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第一章 ~新しい名前(1)~(改)

 山間(やまあい)の小さな港町に淡い陽光が放射状に降り注いでいた。港へと向かう船のマストには真っ白い長方形の帆が縦に三枚広がっている。その上を飛び交うカモメの群れの鳴き声を、間延びした警戒音が上書きしていった。魔石を利用したその音はいびきを引き延ばしたようにも聞こえる。


「やっと到着かぁ。結構長かったね」


 肩甲骨の下まで届く色鮮やかな赤髪が、さらさらと潮風に(なび)いている。間延びした重低音が静まると、甲板に立っていた女は組んだ両手を反らすようにして、空に向かって伸びをした。半袖のブラウスに強い日差しが照り付け、生地の白さを一層際立てている。穿いているのは海の色合い、膝丈くらいのプリーツスカートだ。



 眩いばかりの後ろ姿に目を細めながら、少年はその隣に歩を進めた。

「退屈はしなかったよ。たまには船旅も悪くないね」

 女の晴れやかな服装とは対照的に、少年が纏っているのは魔法使いが好んで身に付ける黒衣だ。夏真っ盛りにも関わらず季節外れのフードを深めに被っている。ややサイズが大きめなのか、その裾は足先までも覆い隠していて不格好な印象だ。


 女は白塗りの手すりに身体をあずけるように両腕を乗せた。吹き上がりの、一際強い風が髪を乱したが、それを気に留めた様子もなしに目線だけをちらりと後ろに向ける。一挙一動がいちいちさまになるな、と少年は一人感心した。


「ゆったり過ごす分にはね。それよりイェルド、本当にそれでいいんだね」


 念を押すように、たっぷりと間を取って訊ねた。少年は女の横にある、輝く水面の先にある町を見、わずかに(あご)を引いた。


「もちろん、折角ここまで連れてきてもらったんだ。どちらにしても――」


 不意に、強い潮風が甲板上を巨大な(ほうき)(さら)うように吹き付け、少年はフードが外れぬよう、頭の上から抑えつけた。顔を隠す影がやや薄くなり、口元が日差しに晒された。被り物によって三角形に切り取られた視界の先には、海の色を写し取ったかのような深い青がある。


「――このままのうのうと生きていくなんて絶対に嫌だ。きっといつか、僕の手で」


 意志の(つよ)さが(うかが)える、輪郭のはっきりとした言葉を耳にして、女は尚も考える素振りを見せた。


「そこは『僕』じゃなくて『俺』。それから、返事は『うん』じゃなくて、『ああ』の方がいいかな」

「お、俺? 俺かぁ」


 いきなり人称を変えるのは少し照れ臭い。そう言いたげにイェルドが首を傾げた。


「こーらー。そのくらい割り切らなきゃこの先やっていけないよ。どんだけ厳しいと思ってるんだよー」

「ええと……、ああ、わかった。気をつけるよ、ニルファナさん」


 言いつけ通り、早速導入を試みるとニルファナは満足そうにうなずいた。生徒が口にした模範解答を聞き、教師が自身の教育方法に自信を深めるように。


「うむ、大変よろしい。くれぐれも言葉遣いには注意を払うこと、いいね」

「う、ああ」


 しばしの間、気まずい沈黙が流れた。じと目の視線から逃れようと、イェルドの顔が横を向く。


「ちょっとぉ、本当にだいじょぶ?」


 言うや否や、ニルファナの顔が無造作に、斜め下から覗き込むように接近してきた。あまりの顔の近さに、思わず仰け反ってしまう。薬草(ハーブ)の香りがする吐息が鼻にかかり、心の鼓動が自然と早まっていく。自分が稀に見る美人だということを少しでいいから自覚して欲しい。そのようなことを考えながらも、少年はこくこくと、額がぶつからぬようにうなずいた。ニルファナは少年の黒い瞳を数秒見つめてから足を引き、形の良い胸の前で腕を組んだ。


「当然わかっていると思うけど、かなりしんどいよ。それこそ、君の知っているどんな職業よりもね」


 掛けられた声に気遣いが滲み出ていることに気づく。ニルファナの不安を払拭(ふっしょく)するべく、少年は風音に負けまいと声を大にした。


「覚悟はできているよ。それに、消化できないわだかまりを抱えて生きていく方が、ずっとしんどいと思うし」

「それはわからないでもないけど。あーあ、こーなると予想出来ていたならあんなこと言わなきゃよかったかな。あろうことか『傭兵マーシナリーになりたい』なんて言い出すとはね」


 一般的に、傭兵とは多種多様な依頼を果たして報酬を得る者たちのことを指す。何でも屋と言い換えても差し支えない。依頼の内容は多岐に亘り、手紙の配達や人探しと言った軽いものから、魔物退治や犯罪者の掃討といった重いものまである。

 暗に不賛成の意を示したニルファナに、少年は口を尖らせた。


「じゃあ、そういうニルファナさんはなんで傭兵なんてやってるのさ」

「それはまぁ、なんというか、私にも色々あるのだよ」

「なら、僕だっておんなじさ。大丈夫、ちゃんと下準備だってしてきたし、今更失うものもないし」


 その事実を、自分の境遇を再度確認するかのように、少年は何度となくうなずいた。


「まだ幼いから無理ないけど、君は自分のことをあんまりわかってないよねぇ」


 少年の目線が自分に向くのを待って、ニルファナは続ける。


「絶対に、またできちゃうと思うんだよ。大切なもの」


 訝る少年にニルファナは軽く肩を窄めてみせた。


「何で、そんな事がわかるのさ」

「女の勘、ってやつかな。不思議と、一度も外れたことはないんだけどね」


 一笑に付したくなるような言葉。しかし、少年がその信憑性を疑うことはなかった。半年もの間寝食を共にして、彼女がそういう嘘を吐くタイプではないことくらいはわかるようになっていた。彼女がそう言うならば、きっとそうなのだ。

 何気なく後方に視線を送った。甲板の向かい側、肩越しに見える水平線にはくっきりとした横長の入道雲が乗っかっている。寄り集まった羊の群れのようにもこもこしているその光景は、微かな郷愁を招き入れた。丘の上にあった牧場。草花の香り。そして、懐かしき故郷の情景と人々の顔を。

 それを振り切るように、未練を断ち切るように、少年はニルファナに向き直った。


「なんだって構わない。必要とあれば片っ端から捨てていくさ」


 少年らしからぬ諦観した物言いに、ニルファナの口から自然と溜息が漏れた。


「やれやれ、残酷なことだね」

「あの、さ、心配してくれてありがとう。本当、感謝しているんだ」


 気遣いの心に対して謝意を述べた少年に、ニルファナは腰に手を当て、花を慈しむかように褐色の目を細めた。


 (かぎ)のような岬の突端にある灯台の脇を通過すると、視界の範囲内に収まっていた港町が幕開くように、少しずつ横に広がっていった。付近の漁船に注意を促す警笛を短く鳴らしつつ、二人を乗せた大型客船は湾内へ静々と進んでいく。船首が青い海面に白い切れ目を入れていき、生じた波頭が釣り人たちの居並ぶ岸壁に当たっては水飛沫を撒き散らす。


『間もなく<セーニア>領南東部、<ホーヴィ>。ホーヴィに到着致します。どなた様もお忘れ物なさいませんようお願いいたします』


 魔石で拡声された案内が船内に響き、船室からは乗客が荷物を持ってぞろぞろと甲板に出てくる。浮き桟橋に船が接桟してほどなく、錆びた(いかり)が海面へと吸い込まれてゆき、鎖が大きく軋む音が聞こえた。



 港から少し離れた、山の手の雑居が建ち並んでいる区域を二人は目指していた。その間にも幾多の通行人と擦れ違い、その大半が振り向かされている。他のことに気を取られていた者も周りの者達が視線を一方向へ送っていれば、当たり前のように釣られてそちらを見る。

 ニルファナの美貌は同性でも見惚れてしまうほどだったが、その他にも彼女が注目を浴びる理由はあった。同業者であれば、知らぬ者が存在しないほどに有名なのだ。そんな彼女が悪い意味で人目を引く黒衣の連れ合いと並んで歩けば、ありとあらゆる層の注目を集めてしまうと言っても過言ではない。

 羨望(せんぼう)よりは、戸惑い、好奇、蔑みの色が濃いようだった。ともすると王族と奴隷が、子供と流れ者が並んで歩くようなちぐはぐさを楽しんでいるのかも知れない。正と負の掛け算は負になるが、人の見る目もそれに順ずるようだ。

 もっとも、当の二人はそんなことには慣れきったという(てい)で、周囲の視線と(ささや)き声を全く意に介した様子もなく歩を進めている。


 大通りから路地に入って数分後。人通りが疎らになってきたところで、白い縦長の看板が角に固定された、さほど背の高くない建物が突き当たりに見えてきた。看板には青い塗料で大きく<シルフィール>とだけ書かれている。


「ここが、そうなの?」

「うん、想像と違ったかな?」

「す、少しだけ」


 戸惑い気味に建物を見上げる少年にニルファナが頬を緩めた。外観はどこにでもありそうな、三階建ての古びた木造家屋。壁面の塗料がところどころ禿げ落ちている。現状、周りの風景に違和感なく溶け込んでいるそこが旅の終着点であり、そして出発点だった。


「んじゃあ、行こっか」


 ニルファナが道案内でもするかのように、階段の上にある入口を手の平で示した。そこが、お気に入りの少年の指標になることを心から望みながら。


「あぁ、そうそう。新しい名前、もう決めたの?」


 一段目を上り掛けたニルファナは後ろ手のままくるりと振り返った。日差しを受けて(きら)めく、豊かな赤髪が潮気を含んだ風に舞う。

 束の間それに見惚れてから、少年は俯き気味に瞳を閉じた。

 己の名に一度ひとたびの別れを告げることを。その名にまつわる一切を置き去りにすることを。そして、いずれは必ず元の名を取り戻すことを、誓う。

 胸に決意を深く刻み込んでから、イェルドだった少年はゆっくりと目を開き、告げた。


「俺の名は、シュイ。――シュイ・エルクンドだ」

「シュイ、か。うん、悪くない」


 ニルファナは納得したようにうなずき、姿勢を正すと――

「――ようこそ、我がギルド・シルフィールへ。シュイ・エルクンド殿、歓迎する」

 そんな畏まった口上を述べて片目を瞑ってみせた。見ている者の野暮ったい感情を全て吹き飛ばすような、会心の笑顔で。



 古めかしい木造の建物の中に入り、まずシュイの目に飛び込んできたのはホールの真ん中にある巨大な長方形の掲示板だった。パッと見、縦幅は2m、横幅は10mといったところだろうか。板を支える八つ足にはそれぞれキャスターが付いている。

 深緑色の掲示板にはたくさんの紙がびっしりと、隙間なく貼られていた。相当に几帳面な人が貼ったのだろう。ちょっとした傾きやズレすらも見当たらない。

 紙に書かれている文字の方へ視線を向けると、どれも何かしらの依頼書であることがわかった。<夜盗の殲滅>、<貿易船の護衛>、<王都への文書配達>。様々な件名が大きく記されている。

 だが、貼られている依頼書の量に対して、それを見ている者は数人しかいなかった。天窓からの日差しだけが頼りの薄暗い屋内をぐるりと見回してみるが、やはり人の姿は(まば)らなようだ。


「相も変わらず、ここは暇そうだねぇ。まっ、手続きに時間がかからなくて済むからいいんだけどさ」


 ニルファナもシュイと同じように、辺りをゆっくりと見回している。彼女の口振りから察するに、どうやらこれが平常時の状態らしい。

 ふと、天井を見上げると蛍火のような淡い光球がたくさん宙を行き交っていた。その殆どは青っぽい色だが、時折黄色のものも混じっており、天井や壁を透り抜けて出入りしているようだ。何だろうと見ていると、次第に目がチカチカしてきた。シュイは瞬きつつ顔を元の位置に戻す。


「凄いや、ここがギルドかぁ」

「こら」

「あぐっ!」


 目の前に幾つもの星が散乱しては消えていった。肘で後頭部を小突かれたのだ。自然と口から呻き声が漏れ、屈み気味になった全身が震えた。数秒を経てやっと顔を上げ、抗議の目を向ける。と、何故かニルファナの方がご機嫌斜めのようだった。


<あのねー、そんな初心者丸出しの発言止めてくれる?>


 唐突に、頭の中に高い声が響いた。への字に曲がった唇が少しも動かなかったことから、その声が<念話>による物だと気付く。

 念話は、高位の魔法使いが相手に己の意思を伝えるのに用いる詠唱破棄術の一つだ。詠唱破棄術とは、魔法を行使するための言葉を必要としない特殊技法である。効果範囲は術者からおよそ20mといったところで体調により多少の増減がある。相手の頭の中に直接術者の意思、イメージを伝えられるため、周囲の者に悟られずに連絡を取り合える便利な術だ。イメージを伝える特性故に、人のみならず何種類かの知能の高い生物に対しても意思疎通を図ることが出来るらしい。極めれば相手の使っている念話を盗聴する、といった読心術に近い事も可能になるらしいが、そこまで出来る者は世界でも一握りと言われている。

 かくいうシュイもそれを扱うことは可能だが、それを習得し終えたのはつい数日前のことだった。使用者が少なく、応用も利くということで、ニルファナに基礎魔法をすっ飛ばして叩き込まれたのだ。


<昨日打ち合わせしたでしょー。これから君を一足飛びにCランクに推薦するって。少ないっていったって周りに人はいるんだから、そんな初心者じみたこと言っていたら絶対怪しまれちゃうじゃない>


 通常、大概のギルドでは傭兵の実力順にランクが取り決められており、ニルファナが所属しているシルフィールも例外ではない。本来ここのギルドでは傭兵未経験者は例外なく、最低のDランクから始まる。

 二人はシュイを経験者と偽り、Cランクに推薦する旨を前もって取り決めていた。正攻法で傭兵になるには毎年二回行われる適正試験に受かる必要があるためだ。

 別にそちらでも構わなかったのだが、ニルファナ曰く『絶対に受かるとわかっている試験を義務的にやらされるのって無意味だよね』ということなので、特に反論する理由も見当たらず、彼女の判断に身を委ねていた。


<す、すみません。つい……>


 シュイは念話で詫びながらニルファナに向かって頭を下げ――

 気の抜けた「へあ」という掛け声と一緒に、差し出した額にチョップを受け取った。反論の言葉は痛みが邪魔をして出てこなかった。


――


 半年ほど前のこと。

<賞金稼ぎ(ハンター)>に追われながらも流浪の旅を続けていたシュイは、ある日とある辺境の地で彼女、ニルファナ・ハーベルと出会った。後で知らされたことだが、最寄りの田舎町で偶然シュイを見かけ、以前手配書で見た似顔絵にどことなく似ていたのでこっそり後を付けてきたらしい。

 実際、傭兵であっても賞金稼ぎ紛いのことをする者は少なからずいる。とはいっても、受ける依頼は仇討ち関係が主だ。ごく稀にいかがわしい組織の裏切り者に対する粛清(しゅくせい)や、敵対国の要人暗殺といったキナ臭い依頼が舞い込むこともあるようだが、そういったものは各々ギルドによって受け付けるか突っ撥ねるかの判断がくっきりと分かれている。善悪の基準がはっきりしているか。安全がちゃんと保障されているか。条件の兼ね合い等、複数の条件をクリアしていないとまともなギルドでは取り合ってくれない。というのも、後ろ暗い依頼に関しては報酬こそ莫大であることが多いが、一方で口封じされてしまったり、場合によってはギルド毎標的にされるようなことも有り得るためだ。ゆえに、甘い条件で率先して受けるギルドはほとんどない。言い換えればわずかながら存在する。そして、倫理に反した依頼を好んで引き受けるようなギルドは総じて<裏ギルド>と呼ばれている。



 それはさておき、確かニルファナと初めて出会ったのは、枯れ葉だらけの並木道を歩いていたときだった。木立の裏から音なく赤髪の女が飛び出してきたのを見て、慌てて身構えたのだ。


 ――何で引っ掛からなかった? それに、女の人?


 逃亡生活を余儀なくされてからというもの、シュイは常日頃から尾行に気を付けていた。自分の周囲に張り巡らしている魔力の警戒網は、それなりに大きい対象であれば隈なく感知できるものだ。だからこそ、女の質量を感知出来なかったことに驚いた。次には得体の知れない相手に対してどう対処すべきか、考えを巡らせねばならなかったが。


「あの、何か用?」

「んんーと、……あれ、あっれー? へぇ、ほぉほぉ、間近で見ると意外や意外」


 投げかけた質問に答えることもなく、美人と呼んで差し支えない赤髪の女はこちらの顔をまじまじと見つめていた。その無遠慮な視線に、気恥ずかしさにも似た不快感に襲われた。

 そのくせ、対峙した彼女からは殺気が一切感じられない。それどころか敵意があるのかすら怪しいものだったが、彼女の全く隙のない佇まいが本能に危険を訴えかけているのも事実だ。


「うーん、まいった、これはお姉さんも想定外だった。あんまり似てないね。単に絵師の腕が悪かっただけなのかなぁ。いや、もしかしたら、意図的に?」


 ――やっぱり賞金稼ぎか。それとも、傭兵か?


 絵師という鍵言(キー)に反応し、頭が高速回転を始める。大方、どこかで手配書に付いている似顔絵を見たことがあるのだろう。

 不吉なことに女の顔には見覚えがあった。何故に不吉かと言えば、自分が見知っている賞金稼ぎや傭兵なんて有名処に限られているからだ。それ即ち、裏世界屈指の実力者である。

 賞金稼ぎとは主に人、怪物問わず賞金のかかった対象を捕獲、または始末して生計を立てている者のことを指す。その手の依頼が正規のギルドに舞い込むことは稀で、裏ギルドやフリーの者の受諾が大半を占める。彼らも広義では傭兵の一種だが、血と死の臭いが付き纏う依頼を率先してやるため一般の者にはより敬遠されがちだ。依頼をこなしているうちに恨みを買い過ぎて、自分自身が賞金首にされてしまったという笑い話もある。

 一方の傭兵はジャンルを問わず、幅広く仕事を行っている者を指す。迷い猫の探索や農作業、はたまた魔物退治や用心棒、ときとして国家間の戦争にも参加する。殺しと捕縛を追及し、戦闘に特化する賞金稼ぎよりも温いように思われがちだが、様々な種類の任務を行っているが故に応用力と柔軟性に優れている。依頼の供給が潤沢且つ多岐に渡ることからギルドに所属する者が大半であるが、フリーの傭兵もそれなりにいる。ただし、フリーでやっていくためにはそれなりの名声、人脈と情報網が必須となる。そうでなければ依頼を受けることすらままならない。

 そして、狩られる側である賞金首にどちらのたちが悪いか、と問えば、大抵傭兵だという答えが返ってくるだろう。その理由の一つに、正規のギルドが賞金絡みの依頼書を受諾する場合、難易度が高めに設定されていることが挙げられる。受けられる傭兵が熟練者に限られているので、そもそも生半可な奴がいないのだ。

 また、傭兵がそういった類の依頼を受ける場合、怨恨絡みか正義感に()ることが多く、退いてくれることが少ない。金目当ての敵であれば諦めるのも早いが、そうでなければ相当厳しく追撃される。

 シュイは煩雑(はんざつ)な記憶の糸を遡ってゆき、該当者と思しき似顔絵に行き当たった。


 ――やっぱり、間違いない、よな。


 無意識的に唾を呑み込んでいた。世界的に有名な傭兵ギルドの略称四大ギルドの一角、シルフィール。その構成員の中でも選りすぐりの19名。個々の数字を与えられている彼らは札付き、ランカーと呼ばれている。犯罪者にとって最も忌避すべき存在であることに疑いを挟む余地はない。

 その中の一人、ニルファナ・ハーベル。暴力とは無縁そうな整った顔立ち。とは裏腹に、凶悪犯罪者ですら半径一キロ圏内にはお近づきになりたくないという(いわ)くつきの女傭兵だ。稀代の魔法使いとしても名を馳せており、賞金首が出会ってはいけない人ランキングというものがもしあったとすれば、トップ10入りは間違いない人物である。

 口蓋(こうがい)が細かく震えているのに気付き、動揺を悟られぬよう歯を噛み締める。


「そうと仮定すると、力量の差異が気になるけど。なんだか、依頼主も叩けば埃が出てきそうな感じだね」


 何やらぶつぶつと独り言を呟き、しきりに首を捻っているニルファナを視界の中央に捉えつつも、シュイは俯瞰(ふかん)するように周りの地形を把握する。歩いてきた方向と進行方向の記憶を地形図と照合、逃走経路を割り出すために。

 北への街道を塞がれている以上は南に逃げるのが無難のように思われるが、行く手を阻んで挟み撃ちにするのは敵を捕らえる常道。彼女の仲間が逆方向に待ち構えている可能性は否定できない。

 東側は大平原、身を隠せる遮蔽物が少ないから追手を撒くには向かない。遠距離攻撃は魔法使いの専売特許だ。

 消去法の末に、シュイは西の方角をちらりと見た。火山地帯に入ればあるいは。身を隠す場所も多いし、都合の良いことに今は西日。いけるはずだ。

 賞金稼ぎに追われる生活もそろそろ一年。その間も幾多の危機を乗り越えてきた。自己防衛のための習慣だって板についてきたし、実際今日に至るまで生き延びている。落ち着いて行動すれば大丈夫だ。絶対に逃げ切れる、はずだ。

 長く細く息を吐いてゆっくりと興奮と恐怖を(しず)め、逃げるタイミングを(うかが)う。


「よし、決ーめたっと」


 その言葉を皮切りにして、不安の細波(さざなみ)が身体中に広がっていくのを感じた。ニルファナは伏せていた顔を上げ、間をおかず天に向かって手をかざした。


「<鋼穿つ焔の戟(ランス・オブ・サラマンドゥル)>」


 呪言を一切省略した魔法詠唱。そして、それが始まりだった。ニルファナの掲げた手の平の上方に、硝子玉くらいの炎が生じ、みるみるうちに周囲の空気を取り込んで肥大化していった。


 ――うわ、大きいな。……ちょっ、おっきぃっ!


 しばしの間思考停止。直径4メードほどにまで膨れ上がった巨大火球が、ニルファナの指先でゆっくりと回転し始めた。表面からは橙色の泡が湧き出で、小さな炎の蛇が飛び出しては身をくねらせて球体へと還っていく。

 術者が手掌で示した領域を焼き尽くす準自律型召喚セミオート・サモン。制御を逃れようと好き勝手に暴れまくる召喚獣とは違い、あくまで契約した術者の意に沿って発動する精霊の集合体。素晴らしく合理的で、しかし使われるとこの上なく厄介な代物。破壊欲を満たすためだけに編み出されたような魔法だ。そして、解説書の記憶と大きさが食い違うのは、術者の実力が段違いであることの証。

 現実逃避しかけた思考を何とか引っ張り戻し、対応策を捻り出すと共に即実行。前方に障壁魔法を展開する。


「――<烈風壁(ウィンド・ウォール)>!」


 高らかな詠唱とともに、二人を隔てるように風が渦を巻いて発生し、乾燥した地面から砂埃を巻き上げ始める。大量の砂塵で視界をさえぎると同時に次の攻め手を警戒させる狙いだ。とはいうものの、こちらとしては攻めることなんて考えていないし、ニルファナの使った魔法が初級の障壁如きで防げるものではないこともわかっている。煙に巻いて全力で逃げる、その一点を貫くのみ。戦う選択肢は端から捨てていた。

 シュイは身を低くして西へと駆け出した。砂埃の立ち込める中、その姿を視界の端に捉えたニルファナは、小さな口元に好奇の笑みをたたえていた。



 少なからず足には自信を持っていた。幼い頃から旅を続けていたこともあって、大の大人が二の足を踏むような険しい山野を駆け巡ることも苦にしなかった。

 実際、その年頃の子供とは思えぬほどにシュイの走法は完成されていた。スムーズな足運びとしなやかな手の振り。呼吸法においても短距離走と持久走とではちゃんと意識して切り替えている。鍛え抜かれた足腰は多少の起伏などものともせず、地面に突き出ている埋もれた岩の天辺や木の根などに引っ掛かることもなかった。


 道なき道を、シュイは山鹿の如く軽快に駆け抜けていく。視界からは目的地に至るまでの、最も負担が少ない経路を選び取り、自然とそちらに爪先を向けている。

 とは言うものの、後方から攻撃される可能性は捨て切れない。完全に振り切るまでは警戒せねば、とシュイは後ろにちらりと視線を送る。


「――お、わ!」


 炎の壁が後ろから(せま)っていることに気付き、シュイは右足を全力で踏み切り、進路を90°変えて左側に転がり込むように跳躍する。

 遅れること一秒。馬車くらいはあろうかという巨大な炎弾が、シュイが先ほどまで走っていた経路を一直線に貫いていく。地面に伏せるのとほぼ同時に右手から熱風が撒き散らされ、次いで前方から轟音が生じた。

 進行方向にあった岩柱の一つが頂上付近から爆破炎上し、一瞬にして融解した。新品の蝋燭に火を付けた途端、下まで溶け落ちたかのような気持ち悪さがあった。先ほどまで岩柱だった場所には毒々しいマグマの湖が出現し、沸騰したように泡を立てている。


 ――じょ、じょじょ、冗談じゃないぞっ!


 体中の皮膚を直截、静電気で擦られているような感覚があった。未知の脅威に対する恐怖が頭を芯から痺れさせる。

 通常の炎魔法であれば温度はおおよそ1000度から1400度。せいぜい岩の表面を溶かすくらいが関の山だ。この近辺にある火山岩、かんらん石を沸騰までさせるには2000度を超える熱が必要になる。あんなのを食らった日には骨すら残らない。術者の実力が顕著に反映されている。され過ぎていると言って良いだろう。

 再び後ろを振り向くと、ニルファナは火球を維持したままこちらの方へと疾走していた。満面の笑みを崩さぬままに。

 この場に似つかわしくない表情を見て更なる恐怖に襲われる。訪れた恐慌が愚かしい選択肢を提示。①逃げる。②逃げる。③逃げる。


 ――三択の意味ない!


 自分に突っ込みを入れつつ頭を切り替える。幸い先ほどの魔法には避け切れないほどの速射性はなかった。逃げるのに徹していれば避けるのは然程難しくないだろう。

 左手の石柱に向かって疾走し、ニルファナの視界から逃れるべく裏側に回る。その際小細工を弄すことも忘れない。石柱と石柱の細い隙間に<風障壁(ウィンド・ウォール)>を展開。発動する寸前に右にいったと見せ掛けて視界を完全に遮ったところで素早く左に転進した。

 炎弾で狙う暇を与えぬよう、視線に晒されぬように石柱の裏から裏へとジグザグに移動。障害物を盾にして時間と距離とを稼ぎ、そろそろ視線に捉えられるだろう、というタイミングで勘を頼りに進路変更。なるべく太陽の方角へ向かうよう意識しつつ。目が眩んで追撃が途切れてくれればしめた物だ。その空白の時間を利用して逃げ切れる、くらい甘い相手であれば嬉しい。希望的観測に縋りたいほど切羽詰っているのは否めなかった。

 再び、背後から炎の壁が迫ってくる。後ろから、道端の雑草を燃え散らす音が鳴る。ある程度距離を広げたのが功を奏し、今度は幾分余裕があった。落ち着いて傍らにある岩陰に身を隠す。石柱同士の隙間を炎が通過し、再び進行方向で爆発音が生じた。今度はそれにも動じることなく、先ほどまで取っていた進路を左に15度ほどずらした。肩越しにニルファナの姿が確認できたのを見計らって右手の岩の裏に移動し、それを盾にしつつ彼女の視界に入らない内に今度は左手へ。これを繰り返していればそのうちに振り切れるだろう。

 そう確信した直後のことだった。


「――<上昇(ライズ)>!」


 大分後ろの方から快活な声が響いたが、シュイは足を止めずに突っ走った。言葉の意味合いを理解するには及ばなかったし、どんな攻撃が来たところで避けるしかなさそうだからだ。

 だが、一向に攻撃が迫ってくる様子はない。流石に怪訝に思い、足を止めずに後ろを向くと、先ほどまでニルファナの手元にあった巨大火球が高々と宙に上り詰めていく様子が見えた。

 何のつもりだ。その疑問が瞬時に、先ほどの岩柱のように融解した。小型の太陽のようなそれは上空から地上へ、シュイの進行方向に向かって槍のような形状をした熱線を、広範囲にばら撒き始めたのだ。


 危機を悟り、口が勝手に叫んだが、生存本能が働いたせいか視線だけは目まぐるしく動いていた。北西の方角、やや離れた場所に巨大な岩壁を見つけるや否や、そちらに向かって全力疾走する。

 斜め上から飛来する炎の槍が地面に、周りの石柱に突き立っていく。その周りが熱したフライパンに入れたバターのように溶け落ち、数秒後には橙色の溶岩池に変化する。必死に走るシュイの10メードほど後方に次々と熱線が突き立てられ、マグマの領域をどんどん広げていく。

 着弾音がほんの少しずつ、しかし確実に大きくなってきていた。応じるように、焦燥に駆られたシュイの腕の振りがますます大きくなっていく。このままでは燃やされるを通り越して溶かされるのも時間の問題だ。どっちでもあまり変わらないが。何で自分だけこんな目に()わなければならないのかと思うと言いようのない怒りが込み上げてくる。大体、向こうからはこちらの姿が見えないはずなのに、この攻撃精度の高さは一体何なのだ。


 ――って、まさか!


 それに思い当ったのは僥倖(ぎょうこう)と言って良かった。シュイは走る速度を殺さぬままに張り巡らしていた魔力の警戒網を一旦解いてみる。すると、炎の槍が地面に刺さる音が嘘のように収まった。展開していた探知魔法を逆に探知して攻撃を仕掛けていたらしい。

 膝に手を付き、汗だくになりながら一息付いた。一度足を止めると鎮痛薬の効力が切れたように下半身が痛みと疲労を訴えてきた。心臓の鼓動がやたらと大きく聞こえている。

 己の迂闊(うかつ)さに苦笑いが漏れた。相手の魔力を捉えるための魔法を、まさか逆に利用されていたとは。距離をこれだけ取っているからどこか高をくくっていたのだろうが、あれほどの攻撃魔法の使い手であればそれくらい造作もないことなのかも知れない。気付くのがもう少し遅れていればマグマと同化し、はては地面の一部となって空を見続ける羽目になっていただろう。


 ちらりと後ろを振り返ると、壮絶な光景がそこにあった。後方に(そび)えていたはずの石柱はその大半が彼女の放った炎によってグズグズに溶かされ、先ほどまで逃げてきた経路はマグマの大河と化していた。真冬にもかかわらず、周囲の景色は炎から発せられる激しい熱によって砂漠の陽炎(かげろう)のように歪められている。


「……はっ、あんなのに追われるなんて、はぁっ、本当についてない、な。と、兎にも角にも、これで時間が――」

「――稼げるほど世の中甘くないんだなー、これが」


 踏み出しかけた足がつんのめる様に停止する。合いの声が発された方向を恐る恐る見上げ、口が半開きになる。

 四階建ての高さくらいはありそうな石柱の天辺(てっぺん)に、ニルファナが足を投げ出すようにして腰掛けていた。

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