第八章 ~(3)(改)~
店内の活気がいや増す中で、周りのテーブルにはちらほらと料理が並び始めた。集まった傭兵たちは待ってましたとばかりに肉や魚にがっつき始めた。
「けど驚いたな。凄腕だとは思っていたけど、まさか二人があのフラムハートの傭兵とはね」
ピエールの言葉にシュイも同意を示した。大陸最古のギルドにして最強と名高いフラムハート。知名度で言えばシルフィールより遥かに格上の存在だった。
シャガルはシャンパンを口に含み、二人の方に視線を戻した。
「確かに台頭していた時期は長かったようだが、昔の話さ。四大ギルドならどこも同格と見るべきだ」
その言葉が本心なのか、それとも謙遜からくるものなのか、ギルド間の勢力図に疎いシュイには読み取れなかった。
話が途切れたところで、テーブルの上に腕を乗せていたピオラがこちらを向いた。贈った髪飾りを早速つけてくれていることに、シュイは心の中で感謝した。
「……二人のランクは?」
「恥ずかしながら、まだ二人ともCランクの駆け出しなんだ」
ピエールがきまり悪そうに頭を掻くと、ピオラは少し驚いたように眉を上げた。
「……ちょっと意外」
「あら、Dだと思った?」
そう訊ねると、ピオラは慌てて首を振った。
「……違う、Bかと」
「あははは、そりゃ光栄だ」
ピエールは照れ隠しに笑ったが満更でもなさそうだった。
「少数精鋭は伊達じゃないってことか、こりゃあ俺たちもうかうかしてられないな。そうそう、これも聞こうと思っていたんだが、シュイ」
「ん、なんだ」
「おまえ、あの時念話を使っていただろ? 一体どこで覚えたんだ? あれはフラムハートでも一握りの傭兵しか使えないんだが」
シャガルが興味津々といったふうに訊いてきた。魔法を扱う者が上位魔法へ関心を向けるのは理解出来た。誰しも自分の持っていない物には憧れを抱くものだ。シュイにしても、シャガルが駆使する強力な攻撃魔法を羨ましく思っていた。
「念話はニルファナって人に教わった。一応ランカーなんだけれど、知っているかな?」
ピオラとシャガルが口を半開きにしたまま顔を見合わせた。その様子を見て、シュイは肯定だと受け取った。
「へぇ、やっぱり有名なんだな、彼女」
シュイが感心したようにうなずくと、ピエールが呆れたような声を出した。
「聞くまでもないだろ。彼女のことを知らない傭兵なんてモグリもいいところだ」
わざわざ訊ねたシュイもシュイだ、と言わんばかりにピエールは大袈裟に万歳してみせた。
「はは、まぁそうだな、名前の方も珍しいし。<フラム・ガーディアン>の一人にマスター候補と噂されているアークス・ゼノワって人がいてさ。ニルファナ・ハーベルは通っていた魔法アカデミーの同期だったそうだ」
ガーディアンという言葉には覚えがあった。図書館で読んだ本に出ていたフラムハートのマスター直属部隊だ。記憶を探っているシュイを差し置いてピエールが相槌を打った。
「へぇ、ゼノワ家っていやぁ過去にも幾多の優秀な魔法使いを輩出してきた名門だろ?」
「そうだ、アークスさんとは面識があるから何度か話を聞いたことがあるよ。あの人の年代は突出した才能の持ち主が多かったんだ。アカデミー始まって以来の、所謂<奇跡の年>ってやつだな。ハーベルさんはその猛者たちを退けて首席で卒業した才媛。各機関がこぞって彼女の争奪戦に参加したって話は今でも語り草だ」
「……そりゃあ初耳だ、そんなとんでもない人だったのか」
「確かケセルティガーノの新王、オルネストもアークスさんと同期だったはず。その二人を差し置いて首席になったんだから、大陸でも指折りの魔法使いなのは間違いないぜ」
ケセルティガーノと聞いてシュイが一瞬反応を示した。レグナールの南東、フォルストローム、セーニア教国のある大陸と、ルグスプテロン連邦、エレグス王国のある大陸の狭間。世界の中心部に位置する小さな島国。国土は大きくないものの貿易港を多く持ち、世界各国から様々な人や物が流入している懐の深い国だ。
「アークスさん曰く『面倒見が良く、非常に出来る女性だが彼女の怒りに触れて生きていられる者はいない』。彼にそうまで言わせる人は他に知らないよ。もしかしたらシルフィールよりフラムハートでの方が彼女に対する評価は高いんじゃないかな」
「……女傑」
ピオラがシャガルに同調した。ニルファナの強さは身に沁みていたし、その評価が、おそらくは過分でないこともわかっていた。彼女の怒りに触れて、という件に関しては疑う余地もない。のほほんとしている彼女にすら殺されかけたのだ。あの力が明確な敵意を、殺意を以って一方向に集約したらと思うと、どんな天災よりも恐ろしく思えた。
だが、シュイは知っていた。実際会ってみればさり気ない優しさと奔放な性格、際立つ容姿の美しさが強く印象に残ることを。滲み出る魅力が彼女の持つ爪や牙、圭角を丸く見せるのだ。
話が途切れた合間を見計らうように店員の声が響いた。
「お待たせいたしました。フェルモーネとスカイタートルの燻製、食肉樹と胡桃の炒め物にございます」
「―――食肉樹!?」
シュイが素っ頓狂な声を上げ、身を引いたのを見て、シャガルとピオラは顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
「なんだ、おまえ初めてなのか。心配しなくても意外と味は良いぜ。筍みたいな食感で全然生臭くない。味は、そうだな……、赤身の魚肉に近いかな。結構な高級食材だ」
ピエールが手短に説明した。
「そうそう、始めからハーブ肉を食うと思えばなんて事もないだろ。おまえだって、普段は意識しないで肉食の動物食ってるだろ?」
「……ま、まぁ確かに」
そう言われればそうだな、とシュイが曖昧にうなずく間に、ピオラがきっちり4人分、料理を小皿に選り分けていた。食べずにやり過ごすのは無理そうだった。
「……はい」
「あ、ありがとう」
どこか悪戯っぽい笑みを浮かべるピオラに差し出された皿を受け取り、シュイは盛られた料理をしげしげと眺めた。短冊のように切り揃えられた樹肉の色は黄と橙の中間色。シャガルの言った通り、仄かに香草の匂いがするくらいで血生臭さは感じられない。
「……冷めないうちに」とピオラから催促が飛んだ。
「い、頂きます」
震える箸先でなんとか一切れ摘み、恐る恐る口に運ぶ。一瞬の躊躇の後、ええいままよ、と口に放り込んだ。
美味しい。ピエールの指摘の通り、筍のようなシャキシャキとした食感。一つ大きく異なる点は、噛むと口一杯に肉汁が溢れ出るところか。
「どうだ、意外といけるだろ?」
「……だな、ちょっとしたカルチャーショックだ」
もう一片箸で摘むシュイを見て、三人は顔を見合わせて笑った。
フェルモーネで再び乾杯し直し、話が元の方角に傾いた。ふと隣を見ると、ピオラが燻製肉を懸命に咀嚼していた。小さい口に頬張る姿はジリスや兎の食事風景を髣髴とさせた。
「まぁ、お前の得体の知れない強さにも合点がいったよ。武器の扱い方はともかく、念話に障壁魔法に付与魔法と一通りこなすんだからな。それでCランクっていうのはちょっと有り得ないと思ったんだが、通りでな」
シャガルが酒をあおりながら言った。武器の扱い方を華麗にスルーされ、どこらへんが不味かったんだろう、と自問自答する。ピオラの短剣捌きやピエールの投げナイフに比べれば児戯に等しいかも知れないが、全く問題視されないのもそれはそれで悔しい。
ごくりと肉を飲み干したピオラが、ナプキンで口を拭いながらシュイに紫色の瞳を向ける。
「……ハーベル、師?」
少し考えた後でシュイはゆっくりと首を振った。先生って呼んだら殴られた記憶があるから、師匠って呼んだらもう少し酷い目に遭いそうだった。
「面倒見の良いお姉さんってところかな。どこか掴みどころのないところはあるけど、意外に優しいし人当たりも良いんだよ」
「……ふーん」
自分から訊ねてきたくせに、ピオラは何故か面白くなさそうにそっぽを向いた。
「アークスさんも再三そんなこと言っていたっけなぁ。彼女、相当な美人なんだろ? ちくしょー! 俺も綺麗なお姉様に手取り足取り教わりたいぜ」
大袈裟に拳を震わせているシャガルにシュイは苦笑いした。少なくとも訓練中にそんなことを気にする余裕は全くなかった。ニルファナは体に負担が出ないように心身を苛め抜く天才だ。それに、生半可な常識では推し量れないところもある。何分『ちょっと暑いから涼しくするね』とか言って雨雲を呼び寄せるような破天荒さがある。
それを説明した所でようやくシャガルの締まりのなかった顔が強張った。易々と天候まで変えられるとは思っていなかったようだ。
それが普通の反応か、とシュイが独りごちた。彼女の規格外の行動に毒されていることに、しかし悪い気はしなかった。
少しして、シャガルが席を立った。知り合いの傭兵に挨拶するというようなことを口にしていた。周りを見れば結構席を入れ替わり立ち替わりしている者もいる。それを見てシュイは、大人数での飲み会はこういうものなのか、と一人感心した。
「そう言えば、火傷の方は大丈夫か?」
「……んと、ピオラ?」
「そう、ピオラ」
うなずいたシュイに、ピオラははにかみながらテーブルの下にあった小さな手を照明に透かすように掲げ、ひらひらと動かして見せた。指の動きも滑らかでこれといった後遺症は見受けられない。
「……ご覧の通り」
神経が焼き切れていないかと心配していたが、取り越し苦労のようだった。フラムハートにもデニスのように腕の良い治癒術師がいるのだろう。表皮が焼け焦げ、赤い筋肉が剥き出しになっていた手とは思えない。しかし、薄らとではあるが痕が残っているのを見てシュイの顔が曇った。
「ごめんなピオラ。ずっと痛みに耐えていたのに気付いてやれなくって」
「……大丈夫、これくらいそのうち消える」
ピオラがそう言って首を横に振った。シュイは首を縦に動かした。
二人の横から、店の従業員がトレイから二つグラスをテーブルに置く。
「お待たせいたしましたー。レッドマリンとサウザントリーフです」
深緑色の酒と血の様な紅の酒をシュイとピオラは互いに手に取り、顔を見合わせ、どちらからという事もなく乾杯した。
しばらくすると酒が廻ってきたのか、ピオラの白い顔には赤みが差し、舌も滑らかになってきた。もっとも彼女の場合、それでようやく普通くらいの口数だった。
「……シュイ。出身地どこ?」
「ん、俺? 生まれはケセルティガーノの田舎村だよ。ピオラは?」
「……ルクスプテロン連邦」
「ああ、そういえばさっきも言っていたね」
「……ん。兄弟いる?」
「残念ながら一人っ子だ。そっちは?」
「……姉と弟が一人ずつ」
「へぇ、賑やかでいいじゃないか。みんなも傭兵なの?」
「……ううん。姉様は国軍にいる。弟はまだ小さいからお家」
そんな身の上話をしている折、シャガルがエリクを伴って、というより絡まれながら戻ってきた。
「どうだ、楽しんでいるか?」
そう言うなり、エリクはウイスキーの瓶を咥え、直接口に流し込んだ。流石にラッパ飲みは酒の作り手に失礼のように思われたが、口にはしなかった。
シャガルがエリクから少し距離を取った。しかめ面から察するに、酒臭かったのだろう。ご愁傷様と、同情を視線に乗せると、シャガルが苦笑いを返した。
「ああ、お陰様で」
「ははは、それなら何よりだ。今回の件では本当に助かった。君らがいなければ、少なくともあの教会にいた者たちはまず助からなかったはずだ」
「とんでもない、シャガルとピオラの力無くしてはとても対処し切れなかったさ」
シュイが二人を指し示すと、シャガルがまんざらでもなさそうに胸を張った。
「いやいや、そんな本当の事を言わなくても」
「……シャガル」
ピオラは憐みを籠めた目をシャガルに向けた。
「しかし、あれだけの数の蜂が一斉に襲って来るとはなぁ。再度襲撃に来ないとも限らないし」
ピエールが思慮深げな顔を作った。何だか似合わない、そう思ってしまうのは失礼だろうか。
「……ああ、いかん、いかんな。俺としたことが肝心なことを言い忘れていた」
「……まさか、あの後何かあったのか?」
顔を険しくしたシュイに、エリクが大きな手を振った。
「違う違う、実は昨夜遅くにフォルストローム軍より連絡が入ってな。軍が蜂の巣を探し出し、異常繁殖の元となっていた女王蜂を仕留めたそうだ」
「え、それ本当か!」
ピエールが驚きの声を上げた。元々蜂は集合体を作る習性があるため、巣があるのは自然な流れだ。あれだけの敵を相手にし、敵の陣地に乗り込むことの危険性を理解しているからこそ驚いたのだ。
「ああ、奇しくも我々が蜂の駆除に当たっていたのと同じタイミングで討伐に向かっていたらしくてな。巣にも火を放ったようだし、少なくとも大軍に襲われる心配はなくなった」
「そうか、フォルストロームの軍兵って強いんだな。巣っていうくらいだから相当数の大毒蜂がいただろうし、女王蜂だって相当手強いんじゃないか?」
さもあらん、といった風にエリクがボトルをテーブルに置いた。
「討伐隊だけならばてこずったかも知れぬが、姫様が同行されたからな。魔物等物の数ではあるまいよ」
「姫様、ってフォルストロームの? そんなに強いのか」
何気ない台詞に、周りの空気が凍りついた気がした。エリクは目をまん丸に見開いていた。
「な、何と! シルフィールにいるくせに姫様の事を知らんだと!?」
知っていなきゃ傭兵失格だと言わんばかりの言い様だった。
「ま、まぁ新米だし」
「そんなことは言い訳にならぬぞ! 悪いことは言わぬ、今の内に知っておけ。姫様、つまりアミナ・フォルストローム様は二年ほど前にシルフィールに入団し、わずか一年半にしてAランク、準ランカーに昇格された。祖父の獣王キーア様譲りの体術と辰力の達人であり、若干十六歳ながらもその戦闘能力は既にランカーに迫るとも言われている。好きな食べ物は魚全般。嫌いな食べ物は春菊。鍋物の時には必ず避けることで知られている。シルフィールに籍は置いているが、国の大事には自ら率先して軍の指揮に当たっている。少々男勝りなところはあるがお美しく、下々の者にまで心を砕く優しきお方だ」
大きな拳を握り締めて熱弁しているエリクに、シュイは好物まで知っておく必要があるのだろうかと首を捻る。シャガルは素知らぬ顔で枝豆を摘み、口に放り込んでいる。
「シュイも災難だな。エリクにアミナ様を語らせたら、今日は寝られないぜ」
「そ、それはちょっと勘弁してもらいたいな。昨日遅くまで報告書を書かされたせいでまだ寝足りないんだ。でも、あれだね。何ていうかアミナ様って若いのに人間ができているんだね」
仮にもフラムハートの支部長を務めているエリクにそこまで信望されているのだ。この評価には間違いがないはずだった。率直に言って、ご機嫌窺いの意識も少しはあった。
「そう、そうなのだ! 人格者であればこそ、国民は彼女に信を集めている。たとえギルドは違えども御身の一大事あらば、己の任務を放棄してでも馳せ参じる覚悟よ!」
ちらりととんでもない事を口走った。赤ら顔を見る限りかなり出来上がっているようだ。
「そんな事言っているからフラム・ガーディアンになれないんじゃないか?」
シャガルが呆れたように呟いた。
「よ、余計な御世話だ!」
「あれ、聞こえてたか」
続いて、ピオラが首をかくかくと折りながら、今にも寝てしまいそうな様子で呟いた。
「……エリク、実力充分。……でも足りない、忠誠心」
「ピオラ、お前まで!」
「全くだ。大体お前に助けられるほど弱くはないつもりなのだが、な」
「な、何だと!」
エリクが勢い良く後ろを振り返り、声の発生源を目にし、石になったように固まった。なぜか、どこかで聞いたことのあるような声だ。シュイが椅子の足を後ろに傾け、エリクの大きい図体の横から顔を覗かせた。
目が自然と引きつけられ、そこから離せなくなった。見目麗しき銀髪の少女が、腕を組んで仁王立ちしていた。