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第一章 ~(2)~(改)

「やっほ。きみ、なかなか頭の回転速いね。その年齢にしてはたいしたものだと思うよ」

 険しい道のりを走ってきた疲労を感じさせないはきはきとした声。自分にひらひらと手を振っているニルファナに、シュイは唖然とするばかりだった。

「そ、そんな、いつの間によじ登ったんだ。ってか、どうやってここまで……」

 まともな取っ掛かりがなさそうな石柱は、一目でよじ登れる類のものではないとわかる。それ以前に、追い付いてくるのが早過ぎる。最後に巨大火球の位置を確認した限りでは、少なくとも200メード近く距離が開いていた。術者である彼女がその下にいたとするならば、溶岩の河が行く手を遮っている以上、迂回しないでここまで辿り着くことは出来ない、はずだ。



 と、そこまで考えて、シュイは彼女が使役していた火球が消失していることにようやく気がついた。先ほどの広範囲攻撃で存在維持に必要な魔力を使い切ったのか。それとも何か他に理由があるのか。

 状況がよく呑み込めていないシュイに、ニルファナは思わせ振りな返答をする。

「それはまだ秘密。先に解答を言っちゃったら面白くないでしょ?」

「おもっ――って、人を殺しかけといてその言い草は何なのさ!」

「大丈夫、大丈夫。まだまだ元気あるじゃない」


 元気がもう少し足りなかったら危うく溶けているところだ。シュイは噛み合わない会話に苛立ちを募らせた。

 背後では溶岩の表面が冬場の寒気で早くも固まり始めていた。自分もその一部になっていたかも知れないと思うと心底ぞっとする。細かく震えている身体を(いさ)めようと、シュイはニルファナから目を離さずに大きく深呼吸した。

「あんた、シルフィールのニルファナ・ハーベル、だよね」

 ニルファナは自分のことを知られていたことに驚くでもなく、そうだね、と返した。

「世情に(うと)い僕でも耳にしたことのあるような大物が、こんなチンケな賞金首に絡んでくるのは光栄だけどさ。なんていうか、場違いじゃないかな」

 そう、至極当然のことながら、賞金首に追われているシュイには賞金が懸けられている。生殺与奪などの細かい規定がどうなっているかまでは知らなかったが、13の子どもにしては場違いな金額が設定されているのは確かだ。

 だが、それにしても、である。自分が知っているほどの上級傭兵が狙う獲物にしては――自分で認めるのも少し悲しいが――小物過ぎるのではないかとも思うのだ。クジラがイワシやアジを一匹食べたところで満腹にはならないだろう。

 そして、シュイの指摘が多分に図星だったのか、ニルファナはばつが悪そうに指先で頬を(いじ)り始めた。


「いやー、こちらにものっぴきならない事情ってものがあってだね。非常に言いづらいことではあるんだけど、実は依頼料の振り込まれる銀行口座の証書をどこかで落としちゃって。平たくいうと手持ちのお金がないの。ま、使われる心配はない、っていうか、私の名前を見ればその勇気も湧かないと思うけど、最近寒いから野宿はちょっとねぇ。入っている額が額だから再発行も簡単にはいかないし」

 聞いてもない事情をぺらぺらと話されているうちに、シュイのこめかみの辺りが引きつり始めた。

「だから、うん、用と言うほどの用はない! ……んだけど、ほら。おあつらえ向きに、きみが通りかかったもんだからさ。自慢じゃないけれどお姉さん、記憶力は良いんだ。懸賞金、それなりに高かったよね」

 どこか偉そうに胸を張るニルファナを前にして、シュイは頬をひくひくと痙攣(けいれん)させていた。確かに、これまでにも賞金目当てに近づいてきたやつは何人もいる。単なる金欲しさの、自分も賞金首としてやっていけそうな人相の者が大半で、依頼人の仇討ちだと息巻く暑苦しい男も少しはいた。

 だが、彼女の場合は彼らと明らかに事情が違う。賞金が必要になった理由はそもそも彼女自身の不始末が発端。なのに、目に入った喫茶店にとりあえず入ろう的な緊張感のなさ。その場凌ぎのために命を脅かされている自分が、なんだか物凄く不憫ではないか。

 沸々と、それこそマグマのように怒りが煮え(たぎ)ってくるのがわかった。そんな理不尽な理由で殺されてたまるものか。大体、寒さが気になるって言うなら今しがたアンタの出していた火の球で温まっていればいいのではないか。

 先ほどの波状攻撃を思うと流石に心が折れそうになるが、自分の命をいい宿に泊まるための軍資金にされてはたまらない。絶対に逃げ切ってやる。そう自分を奮い立たせる。


「生憎だけど、僕にも色々事情があってね、そう簡単に捕まるわけにはいかないんだ。悪いけれど見逃してくれないかな。お互い、もっと有効な時間の使い道を考えようよ」

 精一杯虚勢を張るシュイに、ニルファナはどこか愉しそうに目を細めた。

「ホント口が減らないねぇ。でもそういう小賢しさって、お姉さん好きだよ」

 好きとかいう台詞にいちいち反応する自分の心臓に嫌気が刺す。今が命の危機ということをわかっているのだろうか、こいつは。

「……宿代が欲しいんでしょ。ちょっと待ってて、それくらいのお金なら出すから」

 おもむろにシュイがポケットに手を突っ込み、ごそごそと中を(まさぐ)り始める。指先に触れたそれをしっかり掴むと、手首を捻って角度をポケットの中で調整する。


「ん、何やら良からぬ事を考えてそうだね」


 視線だけを忙しなくあちこちに向けているシュイを見て、ニルファナが再び手を掲げる。それを見計らい、シュイはおもむろに掴んでいた物を取り出した。


「――わっ、ちょっ、眩しっ!」


 左手に取り出したのは尾行を確認するために携帯していた小さな手鏡だ。鏡面を日の光に(かざ)し、ニルファナの顔に反射させる。掲げられていた彼女の手が無意識的に光を遮ろうと顔に向かうのを目に留め――


「――<集束する雷(ライトニング・ボルト)>!」


 間髪入れず、シュイは空いている右手をニルファナの方へと向けて魔法詠唱。速射性を考えれば雷魔法が最善の選択。狙いは大雑把だったがドンピシャだった。手の平から発生した青白い雷が指先で密集して束となり、彼女の顔辺りに直進する。


「うわっと!」

 予想外の反撃にニルファナが慌てて後ろに仰け反った。青い雷は先ほどまで彼女の顔があった場所を通過し、空へと消えてゆく。

 命中こそしなかったがそれも織り込み済みだ。狭い石柱の天辺でバランスを崩した彼女は、踏み止まれずに奥の方へと落下した。



 ――今しかない!


 ニルファナの姿が悲鳴と共に見えなくなるや否や、シュイはすぐさま反対方向に転進し、岩から岩へと飛び移っていく。50メード足らず進んだ所で理想的な隠れ場所を発見。乾燥した地盤の裂け目に疾走する。

上から覗き込んでみると底は4メード程度でそれほど深くはない。シュイは急いで地面の淵に手をかけ、飛び降りて身を隠した。

 見つからなかっただろうか。(はや)る鼓動を抑えつつ、音をなるべく立てぬよう息を整える。不意打ち、しかも女性の顔を狙ったことに対しては後ろめたさもあったが、あれくらいでどうにかなる相手ではないはずだ。

 ほどなくして、予想通りに元気いっぱいの声が辺りに響き渡った。


「ちょっとこらー! どこにいるのさー! いきなり、それも顔狙うなんて酷くなーいー? お姉さんだってか弱い女の子なんだけどなー! もー、聞いてるんでしょー? 大人しく出てきて謝れば、許してあげなくも――」

 遠くから発されるニルファナの、少しいじけたような抗議の声を聞き、シュイはしめしめとほくそ笑んだ。岩も分厚いから先ほどの魔法を使われたとしても貫通は防げるだろう。発生した溶岩が垂れ落ちてくるくらいのことはあるかも知れないが。


 ――さてと、今の内にここから離れよう。


 どうやら岩の裂け目はかなり奥の方、都合のいいことに、ニルファナとは逆の方角に続いているようだ。地表にさえ出なければ見つかる可能性は低いだろう。

 少なくとも、その考え方は決して間違っていなかったし最善も尽くしていたはずだった。唯一誤算があったとすれば――


「――あくまで出て来るつもりなしか。……ふーん、あっそう。よし、よぉし、そっちがその気ならお姉さんも本気出しちゃうからねー! 後悔しても知らないよー!」


 声を張り上げるニルファナの脅し文句も安全を確保出来た今ではどこか可愛らしく聞こえた。本気と言う言葉には正直ギクっとしたが、即座に自分の脳がそれを否定してくれた。いやいやあなた、よく考えてご覧なさいよ。有り得ないですから。さっきのですら本当に同じ人間かと疑ったくらいですし、と。


「――この辺りにいるなら、あのおっきぃ岩壁が見えるよねー!」


 どれどれ、とシュイは律義に足場になりそうな岩に乗り、顔を半分だけ出して辺りを見回した。その間、遠くに豆粒ほどのニルファナを発見。そして、ニルファナとほぼ真逆の方向には、なるほど、確かに巨大な岩壁があった。正に、これから逃げようと思っていた方角に。

「今から、私の足元からあそこまでを更地にしまーす!」

 更地とは、手が加えられておらず、何の用途にもあてられていない土地。もしくは、建築物などがなく、宅地として使うことができる土地。


 ――ばっ、出来るわけない、よな?


 くだらない脅し文句を鼻で笑おうとするも、末尾に疑問符が付き纏うのは何故だろうか。やはりさっきの出来事が尾を引いているのだろう。今いる場所が、ニルファナの宣言した攻撃範囲内にしっかり入っている。それを意識してしまい、身体の中から来る震えを止めることが出来なくなる。


 ――い、いや、でもまだ距離はあるし。


 先ほどの<鋼穿つ焔の戟(ランス・オブ・サラマンドゥル)>に準じる系統であれば、しらみつぶしにせねばならぬ分時間がかかる。

 と、対応に逡巡している最中、「じゃあ、いっくよー!」という力強い宣言が鼓膜を震わせた。


<星を司りし女神よ 内に秘めたる炎を解放せよ>


 詠唱が耳に纏わり付き、体が小刻みに震え出した。続けて、震えているのは自分でないことに気づく。大地の方が震えていた。瞬間、体温が一段と低くなった気がした。ハッタリじゃない。発動の前兆を確信したシュイがすぐさま岩場をよじ登ろうとする。


<罪深き者たちを羨み 壊劫(えこう)へと導――>

「ちょっ、待った!」

「――お?」

 即座に岩の裂け目から飛び出すとシュイが、脇目も振らずに目一杯声を張り上げた。遠くにいたニルファナの目にも姿が確認できたのだろう。直ぐに茫々とした声が返ってきた。


「おお、出てきた。良かったねー、命拾いしたねー」

「か、軽っ! 他人事(ひとごと)だと思って……。いくらなんでもそれは非道(ひど)い! 封呪(ほうじゅ)まで使われるほど恨みを買った覚えはないよ!」


 シュイが真っ赤な顔で非難している間に、ニルファナがその場から高々と跳躍し――シュイの10メード程手前にふわりと着地した。距離に換算して100メード以上を軽々と。それを間近で見て初めて、シュイは彼女が空を飛べるのだということを理解した。


「へぇ、きみって存外博識だね。この魔法って存在すること自体、そんなに知られていないはずなんだけど」


 興味深そうに眉を上げたニルファナが口ずさんだのは、封呪と呼ばれる魔法の一つ、<妬き尽くす女神の情炎ジェラス・イン・アルマディラ>の詠唱。300年ほど前に勃発した世界大戦、ジュアナ戦役で数度使われたという根も葉もない噂があるが、公式の記録には残されていない。天災的な破壊力故に存在自体を秘匿とされ、禁書――威力の凄まじさ、はたまた非人道的な効果をもたらす魔法が記載されており、各国が閲覧者を限定している書物――からも削除されており、一部の高名な魔道士にのみ口伝で引き継がれていると言われている。

 そんな限りなく伝説に近い魔法を自分一人に対してお披露目するのは如何なものか。畏れ多くて涙が出る。それでもって涙ごと蒸発するだろう。

 何か言いたげに睨みつけてくるシュイを見て、ニルファナは何を勘違いしたのか、見当違いの提案を持ちかける。


「じゃあさじゃあさ、ちょっとランクを落とそうか。君が逃げ切れるか否かのぎりぎりの線を模索して――」


 前提からして間違っている。というより、いつの間にか趣旨までが変えられている。おい、賞金とか宿代の話はどこいった。って、思い出されたらそれはそれで困るのだけど。

「アンタは鬼か! ……じゃなくて、もっと平和的に解決しよう。その、自然に優しくない」


 これは、あながち逃げ台詞というわけでもない。もし先ほどの魔法を使われればほぼ間違いなく、この近辺一帯は数十年に渡って荒野と化すだろう。だが、身を隠せる場所に住まう動物、水はけのよい火山地帯に生息する植物もたくさんいるはずだ。いわゆる余所者である自分たちのとばっちりで生き物が死に絶えれば気分もすこぶる良くない。


「あらあら、人殺しとは思えない台詞が飛び出した」


 人殺し。あっけらかんとした物言いに、しかしシュイは傷口を押されたように呻いた。


「……元々賞金だけが目当てなんだし、僕の罪状なんか関係ないでしょ。大体、アンタほどの傭兵なら名乗るだけで泊めて貰える場所だって、信用借りだって出来るはずだ。僕にそうまで拘る理由なんてない、違うか」

 シュイの問いかけに、ニルファナは腕を組んで考え込む。

「ま、目的が変わりつつあるのは否定しない。お姉さんが後付けの動機っていうのも結構珍しいからね。きみに拘る理由は、そう、探究心ってやつかな? 宿代は、欲しくなくもないけど、どっちかって言えばおまけだね」

「探究?」

 訝るシュイを見て、ニルファナは薄く笑う。妖艶でいて、迫力を感じさせる笑みだ。

「きみが本当にやらかしたことに興味が出てきた。禁断の知識をどこで知ったのかも含めて、教えてくれないかな?」


 全身の毛がざわめいた。過去の映像がモノトーンで脳裏に再生され、感情が熱されていく。

 シュイは深く息をつき、逡巡の末に両手を胸元で交差させた。


「出来ない相談だ。仕方ない、これだけは、絶対にやりたくなかったけど」

「ん、なになに? まだ何か奥の手があるの?」


 ニルファナが興味津々と言った様子で顔を突き出した。その何気ない所作が妙に憎たらしく、今度は違う種の怒りが点火する。


 ――僕の本当の力はこんなものじゃない。絶対にギャフンと言わせてやる。


 大地を力強く踏みしめ、砂利と靴底が耳障りな音を奏でると同時に、シュイが伏せていた顔を昂然と上げる。何かを決意したような眼差しに、ニルファナの顔から笑みが消えた。


「こちとら、目的も果たさずにこんな所でやられる訳にはいかないんだよ。身に降りかかる火の粉は……払わせてもらう!」



――――――



 ニルファナに気絶させられる五分ほど前に、今思うと五分ももっていたか自信がないのだが、自分が口にした恥ずかしい台詞をシュイは思い返していた。あの記憶は人生最大の汚点の一つ、俗に言う黒歴史というやつだ。あの日、新たに知った二つの真実。世界は本当に広くて、過ぎた背伸びは災いしか招かない。

 『身に降りかかる火の粉は……あれあれ? ねぇねぇシューイー、その後なんて言ってたっけ~?』

 このように、今でも何かしら気に食わないことがあると、彼女はさり気なく蒸し返す。そうなったら最後、熟れた林檎のようになりつつ、しなびたナスのように身を縮めつつ、彼女の気が済むまで羞恥(しゅうち)に堪え続けなければならない。そこまで出てきて忘れているはずもないのに、本当に罪な人である。


<全く会話もしてないのにいきなり頭を下げたらおかしいよ。目立つ真似は控えてね>

 罪なニルファナがチッチと指を振り、シュイは殴られた額を抑えながら念話で詫びた。傍から見れば、いかにも怪しい黒ずくめの彼が無抵抗で美女にしばかれているという、なかなかに物珍しい光景。かえって周囲の注目を浴びてしまっていた。

 そして、そのことが良くも悪くも尾を引くことになるのを、今のシュイは知る由もなかった。



 大きな掲示板の脇を通り過ぎ、二人は入り口からほど近い場所にある受付カウンターに向かう。依頼窓口に座って書類整理をしていた若い男性が、二人に気づいてやや遠目から会釈をした。


「いらっしゃいませ、お客……様?」

 ニルファナの姿を見て男は驚愕し、すぐさま椅子から立ち上がった。ピシッと真っ直ぐに伸びた背筋は、どちらかと言えば正規兵の格好を思わせる。


「おひさー、フランコ。今日は受付やってるんだね、珍しい」

「ハ、ハーベル様! ご、御無沙汰しております!」


 いつも通りの軽さでひらひらと手を振るニルファナに、フランコと呼ばれた男は姿勢を崩そうとしない。どうやら旧知の間柄なのだろう。ハーベルはニルファナの名字であるが、シュイは名前で呼ぶことを(ゆる)されていた。


「きゅ、今日は何の御用でしょうか?」

 いきなり噛んだところから察するにかなり動揺しているようだ。きっと彼も、彼女の暴力の餌食になったことがあるのだろう。シュイは初見の、自分と同じ黒髪の男に対してなんとなしに親近感を覚え、ついで一緒に居残りさせられているのにも似た連帯感を抱いた。


「まーまー、そう硬くならないでもいいよ。今日、用があるのはこっちの彼なんだ。」

 ニルファナはシュイの方に手をかざした。フランコが釣られて視線を移す。

「えっと……」

 フランコは紹介されたシュイを下から上まで観察し、予想通り怪訝そうな表情を浮かべた。どうやら、彼の記憶にはこんなに怪しい黒ずくめの知り合いはいないようだった。ちなみに自分にもいないのであるからして、彼を責めることはもちろんできない。

二人の間に流れる、初めてお見合いする男女のようなもじもじした空気を察知したのか、ニルファナは助け船を同時に出した。

「いやいや、君個人に用があるわけじゃなくてだね。彼は、えーっと、あ、そうそう、シュイ……で良かったよね? うん、そーだよね。――なんだけど、ここの傭兵になりたいんだって」

 ニルファナは多少危なっかしい説明を披露し、シュイの心を不安で波立たせた。

「……あぁ! そういう事でしたか」

 それでもフランコは納得できたのか、相槌を打った。些細(ささい)なことを気にしない辺り、意外と器が大きいのかも知れない。

「畏まりました。えー、エルクンド様……ですね。試験の方は七月の下旬にやる予定ですのでまずは申し込みをしていただく必要があります。その際には近場の――」

「――ちょっと待った。Dランクからじゃなくて、Cランクからにして欲しいんだけど」

 説明を一時停止したフランコが再びニルファナに視線を戻した。

「ということは……、どなたかのご紹介ですか?」

「そ、ここにちゃんと署名もあるよ。確認して」


 ニルファナがスカートのサイドポケットに手を突っ込み、筒型の書簡箱を取り出した。差し出されたそれを丁寧に受け取り、フランコが書簡箱の蓋を開け、中身を覗き込む。

箱の後ろをトントンと叩いた末に出てきたのは、一枚の額付きの羊皮紙だった。右上にはシルフィールのシンボルマーク、旋風(つむじ)の印が()されていた。細い弧が三つ、螺旋を象る様に描かれている。



           ――推薦書――


 シルフィール・マスター

 ラミエル・エスチュード殿



 この度、私ニルファナ・ハーベルは、以下の者を当ギルドのCランク傭兵として推挙いたします。何卒、御選考の件、よろしくお願い申し上げます。


 シュイ・エルクンド  二十歳  特性分類・チャンター


 シルフィール・ランカー  No.6  ニルファナ・ハーベル


 1567年  6月29日(月)



「なんとっ、ハーベル様ご本人の推薦でっ?」

 フランコがすっとんきょうな声を上げ、館内に響き渡った声に反応したのか、周囲にあった(まば)らな目が一斉にこちらへと向きを変えた。

 何でこんなに驚いているのだろうか。シュイは周りをチラチラと見ながら不安げに成り行きを見守っている。

「そそ、お姉さんの一押し。能力だけならBでも充分いけそうな気がするけど、彼、小さいギルドでしか働いた事ないから、念のため、ね」


 にっこりと笑うニルファナには微塵の胡散臭さも感じられない。何て自然なのだろうか。自分も早くこんな嘘が咄嗟に付ける大人になりたい。ニルファナの流暢(りゅうちょう)な語り口にシュイは後ろ向きに傾倒するばかりだった。

「なるほど……ふむ、畏まりました、それでは人事担当者に引き継ぎますので、こちらへどうぞ」

 フランコはそう言うと、二人を案内するべく先を歩きだした。

「ありがと。シュイ、行くよー」

「わ、わかった」

 なんだかトントン拍子に話が進んでいく。世間一般に言われているコネって、案外こういうものなのだろうか。

シュイは社会の裏街道を行く背徳感を噛み締めながら二人に付いていった。



 フランコに誘われて、受付の脇にある細い通路を奥へと進んでいく。ほどなく右手にある段差の大きい階段を上がり、折り返しの階段をまた上がる。昇り終えると、そこはT字路になっていて、真正面には部屋があった。銀色のノブが付いた木製ドアの上に付けられているプレートには<応接室>と書かれている。


「こちらでございます。直ぐに担当の者を呼んで参りますので、どうぞ座ってお待ちください」

 そう言いながらもフランコはポケットに手を突っ込み、ゴソゴソと探っている。ややあって、部屋の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。遅れてカチャリと音が響き、ドアが開いた。

「シュイ、いくよ」

 招き入れるべくドアノブを持ったままのフランコの横を、ニルファナがすっと通り過ぎる。シュイはドアを開いてくれているフランコに軽く会釈してから、その後に続いた。



 部屋に入って、まず目に飛び込んできたのは薄ピンク色の花柄のカーテン。その隙間からは日差しが差し込んでいる。中央部分だけガラス透しになっている四角いテーブルの周りには黒革の客椅子が4つ、規則正しく並んでいた。

後ろでパタンとドアが閉まる音が聞こえると、ニルファナは椅子の方に向かった。


「さっ、座っていよう」

 それを合図に、二人は椅子に腰を下ろした。クッションが柔らか過ぎて予想よりも尻が深く沈み、シュイが慌てて脚をバタつかせた。ふと顔を上げると、ニルファナがニヤニヤ笑いを隠さずにそれを眺めている。また一つ弱みを握られてしまっただろうか。顔が熱を帯びるのを感じ、フードで顔が隠れていることに感謝する。

 立ち直ったところで、先ほど気になったことを一つ訊ねてみる。

「ニルファナさん。何でぼ……俺、二十歳なの?」

「ああ、そのことね。説明するまでもないと思っていたんだけど、酒場での情報収集は傭兵の基本なんだ。どの国でもお酒の飲める齢じゃないと色々不都合なこともあるし。ああ、別に飲めって言ってるわけじゃないからね。若い時から飲んでばかりいると脳が成長しないし、飲むにしても程ほどに。それから、年齢が低いと何をするにしても色々目立っちゃうから。そう、どこかのお姫様みたいにね」

「……お姫様? なんで、高貴な方が傭兵なんか」

「あっれ、もしかして本当に知らない? 知名度だけなら私にも劣らないと思うけど。ま、いっか。いずれは絶対耳にすると思うし。さておき、二十歳くらいなら君くらいの実力者もわんさかいるけど十三歳、あぁ、この間十四になったんだっけ? まぁそれはともかく、万が一にも君の正体を勘繰られるわけにはいかないから、埋められる穴は埋めておいた方がいいのだよ」

「う、確かに……」

 シュイはニルファナの配慮に感謝しつつ、自分の頭がそこまで回らなかったことを猛省した。



 少ししてドアノブが回る音が聞こえた。二人が揃ってそちらに視線を送ると、黒扶持の眼鏡をかけた、きつい印象を与えそうなツリ目の女性が部屋に入ってくるのが見えた。

 パリッとした赤紫のスーツをそつなく着こなし、きつく締められたベルトで腰のくびれを強調している。蝶を模したピンで纏められている(つや)やかな黒髪は如何にも知性漂う大人の女性、といった印象を醸し出している。年の頃はニルファナとそう変わらないだろう。

「お待たせしました。ニルファナ・ハーベル」

 身なりだけでなく、声までも落ち着いたその女性は視線を下げ、ニルファナに丁寧に会釈をした。

「あら。ディジーじゃない、久しぶりー」

 ニルファナが会釈を返し、シュイも続いてぺこりと頭を下げる。

「もしかして、ディジーが直接見てくれるの?」

 ニルファナが少し意外そうに尋ねた。

「ええ、あいにく人事担当の者が不在でして。下で今日の空きっぷりを見ましたでしょう? あまりにも暇なので、最寄りのギルドに三日ほどお手伝いにいっていまして」

 ディジーは口に手を当てて苦笑した。

「そっか。じゃあ宜しくね。シュイ、こちらディジー。ディジー・マクレガーだよ。私と同じランカーで同期。この支部の一切を取り仕切っているの。先々お世話になるから覚えておいてね」

 ニルファナはシュイの方を向いて紹介した。

「初めまして、マクレガーさん。シュイ・エルクンドです。宜しくお願いします」

 シュイは立ち上がり、改めて頭を下げる。

「ほう、あなたがニルファナの……、ふむ、興味深いですね」

 ディジーはそう言うと、おもむろに、シュイを舐め回すように観察し始めた。

「どう? ディジー、いけそう?」

「ちょっと……待ってください、ね。……おお、これは、……猛々しい」


 ――な、なんだなんだ。

 ぐるぐると、上から下から、自分を舐め回すように見つめるディジーに、シュイは体中を無数の昆虫か何かに這い回られているような気持ち悪さを感じた。


「ディジー……、君、まさか……」

 ニルファナも、やっとディジーの様子がおかしいことに気づいたようだ。だが、何の心当たりがあるかまでは読み取れなかった。

 「……いえ……いえ、……そんなことは、……おっほぅ!」

 唐突に奇声を発したディジーに、シュイの身体がビクッと反応する。勝手に興奮し、顔を赤らめているディジーに対し、ニルファナはやれやれと、諦めたように首を振った。



「あ、あの……?」

 数分が経過したところで、いよいよ我慢しきれなくなったシュイが、躊躇(ためら)いがちに、ディジーに話しかける。

「問題ありません。磨けば光る。打てば響く。触れれば反応する。素晴らしい素材です」

 やっとディジーはそう言って、眼鏡のズレを指先で持ち上げながら立ち上がる。

「おおっ、やったね。これで晴れてシルフィールの一員だよ。シュイ、おめでとう」

 ニルファナはそう言って手を差し出した。

 「え、これで終わりなの?」と言いたげなシュイは、ややあってニルファナのじと目に気づき、慌てて差し出された手を握り返す。

「……あ、ありがとう、ニルファナさん」

 手から伝わる温かさがなんともこそばゆかった。傭兵になったという実感はついぞわかなかったものの、とにかく試験に合格はしたのだ。とりあえず、推薦者の顔に泥を塗らずに済み、安堵感に襲われた。


「ただ……」

 遠慮がちな声に反応し、二人は握手したままディジーを見る。

「正式に受理されるのは、おそらく明後日以降になるかと」

「ん? ……あー、そっか。一回本部に推薦書を送るんだっけ」

 うっかりしていた、とばかりにニルファナは握手を解き、頭をポリポリ掻いた。シュイは不安げに首を傾げる。


「えっと、僕はどうすればいいのかな?」

「認定書が届くまでには数日かかります。幸い今日は月曜日ですし、週末までには何とか間に合うでしょう。それまで町内観光でもなさったら如何でしょうか。ホーヴィは小さな港町ですが空気は良いですし、冬場の貴族のリゾート地としても有名ですから。それと、山側にいけば景観の良いポイントもたくさんありますよ」

 ニルファナは少しの間考えていたようだが、おもむろに立ち上がるとシュイに向き直る。


「じゃあ、シュイはそうして。私は明日、南の方に用があるんだ」

「南って?」

「フォルストローム」

「フォル――明日!?」


 思わずニルファナに訊き返した。フォルストロームはセーニアの南方に位置する大国だ。今いる港町のホーヴィから見て南南西に位置するが、少なく見積もったところで国境まで1000kmほどの距離がある。


「相変わらずお忙しいですね。お気をつけて」

 シュイの懸念を意に介す様子もなく、ディジーはニルファナに別れの挨拶をする。

「あいあい。ディジー、シュイのことよろしく頼むね。それじゃあシュイ、今の内に色々と準備しておくんだよ。修練も怠らないようにね」

 シュイの肩をポンポンと叩いてから、ニルファナは部屋のカーテンを開け、バタンと窓を開け放つ。カーテンがバタバタと海風になびき、潮の香りを部屋に招き入れるや否や、彼女は鳥の如く青空へと舞い上がり、唖然としているシュイを置き去りにして南の方角へと飛び去っていった。



 固まっていたシュイが、遠くで翻ったスカートから目を背けた。

「……スカート穿いてるのに、何で平気でそういうことしちゃうかなぁ」

 きまり悪そうな呟きに、ディジーは「それは盲点でした。ところで、何色でしたか?」と返した。シュイはまず「見えませんでした」と言い、それから「見ようとしたわけでもないですけど」と顔を赤らめるのだった。

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