第三章 ~気になる依頼(1)~(改)
翌朝、シュイたちは<ベチュア亭>で朝食とは思えない豪華な食事をし、昨晩丘の上から眺めた町の中央に聳え立つ大きな樹へと向かっていた。キャノエには背の高い建物が少なく、町の中であればどこからでも見上げることが出来るようだった。
「フォルストロームではあの樹は長老樹って言われているの。民話によれば、千五百年くらい前から生えているみたいよ」
ミルカは歩きながらシュイに町の歴史を説いていた。
「そんな昔からか。ジュアナ戦役の時も無事だったのか?」
「ええそうよ、独立戦争の時もここだけは戦渦に巻き込まれなかったんだって」
元々フォルストロームは魔族の皇帝を頂くザーケイン帝国が支配する植民地だった。
過去、立場的に弱かった獣族は魔族の尖兵として駆り出され、不当な差別に喘ぎながら人族との戦いに投入されていた。
ところが、およそ300年前に勃発したジュアナ戦役を皮切りに状況が一変する。各地の内乱の鎮圧に手一杯になったザーケイン軍に綻びが生じ、獣族への弾圧が弱まり始めたのだ。
戦乱の渦中に自由を求めた獣族たちは種の根絶をも覚悟の上でザーケイン帝国に反旗を翻した。そして、多くの犠牲を出した長き戦いの末に、南部の領土を切り取ることに成功し、そこに国を打ち立てた。フォルストロームに古くから住まう者であれば誰もが知る偉大な歴史だ。
その後ザーケインの勢力は衰退の一途を辿り、皇族の血が絶えたのを最後に滅亡したと言われている。その後も争いが絶えることはなかったが、昨今は治安も少しずつ回復してきており、国同士の諍いも小国同士の小競り合いがせいぜいといったところだ。
西方に位置する森族の王が治めるエレグス王国。南方に位置する獣族が治めるフォルストローム。東方に位置する人族が治めるセーニア教国、そして北方に位置する魔族が治めるルグスプテロン連邦。これらは他の国々に比べて広大な領土を有していることもあり、四大国と呼ばれている。
戦渦に巻き込まれなかったというだけあって、キャノエの町の建物はかなり古めかしいものが多い。セーニア教国の近代的な町々と違い、自然人工物が調和した独特の雰囲気がある。町に風車や水車が多いのも特徴だろう。ちょっと郊外に出れば粉引きの水車が、山間部にいけば山風を利用したたくさんの風車が並んでいるらしい。
「確かに、歴史を感じる町並みだな」
シュイは周りを見渡しながら感心したように言った。
「お、見えてきたぜ」
ピエールが樹の少し下の方を指差した。そちらを見ると円柱形の白い建物があった。
「あれがそうか?」
「ええ、キャノエのギルド銀行よ」
傭兵の報酬は他の職業と比べてかなり多いため、依頼を達成したら銀行に預けるのが基本のようだ。確かに、わずか四日で40万パーズも稼げるとなれば依頼の度にぶら提げる布袋が増えていき、遠からず仕事にならなくなるだろう。
仮に持ち運びが可能だとしても、今度は盗賊に付け狙われる。馬車や貿易船の護衛を依頼する人も引っ切りなしであるからして、決して昨今の治安はよろしくない。
さておき、ニルファナがあっさりと50万パーズ貸してくれたのも俄然納得がいった。C級任務一回でこれならば、ランカーにまで上り詰めているニルファナは間違いなく大金持ちだ。
まだ開店して間もない時間だったからか、銀行の受付はがら空きだった。
「よし、とっとと入れようぜ」
ピエールはそう言うなり空いている受付に並ぶ。
「そうね、早く済ませましょう」
ミルカも同じように、ピエールの右隣の受付に進んだ。
シュイも並ぼうとし、そこで肝心なことに気付いた。口座を作っていなかったのだ。慌てて踵を返し、作成依頼の用紙を取ると一本足の丸い硝子テーブルの上で記入し始める。身分証を横に置き、必要事項をさらさらっと埋めていく。程なく空欄が漏れなく埋まっているのを見直し、筆を置こうとした。
「書くの早っ! 何だか気色悪! っていうか、シュイ口座持ってなかったの!?」
既に手続きを終えたミルカが、いつの間にか後ろに立っていた。それにしても、その言い草はあんまりな気がした。
速記法は魔法を使う上で非常に重要な技術だ。魔印を綴ること、これは宙に文字を描いて詠唱と似たような効果を得る意味がある。それを素早く構築できれば魔法の発動もスムーズに行えるというわけだ。
「あ、ああ。前に傭兵をしていた時は地方の銀行口座を使っていたからな、ギルド銀行の口座は持っていなかったんだ」
「ふーん、なるほどねー」
適当な事を言って誤魔化したが、どうやら怪しまれずに済んだようだ。そうは言っても、最近どうも綱渡りなのは否めなかった。もう少し予習して置かないとボロが出るのは時間の問題だろう。シュイは不勉強を反省しつつ受付に足を運んだ。
「―――畏まりました、口座作成をご希望ですね。身分証はお持ちですか?」
行員の女性が訊ねられ、シュイが革袋をまさぐった。
「ああ、これだ」
まだ新しい身分証を提示すると、行員が目をじぐざぐに走らせた。
「シュイ・エルクンド様。―――はい、結構です。こちらの口座作成は最低10万パーズからの入金が必要ですが」
「ああ、これで頼む」
布袋から10万パーズきっちり数えて出すと、行員は丁寧にそれを受け取った。
「確認させていただきます。―――はい、確かに10万パーズ。承りました」
「それから、こちらの30万パーズを同じギルドの傭兵に振り込んで欲しいんだけど」
そう言って、残りの金を袋ごと差し出した。ニルファナに借りた金を一刻も早く返すためだ。もっとも、借りていた額の半分以上をこんな短期間で返せるとは思っていなかった。
「畏まりました。振込先の支店名と通帳番号はお分かりになりますか?」
行員に尋ねられて初めて、肝心なことを知らなかったのに気が付いた。
「い、いや、ちょっと聞いていないんだが」
行員はそれを聞いてちょっと困ったような顔をした。少しの間考えてから、一応お相手のお名前を聞かせていただいても宜しいですか、そう言った。
「あ、ああ。ニルファナ・ハーベルだ」
「それは、シルフィールのランカーであらせられる?」
行員はすぐに反応した。所属するギルドも言わずに名前だけでわかるのだから、彼女の知名度は推して知るべしだった。
「そのニルファナだ」
「それなら検索の必要はないですね。畏まりました、こちらをハーベル様の口座へお振込みですね」
「ああ、お願いする」
五分程度のやり取りを経て、何とか手続きを終えたシュイは、入り口の前にいる二人の下に戻った。
「シュイってば、ハーベルさんにお金借りてたの?」
出し抜けにミルカが言った。かなり遠くにいたのに聞こえたらしい。流石は獣族、恐ろしい地獄耳だ。純粋な感覚能に置いては人族の比肩し得るところではなかった。
「ああ、50万くらいね。彼女はくれるって言っていたけど、他の事でも世話になりっぱなしだから断ったんだ」
「へー、意外と律儀なんだな。そんな格好なのに」
ピエールがニヤっと笑う。
「……格好は関係ないだろ」
シュイは口を窄めて反論した。けれども、二人の間にホーヴィの時みたいな険悪な雰囲気はなかった。わずか数日ではあるが一緒に時を過ごしたことで、お互いに打ち解け始めていた。
「そういえば、今日って依頼の更新日だったよな」
銀行から出るなりピエールが言った。またまた聞き慣れない言葉に、シュイはそろそろ覚え切れなくなってきたぞ、と首を傾げた。
「月曜だからね。良い依頼書入っているかもしれないし、早速行ってみる?」
良くわからないが、とりあえず賛成してみる流れだろう。うんうんと頷いてみた。
「じゃあ、それで決まりね。ムウルの支部はここから見て長老樹のちょうど反対側だよ」
三人は再び長老樹に向かって歩き出した。
――――――
町の中央に向かうにつれ、長老樹が視界を席巻してきた。気がつけば頭上は巨大な緑葉で覆われていた。密集した木の葉の隙間からは所々木漏れ日が差し込み、地面が帯状に照らされている。それでも尚、根元までは50m程の距離があった。峻厳に聳え立つ長老樹は、薄らと発光しているようにすら見えた。
シュイは周囲に満ちる生命力に圧倒されていた。この樹に比べ、己のなんとちっぽけなことか。そうとまで老け込む齢でもないのだが、雄大な姿は見る者を引き込む何かを裡に宿していた。
「うーん、この樹見上げると小さい事なんかどうでも良くなっちまうな」
「心が大きくなるよね。何回見ても飽きないよ」
気がつけば、二人だけでなく周囲の観光客と思しき人々も樹に見惚れていた。芝生の上で麻布を敷き、のんびりと座っている家族連れもいる。
それを見て、ふとシュイの脳裏に懐かしい風景が過ぎった。小高い丘の上に立つ一本の巨大な樹。その樹の下で友達と追いかけっこをしている。そして―――
その続きを思い出した刹那、シュイの心は暗い海の底へと沈んでいった。光すらも届かない、青い闇。気がつけばさわやかな緑の香りも、神秘的な雰囲気も、何もかもがどうでも良くなっていた。
「……さて、そろそろ行くか」
シュイが二人を急かした。
「ん、ああ。遅くなっちまうしな」
「そうだね」
ミルカは我先にと歩き出したシュイの後ろ姿に、違和感を覚えて立ち止まった。
「……どうした?」
シュイが振り返った。別段変わった様子はないように思われた。
「……ううん、何でも!」
気を取り直し、ミルカは先を行く二人の後に続いた。
シュイたちは樹の根元をぐるりと左回りに歩き、ギルド支部へと向かった。
キャノエのギルド支部に辿り着くと、入り口の前から人だかりが出来ていた。その様子にシュイは唖然とした。ホーヴィよりも大分大きな建物の入り口には既に横三列の行列が出来ていた。とても建物内に入れる状態ではなかった。
「今日もお客さん多そうだねー」
「へへ、いいのあるといいな」
ミルカとピエールはどこか溌剌とした表情で声を交わした。
―――依頼人。そうか、今日は依頼の受付日なのか。
シュイはやっと事情が飲み込めた。月曜日は客が依頼を頼みに来る日なのだろう。そういえば、ニルファナと初めてホーヴィを訪れた時も月曜日だった。巨大な掲示板がびっしり埋まっていてびっくりしたのを昨日の事のように思い出した。
「裏口から入ろう。シュイ、こっちだよ」
ミルカに先導され、三人はごった返している入り口を避けるようにして建物の裏口に向かった。
芝生や雑草が伸び放題の裏口付近では、既に何人かの傭兵が開店を待っていた。どうやらまだ扉が閉まっていて入れないようだ。
ふと、見知らぬ男がシュイたちの方に気付く素振りを見せ、近寄って来た。
「おお、やっぱピエールじゃねえか。一年ぶりだな」
「え……、あ、アルマンドさん!」
ピエールが嬉しそうに叫ぶとアルマンドと呼ばれた傭兵が手をかざした。
背丈はかなり高く、180は軽く越えていそうだった。灰色の短髪で無精髭を生やし、額には古い刀傷が見受けられた。年の頃は三十半ばくらいで、肩当てが存在しない白銀の軽鎧を身につけ、シュイの鎌よりも巨大な槍を背負っている。如何にも歴戦の戦士と言った佇まいで、一見するだけでわかるほどの闘気が漲っていた。
「知り合いなの?」
ミルカがピエールに訊ねた。
「ああ、同じジウー地方の出身で、シルフィールに入ったばかりの時に色々と面倒見てくれたんだ。准ランカーの凄腕だぜ」
「はは、そんなたいしたもんじゃねえよ。何せその上には十九人もいるんだ」
アルマンドは快活に笑ってみせた。
―――準ランカーか、伊達じゃないな。
肌を刺すような闘気に、シュイはアルマンドが相当な実力者であることを確信していた。それと同時に、ニルファナの他にも下の者の面倒を見ている傭兵がいることを知り、少し不思議な気持ちにもなった。
「あ、私はミルカ・フランティアっていいます。まだ駆け出しでCランクですけど宜しくお願いします。準ランカーなんて凄いですね!」
ミルカが勢いよくお辞儀をした。
「おお、元気が良いねぇ。宜しくなお嬢ちゃん。さっきも言ったけれど準ランカーなんてそんなたいしたもんじゃねえ。あんたなら四、五年もすればなれるさ。……っと、そっちの黒い旦那は?」
「俺はシュイ・エルクンド。シルフィールにはほんの少し前に登録したばかりだから、同じく駆け出しだ。どうぞ宜しく」
そう言ってシュイも軽く頭を下げた。
「……! ほぅ、あんたが……」
「へ、俺を知っているのか?」
返ってきた意外な反応に、シュイは首を傾げた。何故か周りにいる傭兵たちからも視線が送られてくるのを感じた。
「傭兵たる者、情報には敏感でなきゃいけねえ。ニルファナ・ハーベルの愛弟子って聞いているぜ。彼女、意外とそういうのに無頓着だからな。あんたの名前はもう噂になっちまってる」
「……愛弟子? ……無頓着?」
「初の推薦だって言うんだから、文句なく愛弟子だろ。それから、彼女はいちいち気を使わない性格だからな。誰かに聞かれりゃあ気軽に喋っちまう」
『え、私が推薦した傭兵? あー、シュイの事か。確かに推薦したよー』
そんなニルファナの声が鮮明に聞こえた気がした。自由奔放な彼女のことだ。アルマンドの言う通り、己の発言がシュイに対する周りの心証に影響を与える事など毛筋ほども気にしていないだろう。その反面、人の細かい言動や行動にはケチをつけるのだから質が悪い。でも、わざわざ20歳で登録してくれたりもしたから、無頓着ってこともないだろうか。
戸惑い気味のシュイを見て、アルマンドは大袈裟に手を広げて見せた。
「おいおい、何も全部鵜呑みにすることはないんだぜ。ほら、やっかみや嫉妬も混じっているだろうから。ま、しばらくは気をつけたほうがいいかも知れないけどな」
シュイは何となしにピエールを見る。と、ほぼ同時にお互いを見ようとしていた事に気付き、曖昧な笑いを交わす。
アルマンドは笑いながらも鋭い視線をシュイに送っていた。
「まぁでも、Cランクでの登録だったっけか? 実際見た感じ、Bランク傭兵だって言われても納得できるけどなぁ」
「……えっ」
「まじで!」
今度はミルカとピエールが顔を見合わせた。シュイは、ニルファナさんも似たようなことを口にしていたことを思い出した。目立たないようにするのと、経験を積み重ねた方がいいという理由で見送ったはずだったが、前者は確実に失敗しているようだった。
「少なくとも、お前ら二人よりは隙がねえ。周囲への警戒心が半端ないんだよ。こうして喋ってる時でもな」
「買い被り過ぎだと思うけれどね」
「いやいや、そんなことは――――っと!」
軽く肩をすくめたシュイに、アルマンドが突如体勢を低くし、腰に下げてある小さなナイフを左手で抜くと、シュイの顔目掛けて凄まじい速さで投げつけた。
ほとんど反射的に、シュイが首を右に傾ける。ナイフはシュイの頬すれすれを通り過ぎ、後方のギルドの建物の外壁に突き刺さった。ナイフは小刻みにぶれてからその動きを止めた。
「てめっ、いきなり何を――」
「……すごっ!」
「……今の避けれたのかよ」
シュイの抗弁がピエールとミルカの驚嘆に掻き消された。ナイフの突き刺さった壁とシュイをまじまじと見比べている。
いやいやいやいや、避けてなかったら死んでるし。てか、投げナイフでコンクリを易々と貫くなんて有り得ないだろ。
シュイは肩越しに刺さったナイフを振り返り、薄ら寒さを覚えた。
「ほらな、俺の目は確かだろう?」
「……実力を確かめるにしてもやり過ぎじゃないか?」
得意げに胸を張るアルマンドに、シュイが憮然と反論した。一歩間違えば棺桶に入っていたんだから何を言っても言い過ぎじゃないはずだ。
「はっはっ、悪い悪い。でも、少なくともこの場の連中は納得しただろ。お前さんが〝シルフィールの傭兵〟を名乗るのにさ。それに……ほら、あれだ。お前なら絶対に避けてくれると確信していたからやったんだぜ」
何だろう、その如何にも後から取ってつけたような言い回しは。そう思うシュイを差し置いて、傭兵たちはアルマンドとシュイの今のやりとりを見て感心したような声を上げていた。
「改めて紹介しておくぜ。アルマンド・ゼフレルだ。アルマンドで構わないぜ。これからよろしくな。ミルカ、シュイ」
アルマンドは大きな手を双方に差し出し、握手を求めた。
「よろしくね、アルマンドさん!」
「……よろしく」
二人は、アルマンドと力強く握手した。やたらとゴツゴツした手が印象に残った。
それから数分して、ようやく裏口の扉が開き、支部の男性ギルド員が出てきた。
「皆さんお待たせいたしました、依頼書の準備が出来ましたので、どうぞお入りください」
その声掛けと共に、傭兵たちは我先にとロビーの掲示板目指して裏口に入っていく。
「さてと、俺達も行こうぜ」
アルマンドの声にシュイたちはうなずき、人の流れに乗ろうとした。
「……アルマンドさん、ストップです」
「え、何で? 俺だけ?」
声をかけられたアルマンドは不思議そうに振り返った。ギルド員は無言で建物の壁を指差す。そこには、先程アルマンドが投げ付けたナイフが深々と突き刺さっている。
アルマンドは頭に手をやりながら、てへ、と笑って誤魔化そうとした。
「後日の始末書請求とどちらがよろしいですか?」
ギルド員はあくまで冷淡に対応した。自業自得と言わざるを得なかった。