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第六章 ~獣姫アミナ(1)(改)~

改稿、12月21日

 夜明け前に目覚めたシュイは、キャノエの町から少し離れた丘の上に繰り出し、大鎌を振るっていた。C級の任務ではあったが、本格的な魔物討伐の任務を受けたのは今回が初めてだったため、ささいな不安も残さず任務に臨みたかった。



 黒い刃が上下左右に動く度に、朝の新鮮な日差しが乱反射を起こして梢や地面を照らしている。鎌は斧や槌などに比べて先端の金属部分が薄く、その分軽い。振り被るのにさほどの腕力を必要としないため、未発達な体でも扱うことは十分に可能だ。

 そうは言ってもリーチが長く、先端部に重心が偏っていることに変わりはない。全力で振るうと鎌の勢いが大きくなり、握っている手が引っ張られて体勢を崩してしまう。かといって魔物相手に気の抜けた一撃では意味がない。


 掛かる力を確かめるように、素振りの度に少しずつ腕に力を加えていく。7、8割くらいの力で真横に薙ぎ、斜め下から斜め上へ振り抜き、身体を一回転させながら振り下ろす。と、地面すれすれで止めるはずだった三日月型の刃の先端が、勢い余って土壌に潜り込んだ。


「よっとっ、――あれっ、抜けないな。ぐっ、ぬぬぬ……くそっ」


 かなり深めに刺さったのか少々の力ではびくともしなかった。このままでは埒があかないと肩を入れるようにして渾身の力を籠め、膝を曲げて一本釣りの要領で腰を一気に引いた。


「――おわっ、とっとっと」


 引き抜いた鎌刃の勢い余って今度は後ろの方に倒れそうになった。シュイは背中を反らしつつも手をばたつかせて何とか踏みとどまった。



 ――無駄に疲れた。鎌を選んだの失敗だったかなぁ。


 芝生から覗いている岩に腰かけたシュイは、近くの木に立てかけた鎌を一瞥して溜息を付いた。もっとも殺傷力のある先端部の鎌刃。ここを相手に当てるにはどうすればいいのか、購入時にはそんなことまで考えていなかったのだ。

 そうかといって、あまりそればかりに意識を取られるわけにもいかない。魔法付与への集中力がおろそかになっては本末転倒だ。


 一先ずは慣れるのが優先か。シュイは息を整えて立ち上がり、再び鎌を手に取って構えた。

 一連の動きを繰り返しているうちに、ふとあることに気が付いた。何も無理して刃を当てる必要はなかったのだ。持ち手の方だって硬い金属だし、少し勢いを付ければ充分な破壊力を出せる。全く刃の付いていない棍という武器もあるくらいだ。勢いや速さで補えば問題はないだろう。

 先ほどまで柄の端側を持っていたシュイは、持つ場所を少しずつ変えながら鎌を振るってみた。柄を持つ位置によって扱い易さががらりと変わるこの武器は、ある程度変則的な動きを取り入れないとまともに使いこなせそうになかった。柄の方で突きを入れ、身体を下げながら右手を固定させ、今度は柄を捻って回転させて刃の向きを変える。


 ――お、今の動きは良い感じだったかも。下に避けられたらそのまま蹴り、上だったら、うん、跳ね上げてみようか。


 相手の動きを想像しながら、シュイは得物の修練に時間を費やした。



 宿に戻るとベチュアが打ち水を撒いているところに出くわした。


「おはようさん。今日は随分早いお目覚めだね」

「ああ、おはよう。今日もかなり暑くなりそうだな」


 シュイは太陽を直視せぬように手を翳し、天を仰いだ。まだ七時前くらいだというのに日差しはかなり暖かで、頬には熱が籠っていた。空は薄雲一つ見当たらない快晴だ。白く照らされた舗装路では先ほどベチュアが撒いたばかりの水が、目に見えて小さくなっていった。


「あら、あんたも暑いって感じるんだね」

「……どういう意味だ?」

「そりゃ、ずっとそんな暑苦しい格好しているからさ、暑いのが好きなのかと勝手に思っていたよ」


 そうですよね、という同意を押し殺し、シュイが修行のためという苦しい言い訳を口にした。ベチュアが腰に手を当ててにんまりした。あまり信じていないだろうことは容易に察せられた。


「ふふん、まぁいいさ。朝御飯後でもって行くから、汗かいたなら先にお風呂入ってきちゃったらどうだい? 今なら多分誰もいないよ」

「朝風呂か、いいかも……。うん、そうさせてもらうよ」



 自分の部屋に戻ったシュイは、皮袋から畳まれた黒衣と肌着を取り出して颯爽と風呂に向かった。<ベチュア亭>には個室の風呂もあるので顔を見られる心配がなかった。気軽に湯に浸かることができるのは大きなメリットだ。大浴場しかない宿の場合、入浴は諦めるしかない。


 男湯と書かれている標識の方に進み、一番奥の小浴場が空いていることを確認。足早に中に入って木戸に錠をかけた。手早くフードを取り、黒衣を畳み、下に来ていたシャツと緩めのズボンを脱いで網籠に重ねた。

 備え付けの、洗濯石鹸の香りが残っている解れたタオルを手にし、湯気立つ浴室に入った。蛇口を捻ると、温い水のすぐ後にかなり暑いお湯が吹き出してきた。少し水で埋めながら軽くシャワーを浴び、体についた汗を落としてから洗面器にお湯を溜めた。

 薄桃色の薔薇石鹸をタオルで泡立て、手足を隅々まで洗った。脇の下や首は特に念入りに擦った。

 まずは身体に付いた石鹸を洗面器に入っているお湯で洗い流した。それから白い泡の残っている部分をシャワーで落とし、湯船に向かった。

 個室の風呂とはいえ、木製の湯船はたっぷり三人は入れそうな広さがあった。お湯は少々熱めだったものの我慢出来ないほどでもない。ゆっくりと足先から入り、1分くらい時間をかけてようやく、肩の下まで湯に浸かった。


「ふぃ~、たまらんな~」


 言った後で、少し親父臭い台詞だったかと反省した。全身にゆっくりと熱が回っていき、手の指先にまで行き渡ると、自然と息が吐き出された。体の中にあった淀みが、一気に抜け出たかのような開放感があった。

 風呂というものは全くもって素晴らしいと、シュイは常々思っていた。裸でただお湯に浸かるだけ。ただそれだけで外界の全てから解き放たれ、自分を取り戻すことができる。入るのが朝であれば今日への決心を固くし、夕方以降であれば一日を振り返る最良の場であろう。


 湯に浸かってからどれくらい時が経っただろうか。どこからかともなく、カラカラと引き戸の開く音がした。半ば反射的に浴室の引き戸を振り向いたが、しっかりと錠をかけていることに思い当たった。ドアをぶち破りでもしない限りは侵入不可だ。そして、自分の裸に興味がある者がいるとも思えない。おそらくは隣の浴室に誰かが入ったのだろう。ほっと胸を撫で下ろし、湯面から飛び出た両肩を再び沈めた。


「おい、誰かいるか?」


 今度はやや高めの声が発せられた。浴室内を見回すも、湯気が立ち込めているだけだった。やはり隣の浴室だろうと独りごちた。


「いないのか? いるなら返事をしてくれ。というか、絶対いるだろう。さっき水の跳ねる音が聞こえたぞ」


 何やら上の方から声が響いてきている気がした。頭上を見上げたシュイが、あぁなるほど、と納得した。

 5メードほどの高い天井と壁面との間には通気口と思しき隙間があった。壁向こうの浴室から声が届いているのだ。声からして女の子のようだから、隣は女湯なのだろう。


「……何か用?」


 悩んだ末に返事をした。初めは黙っていようかと考えていたのだが、風呂から出た時に鉢合わせしてしまったら非常に気まずい。


「おお、やはりいたのだな。実はこちら側の浴室の石鹸が切れてしまっていてな。わざわざ着替えて取りに行くのもなんだし、そちらに余っている石鹸があったら一つ放り投げてくれぬか? 壁の上は繋がっているようだから、多分できると思うのだが」


 はきはきとした声が浴室内に反響した。そういう事情かと納得はしたものの、果たして宿の備品を無断で移動させても良いものか。


「……だ、駄目か? ……駄目なのか?」 


 返事がないことに不安になったのか、罪悪感を増幅させるような猫撫で声が届けられた。なぜか、小さな捨て猫に呼び掛けられているかのように気持ちが揺さぶられた。

 数秒ほどで思考があっさりと一方向に傾いた。はっきりと断る勇気も、意地を通さなくてはならない理由も自分にはなかった。などと言うのも大袈裟な話で、所詮は石鹸一つのことに過ぎない。

 後で女将に事情を話して謝っておこう。宿にある石鹸の数が減る訳じゃない。シュイはそうと自得して湯船を出ると、端の方に置いてあった新しい予備石鹸をむんずと掴んだ。


「わ、わかった、今から投げるよ。頭に当たらないよう注意してね」

「おおっ、手間をかけて済まぬ。さぁ、いつでも良いぞ」


 弾んだ声は紛れもなく少女のものだが、それにしては随分と特徴のある喋り方だ。芝居がかったというよりは古風な印象がある。

 そんな事を思いつつも、シュイは掴んでいた石鹸を天井の隙間目掛けて放り投げた。石鹸はパシッと音を立てて天井にぶち当たるも、うまいこと隣の浴室に落ちていった。何度も失敗するときまりが悪いので、一度でいってくれて安堵した。


「ありがたい! どなたかは存ぜぬが本当に感謝するぞ」

「い、いや、これくらい何でも。じゃ、じゃあ、俺はそろそろ出るからどうぞごゆっくり」


 シュイはそう言い、そそくさと浴室を後にした。引き戸を閉めたところでホッと一息付き、続いては首を捻った。こんなに心を乱されたのはいつ振りだろうかと。



 仄かな湯気を立ち昇らせて部屋に戻ると、既に朝食の支度が整えられていた。やたらと長細い川魚の塩焼きに山菜と山芋の汁、赤い茸の炊き込みご飯に納豆に温泉卵。朝から夕食並みに食欲をそそらせるラインナップだ。


「おかえりなさいませ。おひつは置いていきますので、よろしければおかわりもどうぞご遠慮なく」


 宿の女性従業員がにこやかに声をかけた。


「ああ、是非頂くよ」


 従業員が出て行った後で、シュイは腰を下ろし、箸を手にした。まずは山菜汁から口を付ける。しっかりダシを取っているのだろう、塩味を感じさせるか感じさせないかといった塩梅が、汁の具材と見事に調和している。


 ――教えてくれるかはわからないけれど、後で作り方を聞いてみよう。ニルファナさんに今度会ったら食べさせてあげたいな。


 

 朝から豪勢な食事を平らげたシュイは、腹ごなしに走りながらギルド支部へと向かう。時折すれ違う者が「ひぇっ」と声を上げて避けていくような気がするが、気がするだけだろう。

 ベチュア亭から十分ほどでギルド支部に辿り着いた。中に入って柱時計を確認すると、九時二十分前だった。


「お疲れ様です。依頼人の方も間もなく来られると思います」

「ああ、わかった」


 受付と言葉を交わしてから数分後、依頼人と思しき獣族ビーストの女が現れた。依頼人は普段着だったがどうやら医者のようで、止血に効く薬草を切らしてしまったらしく、まとまった数が欲しいとのことだった。


「――二つ大きい岩が並んでいるところから、少し南に行った日当たりの良い場所にたくさん生えています。こちらが見本になります、よろしくお願いしますね」


 女は押し花みたいになっている薬草の標本を開いて差し出した。茎が細長く、葉の先の部分が薄っすらと赤紫色になっているのが特徴のようだ。


「わかった、これと同じものだな。似たような草は生えていないだろうか?」

「ええ、この辺りではこれと同じような草は生えていないはずです。一目でわかると思います」

「了解した、後ほど出立する」



 一旦、その依頼人と別れたシュイは、次の依頼人を待った。しばらくして、こんどは背の少し低い、戦士の様な格好をした魔族(デモン)の男がシュイの前に現れた。魔族は比較的爪や牙が伸び易く、身体に流線型の痣の様な文様があるのが特徴だ。耳も森族(エルフ)と同じくらい尖っている。


「お待たせした」


 その出で立ちからすると、偏見かも知れないが虎の一頭くらいは自分で何とかしそうな雰囲気があった。腕も足もシュイより明らかに太く、おまけにかなり厳めしい顔付きだ。


「では、詳しい内容を聞かせてくれ」

「一週間ほど前に、キプロの森の奥で木を切っていた近くの住人が馬鹿でかい虎に喰われちまったらしい。それで傭兵に敵討ちを頼みたいという事だ」

「ということは、あなたが直接の依頼人ではないのか?」

「ああ? いや、うむ……い、依頼するように頼まれたのだ。だ、代理人というやつだな」


 やたらと歯切れの悪い男を見て、ふと頭にある考えが浮かんだ。この男は、初めは自分で依頼を受けてみたものの、戦ってみたら手に負えなかったのでは。それでもって別の傭兵に投げ出したのではないか、と。

 とはいえ、変に詮索して取り消されては目も当てられない。今は報酬の額よりも依頼をこなしたという実績が欲しかった。


「了解だ、遭遇した場所を聞かせてくれ」


 依頼人の男は、まるで自分が虎に遭遇したかのように詳しい場所を教えてくれた。どうやら予想は正しかったようだった。



 依頼人が帰った後で、シュイは待合室の椅子に座り、短時間で手早く任務を終わらせる方法を考え始めた。

 虎は縄張りを作る動物で、よほどのことがなければ所定の場所を離れることはしない。依頼人が遭遇したポイントを中心に探せば見つけるのはさほど難しくないはずだ。加えて、繁殖期以外は単独で行動する習性を持っているので群れに襲われる心配もほとんどない。

 もちろん想定外の事態に備え、狩猟道具はやや多めに持っていく必要があるだろう。夜行性の肉食獣であることを考慮すると日没までには確実にケリを付けたいところだ。


 虎を仕留める算段を組み立てたシュイは、必要な物を指折り数えながら支部を後にし、キャノエの商店街の方へと向かった。

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