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第十章 ~陰謀の尻尾(1)(改)~

「――ぶぃくしゅっ!」

「ぬわっ、きったねえな! せめて口くらい塞げよ、この馬鹿!」


 くしゃみを炸裂させた途端、口に含んでいた黒桃ジュースが放射状に撒き散らされた。向かい側にいたピエールがそれをまともに浴び、怒りを露にした。



 突如感じた悪寒に、シュイは風邪だろうかと身震いしたが、体が冷えているという実感はなかった。夏場に丈長の黒衣を纏っているのだからむしろ暑いくらいだ。かといって、初期症状によくありがちなけだるさや喉の掠れもなかった。

 テーブルの真ん中に置いてあった薄紙に手を伸ばし、一枚拝借して鼻を力一杯噛んだ。その薄紙をくしゃくしゃに丸めて皿の端に置くと、隣に座っていたピオラが少し嫌そうな顔をした。


「……ふぅ、それにしても」

「それにしても、じゃねえ! てめえ一人だけすっきりしてないで、早くお絞り取ってくれよ。シミになっちまうだろ」

「わかったわかった、全く騒がしい奴だな」


 シュイが面倒臭そうに、手前に置いてあった未使用のお絞りに手を伸ばした。


「おまえ、誰のせいだと――」

「くしゃみの兆候くらい把握しておけ。さもなくば咄嗟に避けるくらいの余裕を持て。じゃないと、立派な傭兵にはなれないぜ」


 自分でも無茶を言っていると思いつつ、シュイはピエールにお絞りを投げて寄越した。


「こ、この、予備動作なしで炸裂させたくせに何を偉そうに――」

「――おいおい、真面目な話の最中だぜ」


 不毛な言い争いを始めた2人にシャガルが眉を潜めた。俺の服にシミが出来ちまうのは真面目な話じゃないのかよ、とピエールは口を窄めてみせた。



 中心街のレストランで昼食でも、とシャガルたちから誘いがあったのは昨日のことだ。明後日――今日から数えれば明日のことだが――キャノエを離れる予定なので、その前にちゃんと別れを告げておきたいということだった。シュイたちは二つ返事でその申し出を快諾した。

 この3日間というもの、シュイとピエールは依頼を受けずにいた。<ベチュア亭>に居座り、温泉に入りつつ戦いの疲れを癒やした。

 体が本調子でないまま依頼を受けるのは危険だし、依頼人にも失礼に当たる。もっともなピエールの言い分に異存などなかった。身体を休めるのも傭兵の大事な仕事だ。

 ただし、休みといえども最小限の訓練は怠らなかった。負担をかけ過ぎない程度に手合わせし、反復的な体操を行い、体と勘を(なま)らせないようにした。



 服に付いたジュースを濡れタオルで拭き取りながら、ピエールが残念そうに溜息をついた。


「二人とも折角意気投合したのに、しばらくは会えなくなるなぁ。ルクスプテロンは遠いぜぇ」


 フラムハートの本部はルクスプテロンの自治区にあった。シャガルらの話によれば、ギルドを統括するマスターの病状が思わしくなく、近々一悶着ありそうなので早めに戻ろうと考えていたとのことだった。

 ただ、ルクスプテロン連邦はフォルストロームからかなりの距離がある。世界地図で言えば赤道を挟んで対極に位置し、風の魔石を搭載した魔道船でも一ヶ月近くはかかるはずだ。

 シャガルは黄金色の半熟オムライスを、スプーンで端からこそげとるように(すく)った。


「そう言うなって。俺だってこれでも結構がっかりしてるんだぜ。ピオラにしたってこんなに打ち解けることなんて滅多にないもんなぁ?」

「……そんなこと、ない」


 ピオラは素っ気なくストローに口を付けた。グラスの中でちょっとずつジュースの量が減っていくのをシュイは何となしに見つめていた。


「……シュイ、飲みたいの?」

「……ん、え?」


 一瞬何のことだかわからず、シュイは顔を上げる。


「……飲んでるの、じっと見てたから」

「ん、ああいや、気にしないで。何となく見てただけだから」

「……何となく」


 ピオラは自分を納得させるかのように繰り返した。

 確かに、出会った時と比べれば随分喋るようになってきているだろうか。打ち解けたという意味合いにおいてはごく標準のレベルにも思えるが。

 そんな心情を察したのか、シャガルが可笑しそうに笑った。


「出会ったばかりの二人には判り難いかも知れないけどな。ピオラが他人に関心を示すのは本当、珍しいんだよ」

「関心?」

「……シャガル」


 ピオラがむっとした顔を作り、ストローから口を離した。


「そう照れるなって。昨晩だって今日ここに着てくる服、時間をかけて選んでたじゃないか」


 シャガルの指摘した通り、今日のピオラの服装は黒装束ではなく、薄いピンク色の清楚なワンピースだ。耳には先日まで付けていなかった銀のイヤリングが揺れ、髪にはシュイが先日プレゼントした電気石(トルマリン)の髪留めが輝いていた。誰が見ても傭兵とは思わないだろう、女の子らしい服装だ。逆に、変わり映えのない自分の格好を思うと申し訳ない気持ちになるくらいだった。


「……べ、別に」


 恥ずかしそうに俯くピオラの横顔がほんのりとピンク色に染まっていた。何故か胸が高鳴るのを感じた。あどけない顔立ちだが人形のように長い睫と蠱惑的な紫色の瞳は存分に人目を引く。今は幼さの抜けきらない彼女だが、数年後には間違いなく美人になっていることだろう。

 自分はどんな大人になっているんだろうか。そもそも大人になることが出来ているんだろうか。シュイは天井に吊り下げられているユリの花のような照明を見つめながら詮無きことを思った。


「しっかしあの数にはまいったよな、よく無事に生還できたもんだ。きつい戦いだってのに戦線離脱しちまって悪かったな。俺がいればピオラも危ない目には合わなかっただろうし」


 シャガルの声が頭に反響し、思考を現実へと戻した。話題はいつの間にか蜂との戦いに移行していた。


「んなこと気にすんなよ、人命優先は当然のことだし、そっちはそっちで大変だったろ。治療以外にも怯える人たちを慰めたりとかさ」

「そうでもない、牧師のおっさんが落ち着かせてくれたこともあって、幸い混乱には至らなかったよ。歯痒い思いに変わりはなかったけどな。それはそうと、大毒蜂ってのはあそこまで群れるもんなのかな」

「どうだろうな、シュイはあんな大群にあった経験あるか?」

「ないない、シャガルたちはどうだ?」

「右に同じ、ベテランの支部員に訊ねてみたんだけど、大発生したって年でもせいぜい数十匹らしいぜ。でも今回の数は百を悠に超えてただろ。いくらなんでも異常だよ」

「もしかすると、フェロモンってやつでも撒かれていたのかも」

「フェロモン?」


 初めて聞く言葉に、シュイが首を傾げた。ピエールは「そう、フェロモン」と請合い、指を立てた。


「先日――ほら、蜂に襲われた日におまえと図書館でばったり会っただろ? その時読んでいた最新生物学の本に載ってたんだよ。昆虫に限らず色々な動物が体内で作り出す物質らしくて、それを感覚することで特定の行動を起こすらしいんだ」

「ふーん、そんな物質があったのか。じゃあ、それが垂れ流されて町が襲われた可能性もあるわけか」

「そうだな、ん」


 ピオラの手が袖をくいくいと引っ張っていることに気付き、シュイが流し目を送った。


「ピオラ、どうかしたのか?」

「……ずっと不思議だった。何であの拡声、長老樹に集まるよう言ったのか」


 拡声と言われ、シュイは先日のことを思い出し、鳴っていたな、とうなずいた。ピオラの指摘しているように長老樹に集まるようにという警告も何となく覚えていた。


「そりゃあ目印にもってこいだったから、じゃないか?」


 そう言うシュイにシャガルがうなずきかけ、はたと何かを思い出したかのように硬直した。


「な、なんだシャガル。いきなり怖い顔して」

「……ピオラの言う通りだ。この町は長老樹が中心にあるから、むしろ他の街より方角を認識しやすい。南東には教会以外に建物がないと牧師が言っていただろ? 確かにそうだった。あの丘の上からは教会以外に目ぼしい建物は見当たらなかった。

 だったら、教会が十分な目印になるじゃないか。長老樹なんか指定しないで、初めから南東の教会を目指す様指示していた方が自然だったと思わないか?」

「……どういうことだ?」


 シュイはハンバーグが刺さったままのフォークを皿の端に置いた。シャガルは顎に手を当て、黙考してから面を上げた。


「これはあくまで仮説だぜ? 襲撃直前、町内放送で付近の建物に避難してください、とも言っていただろ。始めから教会を訪れていた人間がそれを聞いたらどう思うか。当然その場に留まろうとするはずだ。すぐ近くから蜂が侵入してきている事が知らされたんだからな」


 シャガルの言わんとしていることを察し、頬が引きつるのを感じた。あの放送は、教会にいた人間を外へ逃がさないようにする意図があった。そう示唆しているのだ。


「外に逃げるのは自殺行為だと思わせた上で、教会の人間を蜂に始末させようとしたってことか。とすると、戦える者に対して長老樹に集まるよう言ったのは誘導、確実に事を成すまでの時間稼ぎ……」

「おいおい、待てよ。意図して教会の人間を狙ったって、一体何のために? それに、殺害が目的なら放送する必要はなかったんじゃないか」


 ピエールが未だ納得し難い様子で口を挟んだ。


「動機はまだわからないが、放送した理由なら蜂が集まりすぎて自分たちの身に害が及ぶのを危惧したってことで通りそうだな」

「そうだな、それに信憑性を増す説明はもう一つあるぜ。もしもそのフェロモンとかいう物質を風に垂れ流しにしただけだったなら、蜂たちの大部分は町の方に向かっていたはず。いくら周囲に建物がなかったって言っても、ひとつの建物にあれだけの数の蜂が留まっていたのは明らかに不自然だ。エリクも言っていたが、俺たちが駆けつけなかったら教会の中にいた連中は絶対に助からなかったはずだ。

 初めからそのフェロモンとかいう誘引物質が教会に撒かれていたとしたらどうだ。それが北からの風に乗って拡散して、蜂が大量発生している南の森にまで届いた」

「……そうか、それで何となく辻褄が合うな」

「……何か?」


 何か気づいた様子のシュイにピオラが訊ねた。


「あれだけ人気のない町の南東部だ。なのに何で蜂が侵入したって情報が直ぐにわかったのか、疑ってかかるべきだった」

「……流す場所がわかってた?」


 眉を潜めたピオラにシャガルは小さくうなずいた。


「筋は通っているな。ちょっと調べて見るか、あの教会」

「そうだな、でもどうやって?」

『えっ』


 シュイの言葉に他の三人が目を瞠った。まずい台詞だったことに気づき、慌てて取り繕った。


「い、いや、どこで調べるんだったっけなーと思ってさ」


 ピエールが呆れ気味に下唇を突き出した。


「おいおい、頼むぜシュイ。町役場の管理局に行けば詳しく調べられるだろ。食べ終わったら早速行ってみようぜ」


 町役場、管理局。シュイはそうだった、と頭を掻きながら脳裏に新たな単語を刻み付けた。



 町役場はレストランから程近い、フラムハートのキャノエ支部の真向かいにあった。位置的にもシルフィールよりずっと中心街に近く、こんなところにも格差があるんだなぁ、と妙に感心した。

 三階の管理局受付に行くと、欠伸をかましていた男性の受付員が大慌てて顔を引き締めた。しかしながら、目やにが睫毛(まつげ)にこびり付いていることまでは気付かなかったようだ。

 シャガルは事情を話してから傭兵の登録証を差し出した。


「ああ、フラムハートの方ですか。いつもお世話になっております。資料閲覧の許可証は持っていますかね?」

「残念ながらない。が、一刻を争うんで見せて貰いたい」

「しかし、規則が規則ですのでまずは下の事務局にて申請を――おっ」

「――おっと、こんなところに」


 ポケットから手を出したシャガルに受付員が微かに息を呑んだ。続いて他の三人に目を泳がせた。シャガルが指で(もてあそ)んでいるのは5万パーズ紙幣だ。それと受付員と、視線を往復させていた。態度次第で、これはあなたのものですよ。そう言っているようだった。

 苦しげに葛藤している様子の受付員を見て、シャガルが駄目押しの台詞を付け加えた。


「あくまでお国のためってやつなんだが、それでも見せられないって言うなら仕方ない。明後日改めて正式に――」

「――い、いえ、国のためというのなら私も心を鬼にしましょう」


 使い方が間違ってる、とシュイは思った。それを言うなら『目を瞑りましょう』のはずだ。

 シャガルも意外と芸が細かかった。敢えて明後日と口にしたのは、明日と違って休日だから対応する受付も代わると考えたのだろう。相手は仮にもフラムハートに所属する傭兵であり、企業で評するならば一流と言って差し支えない。本来なら申請書を求めるのも野暮とすら言えるはずだ。唯一違うのは自分が五万パーズを貰えるか否か。受付が考えていたのはそんなところだろう。


「柔軟に対応してくれる事務員で良かったよ」

「……いつもこんなことやっているのか?」


 シュイが呆れたようにそう言うと、シャガルは得意げな笑みを返した。


「時と場合に寄る。いつもやっていたら儲けがいくらあっても足りない、そうだろ?」



 一行を4階の資料室に案内すると、受付はそそくさと仕事に戻っていった。4人は届け出ている宗教団体の資料を隈なく漁っていた。


「……シャガル、これ」


 10分ほどして、ピオラが茶色に変色した資料を見開きにし、シャガルに差し出した。


「へぇ、あの教会ってレムースだったのか」

「……そこじゃない、ここ」


 ピオラが身を乗り出して指で示すと、シャガルの顔色に真剣さが浮かんだ。


「――なるほど、こいつはおかしいな。たった5年の間に6件か」

「何かあったのか?」


 ピエールが別の資料を手に持ちながらシャガルとピオラの方に歩み寄った。開かれたページの欄には死去の文字が並んでいた。


「どうもあの教会、他の教会と見比べても信者に不審死が多いみたいだ。他の教会はせいぜい一件だぜ。見過ごすにはちょっと異常な数字じゃないか?」

「……本当だ、身寄りの無い者が多いな」


 シュイはどれどれ、とピエールの横から書類を覗きこむ。


「……6件中5件が天涯孤独か。明らかに偏っている」


 シャガルが腰に手を当て、背筋を伸ばすように立ち上がった。


「どうやら決まりだな。十中八九寄付金目当ての殺害、だとすると教会の責任者、あの牧師か関係者が犯人だろう。あの時教会にいた信者たちに裏を取ってみよう、もしかしたら誓約書でも書かされていたかも知れない」

「そういや、あの時怪我人も出ていたよな。まだ入院しているかな?」


 少し不安げに訊ねたピエールにシャガルははっきりとうなずいた。


「いるはずだ。一般人には少々キツイ怪我だったからな」

「……行ってみる?」


 3人がその問いにうなずいたのを確認し、ピオラは資料を閉じて胸に抱き、本棚へと走っていった。



――――――



 夕暮れの中、病院の中に入っていくシャガルを見送り、3人は敷地内にある4人がけのベンチに腰掛けた。花壇から漂ってくるエンジェルラベンダーの香りが心地良い。昼寝をするには良さそうな場所だ。

 病室にぞろぞろと行くのも迷惑になるので、それなら治療に当たったシャガルが一番話を聞き出し易いのでは、という意見に落ち着いた。シュイは格好からしてあからさまに怪しいし、ピエールも如何にも傭兵然としているので一般人受けはしないだろう。人見知りのピオラに関しては問題外だ。



 空が青みがかってきた頃、やっとシャガルが病院から出てきた。ベンチに並んで座っていた3人が立ち上がり、病室の方を見つめるシャガルに歩み寄った。


「どうだった?」

「見事に予想的中、二ヶ月くらい前にそのような書類を書かされたってさ。信者として籍を置くのに必要だからと言い包められたみたいだ」


 シュイははてと首を捻った。重要な書類なのに碌々確認もせずにサインをするものだろうか。すると、シャガルはその考えを読んでいるかのように言葉を続けた。


「他にも何人かが同じような書類を書かされていたらしい。集団で書かせることによって警戒感を薄れさせたんだろう。あるいはサクラも混じっていたかも知れないけどな」

「サクラ……ってなんだ? 花の名前?」


 ピエールが訝しげに訊ねた。それにはシュイが返答する。


「暗喩だよ。演劇で言う客寄せの見物人のことさ。劇が始まると桜の花びらみたいに、すぐ散っていなくなることからそう言われてるらしい。フォルストロームではあまり使われていないみたいだけれどね」

「なるほど。覚えておこ」

「そこまで詳しくは知らなかったな。覚えておこ」

「……覚えておこ」


 三人が感心している様子を見て、シュイはちょっぴり誇らしげな気持ちになった。


「じゃあ、教会に行ってみるか?」


 ピエールがそう言うと、意外なことにシャガルは少し渋って見せた。


「うーん、国軍の手柄を横取りすると後々揉めるかも知れないからなぁ。それに、俺たち明日にはここを発つつもりだし……」

「……人命優先」


 ピオラの簡潔な言葉に、シャガルが困ったように唸る。


「まぁ、確かにそうなんだけれど。でも軍に伝える分には問題ないだろ?」

「……内通者の存在は?」


 シャガルは顎に手の甲を当てて考える仕草をし、だよなぁ、と呟いた。町内放送の組員を引き入れているくらいに手回しの良い連中なら、そちらにも考えが及んでいる可能性がないとは言い切れなかった。



――――――



 空の薄赤色が地平線ぎりぎりにまで追い遣られていた。シュイたち4人はキャノエの南東にあるレムース教会を目の前にしていた。地面にはピエールが剣で描いたコの字の痕跡がまだ残っていた。掘られた地肌の両側には焼け焦げた跡が見受けられる。


 大量にあった大毒蜂の死骸は残らず片付けられていたが、蜂に体当たりされて(ひしゃ)げた扉はまだ直されていなかった。4人は空いた隙間から一人ずつ教会の中に入っていく。


 教会の中は閑散としていた。入り口があの状態であるから、未だ教会としての役割は回復していないのだろう。昼間は神聖で荘厳な雰囲気のある教会も、薄闇の中ではどこかおどろおどろしさに包まれている。如何にも何かが出てきそうな雰囲気があった。


「誰もいないようだな。もしかしたら逃げたか?」

<……いや、いるみたいだ>


 シュイが間近にいる三人に念話を送った。教会に入る前から警戒網を張り巡らせ、周囲に潜む何者かの気配を複数感知していた。明確な殺意を持つ者たちを。


 慎重に教会の中央へと進んでいくと、聖壇の奥で人影が動いた。牧師が外からの夜光に照らされ、悠然と姿を現した。


「夜間の不法侵入とは感心しませんね。軍を呼びますよ」

「軍を呼んで困るのは、そちらの方ではないのかな」

「……ほぅ、これは異な事を」


 牧師はシャガルにゆっくりと向き直った。人の良さそうな顔はどこへやら、口の両端は醜く釣り上がっていた。4人の傭兵相手に、無策でこんなに余裕を保てるわけがなかった。シュイは敵の正確な人数を察知するべく、素早く教会周辺にいる気配の位置を探った。


<少なくとも、教会の奥に4人……屋根の上にも同じくらい>


 シュイの念話を受けた3人が、それとわからないくらいに小さくうなずいた。


「どうせ教会内のどこかに調香具があるんだろ? それが見つかった時点で手前もおしまいだ」


 ピエールの指摘に牧師は一瞬動揺したようだったが、すぐに落ち着いた表情に戻る。


「……やはりばれていましたか。ならばむしろ、ここまで来てもらって感謝するべきでしょうか」

「やれやれ、牧師が殺人とは世も末だな」


 シャガルが救えないとばかりに肩をすくめた。


「迷える子羊が救いを求めていたので、救ってやったまでですよ。生きる苦しみからね」


 ひとりでに舌打ちがなった。今回の目論見は失敗しているはずだ。にも関わらず過去形を使った事から推測するに、何度か似たような事を繰り返しているのは自明の理。昼間に見た資料とも合致する内容だ。


「……何でそんな回りくどい事をやる必要があった?」


 感情を押し殺したピエールの声には静かな怒りが含まれていた。任務中に蜂に殺された仲間の事が頭の片隅にあるのだと察せられた。彼の死にしたって牧師が蜂を招いたのが元凶だった可能性もあるのだ。


「ここに来たということは、あなたたちも調べたのでしょう? 信者たちの中には、死んだら財産を我が教会に寄贈する者がかなりいます。ですが、私が直接この手で殺せば当然罪になりますし、かと言って暗殺者を雇うとなるとそれに金がかかるし足も付きやすい」

「それで、魔物を誘き寄せたのか」

「まぁ、そんなところです。素晴らしいアイディアだと思いませんか? 幸い、私は魔法薬学を専攻していましたのでね。蜂を誘引する物質を作るのにも、そんなに時間はかかりませんでした」


 得意気に話す牧師に、4人が軽蔑の籠もった目を向けた。人を救うべき薬学を自己満足のために、あまつさえ死に至らしめるために使うなど、到底許し難いことだった。


「……女王蜂もあなたが?」

「女王蜂……?」


 ピオラの問いに、牧師は不思議そうな顔をした。シャガルは牧師を値踏みするかのように目を細めた。


「そんじゃ、最後にもう一つ訊こう。あの蜂の群れの中で生きていられると思っていたのか?」

「愚問ですね。私がそんなへまをするわけはないでしょう? 蜂が近寄らない物質も調合済みですよ」

「……呆れたもんだねどうも、その才能が別のところに役立てば良かったな」

「それこそ余計なお世話です。全く、あなたたちのおかげでとんだ無駄手間を取らされました。覚悟は宜しいですね?」



 おもむろに牧師は親指と人差し指を合わせて音を鳴らした。パチンという音とほぼ同時に、黒い影が4つ、教会の奥から飛び出してきた。後ろに視線を送れば入口側からも数人中に走って来ている。

 相手側に唯一つ誤算があったとすれば、こちらがそれを予期していたことだろう。挟み撃ちにされたはずの4人に一切動揺は見受けられなかった。

 シャガルがいち早く上級魔法の詠唱に入り、呪言を結ぶ。


「<風嬰の円環(フォレスティン・サークル)>!」


 シャガルの詠唱が教会の高い天井に反響した。4人を囲うように小さな風の輪が出現。敵が襲いかかってきた刹那、一気に外へと展開する。


「ぐああっ!」

「がはっ!」


 迫り来る男たちが、ドンッという音と共に後方へと弾き飛ばされた。目を見開いた牧師のすぐ脇を通り過ぎ、教会の壁に強かに叩き付けられた。

 教会に規則正しく並んでいた机や椅子がドーナツ状の突風に圧され、衝撃音を伴って四隅へと押し込められた。中央にはぽっかりと(いびつ)な円形のスペースが出来上がっていた。

 入口側から走ってきた三人の内の一人が、椅子の流れを目で捉え、跳躍して不可視の風圧を回避した。が、飛んだ先には小さな影が待ち構えていた。ワンピースのスカートを(めく)れぬよう両手でしっかりと押さえているピオラだった。


「なっ―――ぐっ」


 ピオラの控えめな回し蹴りが男の顎を捉えた。頭を揺らされた男が不恰好な体勢で、配列の乱れた机の上に墜落した。派手な音が響く中、ほとんど音を立てることなくピオラが着地し、ゆっくりと身を起こした。


「……ば、馬鹿……な」


 ものの十数秒で勝負は決していた。予め暗殺者を雇っているとは念の入ったことだが、本来不意打ちは力に劣る側が使う方法。気配を悟られた時点で著しく不利になるのは自明の理だ。襲う側に己の優位を戒めるだけの心が無ければ使うべきではない。牧師が大物ぶって指を鳴らした時点で、勝敗は決まっていたようなものだ。


「全く、こんなくだらない理由で無差別殺人たぁ反吐が出る。――けじめ、付けさせてもらうぞ」

「ま、待て……落ち着け……」


 カツンと高い靴の音が鳴った。長剣を構えてにじり寄ってくるピエールに気圧され、牧師が二歩三歩と後ずさりした。その直後――



「同感だな。貴様のおかげで全てが台無しだ」


 教会内に響いた低い声がその場にいた者たちの鼓膜を震わせた。


「――うがっ!?」


 声の主を見つけるよりも先に、牧師の身体が前後に揺れ、ゆっくりと宙に浮き始めた。シュイが見開きかけた目を細めると、黒い線が牧師の身体に巻き付いているのが見えた。


<金属糸だ、警戒しろ!>


 黒塗りの鋭利な鋼糸が、信者の血と肉で太った牧師の全身に絡み付いていた。さながらハムのようにきつく縛られた牧師が、手足を震わせながら苦悶の声を上げた。かと思った時には一気に宙に吊り上げられ、腹や手足に食い込んだ糸から血が滴り始めた。


「……あ、あが……あ」

「……何もんだっ、どこにいやがる!」


 ピエールが素早く辺りを見回した。ややあって、教会の最奥にある聖壇の傍らに佇む影を視界に捉えた。


「わかってんのか、数年間だぜ? 綿密に進めてきた計画にケチをつけやがって。どう責任を取るつもりだ、あぁ?」


 いきり立つ影が拳を引く所作をすると、黒糸が先ほどにも増して牧師をきつく締め上げた。分厚い脂肪に深々と切れ目が入り、糸からは満遍なく血が滴り、床を紅色に染めていく。太い首にも食い込んでいるのか、牧師はまともに声を発することもできないようだった。


「……あ、……ぼ」

「おい待て、そいつにはまだ色々と訊きたい事があるんだ。勝手に殺すな」


 シャガルの命令口調に反応し、男から発せられていた圧力が一気に増した。


「……何だぁおまえ、偉そうに。まさか、俺に命令しているつもりか?」



 発された声に空気が震え、表皮を断続的に刺激していく。シュイは自然と両手の平に汗が滲み出るのを感じた。ねっとりとした不定形の殺気が教会内に充満していくのが見えずともわかる。

 男の体から発されている威圧感は、アルマンドのそれに近いものがあった。準ランカークラス。強靭な体と瞬く間すら見逃さないだろう目敏さを併せ持つ強者。

 シュイは頭の中に生じた「勝てるのか」という疑問を、全身に力を籠めることで掻き消した。

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