第三章 ~(2)~(改)
建造物損壊の罪を犯したアルマンドを置き去りにし、シュイたち三人はギルドの内部へと足を踏み入れた。
ロビーには少し小さめの掲示板が三つ並んでいて、依頼書が隙間なく画鋲で止められていた。掲示板の前では早くも依頼書を確認する傭兵たちでごった返していた。シュイたちもその流れに加わった。
今度はB級の任務もやってみたいと思いつつも依頼書を適当に流し見ていくと、向かって右側の掲示板に一風変わった依頼を発見した。
――<魔法教えてください>か。へぇ、こんなのもあるんだ。
意外なことに依頼書にはB級と記されていた。実際、飲み込み具合に関しては個人差があるから、拘束時間が長くなる可能性を考えるとリスクが高いと言えば高いのかも知れない。
ただ、何故傭兵ギルドに頼むのかは少し気になるところだ。魔法の家庭教師くらい、どの町でも探そうと思えば見つけ出せる。
心惹かれるものがあったが、とりあえずB級の任務が平均でどれくらいの報酬なのかも覚えておきたいと思い、他の依頼書も見てみることにした。
――これは<影獣退治>か。うーん、強いのか弱いのかもわからないな。
後で図書館にでも寄ってみるか。そんなことを考えていると、誰かが横からぶつかってきた。咄嗟に、シュイは黒衣のポケットに手を突っ込んだ。財布を擦られたのではないかと勘繰ったのだ。
続いては、ちゃんと財布がそこにあることを確認し、詫びを入れようとした。
「ああ、すま――」
「――ボーっと突っ立ってんじゃねえよ。クソが」
謝罪の言葉を逸した代わりに反抗心が芽生えた。自分からぶつかってきてその言い草はなんだ、とシュイが男を睨んだ。
見た感じ、二十台前半といったところだった。身長がやや高く、細身でまぁまぁハンサムと言えなくもない顔立ちだ。
ただ、目つきがあまりに悪いので印象はすこぶるよろしくなかった。髪は見たこともないような鮮やかな青色で、もしかしたら染色液を使っていたのかも知れない。こういうやつはどこにでもいるが、何もシルフィールにまでいなくてもいいのに。そう思わざるを得なかった。
「……何だ? 手前、まさかBランクの俺様に文句があんのか?」
Bランクと言われて一瞬躊躇するが、それより理不尽に対する怒りが勝った。
「へぇ、Bランクにもアンタみたいなのが混じっているのか。そりゃあ皆さんもさぞ迷惑しているだろうな。お気の毒様だ」
「……オイ、吐いた言葉は呑み込めねえぞ」
男から相当な怒気が漂ってきた。眉はVを通り越してUの字を描かんという勢いだ。物理的に不可能だとは思うが見てみたい気もしていた。
「はぁ。ところで、シルフィールに性格適性テストがなかったのは聊か残念なことだと思わないか? そうすればお互い顔を合わせる事もなかったろうに」
「……あん?」
男はしばらくその意味を考えていたようだが、どうやら思い当ったのだろう。顔を引き攣らせ、次いで発情期の岩魚の腹のように紅潮させた。
「……まさかここがギルド内だから安全だ、とか思っているんじゃないだろうな。俺様はそういう当てこすりが一番嫌いなんだよ」
「おや、単なる冗談なのに。ああ、そうか。御自分で性格の悪さを自覚していたということか。普通の人なら首を傾げるだけで済む話なんだけれどな。こりゃ失敬」
男の顔から表情が消えた。次いで男の右手が震えた。
半ば反射的に後方に跳躍した。その刹那、先ほどまでシュイが立っていた空間を剣が薙いだ。勢い良く剣が抜かれたせいで風が巻き起こり、顔を撫でていった。
「……おいおい、ただの脅しでそんなに逃げ腰になるなよ」
男はその性格に負けぬくらい歪んだ笑みを浮かべた。明らかに当てる気マンマンだったのは言うまでもなかった。その場にいたら間違いなく首から上がなくなっていた。
そっちがその気なら、とシュイが背負う鎌に手を掛けた。
「やめろ」
穏やかだが、それでいて力の籠められた声が響いた。シュイは黒衣の下で一瞬ゾクリと身を震わせた。鎌を出そうとしていた手を戻し、声が発された方を振り向く。
魔道士らしき銀髪の森族の青年が厳しい目を向けて。青年だけではない。気が付けば、周囲からもいくつかの殺気が迸っている。
戸惑い気味のシュイに構わず、森族の青年が言葉を続けた。
「貴様らがやっているのは業務妨害であり、他の傭兵たちに対しての迷惑行為に他ならん。そして、ギルド全体の品位を貶める許し難い罪だ。これは忠告ではない、警告だ。次に面倒を起こした場合は実力行使させてもらう。当然、命の保証はしない」
「……ちっ」
斬りつけてきた男は森族の男とシュイとを交互に睨んでいる。まるでどちらに斬りかかろうか迷っているかのように。
「――貴様はエグセイユ・スキーラ、だったな。過去にも他の支部で数回に亘って問題を起こしているらしいが、うちは他の支部ほど甘い顔はしない。シルフィールは人材が豊富だ。Bランク如きが一人抜けたところで、代わりの者はいくらでもいると知れ」
辛辣な口調にエグセイユが歯を軋ませた。それを無視し、森族の青年はシュイの方へと向き直った。
「貴様は、新人か?」
「……ああ」
「名前は」
わずかに逡巡したが黙っていても利はないと判断し、不承不承答えた。隠したところでどうせすぐに発覚することだった。
「シュイ・エルクンドだ」
「そうか。確かハーベル嬢が推薦したとか。……それで? お前は、今自分がやったことの意味をわかっているのか」
「……何だと?」
「お前は、推薦してくれた彼女の顔に泥を塗った」
一瞬、青年の言っている意味がわからなかった。次いで、己の行為のことを指摘されているのだとわかり、シュイは心外だと言わんばかりに声を荒げた。
「冗談じゃない! 仕掛けてきたのはそいつの――」
「――たとえそうだとしても、余計な一言で剣を抜かせたのは貴様だ」
「……な」
何だそれ、と声が漏れた。挑発されても我慢しろと言わんばかりの言動に、やるせない怒りが全身に漲ってくるのを感じた。その様子を冷やかに見つめていた森族の青年は、おもむろに顔を険しくした。視線だけで壁を貫かんという迫力があった。
「まだわからないか? 我々はギルド・シルフィールに属する傭兵。フリーの傭兵ならいざ知らず、ギルドに身を置く以上は信用商売に従事しているのと同義である。もし、今貴様等のやった行いが外部に漏れ、そのせいで依頼の件数が減ったらどう責任を取るつもりだ!」
シュイが絶句する傍ら、エグセイユが面白くなさそうにそっぽを向いた。
「ここにしか居場所がないという者はごまんといる。その者らに迷惑をかけるような行為は今後慎んでもらおうか。先達が文字通り命を懸けて積み上げてきた信用を崩しかねぬ者は、遠慮なく排除する。忘れるな」
ぐぅの音も出ない真っ当な論理だった。何よりシュイ自身、此処にしか居場所がなかった。
「……以後、慎む」
今にも消え入りそうな声だった。フードの下で涙を堪えるのがやっとだった。
「……エルクンドだったな。今回は新人と言うことで処分は見送ろう。だが、次はないぞ。覚えて置け。――それから、スキーラ。貴様はギルドポイントの減点及び罰金200万パーズだ」
今まで黙っていたエグセイユの額に青筋が浮かんだ。
「ふざけんな! ぼり過ぎ――」
「――嫌なら除名でも構わん。どちらかを選べ」
「……くそが」
毒づきながらもエグセイユは小さくうなずき、次いでシュイを鋭く睨んだ。禍々しさすら感じ取れる視線だった。シュイも真っ直ぐに睨み返した。
視線を合わせてわかったことが一つあった。こいつとは永遠に分かり合うことはない。シュイは、ピエールと揉めた時とは違う類の確信を得ていた。
ふと、エグセイユはゆっくりとシュイの方へ歩み寄ってきた。そして、擦れ違いざまに呟いた。
「……これからはせいぜい後ろに気をつけろよぉ。一年以内に誰にもわからねえように、必ず始末してやる」
生理的嫌悪を伴うねこなで声だった。今事を起こせば誰の仕業か丸わかりだから、ほとぼりが冷めた頃に、というつもりだろう。あの青年の言葉もエグセイユにはなんら意味を成さないようだ。シュイはやんわりと言葉を返す。
「……早かろうが遅かろうが同じことだ。せめて身体を、特に脇の下とシモの方は念入りに洗っておけよ。葬儀屋に迷惑だからな」
舌打ちの音が耳に障った。エグセイユは肩をいからせてその場を後にした。ふと視線を感じ、そちらを見ると、森族の青年が表情を殺してこちらを見ていた。まさか、聞かれていなかっただろうか。シュイは少し不安になった。
森族の青年がその場を立ち去ると、段々と周りが喧騒を取り戻してきた。傭兵たちは突っ立っているシュイをあからさまに避けるように通り過ぎていった。擦れ違いざまに冷たい視線を浴びせる者もいる。
あの騒ぎを起こしたことで一瞬にして信用を失ったのだ。それに気付き、愕然とした。続いては世話になったニルファナに迷惑がかからないかという不安が脳裏を過ぎる。
そんな中、「よっ」と後ろから誰かに話しかけられた。振り返るとそこにはアルマンドがいた。
「アルマンド……」
「途中から見てたぜ。しっかし、あれだな。お前って意外と喧嘩っ早いのな。あんまりそういう感じしないけれどなぁ」
「……悪かったな」
ぶっきらぼうにそう言ったが、平然と話しかけてくれたで少し救われた気分になった。そんな自分がまた、何だか無性に情けなかった。
「まぁまぁ、そんなしけた面すんなよ。良かったじゃねえか、減点されたわけでもねえし、罰金も免れてんだからよ。俺なんか器物損壊で50万パーズも……トホホ」
「……フード被っているんだから顔は見えないだろ」
シュイがしけた面という指摘に抗弁した。
「そんなもん見なくたって想像は容易に付くんだよ。実はお前泣いちゃってるだろ」
「な、泣いてなんかいない!」
慌てて反論し、次いで唇を噛む。
「……入ったばかりなのに、こんな問題を起こしてしまうなんて。もう、彼女に合わせる顔がない」
「ああ? お前あんな言葉を真に受けてんのか」
「……え?」
「さっきの銀髪はこの支部の長だ。つまりは、問題を起こされたら一番困った立場に立たされるやつってことだ。あれくらいの脅しは誰にだってするだろうよ。……大体お前、ハーベルのことを少し見くびってねえか? 彼女は些細な諍い如きで潰れる顔なんてしてねえぜ。あれくらいでランカーの名誉に響くわけねえよ」
「……ほ、本当に?」
顔を上げたシュイを見て、アルマンドは瞬時に笑みを消す。
「――と、励ますのが普通だろうが、そのつもりはないぜ。彼女の名誉を傷つけたって自覚してんなら、手前で埋め合わせしろ。どうやってかはわかるよな?」
「……依頼」
「そういうこった。依頼人の信用を得ていけば、自然と名も上がっていく。きっちりやって、数こなして、経験を積み上げていくしかねえ。それから、世の中どこに行ったって嫌なやつはいる。それならそれで、そういった連中との付き合い方、あしらい方を覚えなきゃ駄目だ。どんな経験も糧にしてやるってくらいの意気込みがないと、到底上は目指せないぜ」
「……わかった。ありがとう、アルマンド」
「ああ? や、止めろよ。お礼なんてこそばゆいだろ」
照れ笑いを浮かべたアルマンドを見て、シュイの口元に微かな笑みが浮かんだ。
アルマンドが立ち去った後、シュイは再び掲示板に向かった。そうこうしている間に、依頼書はかなり剥がされていた。流石に少し焦ってきた時、誰かに長い袖を引っ張られた。シュイが振り向くとピエールがいた。
「シュイ、探してるところ申し訳ないけどちょっといいか?」
「ん、なんだ?」
「これ、俺たちと一緒にやらないか?」
そういってピエールが依頼書の控えを見せた。
――C級任務、大毒蜂退治、定員三名(残り一名)、報酬75万パーズ(達成後即払い)、任務時間四日前後、締め切りまで残り七日。
C級ではあるが、報酬は悪くなさそうだった。それに、魔物退治とは如何にも傭兵らしい任務である。
「そうだな、やるか」
「流石、話せるぜ!」
ピエールがニヤっと笑った。もしかしたら、気を使ってくれていたのかも知れなかった。あんな騒ぎを起こした後では、しばらく自分と組むことを避ける者もいるだろう。
シュイはピエールの気遣いに深く感謝しつつ、先を行くピエールの後ろに続いた。
けれども、受付に向かった二人には予想外の事態が待っていた。
「え、定員締め切っちゃったんですか!?」
ミルカが受付の言葉を聞き、素っ頓狂な声を上げた。
「申し訳ありません。つい二分ほど前に向かい側の受付に依頼書をお持ちの方がいらっしゃいまして」
ミルカとピエールは顔を見合わせ、がっくりと項垂れた。どうやら、シュイを人ごみの中から探している間に別の傭兵が三人目に入ったらしかった。
「あちゃー、……どうしよ、キャンセルする?」
「そうだな、誘ったのは俺達だし」
ピエールはうなずいた。
「いや、そのまま受けてくれ。キャンセル料かかるし減点だってされるだろ? 何より、受諾した傭兵に申し訳ないからさ」
「ええ? でも……」
二人は本当にすまなそうだったが、シュイにはその気持ちだけで十分だった。
「俺のことなら気にないでくれ。他にも良さそうな依頼はたくさんあるし、それを受けてみるから」
やっと打ち解け合った二人と依頼が出来ないのは、正直言って少し残念ではあったが、B級を受けてみたいという気持ちも多分にあった。それに、先ほどの騒ぎから間もなく自分と組んだら、もしかしたら二人まで白い目で見られるかも知れない。それだけは御免だ。
「うう、ごめん。じゃあ、お言葉に甘えるね」
「今度会った時には、ちゃんと一緒にやろうな」
「ああ、それまで身体に気をつけろよ」
別れを惜しんでくれている二人に嬉しさを噛み締めつつ、そう言った。
「うん、またね、シュイ!」
手を振りながらロビーを後にするピエールとミルカに、シュイは手を掲げて応じた。