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第五章 ~(3)(改)~

 宿を決めかねていたシュイはピエールたちと泊まった宿の事を思い出し、暗い夜道を長老樹の方へと向かっていた。町の中央に辿り着くと、長老樹は昼間見た時と全く別の姿を見せていた。

 青々とした枝葉が街灯や家々からの灯りに照らされて色めいていた。キャノエに来る直前にも見たはずの景観だったが、近くで見ると一層美しさが際立っていた。それを何組かのうら若いカップルがうっとりと見つめていた。シュイは束の間それに見惚れてから、根元をぐるっと回るように歩き、宿の方へと向かった。



 ――あった、石畳の道だ。


 大通りから外れ、見覚えのある形の悪い細道を進んでいくと、ほどなく<ベチュア亭>が見えてきた。


「いらっしゃいませー。あら、あなた確か、エルクンドさんだったわね」


 宿に入るなりベチュアが愛想良く出迎えてくれた。もう自分の顔を覚えてくれたのか、と訊ねると、というよりは黒衣をだね、と笑って返した。顔を隠しているのに覚えるもくそもなかった。


「遅くまでお疲れ様。今回はミルカたちと一緒じゃないのかい?」

「ああ、ピエールのやつが負傷したもんで、二人してギルド支部で寝泊りするようだ」

「何だって! 大丈夫なのかい?」


 ベチュアが眉をひそめて訊ねた。商売人が客を心配しているというよりは、家族の身を案ずるような面持ちだった。


「さっき治癒術士がやってきて治療したようだ。二、三日で全快だって言っていたから心配ないよ」

「そ、そうかい。なら何よりだよ。っと、すまないね。エルクンドさん、泊まりで良いんだよね?」

「ああ、お願いする」


 ベチュアが脇を通り過ぎようとした従業員に言いつけ、空き部屋の鍵をシュイに預けさせた。


「ご飯はすぐ食べるかい?」

「そう、だな。出来ているなら頂くが、もし後で作る予定があるならその時でも構わない」

「そうかい、なら少し後にしてもらおうかな。ちょっと団体客が入っているからその時まとめて作っちまうよ」

「了解だ。楽しみにしている」


 シュイがそう言うのを聞き、ベチュアは笑って太鼓判を押した。肉厚の腹が思いの他揺れ、危うく吹き出しそうになった。



 部屋に入るなりシュイは鎌を壁に立てかけ、ベッドに座し、いつものように魔力を練り始めた。かざされた手の平の間で蠢く魔力球を眺めているうちに、ふと先ほどの神父然とした男のことを思い出した。デニス・レッドフォードという傭兵を。

 優男に見えた彼だったが、握手した時にはまずその手の大きさに驚かされた。歴戦の戦士であるアルマンドにも劣らないと思われる鍛え抜かれた体には、研磨された魔力が宿っていた。今自分が懸命に練り込んでいるものよりも更に上質の魔力を、半ば日常的に纏っているのだ。肌が泡立つ思いだった。


 ――やれやれ、本当にシルフィールってのは、化け物揃いだな。


 ディジー、アルマンド、デニス、それにニルファナ。シュイがシルフィールの傭兵になってからわずかな日数しか経っていないのに、これだけの実力者に出会えるとは想像もしていなかったことだ。その事実はシルフィールが有力な傭兵ギルドであることを示す傍ら、ここで昇り詰めていくのが如何に困難なことかを暗示していた。

 先ほどデニスは、Bランクならすぐですよと言ったが、準ランカーになれるとまでは口にしなかった。そのことは二つの意味を持っていた。彼の言った言葉が見え透いたお世辞ではないこと。そして、彼らと今の自分とでは明らかに実力の隔たりがあることを。自覚していた分悔しい思いがあったものの、やってやろうじゃないかといった気持ちにもなった。


 有力な傭兵ギルドは何もシルフィールだけではない。四大ギルドはもとより、他にも多くのギルドがあるし、フリーの、つまりギルドに所属していない傭兵にも数多くの猛者がいる。そして、彼らの目を掻い潜り、悪事を働く狡猾な賞金首や犯罪者が大勢いる。その中には上級傭兵に匹敵する実力者も(うごめ)いているだろう。このまま傭兵を続けていればいずれ相対する機会もあるはずだ。

 強くならなければならなかった。茨の道を歩むと決めた以上、彼らに負けぬ力を身に付けなければ生き延びるのは難しい。シュイにとってピエールたちの一件は決して他人事ではなかった。


『あなたはその力で何を成すのかしら』


 カイルに掛けたのと同義の言葉が、懐かしさと優しさを含有する声で繰り返された。長い白髪の少女の優しげな横顔が脳裏を過ぎり、少しして、口の中にかねの味がゆっくりと広がっていった。

 万人の目から見ると、自分が選んだやり方は多分に間違っているのかも知れなかった。死者のために生者を、そして己の人生をも犠牲にしようというのだ。

 しかし、それではあまりにも死んでいった者たちが報われなかった。このまま放って置けば、彼らの戦いが、悲劇が、歴史の闇に葬られてしまう。それを避けるためには、生き残った自分が示さねばならないのだ。実力で。あるいは発言力を増すことで。



 シュイの口元には自嘲の笑みが浮かんでいた。並び立てた強迫観念と使命感。それすらも建前なのだと自覚していたからだ。自分はきっと、大切な人をこの手に掛けてしまったことを正当化したいだけなのだと。自認する他ない。心の奥底では忘れられない過去との決別を望んでいるのだ。

 我ながら醜い生き方だ、とそう断じざるを得なかった。ひたすらに己が過ちを責め続けることで、先を見る資格のない自分の存在価値を肯定している。そのくせ意味なく手を下してしまった者たちを、目的を果たすための犠牲に挿げ替えようとしてもいる。後付けで。


 そんな葛藤も彼らの無念に比べれば実にくだらないものだ。今は、滅祈歌(ルイン・チャント)を継いだ者として、葬送曲ダージに相応しい終止符(ピリオド)を探さねばならない。仲間たちを殺めた者たちの愚行を世に暴き立て、断罪する。そうしなければ、冥府の只中を彷徨う魂も報われまい。

 されども、それで自分の犯した罪がどうこうなるわけではない。きちんと弔われていない罪や過ちはいずれ自分に牙を剥くことになるのが必定。あの日の自分と同じように、いつか憎しみに囚われた者たちが目の前に現れ、殺意滲み出る言葉を吐くことがあるかも知れない。


 さもあらんという受容と、冗談じゃないという拒絶の思いが同時に湧き上がった。感情に呼応するように、手の中にあった魔力球が絞り切られたぞうきんのようにねじ曲がり、爆ぜた。


――――――


 ミルカとピエールが寝たことを扉の隙間から確認し、アルマンドはギルド支部の屋上に出た。やれやれとばかりに大きく伸びをして、夜の町を眺める。視界の端には長老樹が町の光で妖しく照らされていた。生温い風が身体に纏わりついては離れていく。


 ――どうもこういうのは苦手だな。何か気の利いた事、言ってやれれば良かったんだけど。


 そんな事を考えながらアルマンドは夜景を眺めた。デニスが言った通り、二人はかなり落ち込んでいたようだった。仲間を目の前で助けられず、敵前逃亡せざるを得なかったわけだからそれはよくわかる。

 けれども傭兵としての道を志した以上、暴力沙汰は日常茶飯事だ。いずれ二人が昇格し、Aランク任務等をするようになれば、凶悪な賞金首の討伐等を仲間と共に行う事もある。そういった危険な任務は、低確率ではあるにせよ味方にも死者が出ることがある。負傷者ならほぼ確実に出る。たられば、を言っていたらキリが無い。少しきつい言い方をするならば、この先目の当たりにするであろう多くの仲間の死を受け入れられないなら、端から傭兵なんぞやるべきではない。


 と、そこまで考えてアルマンドは思考を切り替えた。ピエールたちと同じく、自分にも新人の頃が、割り切れなかった時期が当然あったはずなのだ。



 アルマンドとピエールの故郷、ジウー連合の諸国は程度の差はあれど基本的に貧しい。国土の大部分は砂漠で覆われており、道路環境も整っていないし農作物もあまり育たない。だから働く場所もあまりない。子どもの多い家は家計が苦しくなり、男たちはこぞって各国に働きに出る。

 アルマンドも多分に漏れず、一家の大黒柱である父を失ったのを機に出稼ぎに出ることになった。腕っ節には自信があったので、伝手を頼ってセーニアにある中規模のギルドに入り、日々任務をこなしていた。そのうちに気の合う仲間が出来て、人並みに恋もして、笑って、時に泣いて、生きていた。確かに、あの頃は仲間が死んで涙した事もあったかも知れない。


 だが、あの時の仲間はもういない。ただ一人を除いて。全てが変わってしまったその日から、涙はただの一度も出なくなった。ギルドが潰された後、シルフィールに入ってからもそれは変わらなかった。自分の頭か心か、あるいはもっと他の何かが狂っていたのかも知れない。



「……ほんと、くっだらねえ生き方してんなぁ」


 アルマンドが力無く呟いた。高い報酬と任務の達成感だけが、辛うじて己の生きる糧と成り得た。だが、それすらも(きた)るべき日が訪れるまでの退屈凌ぎに過ぎなかった。自分の人生はまるで、生きながら死んでいるようなものだった。


――――――


 キャノエのレムース教会。中央よりもやや奥側にある古い教壇の上に、五茫星(ペンタグラム)のステンドグラスが煌めいている。人気のない神々しい空間でデニスは一人、首に下げている五茫星(ペンタグラム)のアミュレットを手に握り締め、跪いていた。


「今日も平穏な時を送ることが出来ました。新たなる始まりの日を迎えられる事に感謝いたします。レムザ神よ」


 デニスはシルフィールの傭兵であると同時に、レムース教と言われる宗教の敬虔な信者でもあった。大陸に浸透しているレムース教は今や全世界で信者数が一千万人を超えている規模である。逆に言えばそれだけ多くの者が何かに救いを求めている。日々充実した生活を謳歌している者たちには全く縁のない世界であることを考えると、レムースの肥大化は――上層部に巣くう寄付金目当ての信徒は別にして――喜ばしいことではなかった。

 人族(エイル)獣族(ビースト)森族(エルフ)魔族(デモン)。どの種族とて悩みは尽きない。大抵の悩みは、家族や仲間と会話し、趣味や勉学に励む事によって払拭できるものだが、それだけではどうにもならない悩みも存在する。身内の死、仲間の裏切り、些細な嫉妬、他者の何気ない言葉。それらが人の心に陰を落とすことはままある。

 そういった者たちを食い物にしようとする者はあらゆる場所でうごめいている。レムース教団内とて例外ではない。上層部にも神より金を愛する者は少なからずいるのだ。

 とはいうものの、己を節制して信仰を忘れず、多くの悩める者を救おうと活動する者も大勢いる。そのことをデニスはよく知っている。

 デニスはある理由からシルフィールで傭兵をしていた。それゆえに金の亡者だの、不信心だのと言った心ない陰口を叩かれることもあったが、決して信仰を忘れたわけではない。それどころか、救っている人間の多さなら教団内で五指に入るという自負があった。


 傍らに置いてある、寄付を募るための募金箱が目に入り、苦笑いが浮かぶ。どうしたって綺麗事だけでは生きていけない。金は幾らでも必要だった。デニス自身孤児院に入っていた経験から、金の重要性は骨身に沁みていた。

 皮肉なことに、孤児院は慈善の心でやるほど悪循環に陥りやすい。デニスが世話になった施設の院長は敬愛すべき人物だったが、運営者としての資質に恵まれていたわけではなかった。

 院の運営はもっぱら募金で賄われていたが、不作の年には頻繁に寄付が滞った。三日をコップ一杯の水と握り飯半分で過ごさねばならない時もあった。果実の種を口の中で転がしてひもじさを紛らし、左右の足を擦り合わせて寒さを紛らわすような環境で、厳しい冬を越えられなかった子どもたちを何人も見てきた。人は慈悲の心だけでは決して救われない。生き物である以上飲まず食わずでは生きられないのだ。

 その辛い経験はデニスの人生に明確な指針をもたらした。高名な僧が住む寺社の門を叩いて治癒術を懸命に学び、疫病に悩まされる村々を師と共に訪問した。その過程で同じような慈善活動をしていたレムース教団の関係者と知り合うことになった。


 せめて暮らしていけるだけの生活を保障してやりたいと思っても、未だにその最低限の一線すら下回ってしまう者が大勢いる。救っても、救っても、今この瞬間にも餓死する子供たちが大勢いる。

 全ての人間を救うなんて無理だ、と何度諦めかけたかわからない。それでも、まだ慈善活動を続けていられるのはある少女の存在があったからだった。

 レムース教の象徴でありながら、自ら貧しい人々を救うために現場へと赴き、法力を振るう幼い森族の少女、リーリ・フランデール。デニスが出会った時にはまだ十にも満たなかったはずだが、長い金髪と碧色の目を持ち、白一色のローブを纏い、荒廃した大地に凛と佇む彼女の姿はただただ神々しさに溢れていた。その姿に目を奪われ、心打たれたのは自分だけではなかったはずだ。

 彼女はレムザ神の神託に従い、現在進行形で多くの者たちを救い続けている。いずれ無理が祟り、力尽きるとわかっていても。道半ばで諦めれば、意思を同じくする者たちに、何より彼女に全てを押し付けてしまう。たかだか十五歳の彼女に、である。そして、彼女が放り出された責務を笑って引き継いでしまうこともわかっている。そればかりは男としての矜持(きょうじ)が許さなかった。



 しかして、リーリの願望が成就する日は永遠に来ないだろう。彼女とてそれが判らぬほど愚かではない。全てを悟った上で、彼女が人に尽くすことを止めぬならば、止められぬならば。自分は彼女の陰となり日向となり、その身を支えよう。いつか彼女が疲れ果て、純粋さを失い、羽を休めたいと請い願うその日まで。

 デニスはその日に思いを馳せるように、仄暗い空間に視線を漂わせた。半透明のステンドグラスを透かして、夜空に濁った三日月が浮かんでいた。

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