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第六章 ~(3)(改)~

12月25日、修正

 明くる日、朝靄(あさもや)で霞む森の中をいくつもの影が疾走していた。その正体はフォルストロームの姫君、世に獣姫と謳われしアミナ・フォルストローム率いる軍の精鋭部隊だった。

 彼らはアミナを囲み込むように陣形を形成し、一丸となって森を突き進んだ。かなりの速度で走っていたが誰一人として足元に突き出ている根っこや垂れ下がっている梢に引っ掛かるようなことはない。一行の動きの俊敏さはさながら野生の獣を思わせた。


「警戒を怠るなよ。この程度の任務で犠牲者を出すのは許さぬぞ」

『はっ!』


 アミナがぶっきらぼうにそう言ったが、兵たちはその言葉に込められた気遣いに感じ入った。いかな精鋭とはいえ、敵愾心をむき出しにした魔物の群れと戦うのだ。犠牲を一人も出さずに済ますのがどれだけ大変なことか、歴戦の勇士であるアミナがわからぬはずもない。

 その上でアミナは誰一人欠けることなく困難を乗り越えることを要求した。彼女の厳しさと優しさは、兵士たちの心を大いに奮い立たせた。

 自分の主君たる銀髪の姫君は、命の価値を身分や家柄といったもので図るようなことはしなかった。偉大なる獣王から血だけではなく、心をも受け継いでいる何よりの証だ。彼女は自他に対して多くを要求する厳しさを持っていたが、同時に情に厚い人物であることを兵士たちもよく心得ていた。だからこそ家族に対してと同じように尽くしたいという気持ちにもなった。


 二年前、アミナは一国の姫という立場であるにも関わらず、あろうことか傭兵ギルドに加入して国中の者を驚かせた。側近には危険だからと反対する者も多かったが、彼女は持ち前の押しの強さでそれを全て退けた。

 既に一角の戦士であったアミナがギルド・シルフィールに入団した時のランクはB。体術に優れ、辰力(しんりょく)の扱いに長けていた彼女はその類稀なる身体能力を余すことなく発揮し、命の危険が伴う任務を幾度も潜り抜けた。Aランク傭兵、準ランカーにまで上り詰めたのは三カ月ほど前のことだ。

 辰力は強化魔法の一系統を指す言葉でもあるのだが、一般的な魔法とは少し力の使い方が違う。取り込んだ魔力を同調(チューン)させるのではなく、自らの魔力を取り込んだ魔力の性質に近づける、という点で異なるのだ。体に内在する魔力を自在に変化させ、潜在能力を発揮することに念頭が置かれているこの闘法は、同調よりもより短い時間で力を有効利用できるため、詠唱に時間を取られることのない戦士系統の使い手が圧倒的多数だ。


 決して飾りじゃない実力を保持していることを周知に認めさせてからというもの、アミナの評価はより一層高まりつつあった。美姫の名に相応しき華奢な容姿が、内に秘める強さをより際立たせていた。高貴さと謙虚さ。優しさと強さ。互いに混じらわないことも多いそれらが融合した美少女の姿に、人々は憧れの眼差しを送った。



 一行は総勢十四名でキプロの森の南西を目指して疾走していた。そこに、異常発生の元となる母体、つまり女王蜂がいると見当をつけていたためだ。


「……前方に蜂を何体か確認!」


 先頭を走る兵が警戒を促した。各々が上空に視線を走らせると五匹ほどの大毒蜂が空に展開していた。


「打ち合わせ通り、20メード圏内に入った蜂のみ飛び道具で迎撃しろ。それ以外は構うなよ、体力は後に備えて温存しておけ」

「了解っ!」


 一向は足を止めることなく森の土道を突き進んだ。無視されたことに憤ったのか、上空から何匹かの大毒蜂が飛来してきた。

 だが、アミナに命じられた射程圏内に入った途端、獣族(ビースト)たちの激しい対空砲火に見舞われた。


「ギイイィィーッ!?」


 走りながらの攻撃ゆえにそれほど精度が高いわけではなかったが、何しろ十名を超える人数からなる一斉攻撃である。密度の濃い魔法攻撃と飛び道具に晒された蜂たちは、近づいてきた者たちから串刺しにされ、焼かれ、地に落ちていった。

 アミナの統率力もさることながら、兵の個々の戦闘能力、判断能力も相当に高かった。統率の優れた兵たちの前には数匹単位の蜂など物の数ではない。蜂たちは空に逃れることすらできずに片っ端から(ボウガン)による射撃や魔法によって倒されていった。


「――気をつけろ、親衛隊だ!」


 部隊長の声に素早く反応し、一行が陣形をほとんど乱さずに足を止めた。今まで倒してきた大毒蜂よりも更に大きく、六本ある足のそれぞれに鉤爪が付いている蜂が二体、視線の少し上に現れた。仲間が殺された事を憤っているのか、鉄同士を擦り合わせるかのような耳障りな音を出して威嚇していた。

 不意に二体の蜂が空へ向かって急上昇した。その速度を目の当たりにした若い兵たちの動揺を察するや否や、アミナが電撃のごとき迅さで立て直しを図った。


「慌てる必要はない。近衛は気配を察知出来た者から順次、方角を手指で示して合図を送れ。引き付けて一斉攻撃で各個撃破する。飛び道具を持つ者は合図があるまで通常の蜂の迎撃と回避を優先せよ」

「は、はい!」


 その落ち着き払った声と態度、そして的確な指示に、兵の動揺があっさりと鎮まった。足を止めたことで後ろから追ってきていた蜂が数匹滑空してきたが、万全の構えを見せる兵たちの前にあっさりと沈んだ。

 そんなことが数回ほど繰り返され、空にいた親衛隊蜂が突如として動きを変えた。木の梢を隠れ蓑にするように、辺りを旋回し始めた。


「来るぞ、八時方向だ!」


 気配を探っていた大柄な近衛の合図と共に、近衛の指が示した茂みに向かって矢や風魔法が放たれた。茂みから一際大きな蜂が飛び出てきた瞬間、逃げ場もなく斉射を浴びた。

 体勢を崩した親衛隊蜂を見定め、近衛の一人が突出し、辰力を篭めた拳で襲い掛かった。


「せいっ!」


 裂帛の気合に遅れて、肌に響くほどの打撃音が辺りに木霊し、枝に未練がましく掴まっていた枯葉を引き剥がした。拳をまともに腹部に受けた親衛隊蜂が水平方向に弾き飛ばされ、木の幹に強く叩きつけられた。ひび割れた身体から、まるで膿のような黄緑色の体液が撒き散らされた。


「よしっ! 二匹目も来るぞ、五時方向!」


 倒した余韻に浸る間もなく、一行は素早く迎撃体勢を整えた。

 二匹目も、先の蜂と同じ運命を辿ることになった。



 度々現れる蜂の妨害をものともせず、アミナたちはキプロの森の南西部に達した。緑の天井は更に色濃さを増し、それに応じて足元の光も頼りなくなっていた。

 目の良い兵が近くに生えていた背の高い木に登り、蜂の巣が作られそうな場所がないか探していた。


「どうです? 何かありましたか」


 下から若い兵が呼び掛けたが、頭上から返ってきたのは釘を差す言葉だった。


「そんなにでかい声を出すな、また連中が寄って来るぞ」

「あ、す、すみません……」

「それで、どうだ?」


 頭上を見るアミナの問いかけに、偵察兵の声色がより穏やかなものに変えられた。


「……ここから少し西にそこそこ大きい岩山があります。もしかしたら洞窟があるかも知れませんね。後は、南東に巨大な木が生えているので、こちらも怪しいように思われますが」

「ふむ、おそらくは岩山の方だな。以前、先代の時にも似たような事があったが、その時も洞窟に巣を作っておった」


 髭を生やした年配の男が思い出すようにそう言った。


「よし、幸いどちらもここから距離は離れていない。分散はせずに岩山の方へ向かう。外れだったら木の方へ」



 アミナの判断に従った一行は、一路岩山の方角へと向かっていた。梢の狭間から見え隠れする山の頂上が少しずつ大きくなってくるが、その間にも大毒蜂の妨害は後を絶たなかった。それどころか、空間辺りに占める密度の割合は増すばかりだった。

 それは、一行が確実に巣の方へと近づいていることを意味していたが、あまりの多さに兵たちも焦りを隠せなくなってきた。360度、どこを見渡しても蜂、蜂、蜂だ。これまではある程度余裕を持って対処できていたが、周りの蜂が一斉にかかってきたらと思うと背筋が冷たくなった。


「ちくしょうっ、一体何匹いるんだ! 埒が明かんぞ」

「確かに数が多過ぎるな。こりゃあ近隣の町まで繰り出すわけだ」


 ここに至るまでの間、蜂以外の生き物に出会うことはほとんどなかった。おそらくはこの近辺の動物はあらかた狩り尽くされてしまったのだろう。


「……これ以上移動速度を緩めてはじり貧になるな。(ふもと)まで一気に駆け抜けるぞ、一人も遅れるな」


 アミナの号令に反応し、一行が走る速度を一段上げた。行く手を遮る蜂を除いては、自分たちからは攻撃を仕掛けぬよう努めた。


「け、結構な数追ってきてますよ!」


 若い兵が走りながらも肩越しに目を戻し、顔を引き攣らせて叫んだ。追ってきた蜂たちの飛翔音が重なり、大音量で周囲に不気味に響いている。そのせいで大声を出さないと言葉のやり取りができないのだ。

 アミナは山の麓にある洞穴に目を細め、次いで後ろから飛んでくる蜂たちを肩越しに一瞥した。上空と低空、各所から追ってきている蜂の軌道が重なり、密集しつつあった。


「洞窟の中からやって来る蜂はおまえたちに任せる! 入口から15m前後奥にいった場所で領域確保! 外の蜂は私がやる!」

「え……、やるってまさか、あの数を一人でですかっ!?」


 若い兵が思わずアミナの身を案じる言葉を口にした。追って来ている蜂は少なく見積もっても数十匹はいる。その中には親衛隊蜂も何匹か混じっているのだ。


「心配するな、姫様は俺たちよりもずっと強い!」


 アミナが言葉を返す前に部隊長が若い兵の方を振り向き、少しきまり悪そうに笑った。それを認める言葉を吐いた自分を恥じているようでもあった。


「間もなくだぞ、飛び込んだ後の領域確保はそなたたちに任せたからなっ」


 そう叫ぶや否や、アミナは走りながら両手に魔力を集中させ始めた。微かに、大地がカタカタと揺れ始めていたが、必死に走っているため足元の揺れに気づく者は誰一人としていなかった。



 獣族たちが先行して洞窟内に侵入し、暗闇からの奇襲に備えて闇に向かって風魔法を放ちながら前進した。あくまで不意を突かれぬようにするためのもので、空打ちならばそれで問題はなかった。

 後を追うように、最後尾のアミナが洞窟の入り口に滑り込み、踵を返した。一行を追って来た蜂たちが、ぽっかりと空いた洞穴の入口を、そこで立ち止まっているアミナを目掛けて突っ込んできた。

 アミナは視界に数多の蜂を収めながらも、動揺を見せずに腰を落とし、拳を固めた。細く息を吐き出しながら、握り拳を反対の手の平で包み、走っている間、既に調整していた辰力を一所に凝集させていく。隙間風のような音がコゥコゥと、高音域に移行していった。

 敵が攻撃範囲内に入るタイミングを見計らい、アミナは強く息を吐き出しながら、洞窟の入り口に殺到してきた蜂の群れを目掛けて拳を振るった。


 巨大な何かが弾け飛ぶような、短くも凄まじい衝撃音が、兵たちの鼓膜を震わせ、洞窟をも細かく振動させた。拳に乗せられた衝撃波が一瞬にして拡散し、蜂たちを丸ごと飲み干していた。突っ込んできた数十匹の蜂たちは一匹残らず弾かれるようにして吹き飛ばされ、彼らの驚異の根源を、半透明の羽を打ち砕かれた。

 身体が地面に叩きつけられる音がそこかしこで鳴り響いた。ついさっきまで周囲に鳴り響いていた蜂たちの飛翔音は一瞬にして沈黙へと誘われた。


 唖然とする兵たちを尻目にアミナは軽く息を吐き、自らが起こした風圧で乱れた髪を搔き揚げながら洞窟の中へ入ってきた。部隊長だけは、だから言っただろう、と少し誇らしげだ。態度からして、何度かアミナと共同で任務をやっていることに疑いの余地はなかった。


「中の様子はどうだ?」

「あ……えっと……」

「この辺りは大丈夫なようですね」


 湿った空気の中、言葉を紡がぬ若い兵の代わりにベテランの兵が返事をした。兵たちが洞窟内に向けて撃った風魔法が蜂に当たった様子はなかった。おそらく大部分が外に出払っていたのだろう。実際、あの包囲網を潜り抜けてくる侵入者などそうそういないはずだった。


「では、灯りを付けよ」


 アミナの命令通りに、何人かの兵たちが持参したたいまつに火を付けた。球状に広がった柔らかな灯りが床、壁、そして天井までも照らした。松ヤニの燃える臭いが、じめじめとした空気をいく分ましなものにしてくれた。洞窟の天井はかなり低く、頭上からの奇襲は考えずに済みそうだった。どこからか水が漏れ出ているのか、水滴が地面に落ちる音が耳に入った。

 一行は閉所用に陣形を組み直し、先へと進んだ。


 奥に進むにつれて、段々と血の匂いが濃くなってきた。配下の蜂たちが女王にせっせと餌を運んでいたのだろうか。ほどなく漂ってきた腐った肉と錆びた鉄の臭いに、獣族たちの何人かが顔をしかめ、胸を掴むようにおさえた。人族より数段優れている嗅覚も、このときばかりは手放したくなった。


「どうやら、いるようだな」


 アミナがぽつりと呟いた。餌場が設けられた場所からそう遠くないところに女王蜂がいるはずであり、実際に息苦しさを伴う圧迫感を感じていた。

 細い通路を突き進んだところで、大空洞に出た。天井は吹き抜けになっているようで外の光が差し込んでいる。一瞬、その場にいる者全ての視線がある一点に釘付けになった。


「……で、でかい」


 年配の獣族が恐れを込めて呻いた。体長4mはあろうかという巨大な蜂が、なだらかな高配の高台の上に陣取っていた。今は羽をたたんでいるが、広げればもっと大きく感じられることだろう。否応もなく、緊張感が高まった。他ならぬ自分たちが、これからあの化け物を相手にするのだ。


「……あ、あれが大毒蜂の女王、ですか?」

「ああ、間違いない。だがあれだけのサイズのものは、お目にかかったことがないな」


 部隊長が神妙な顔で呟いた。ぐちゃっぐちゃっ、と挽肉を素手で捏ね回す音を何倍にも増幅した音声が大空洞に響いている。どうやら食事の真っ最中らしい。

 中央に集められた餌の山に、女王蜂が顎を突っ込み、喉に流し込むように上を向いた。様々な生き物の死体があった。熊、鹿、猪、そして――


「……くそっ!」


 同胞の変わり果てた姿を目の当たりにし、兵たちが顔を歪ませた。声は辛うじて殺していたが、鴉分連ばかりの敵意までは隠しきれなかったようだった。

 女王がぴたりと食事を止め、羽を左右に大きく広げた。大鋏を思わせる刺々しい顎をこすり合わせ、キィキィと、黒板をガラスで掻いているような不音を断続的に奏でた。

 アミナが無言で空を睨み、指差した。どこからともなく、たくさんの蜂が上空に集まってきた。その全てが親衛隊だ。最奥まで突き進んできた、母に仇なすだろう侵入者に、敵意を露にしているのは明らかだった。



 アミナが素早く上空に視線を走らせ、およその敵数を確認した。確認できるだけでも二十数匹。それだけでも十分な脅威であるが、奥に女王蜂が控えているのを忘れてはならなかった。長引けば外から偵察隊が戻ってくる可能性だってある。そうなれば大混戦となり、犠牲が出るのも避けられなくなる。


「……やるしかないな、短時間で片を付けるぞ」

「はっ!」

「女王蜂は尾から毒液を噴射する。周りのお邪魔虫以上に、あの尾の動きには警戒しろ」


 部隊長の指示に、アミナも含めて皆がうなずいた。


「……女王は私が始末する。お前たち、援護を頼むぞ」


 短い言葉を発するや否や、アミナが強かに地面を蹴り出した。一人女王蜂に向かって突っ込んでいく主君に兵たちが驚愕の表情を見せた。


「ひ、姫様!?」

「狙いを一所に絞らせるおつもりだ、姫様に続けっ! 姫様を狙う蜂たちをすべて殲滅するぞ!」


 そう言った部隊長が、自らもアミナの後を追い始めた。後に続く兵たちが左右に展開。部隊長を頂点として鈍角を描くように突き進んだ。


 明らかに自分たちの主を狙って疾走するアミナに蜂たちが注目した。上空から一斉攻撃を仕掛けるべく、既に降下を始めている。それを阻むかのように、彼女の後方から走ってきた兵たちが、上空に魔法や矢を放った。彼女の単独行動に気を取られていた蜂たちが意識の外から飛来した攻撃をまともに浴び、狙うべきアミナから軌道を逸らして地面に突っ込んだ。

 しかしながら蜂の数は相当に多く、女王の警護を許されているだけあって俊敏でもあった。二匹ほどの蜂が兵の攻撃を掻い潜り、右後方からアミナに襲いかかった。


「姫様! 危な……って」


 背筋にざわつきを感じた瞬間、アミナが息をふっと短く吐き出し、走っている状態から更に急加速した。瞬く間に後方から突進してきた蜂を突き放し、真正面から女王蜂に向かって跳躍する。

 女王蜂が華奢な体を噛み切らんと、左右に開いた顎を突き出してきた。顎と尾、二つの恐るべき凶器の位置を目で捉えたアミナが、ふいに左手から魔力を解放した。衝撃波が生まれ、小さな体が右側に体二つ分ずらされた。

 空中で方向転換した直後、片方の顎が脇腹のすぐ横を通過した。際どい回避行動の後に、絶好の機会が生まれた。女王の無防備な横っ面が目の前にあった。

 迷いなく、辰力を込めていた右拳を前に突き出した。形状化した魔力に覆われた手が、女王蜂の眼、薄緑色の巨大な水晶のど真ん中に命中。どろどろとした水晶体を抉る不快な感触が、形状化した辰力で覆われている手にも伝わった。

 片目を貫かれた女王蜂が堪らず身悶え、姿勢を崩して地面へと落下する。

 それを見て兵たちが歓声を上げた直後だった。女王蜂が羽を高速で揺り動かし、墜落する寸前で停止した。地面との距離は1メードを切っていた。顔が下を状態で、未だ上空にいるアミナに大きな尻尾を向け、猛烈な勢いで紫色の毒液を噴射する。


「――くっ!」


 いち早く事態に気づいたアミナが、半ば反射的に手から魔力を勢いよく放出した。先ほどのように微調整する余裕はなく、回避するので精一杯だった。

 直後、空に噴射された毒液が上昇を止め、拡散した。重力に絡め取られた紫色の毒液が、今度は雨となって地に降り注いだ。


「……<燃え盛る炎(ファイアボルト)>だ!」


 誰かが発した咄嗟の指示に兵たちが応じた。上空に向かって手の平から炎を噴射し、降ってきた水滴を漏れなく蒸発させた。機転によって何とか事なきを得るも、毒液に当たった岩の床は熱された鉄板で肉を焼くような音を立て、溶け出していた。その威力を実証するかのように、周りに飛んでいた蜂の群れは毒液を全身に浴び、地に落ちてびくびくとのたうっていた。親衛隊は女王蜂の毒液によって全滅に近い状態だった。


「お、おっかねえ……」

「――ひ、姫様!」


 主君の姿を目で追っていた兵が、焦燥に駆られて声を上げた。アミナが着地した直後、そのままよろけて床の上に倒れ伏した。

 やや離れた場所にいた女王蜂が、倒れたアミナ目掛けて飛び掛かった。潰された目の仕返しだと言わんばかりに。


「ま、まずい!」


 兵たちがアミナを助けに走り出したが、到底間に合いそうになかった。女王蜂とアミナとの距離はもう5メードもない。うつ伏せになった身体を噛み砕かんと両の顎が左右に開かれ、そして迅速に閉じられた。金槌を渾身の力で鉄板に打ち付けたような音が響いた。


「ギギッ!?」


 確実に噛み砕いたはずの獲物がどこにもいない事に気づき、女王蜂が訝るような声を出しながら、無事だった右目で周りを見た。


「隙だらけだぞ、化け物」


 後ろからかけられたその声に、女王蜂の動きが止まった。アミナは、兵たちにも目で捉えられぬほどの速さで女王蜂の真後ろに回り込んでいた。

 女王蜂が後ろを向くのよりも早く、アミナが×字に交差させていた腕を、掴まれていたのを払いのけるように左右に開いた。少なくとも、兵たちにはそうとしか見えなかった。

 わずかに風がそよぎ、アミナの銀髪をふわりと舞い上がらせた。女王蜂は、全く反応を見せなかった。それどころか微動だにせず、そして――


 若い兵があっと声を上げたのとほぼ同時に、女王蜂の全身に裂傷が現れ、黄緑色の体液が傷口から一斉に噴き出した。大きな羽が端から噛み切られたようにボロボロになっていた。

 致命的な一撃を見舞われた女王蜂の巨体が、断末魔を発しながら岩肌にゆっくりと接触し、それきり二度と動かなくなった。



 獣族たちは三人一組となり、分担して女王蜂が残した遺産、卵の駆除を行っていた。司令系統がいなくなれば、残っている卵から新たな女王蜂に分化する蜂が現れるためだ。アミナも手伝おうとしたが、疲労を慮った兵たちに阻止された。仕方なくといった表情で腰掛けられそうな岩に座り、それでも部下たちに度々指示を飛ばしていた。


「女王の尻尾はちゃんと持ち帰るぞ、貴重な素材だからな。……そうだ、そこに切り込みを入れるんだ」

「はい。うわ、ここは硬過ぎて無理じゃないですか? ……ああっ、なるほど」


 年輩の兵が狩猟用のナイフを使い、若い兵に解体の仕方を丁寧に教えていた。何事にも通じることだが現場で学べる知識は有用なものが数多い。新兵の教育に手を抜かなければ、いずれ彼らがフォルストロームを支える屈強な戦士となるのだ。

 教育はあくまで将来への投資であり、今を凌ぐためのもので終わってはならない。例外的に即戦力になり得る者も稀にいるが、そういったものを重宝してばかりでは蕾がそうそう花開くことはない。閉じられた蕾の数が多いほど、傾国が起きやすい。アミナは動き回っている兵たちを見つめ、現フォルストローム王にしてアミナの祖父、キーア王の教えを反芻していた。


「姫様、側面の小部屋にあった卵は全て焼却しました」

「ならばよし、上のくぼみの方はどうなっていた?」

「確認しましたが、卵はありませんでした」


 大空洞で確認作業をしている中、薄らと煙が漂ってきた。それと前後して、部隊長他数人がわらわらと戻ってきた。


「お待たせしました、奥の方の卵は既に孵化し、幼虫となっていましたので火を放っておきました」

「わかった。遺体の身元の特定はできたか?」

「はっ、一人だけは所持品で確認できましたが後は……」


 部隊長が力無く首を振り、兵たちが沈痛な表情で足元を見つめた。


「そうか、……致し方あるまいな、火を寄越してくれ」


 アミナが部隊長から差し出された、火がついたままのたいまつを受け取り、女王の餌となっていた遺体の山に向かって放り投げた。薄闇の中で炎が弧を描き、頂上の少し下辺りに落下した。

 腐った肉や動物の毛が、パチパチと音を立てて燃え出した。炎は次第に大きくなっていった。腐臭と体毛の焼ける匂いが鼻に衝いた。

 煙が吹き抜けへと吸い込まれていくのを見届けると、アミナはゆっくりと目を閉じ、手の平と拳とを合わせた。きちんと弔う必要があった。ここに連れてこられ、蜂たちの餌食となった彼らの無念と絶望、そして恐怖に冒された魂を。

 哀悼を捧げる主君を前にして兵たちがうなずき合い、アミナに倣うように手を組み、黙祷を捧げた。



 一行が洞窟の外に出ると、もう蜂の姿はどこにもなかった。あれほど騒がしかった飛翔音もどこにもない。指示系統を失って離散したようだった。西の空を見ると、既に日は沈みかけていた。


「皆の者、ご苦労だった。そなたたちの日頃の修練の証、しかと見せてもらったぞ。良く励んでいるようだな」


 いち早く洞窟を出たアミナは兵たちを振り返り、労いの言葉を掛けた。


「勿体無きお言葉にございます、姫様」


 兵たちは一糸乱さず、アミナに敬礼した。その中には照れ臭そうな表情をする者も何人かいた。彼女の力添えがなければ、兵の犠牲は少なからず出ていただろう。彼女の武名を話半分に聞いていた者も女王蜂との闘いをその目で見届け、より畏敬の念を強くしたようだった。


「しかし、この件に関してはもう少し調査する必要がありますね」

「確かに、あれほどの女王蜂がこのような人里に近い所に現れた前例はないな」


 兵たちの言葉にアミナが重々しくうなずいた。


「私も同感だ。異常気象で偶然に現れたならまだしも、これが人為的に引き起こされた事ならばその罪は決して許せるものではない。そなたらの申した通り、調査は引き続き継続する。何者かの悪意による行為であったことが判明した暁には、我が国で斯様かような振る舞いを起こせばどうなるかを、国内外に対して示さなねばならぬからな」


 ぎゅっと握り締められたアミナの拳を見て、兵たちは各々に表情を引き締めた。未だ事が終わったわけではないということを再認識した。


「今後は各ギルドとの連携も重要になろう。私は一旦シルフィールに戻って妙な報告が上がっていないかをチェックしてくる。隊長、ジジ様への報告は任せたぞ」

「畏まりました」


 部隊長が胸に手を当て、うやうやしく頭を下げた。


「それから、散った蜂と遭遇しないとも限らぬ。帰還時も警戒は怠らぬよう留意せよ」

「はっ!」

「お任せくださいっ!」


 兵士たちの力強い返答を耳にしたアミナが、不意に表情を崩した。兵たちは思わず心の裡で感嘆した。先ほどまで纏っていた畏怖を全て脱ぎ捨てた、可憐な少女の笑顔がそこにあった。夕日が銀髪と相俟って黄金色に輝き、神々しさすら感じられた。


「各自、戻ったらちゃんと疲れを取るのだぞ。後日、身元が分かった者の遺族へは補償の手続きを行うように。身元がわからなかった者に対しては失踪の時期と場所を照らし合わせよ。九割方間違いないと判断できればそれで由とする。では、解散っ!」

『ははっ!』


 兵たちが一斉にアミナを囲むように膝を付き、深々と頭を垂れた。



 アミナと分かれた一行はキャノエの隣町ボニにある駐屯地に向かっていた。流石に疲弊している者も多いようで、時折走る向きがずれたり、目蓋を擦っている者が見受けられた。

 少し遅れ気味になっている者を慮り、部隊長が行軍の速度を緩めるように指示を飛ばした。


「しかし、凄かったですねぇ姫様。度々耳にする武勇伝にしても、いくらかは誇張されているのでは、と思っていたんですがとんでもない。噂以上の強さでした」

「ああ、あれでまだ十六歳だと言うのだから驚かされる。末恐ろしい事だ」


 女王蜂を苦もなく葬り去ったアミナに、兵たちは圧倒されるばかりだった。あれ程の力を持つ者はフォルストローム軍全体を探しても五人といないはずだ。


「全くです、見た目はあんなに可愛らしいのに。身体もそんなに大きくないし……スタイルは抜群だったけれど、あだっ!」


 先行する若い兵士の言葉に、部隊長が後ろから拳骨をお見舞いした。


「ど阿呆が! 下劣な目で姫様を見るな!」

「げ、下劣って、そこまで言わなくても……」

「同じ男である以上気持ちはわからんでもないが、美しい薔薇には棘があるぞ、それもとびっきりのな」


 年配の兵が快活に笑った。若い兵が恥入るように肩を窄め、再び前を向いた。


「あの強さはキーア様譲りであろうな。先代もかなりの使い手であったが、姫様はあの御歳にしてその域を超えておられる。さりとて強いだけでは人は付いてゆかぬ。あの思慮深さと優しさがあればこそ」

「それに美しさも」


 茶化すような口振りで誰かが付け足した言葉に、しかし反論する者はいない。確かに美しさも、彼女を語る上では外せない要素だからだ。

 けれども兵士たちは、否、フォルストロームに住まう国民たちは知っている。美しさに負けぬ統率力。何より下の者への気遣いを忘れぬ澄んだ心こそが、数多の信望を集める原動力であることを。


「確かに姫様はお強い。が、あの方が細い肩に背負っている荷はあまりにも大き過ぎる。だからこそ我々が全力で支えねばならぬ。少なくともこの程度の事で御手を煩わせないくらいにはならねばな」


 年輩の兵の言葉に兵たちがうなずいた。


「そうですね、我々ももっと強くならねば。フォルストロームの為に、姫様の為に」


 戦いを経て、兵たちはひとつ新たな誓いを立てた。



「くしゅんっ! ……つぅ、まだ少し痛むか」


 くしゃみの後で、アミナが痛みに顔を歪めた。走りながらも手は左脇腹を庇うように(さす)っていた。

 結果だけ見ればごく短時間で女王蜂を始末できた。が、見た目ほど楽に倒せたわけではない。何とか兵たちに被害が出る前に片付けようと瞬発的に、もっというとかなりの無理をして戦わざるを得なかったのだ。

 外傷はなくとも体力は相当に消耗していたし、毒液の噴射を避ける際には身体を変に捻ったため、脇腹の筋肉をも傷めていた。巣に向かっていた時に比べれば息も上がっているはずだ。

 兵たちの前でそのことをおくびにも出さなかったのは、誰にも弱みを見せられないという強制観念にも似た性格であり、彼らに心配をかけまいとする彼女なりの配慮でもあった。

 足を止めぬまま、アミナは帰路を慎重に選んだ。なるべく見通しがよく、それでいて退路を遮られないような場所へ。怪我をしていると勘繰らせぬ速度で疾走しながらも、視点は目まぐるしく動いていた。危険に踏み込む決断力と距離を置く警戒心、一流の戦士に不可欠なその資質をアミナは併せ持っていた。



 覚えのある街道が木立の隙間から見えたところで、アミナがやっと足を止めた。周囲の気配を探ってみたものの、正面にも後方にも敵意は感じられない。王族という立場上、警戒するのが魔物だけというわけにもいかない。しばしの間、アミナは両膝に手をついて息を整えた。

 それからゆっくりと足を踏み出し、石畳の道に戻った。土道ばかりを歩いていたこともあり、靴底から伝わるその固さがパンパンに張った脹脛に響いた。


 ――さすがに体が重いな。早めに湯浴みして疲れを取らねば。


 汗で額に張り付いた髪をさっと横に流し、泥塗れの体に纏わりついていた疲労感を押し込めると、アミナはキャノエに向かって走り出した。

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