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第九章 ~(3)(改)~

「それで、私に訊ねたいことって?」


 頬杖を付いたニルファナを見ながら、アミナは頬張っていたパスタを適当に咀嚼し、音を立てて飲み込んだ。


「うむ、塩気は少し薄いがなかなか美味。さて、話というのは他でもない。人伝に聞いたのだが、シュイという傭兵はあなたがギルドに推薦したらしいな」

「うん、そだけど」


 フォークを置いたアミナの視線が、鋭さを増した。


「単刀直入に聞く、やつは一体何者だ?」


 ニルファナはアミナの視線を平然と受け止めながら天井を見遣った。

 

「うーん、一言で表すのはなかなか難しいね。敢えて言うならお姉さんのお気に入り、ってとこかなぁ」

「い、いや、そういうことではなくて、だな。火傷と偽ってまで顔を隠しているくらいだ。何かしら後ろ暗い事があるんじゃないのか?」


 何気ないアミナのカマかけに、事情を知らぬニルファナはやれやれと肩をすくめた。


「アミナちゃんも勘が鋭いね。もう少し引っ張れるかと思っていたけれど、まさかこんな短期間で見破られるとは予定外だったかも」

「……認める、のか」

「そこまで疑われてちゃあ否定しても同じことでしょ。それにしても火傷ねぇ。もー、あの子ったらそんな古典的なを使って、遅かれ早かれバレるに決まってるじゃないの。賢い様でいて変なところが抜けているんだから」


 肩をすくめたニルファナに、アミナは少々拍子抜けしたように椅子を引いた。


「何だ、やっぱり火傷というのは嘘か」

「ふふん、やっぱりカマかけてたんだね」


 ニルファナは手に顎を乗せたままニッと微笑んだ。


「そこまでわかっていたのか。その割には、隠す気もなさそうだが?」

「できることなら隠し通したかったけどね。聡明なアミナちゃんなら、私やシルフィールの置かれている立場をわかってくれると判断しただけだよ。下手に隠してシュイがアミナちゃんに公衆の面前でひん剥かれちゃっても困るし。絵面的には売れそうな気もするけれどさ」


 どんな想像をしたのか、アミナは微かに頬を赤らめた。


「さ、流石にそんな真似はしないが」

「そう願ってるよ。とりあえずもうしばらくでいい、シュイの扱いについては私に任せて欲しいんだけどな」


 ニルファナがアミナの顔色を窺った。けれども、アミナの表情は変わらなかった。


「あなたのことは傭兵として、一人の女性として尊敬している。可能な限りはそうしたいところだ。が、それは話如何に寄るな。まず、我が国に仇なす可能性は?」

「ゼロだね。少なくともこの国には利こそあれ害はないよ」

「即答か」

「……食べるの早いね」


 アミナが皿を重ねていくのを横目で見遣り、ニルファナが眉を上げた。既にアミナは堆く盛られたパスタ三皿を平らげているが、食べるペースは最初と全く変わっていなかった。


「育ち盛りだからな。それに辰力を使うとやたら腹が減るのだ」


 アミナはそう言いながらも、サラダのレタスを兎よろしくもきゅもきゅと頬張った。


「羨ましいやつめ。お姉さんがそれだけ食べたら非常にまずいことになるのに」

「――んぐ、燃費が悪いのに羨ましいとは如何なものか」

「物は言い様だね。そうやって食べていられるのも、いいとこ二十歳までだよ」


 そんな話をしてる間に、ウェイターがトレイを持ってやってきた。


「大変お待たせいたしました。シナモンスティックティーとスペシャルツナサンドでございます」

「おー、きたきた」

「ウェイター、すまないがミルフィーユ追加で」

「あ、はい。畏まりました」


 アミナはサラダを平らげ、今度はデザートに手を付けている。


「……底なしだね」と、ニルファナはアミナのお腹に視線を送り、首を捻った。その平坦さを見る限り、先ほどまでそこにあった山の様な食べ物が収められているとは到底思えなかった。どうにも、物理法則では説明のつかない胃袋を備えているようだ。


 アミナは林檎程の大きさがある象苺を両手で持った。余程の好物なのか食べるペースを落とし、ゆっくりと味わっている。幸せそうだなぁと褐色の目を細めつつ、ニルファナは長方形のツナサンドを一つ掴んだ。


「――で、どこまで話したか」

「フォロストロームに仇なす云々。それは絶対にないね」

「なら、何があるんだ? そもそも、あやつを庇うメリットがあなたにあるのかがわからぬ。一体何を企んでいる?」


 ニルファナは小さく口を開け、端の方からパンを食べ始めた。


「んむ、お姉さんはあの子に選択肢を提示したかっただけだから。もし万が一、無関係な人たちにまで災いを成すような事があれば、この手できちんと始末を付けるよ。アミナちゃんが手を下すまでもなく、ね」

「……あなたは先ほど、シュイの事をお気に入りとか言ってなかったか?」


 ニルファナは即答を控え、カップの取っ手をゆっくりと持ち上げた。少し間が空いて、ウェイターがラストオーダーのミルフィーユを運んできた。


「お待たせいたしました。ご注文は以上で宜しいですか?」

「うむ」

「大丈夫」

「では、ごゆっくりどうぞ」


 ウェイターは頭を下げると早足で戻っていった。その背中が遠ざかるのを見計らい、ニルファナはカップを口から下ろした。


「――そうだよ。お気に入りだからこそ、って言うべきかもね。でも、実はお姉さん、あまり心配してないの。あの子ならきっと明るい未来を見出せるって信じているからさ」


 アミナの目から見てもニルファナは嘘を言っていないようだった。が、一つ引っかかる言い回しにも気付いていた。


「――そうか、ならばいい。あなたほどの方が信を寄せているのであれば、私が危惧したような事態にはならないだろうし」

「ありがと。流石アミナちゃん、話が分かるね。それはそれとして、シュイとはもう対面済み?」

「うむ、実はキャノエで彼と会う機会があってな。タイミングがタイミングなだけに、我が国で何かやらかさないかと少し不安になったのだ」

「意外と心配性だね。それにしても、タイミングって何かあったの?」

「うむ、実はシュイの事はあくまで序でな。こちらの方が本命なのだが――」


 アミナは自分でも気付かぬくらいの小さな嘘を口にしつつ、事のあらましを述べた。

 事情を説明する合間に、アミナは象苺を食べ終え、ミルフィーユを三口で平らげていた。


「亜種の女王蜂と町の襲撃……か。なるほどね、確かにそれはちょっと不自然かも」


 ニルファナがシナモンスティックで紅茶をかき回しながら相槌を打った。


「やはりそう思うか」

「偶然の一言で片づけるには無理があるね。焦点は、この件が人為的なものかどうかだけど」

「あなたは魔法全般に精通していたな。屍術言語以外にもたくさんの生き物を一度に操るような魔法は使えるのか?」

「もちろんできるよ。幻を見せたり、催眠にかけたりね。ただ、そういうのはある程度知能が高い生き物に限るから、昆虫に使うのは難しいと思うな。魔物に対する呪印での強制使役も考えられるけど、あれはどちらかというと少数向きだから」

「そうか……、振り出しか」


 アミナは悔しげに下唇を噛んだ。人為的なものである以上、絶対に何らかの魔法が関わっていると信じて疑わなかった。


「いーや、別の方向からアプローチすれば出来ないこともないね。魔法とはちょっと異なるけど。――アミナちゃんは、フェロモンって知っているかな?」


 質問されたアミナは腕を組み、宙に視線を移す。


「ええと……うろ覚えで恐縮だが、動物や昆虫の出す匂いの事だと認識しているが」

「そうそう、大体そんな感じ。念のため補足しておくと、特定の動物の体内で生成され、外に分泌することによって周りの動物にある一定の行動を起こさせる物質なんだ。近年、魔法薬学の分野で証明されたばかりだけどね」

「なるほど。それを使えば使用者の意図した行動を起こさせることも可能というわけか」

「うん、そうだね。仮に人為的に起こしたとするなら、犯人は調香師や魔法薬師に準ずる人かもね。動物を集合させるものや、中には攻撃性を増加させたりするものなんかがあるんだけれど、それに似た物質を作って風上から流したのかも知れない。魔法薬学と動物生態学に精通した人なら、やってやれない事はないはずだよ」

「そうか、わかった。付近の学者を調べてみるとしよう。ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ」

「……こちらこそ?」

「ん、アミナちゃんからシュイの近況を聞けるとは思わなかったからさ」


 そういうことか、とアミナは納得顔でうなずいた。その言葉は同時に、ニルファナのシュイに対する想いの深さを表している気がした。


 だが、人為的にやったのだとして、大きな問題が一つ残っていた。そんなことをした動機、目的だ。一見すると無差別殺人。ある程度の犠牲者が見込まれるにせよ、蜂の群れくらいで大きな町一つ落とせるとは考え難い。とすると、他に何かしらの狙いがあって町を混乱に陥れたと考えた方が自然だ。


「一番手っ取り早いのは、流した人を捕まえて聞いてみる事だね。今回の報告書を見れば集合した場所もある程度わかるだろうし、目星も付けやすいんじゃないかな」

「集合した場所、か。……もしやっ」


 アミナの顔が険しさを増した。何故、エリクから報告を受けた時にその不自然さに気が付かなかったのか。蜂たちとの最大の激戦地、キャノエの南東にある教会。いかに孤立した建物とはいえ、一つの建物如きにあれだけ蜂が密集していたのは不可解だった。


「……念のために、当時の風向きを調べねばならないな。重ねて感謝する、おかげで尻尾が掴めそうだ」


 膝に手を当てて頭を下げたアミナを見て、ニルファナはカップの淵から唇を離し、微笑を湛えた。この娘もシュイに負けず劣らず良い子だと。

 王族という立場を笠に着ることはなく、何が大切なことなのかをこの年齢にして理解している。民たちの支持が絶大なのもうなずける話だった。このひたむきさは、万人に応援したいという気持ちにさせるひとつの才能だった。


「ううん、参考になれば何よりだよ。もしそうなら、シュイの疑いも大体晴れたかな?」

「この件に関してのみならそうだな。ところで、ギルド内で他に知っている者は?」

「まだいないはずだよ。だから、もうちょっとだけ待って欲しいな。時が解決してくれるはずだからさ」

「……わかった、これで貸し借りはなしだな。 ――っと、最後にもう一つだけ良いか?」

「ん、何かな?」


 ニルファナはアミナがそわそわしているのに気付き、どうしたんだろうと首を傾げた。アミナは質問をした後の会話内容をシミュレートしていた。

 まずはストレートに聞いてみた場合を考えた。


「……その、シュイはどんな顔をしているのだ。」

「あれ、まだ顔を見たわけじゃないの?」

「あ、ああ。一応見せて貰う約束はしているが」

「じゃあ、その時のお楽しみにしておいたら?」

「それもそうなのだが……どうにも気になってな」

「あら、何で?」

「あ、あやつが変な事を口走るから悪いのだ」

「え、何々? どんなこと喋ったの?」

「……い、言えぬ」

「あら、愛の告白でもされちゃった?」


 目も当てられない、最悪な流れだった。

 アミナはぶんぶんと頭を横に振り、質問を練り直した。年齢を訊ねてみようかとも考えたが、正体を隠したいニルファナが本当の数字を教えてくれる可能性は低いだろう。仮に彼女が本当のことを言ったとして、自分の信じる心が足りなければ意味がない。加えて今までの会話の流れから、アミナはシュイの年齢に対しておおよその見当を付けていた。


 ならば、出来るだけ当たり障りのない事を訊いておくべきだ。その上で、聞けることを取捨選択すればいい。アミナはそうと意を決して口を開いた。


「シュイの実力はどれくらいのものなのだ? あなたほどの者が推薦したからには、もしや私よりも強いのではないか?」

「あの子がアミナちゃんより? あはは、それは流石にないよ。少なくとも今はね。ここだけの話、アミナちゃんは来年のランカー昇格候補として名前が上がることもあるくらいだから。これはAランクに上がったばかりの傭兵には異例なことだよ」

「そうなのか。それは素直に嬉しいな」

「もちろん、他にも候補者はいるからまだ何とも言えないけどね。あるいはデニスさん、レッドフォードの可能性も捨て難いかな。まぁ、来年が無理だとしても、遠からずアミナちゃんはランカーに指名されると思うよ。贔屓なしにね」


 アミナがナプキンで口元を拭いながらうなずいた。シルフィールでもっとも優れている点は、上層部が面子や肩書きに囚われないことだ。徹底した実力主義を敷いているからこそ、武名を金で買ったなどと陰口を叩かれずに済む。アミナがシルフィールを選んだのは、特別扱いをしない気風が気に入ったからだった。


「本当、ここは自由な気風を好む人が多いよ。シュイもそれに感化されてくれるといいんだけどね」

「感化?」

「詳しくは言えないけど、シュイは心に深い傷を負ってる。ショックで狂わなかったのが不思議なくらいのね」

「何だ、意外と繊細な奴なのか?」

「あの子の心は(つよ)いよ。……だから尚更、不憫でしょうがないんだ」


 ニルファナの表情を見て、アミナは二の句を継げなかった。哀しさと愛しさが入り混じったような、それでいて、感情を表に出すまいと堪えているような顔をしていた。だがそれも、数秒後には跡形もなく消え去っていた。


「ま、必要以上に気にしてもしょうがないね。シュイは自らの道を自らの意思で選び取った。私はちょっとだけ前を向く手助けをしただけ。あの子は相応の覚悟を以って傭兵の道を選んだ。人にはない才能もある。だから絶対に強くなるはずだよ。あまりうかうかしていたら、私も追い付かれちゃうかも知れないね」


 ニルファナが口にしたその言葉は、アミナに微かな驚きを喚起させた。



 話がひと段落し、アミナは勘定を先に一括して払った。そして、もう少しこの場にいるというニルファナに別れを告げた。仮に大毒蜂の襲来が人為的なものであれば、迅速な措置を取らねばならなかった。


 アミナは走りながらも先ほどの会話を思い浮かべた。知らせる意図があったかはわからないが、ニルファナの言動の端々からは、シュイの正体を探るに足るヒントがあった。


 まず、『無関係な人たちに害が及ぶような事があれば始末をつける』という言葉。それを裏返せば、シュイは関係者に対して――それが告発、断罪、殺害、どういった種類のものかはわからないが――ともかく害を及ぼそうとしているということになる。そして、そこまでなら彼女が見逃すつもりであることも読み取れる。

 そして気にするべきことがもう一点。先ほどニルファナは、今はシュイよりもアミナの方が強いと断言した。口振りからしてそれが本心かそうでないかくらいは察する事が出来た。しかし、重要なのはそこではない。

 今現在、準ランカーであるアミナより実力の劣るシュイが、果たしてランカーであるニルファナに追いつかれるかも知れないと危惧させるほどの成長を示すものだろうか。仮にそれがリップサービスではなく本心だとして、ある程度完成された実力を持つ成人がそこまでの成長を見せるとは考え難い。

 成長期。その一語がアミナの頭に浮かび上がった。ニルファナが何気なく口にした『あの子』という言葉は、親しみを籠めているだけではなく、シュイの年齢を本来の意味で表しているのではないか。考察を重ねた結果、アミナはその答に至っていた。シュイは自分と同年代の可能性が高い。そして、世界にはそれくらいの年代の重犯罪者も存在する。


 ――ニルファナにはああ言ったが、後で調べておかねばな。


 アミナはその思考を一旦頭の端へと追いやり、走る速度を上げた。



 アミナと別れた後、ニルファナは頬杖を付いたまま、物憂げな表情で海を眺めていた。想い人を恋い慕い、切なげな溜息を漏らす麗人。周りの店員や客たちにはそのように見えていても不思議ではなかった。


 ――シュイのバカチンめー、何て芸のない言い訳を。どうせなら本当に顔を醜く焼いて、お姉さんと会った時だけ顔を治す、という風にすれば確実だったのに。


 そのような怖い事を至って真剣に考えていたニルファナだったが、ばれたものは今更どうしようもなかったし、キャノエでの華々しい活躍は面目躍如とも言えるだろう。ひとまずはお灸を据えるくらいに留めておこう。ニルファナはそうと決め、無造作に立ち上がった。



 シュイが傭兵になってから早一ヶ月。ちょうどこっちの仕事も区切りが付いた。会いに行くタイミングとしては、悪くなかった。

 店の外に出たニルファナは、親指と人差し指で皮膚を(つね)る様な所作を幾度となく繰り返した。そして、そうされるシュイの顔を想像しては、にまにまと笑みを浮かべるのだった。

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