を放った。


「<吹き荒ぶ風(ウィンド・ショット)>!」


 風が放たれる寸前、体を丸めこむように屈んでいた男が膝を伸ばし、宙へと跳躍した。遅れてシャガルの<ウィンド・ショット>が男の後方にあった椅子と机を跳ね飛ばした。

 シャガルが飛び上がった男の姿を目で追い、顔色を変えた。男の真上にはピオラがいた。痛みに顔を歪め、腹を両手で押さえている少女を見定め、男がゆっくりと拳を引いた。

 最悪の光景が脳裏を掠め、シャガルとピエールの顔から血の気が一気に引いていく。


「――や、止めろ馬鹿っ!」

「良い声で鳴けや」


 ピエールの制止の声を意に介す様子もなく、男が歪んだ笑みを浮かべた。そして、すぐに表情を消した。

 上昇する男と落下するピオラの間に影が飛び込んできた。ピオラを受け止めるべく先んじて跳躍していたシュイだった。


 俺のせいだ。自らの温さに対する怒りが胸の内で煮え滾った。刃の向きなど何故気にしたのか。余計なことを考えなければ、男が滑り込む余裕のない位置にまで踏み込めたのだ。

 自覚するべきだった。相手は明らかにこちらを殺す気でいる。そして未熟な自分に手加減する余裕などまったくない。体であれ、心であれ、傷つくことを恐れるなどもっての外だ。ピオラが危機に瀕した責の一端は自分にあった。


 殺してでも止めてやる。その覚悟を胸に秘め、シュイが腹の底から気勢を上げた。自分自身でも驚くほどの声量だった。男の側頭部に狙いを定め、体を上から下に捻るように足を振り下ろした。

 男が出しかけていた拳を咄嗟に引っ込め、顔の前で腕を交差させた。一テンポ遅れて上空から鋭い蹴りが襲いかかる。


「……ぬぐっ!」


 足と腕が交錯し、鈍い音を立てた。防御こそされたものの、蹴りの衝撃が十分に伝わったことが、甲の痺れからもわかった。体勢を崩して落下する男を見届けつつも、シュイはそのまま空中で落ちてきたピオラをしっかりと抱き止めた。


「……ピエールッ!」

「わかってらっ!」


 男の落下点にピエールが回り込み、長剣を構えた。落ちてくるタイミングを見計らうように長く息を吸っている。一撃で決める胎なのだろう。剣のみねは、下向きだ。

 頭から落下する男がチラリと下にいるピエール視線を走らせた。


「逝っちまえ!」

「――ちっ」


 ピエールの手に力が込められるや否や、男が教会の奥の方へ手を伸ばした。最初は単なる悪足掻きかと思われた。

 ところが予期せぬことが起こった。ピエールが下から長剣を切り上げたのと同じタイミングで、男の身体がまるで振り子のように教会の中央へと誘われた。

 寸分違わず男の胴に直撃するはずの剣は、男の二の腕を掠めるに留まった。ピオラを胸に抱き抱えたシュイが地面に降り立ち、遅れて男が教会の中央よりやや奥側に着地。握っていた何かを手離した。



「ピオラ! 大丈夫か!」

「……う、ぶぐ……う……ふぅ」


 ピオラに返答する余裕はなさそうだった。唾液とも胃液ともつかぬ泡を口端から零しながら身体を痙攣させていた。

 仮にあのまま無防備な状態で追撃を受けていたら命すら危うかっただろう。シュイは歯軋りしながら男の方に向かい合った。


「……何だ、今の変な動きは。……そうか、シュイの言っていた金属糸か」


 ピエールは先ほどの男の挙動を思い出すように呟いた。牧師を吊り上げるのにも使っていた黒い金属糸は、大人一人の体重を支えるに足る素材で出来ているようだ。おそらくは張り巡らせていた金属糸に重りのついた金属糸を絡ませ、振り子のように使うことでピエールの剣撃から逃れた。樹から垂れ下がる長い蔦を使い、川を渡るように。


「おぉいてぇ、意外に粘るなぁ。もっとも判断力はいまいちなようだが」

「……何だと?」

「お荷物が増えた時点で捨てるのは定石だ、ろ!」


 出し抜けに、男が何かを両手で放り投げるような動作をした。


「――<氷結壁アイス・ウォール>!」


 危機を敏感に察知したシャガルが前方に障壁を展開。楕円形の黒い何かが次々と氷に突き刺さり、雪を強く踏み付けるような音が連続して響いた。わずか数秒ほどの間に、まっさらな氷には西瓜の種のような装飾が施されていた。男が放った石飛礫(いしつぶて)だった。ご丁寧に一つ一つが黒く塗られている。闇に乗じて使われれば、避けるのはおろか目に捉えることすら困難だ。


「まだまだぁ!」


 既に男は次の行動に移っていた。高々と真上に跳躍し、今度は氷の障壁の遥か上からシュイたちに向かって石を投げ付けてきた。

 障壁魔法での防御は不可能。そう判断したピエールとシャガルが側方に転がり込んだ。その後ろで、シュイはピオラを庇いつつ回避行動を取る。


「ぐぅっ!」

「いてっ」


 攻撃範囲外に逃れたつもりだったが、体のあちこちに衝撃が走った。全く軌道の読めぬ攻撃に晒されては、完全に被弾を免れることなど出来なかった。ことにシュイはピオラを抱えている分動きに精彩を欠き、他の二人よりも多く被弾していた。


「シュイ、大丈夫か!」


 膝を突くシュイにピエールが声を掛けた。ピエールも全ては避け切れなかったのだろう。額の端には薄らと血が滲んでいた。


「……この程度なら問題ない」


 心配を掛けまいとそう返したが、決して無視できるダメージではなさそうだった。背中に二か所。右肘に一箇所。左脹脛ふくらはぎに一箇所。飛礫の当たった箇所がジンジンと熱を帯びてきていた。


 ――くそっ、地に足を付けないでこの威力か!


 通常、足で踏み込むことが叶わなければ、手に持つ石に満遍なく力を伝えられず、投擲の威力は著しく激減する。にもかかわらず、男の放った石飛礫は、少なくとも相手にダメージを与える分には、威力、速度共に申し分がないものだった。そのことからも男の膂力の非凡さが窺えた。

 シュイは痛みを堪えながら再び男の方に向き直った。驚いたことに、男の身体は未だ宙にあった。あるいは太めの鋼糸を何重にも張り巡らせ、その上に乗っているのだろう。


「ひっひっひ、お荷物を庇って怪我をしていちゃあ世話ねえよなぁ。扱いやすくて助かるぜ」



 男が小馬鹿にしたように言い放った。未だ痛みに呻くピオラが、腕の中で体を震わせた。顔を見ずとも悔しさが伝わってきた。挑発に乗るのは愚かなことだったが、反して今は怒るべきだという思いが湧いた。傲慢な相手を完膚無きまでに叩き潰す。そうと考えることで、感じていた痛みが遠ざかった。


「……調子扱きやがって、お望み通りにぶっ潰してやるよ」

「待てシュイ! お前は一旦ピオラを連れて安全な場所に……」

「ざんねーん、それも無理だな」


 シャガルの言葉を遮り、男が悠然と言い放った。


「敵が一人だと考えている時点でもう貴様らの負けは決まっているんだよ。俺の仲間が外で張り込んでいるからな。もちろん、ハッタリだと思うならご自由に」


 その言葉の意味を理解した3人の顔に隠し切れぬ焦りが滲み出た。たった一人を相手にして手こずっているのに、同じレベルの敵が教会の外にもう一人いたらどうなるのか。結果は火を見るより明らかだった。否、敵があと一人と考えること自体が危うい行為だ。複数いたらどうするのか。対処しようがない。


「どうやら自分たちの置かれている状況が理解できたようだなぁ。……そこで、だ。普段は優しい俺様が、おまえらが確実に助かる方法を一つ教えてやろう。その小娘をここに置いて全力で逃げることだ」

「……お断りだ。どうせ殺すつもりだろうが」


 そう言うシュイに、男は眉をひそめた。


「ああん? 手前も男なら女に何をするかくらいわかるだろうが」


 ――男なら、ってどういう意味だ?


 シュイは訝りながらもピオラを抱く腕に力を籠めた。


「呆れたやつだ、本気で理解してないのか? 飽きるまで玩具にするに決まってるだろうが。魔族の小娘如きが人族様に逆らったらどういう目に遭うか、骨の髄まで味あわせてやるんだよぉ」


 男がこれ見よがしに舌なめずりをし、シャガルの形相が変わった。普段のお気楽さからは想像もつかないほどの峻烈な眼光が宿っている。ピエールも同様だ。腰のベルトに下げられている投げナイフに手を掛け、青筋が出るほどに握り締めている。

 シュイはその幼さ故に男の言動を完全には理解しきれていなかったが、普段お気楽な2人を一瞬にして憤怒の様相に変えてしまう唾棄すべき言葉だということはわかった。それで十分だった。


「悪いな二人とも。もう話を聞き出すのは、ヤメだ」

「構いやしねえ、こんなやつに人族を名乗って欲しくねえからな」


 凄むシャガルとピエールを見て、男は尚も嘲笑った。


「聞き出す、だと? その程度の力量でか? ……くく……くっはっは! 雑魚共が笑わしてくれる。相手が一人だからと気を抜いていた挙句に、本気を出していませんでしたってかぁ?」



<(よい)(そら)に現れしは月の眷族 その意を律して示威の刃を借り受け(たま)う>


 男の挑発に構わず、シャガルが詠唱開始。彼の掲げた両手に挟まれるようにして、青白い光を帯びた球体が出現。ブーメランのような形に凝縮されていき、目が痛くなるほどの輝きを放つ。

 その様子を前にして、男が初めて感嘆の息を吐いた。


「ほぅ! 魔力に優れる森族とはいえ、その若さで失魔法を扱うか、あながち口だけでもなかったようだな」

「今のうちにせいぜい吠えてろ。この鬱陶しい教会共々、俺の視界から消してやる」

「残念ながら、それはこちらの台詞だな」


 男が勝ち誇ったように笑った直後、入口の方から微かな物音が聞こえた。シュイは咄嗟に後方へ視線を走らせた。

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