第八章 ~(2)(改)~
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
五十代くらいの、育ちの良さを感じさせる女性店員に笑顔で見送られながら、シュイは綺麗にラッピングされた小箱を懐に仕舞いこんだ。
回り回って八軒目の装飾品店だった。入店してからわずか三分で声を掛けられた。ハズレの店かと思われたが、幸い少しでも高い物を買わせようとする類の店員ではなかったようで、助言を素直に聞き入れることが出来た。シュイは女性店員のアドバイスを参考にしながら候補の物を絞り込んでいった。
「彼女にプレゼントですか、羨ましいですわ」
「い、いえ、彼女とかそういうのではないんですが」
頭を掻きながら、シュイは訂正を促した。女性店員はそうでしたか、とさして気にした様子もなく説明を続けた。
「その方は黒髪だということですが。黒に映える色と申しますと対のホワイトはもちろんのこと、エメラルドグリーン、ワインレッド、ライトブルー等、色々ありまして」
「へ、へぇ。そうなんですか」
「ただ、髪留めなどは当然頭に付けるわけですから外光に晒される機会が多いですよね。黒に合う色は大抵、光の加減によって色合いが変化しやすいので、日中と夜間、室内とでは印象もからりと変わってしまいます」
「な、なるほど。勉強になります」
説明に相槌を打ちつつ、最終的に候補の品を三つにまで絞った。
「この三つならどれを選んでも間違いはないですね。お客様は男性の方にしては珍しく見る目がありますわ。後はお好みで選んで良いと思いますよ」
おそらくは毎度口にしているであろう営業トーク。お世辞だとわかっていながらも悪い気分ではなかった。シュイは照れ隠しにうーんうーんと唸りながら、いつの間にか購入確定の方向に誘導されているのに気付いた。
手を前で丁寧に重ね、シュイが選び終えるのを待っている店員からは、この三つのどれかを買いますよね、という無言のプレッシャーがひしひしと感じられた。自分の気のせいかも知れなかったが、違うかも知れない。
兎にも角にも、あれだけ念入りに選んだのだから物自体は悪くないはずだ。少なくとも衝動買いではなかったし、自然と愛着らしきものが生まれていた。
店員に長々と選ぶのを手伝ってもらった手前、「やっぱり帰ります」と口にするのはそれなりに勇気が必要だった。断ったところで次の店で良い物が見つかるかはわからないのだ。
シュイはちらりと店の時計を見た。祝勝会の時間まで、もう幾許もなかった。後は印象でズバっと決めようと、ケースから取り出された三つのアクセサリーを、距離を置いて見つめた。その一分後、腹は決まった。
店を出てから少しして、シュイは商店街を抜けた辺りで魔石による連絡を受けた。青い蛍火のような魔力球が「長老樹で待つ、ピエール」という簡素なメッセージを宙に描き出し、煙のように消失した。
シュイは腰に下げている袋から青い魔石を取り出して「了解、今から向かう」という返信のメッセージをイメージした。手の平で魔石が微かに明滅し、光に覆われて宙に浮かび上がった。
本音を言えばピオラにプレゼントだけ渡してそそくさと退散したいところだった。しかし、ニルファナの忠言を思い出したことが、それを考え直すきっかけになった。
「いい? 同じギルドの傭兵同士が親睦を深めるのは当然として、他ギルドの傭兵と接触する機会があったら出来るだけ繋がりを作っておくんだよ」
「へぇ、そういうものなの?」
「そういうものなのだよ。稀に合同任務って言って、他ギルドの傭兵と一緒に任務をこなす事があるんだ。そういう時、知己の傭兵がそのギルドにいれば組みやすいし、組めなかったとしても他の信頼出来る傭兵を紹介してくれるかも知れないでしょ」
「ああ、言われてみればそうだね」
「更に、共通クエストっていうものもあるの。これは入る時に詳しい説明があると思うけれど、基本的には誰でも受諾が可能なんだ。真っ先に受けられればそれに越したことはないけれど、絶対数が少ないから他ギルドや無所属の傭兵と依頼の取り合いになる例も多くてさ。他ギルドの人が入っちゃったというだけで参加を見送っていたら、いつまで経ってもやる機会が来ないから。割の良い依頼を逃さないためにも、なるべく他ギルドの傭兵とも仲良くしておくこと。わかった?」
如何せん周りにいる傭兵の大半が大人なため、心理的にどうしても気後れしてしまう部分はある。今のところ積極的にそういった集まりに顔を出す気にはならなかったが、今回の件に関しては即席とはいえ合同任務を行ったようなものだ。誘いがあった以上は今後のためにも出た方が良いだろう。
長老樹でピエールと合流したシュイは、樹の南西側に面している町酒場、<ヨッテ亭>に向かった。入口側から店内を見渡すと、既にテーブル席の八割方が埋まっていた。明色の木製家具で統一され、小型のシャンデリアのような照明も相俟って高級感がある。
椅子に座っている9割方が傭兵なのだろう。祝いの席とは到底思えぬ、ただならぬ雰囲気が酒場に漂っていた。屈強そうな大男もいれば、眼鏡をかけている理知的な学者肌の人もいた。自分とほとんど年の差がないだろう少女もいた。彼ら全員が傭兵なのか。そんな驚きと雰囲気に中てられ、知らずと鳥肌が立った。
呆然と立ち尽くしていると「ちょっと失礼」と後ろから声を掛けられ、二人が慌てて道を譲った。ピエールとシュイの間を割り入るようにして、若い男女が腕を絡ませて店内に入ってきた。その所作は実に自然で堂々としたものだ。
「こりゃ凄いな。流石にちょっと場違いな気がしてきたぜ」
「……ピエール。俺やっぱり帰ってもいいかな?」
と言いつつ既に足を踏み出していたシュイの腕をピエールが捕まえた。
「ば、馬鹿言うなよ今更。俺だってこういう場はあんまり経験ないんだ。お前がいなくなったら俺だって身の置き場が無くなる」
「それは大丈夫だよ、多分シャガルたちは来ているだろ」
「往生際が悪いぞ。とにかく、空いている席に――」
「――お、ちゃんと二人とも来てるじゃないか。感心感心」
入口でごちゃごちゃとやっていた2人に、直ぐ脇から声が掛けられた。カウンター席に付いている見知った短い金髪の森族を見て、ピエールは顔を綻ばせた。
「あぁシャガル。良かった、ちゃんと来てたんだな。ホッとしたぜ」
「何言ってんだか。俺たちは曲がりなりにも今回の件の立役者なんだぜ。顔出さないわけにはいかないだろ」
そう言ってシャガルは肩を竦めた。
「……4人と言うことは、ピオラも来ているのか」
「もちろんさ。って、そういやおまえら、色々あったみたいだな」
「まぁ、ね。その、彼女の様子どうだった?」
歯切れ悪く訊ねたシュイに、シャガルは声のトーンを一段と落とした。
「怒ってた、めっちゃ怒ってた」
ドスンと、背に重しが圧し掛かってきた気がした。
「……そ、そんなにか?」
「あいつがあれだけ感情を露にしたところを見たことがない。……昼食の時もさ、テーブルを拳で何度となく叩くんだ。置いてある食器類が浮く位にな。おかげで客や店員に白い眼で見られちゃったよ」
シャガルが困った様に言った。店員の顔つきまでがリアルに浮かび、やるせない気分が一層濃厚になった。
「うへぇ、そりゃキツイな。まー仕方ないか、あんだけ卑猥なことを――」
「――ピエール、俺やっぱり帰る。今日は<ベチュア亭>に泊まるんでプレゼントだけ渡しておいてくれ」
「――ちょい待ち! お前、ここまで来ておいてそれはないだろ」
再び外に足を向けたシュイをピエールが慌てて引き止めた。
深刻そうな顔を作っていたシャガルは問答している2人を見て、盛大に噴き出した。
「シャ、シャガル?」
目に浮かんだ涙を拭いながらも腹を抱えて笑うシャガルに、シュイは怪訝そうに眉根を寄せた。
「わ、わりぃわりぃ。ほんの冗談のつもりだったんだけど、まさか信じるとは思わなくてさぁ」
「……言って良い冗談と悪い冗談があるだろ!」
「やっぱりな、大方そんなこったろうと思ったぜ。俺の目から見ても彼女があんまり怒っているようには思えなかったからな」
それなら何故に最初からそう言って安心させてくれなかったのか。後ろで今更わかったようなことを口にするピエールに、シュイは憎々しげに歯軋りした。
「少しは気にしているみたいだったけど、怒ってはいないと思う。それよか、もうそろそろ始まるな。一番奥のトイレに近いテーブル席が俺らの席だ。きっちり二名分空けてあるから行こうぜ」
シャガルが顎で示した方向を見ると、魔族の少女がじっとこちら側を見つめている姿が目に映った。
木の板を接ぎ合わせて作られた丸いテーブルの周りには四つの椅子が置かれていた。壁際の方の椅子ではピオラが足をぶらつかせている。食事をするのだから当然のことであるが覆面は外していた。お風呂上りなのか髪の毛が少し湿っており、石鹸の仄かな香りが鼻を擽った。
「こ、こんばんは」
「よ、ピオラ」
「……ん」
一応返事をしてくれたことに――これを返事というかは多少議論の余地もあるだろうが――シュイは少し安堵した。押し黙っていられるよりはずっと救われた気分になった。
さて、と何気なく空いている2つの椅子を見、シュイが立ち止った。どちらに座るべきだろうか。
正面に座ればピオラとの距離は一番遠くなるが、座っている限りは顔を付き合わせることになる。隣に座れば顔は向かい合わないものの距離が近い。そんなに気にする必要もないのかも知れないが昨日の事があるので何だか意識してしまう。
まぁ無難に、とシュイがピオラの正面の椅子を向くと、そこには既にピエールの旋毛があった。
「何やってるんだ? 早く座れよ」
シュイはピエールが不思議そうに振り返るのを見て、まさかこれはわざとじゃないよなと思いつつも、彼ならやりそうだという疑いを打ち消せぬままピオラの隣に座った。
開始時刻には空席もきっちり埋まり、中央のテーブルに陣取っていた巨漢がゆっくりと立ち上がった。
「ギルド・フラムハートのキャノエ支部長、エリク・バウマンだ。キャノエの責任者であるリーグ町長から代表者として飲食代を預かっている。昨日の大毒蜂襲撃に関する最終的な被害報告書では、建物半壊四棟、一部損壊二十七棟、重軽傷者四十八名という結果に終わっている。あれだけ大規模な襲来だったにもかかわらず死者が出なかったのは奇跡的だ。それも一重に諸兄らの尽力があればこそ」
フラムハートと聞いて、シュイとピエールは顔を見合わせた。世界最古の傭兵ギルドの名だ。ということは、ここに座っているシャガルとピオラもそうなのだろうか。シュイは気づかれぬように、ちらりと2人の姿を確認した。
「さて、諸兄らの中にはまだ知らない者もいるだろうが、大毒蜂襲来の際、いち早く蜂の襲撃に備え、拡散を最小限に食い止めた者が何人かいる。当時の状況から判断するに、死者が出るのを阻止出来た最たる理由は、彼らの勇気と実力に寄るものだと確信している。生憎とリーグ町長は町防衛に関する対策会議でこの場におられないが、この町の代表として深く感謝する、との御言葉を頂いている。この席はあくまで祝勝会であり、表彰する場ではないので名前と顔だけの紹介とさせてもらう」
エリクはそう言葉を切り、シュイたちのいるテーブルに視線を送った。遅れて、周りの傭兵たちの双眸もそちらへと向く。戸惑い気味のシュイとピエールを差し置いて、シャガルとピオラが厳かに立ち上がった。その後で、「ほれ、何やってるんだ。二人共立て」とシャガルが急かした。
「へ、……俺達もか?」
「……早く」
「あ、ああ」
顔を見合せながら、シュイとピエールもテーブルに両の手を付いてのそのそと立ち上がった。
喧騒が沈黙に変化した。傭兵たちの鋭い視線を受け、緊張による小刻みな震えが体に広がった。何とか周りには悟られまいと、必死に心の平静を保とうと努めた。
「フラムハートのシャガル・ウェラードだ。良かったら覚えといてくれ」
「……同じく、フラムハートのピオラ・ディ・スターニアル。……よろしく」
そんな自己紹介を聞きながらも、シュイは一人得心した。任務で活躍し、こういった場で名を覚えてもらい、知名度を増す。それを積み重ねることも傭兵の大事な仕事なのだ。もしかしたらニルファナもこうして名を上げ、今の地位を得たのだろうか。シュイはニルファナの若き日を、といっても今も十分に若いのだが、想像した。
――それにしても、ピオラがこんな長口上を喋れたとはちょっとびっくりだな。
などと思っていると、二人がどうした、と訝るような視線を向けた。シュイは慌ててピエールに目配せした。ピエールが「俺?」とばかりに自分を指差し、シュイが「おまえだ」とばかりにうなずいた。
「え、えっと、シルフィールのピエール・レオーネです。どうぞ、よろしくお願いします」
わずかに上擦った声を耳にして、危うく吹きだしそうになった。ピエールは何か文句あんのかよ、と顔を赤くして睨み付けてきた。
そんなやり取りのおかげか震えが止まっていることに気付き――ピエールにとっては甚だ不本意だろうが――シュイは少なからず感謝の念を覚えた。
「同じく、シルフィールのシュイ・エルクンドだ。よろしく頼む」
軽く会釈を交えながら名乗りを上げた。少し周りがざわついたのは、多分フードを取らずに礼をしたからだろう。不敬だとか生意気だとか思われなければ良いのだが、と少し心配になった。
「この4名は南東で孤立していた教会の関係者ら十数人を見事に守り抜いた者たちだ。後日、所属しているギルドの方にもフォルストロームから感謝状が贈られるだろう。と、堅苦しいのはこの辺にして――」
エリクは言葉を切ると、傍らに控えていた支配人と思しき年輩の女にうなずいた。少しして、店員たちがわらわらと現れ、各テーブルに用意されているコースターの上に、シャンパンの入ったグラスを置いていった。
「今日は無礼講だ。店のメニューであれば何でも、好きなだけ頼むといい」
太っ腹なご褒美に大きな歓声と疎らな拍手が上がった。
「では、最後に乾杯と行こうか。ああ、折角だから4人は立ったままで頼むぞ。――困難を速やかに乗り切ったことを心から祝うと共に、諸兄らの更なる活躍と安寧を願って、乾杯!」
『乾杯!』
声と共に、4人が高らかに祝杯を突き上げ、克ち合わせた。悪くない気分だった。
宴会が始まり、周りの傭兵たちはあちらこちらでメニューと睨めっこを始めていた。
「まずは酒か。何か頼みたい物あるか?」
シャガルがメニューを見ながら三人に問うと、ピエールは下顎に手を当てた。
「そう言われても、この店に来たことないからな。シャガルのお奨めがあればそれを飲んでみようかな」
「じゃあ、俺もそれで頼む」
「……私も」
「って、ピオラはまだ飲める年齢じゃないだろ!」
ピエールが鋭く突っ込みを入れた。
「……ルクスプテロン、お酒十四歳から」
「何だって、そんなに素晴らしい国があるのかよ」
「何だ、お前も酒好きか」
シャガルは同類を見つけたと言わんばかりの楽しげな目をピエールに向けた。
「酒は俺にとっての水みたいなもんだ。にしても、本当に十四歳で飲んでいいのか?」
「十四歳から飲めるっていうのは本当だ。ルクスプテロンで作られている酒はアルコール度数が抑えられているからな。補足すると、十五度以上の酒はちゃんと十八歳からだぜ」
ということは、ピオラは少なくとも十四歳以上ということか。シュイが一人納得したようにうなずいているのを見て、ピオラが不思議そうに首を捻った。
「へぇ、魔族って赤ワインとかを気取って飲んでいるイメージがあるけどなぁ」
「……酷い偏見」
ピエールの言にピオラが口を尖らせた。シュイはイメージを改めた。
「まぁまぁ二人とも。それじゃあ最初はピオラも飲めるやつにしよう。――店員さーん、フェルモーネを四つ。料理は適当にお奨め見繕ってくれ」
「はい、少々お待ちをー」
店員が慌しく動き回っているのを横目で眺めているうちに、はたと当初の目的を思い出した。
「あぁ、そうそう。ピオラ、これなんだけど」
黄色の包装紙と水色のリボンで包まれた小箱を懐から取り出し、ピオラに差し出した。早速買ったのかとばかりにピエールが身を乗り出した。
「……これ?」
「昨日のお詫び。受け取ってくれると嬉しいんだけど」
昨日の、と聞いてピオラは一瞬顔を赤らめたが、差し出された贈り物には興味を示しているようだった。更に彼女の方へと手を寄せると、ピオラはおずおずとそれを両手で受け取った。
「……開けても?」
シュイがうなずくのを確認し、ピオラが蝶結びになっていたリボンをするすると解き、包み紙を外した。中に入っていた白い箱をそっと開け、目を丸くした。
「……ふわぁ、綺麗」
赤紫の固定布に嵌っていたのは双翼を模した黒い髪飾りだった。ピオラはそれを慎重に取り出して小さな手の平に乗せ、店内の照明に透かした。鏤められているインディコライトの電気石が、光を受ける角度によって青い煌めきを放った。
「おー、意外とセンス悪くないんだな。そんな格好しているのに」
「……もうその台詞は散々聞き飽きたんだが?」
ピエールにじと目を送ったシュイに、ピオラは紫色の目を爛々と輝かせた。
「……貰っても良いの?」
「ああ、そのつもりで買ってきたんだし、是非受け取って欲しい」
「……シュイ、ありがと」
「綺麗な髪留めじゃないか。良かったな、ピオラ」
シャガルがはにかむピオラに目を細めた。
「……うん、大事にする」
満面の笑みを浮かべて大事そうに髪留めを抱いたピオラを前にして、ようやく心が軽くなった。
今宵の酒は、いつもより美味しく飲めそうな気がした。