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雨音の響く夜に

夜の海には、波の音だけが響いている。月明かりが海面を照らし、銀色の光が揺れている。潮風が頬を撫で、海の香りが鼻をつく。海岸沿いにある倉庫に、男達が集まっている。彼らの周りには木箱やケースが積まれていた。重そうなケースが数人がかりで運び込まれていく。開いたケースには銃が入っていた。銀色のアタッシュケースを持った男が武装した集団にそれを手渡す。


「例のブツだ」


その中には、注射器が入っていた。中に入った液体が揺れる。緑色の液体が月の光に照らし出された。


「…なーるほどなぁ。獣人の本能を暴走させて武器を売るって魂胆か」


革靴の足音がその場に響く。男達が一斉に拳銃を構え、声のした方を向く。


「誰だ!」

「お前は…!」


闇の中からチェスが現れた。夜の海の潮風が彼の髪と肩に羽織ったジャケットの袖を揺らした。


「敵対組織、アンダー。まさかマフィアの紛争に一般人まで巻き込むとはなぁ。…しかも、裏切り者までいると来たモンだ」


チェスの金色の目がアタッシュケースを持ち込んだスーツの男を射抜く。


「ボス、これは…!」

「レン組の御法度、覚えてるか?一つ、カタギに手を出すな。二つ、薬は禁止。三つ目が…」


チェスが銃を取り出し、男に標準を合わせる。彼は引き金に指をかけた。


「裏切り者には死を、だ」


発砲音がその場に響く。男達が一斉に拳銃の引き金を引いた。だが、弾が出ない。


「な、何故だ…!?」

「これ、なーんだ?」


チェスがベェ、と舌を見せる。その上には鉛の弾が乗っていた。


「俺がまさか、単独で乗り込んで来ると思ったのかよ?」


倉庫の影や上からレン組の組員が現れる。月光がチェスを照らして地面にその影が伸びた。月を背にして彼は笑う。


「テメェらの武器から弾は抜いた。周囲は包囲してある。チェックメイトだ」


チェスはキングの駒を取るように、そう告げた。



深夜。雨が降る中、喫茶店で凛はチェスを待っていた。潮風が時折、窓を揺らす。看板は仕舞い、閉店の札をひっくり返している。凛はカウンターテーブルを拭きながら、ため息をついた。


(今日はもう、来ないだろうな…)


窓ガラスを流れる雨粒を眺めていると、人影が見えた。凛は慌てて外に出る。


「チェスさん!」

「…あ?まだ起きてたんか」


振り返った彼の姿に凛は固まる。雨の匂いに紛れて、鉄の匂いがする。チェスの頬や服に、べったりと血が付いていた。雨が薄め、血を地面に流していく。


「…チェスさん、それ…」


尋ねる声は震えていた。チェスが片眉を上げる。


「あ?ああ…全部返り血だよ。んで?コーヒーはねぇのか」


何でも無いことの様に彼は淡々と答えた。


「コーヒーって…そんなこと言ってる場合じゃ無いですよ!」


濡れている彼に凛は駆け寄る。チェスの身体に触れた指先は震えていた。チェスの頬はひどく冷たい。


「…お前…」


近寄ずいた凛にチェスが目を見開く。雨が二人を濡らす。


「すっかり、身体が冷えているじゃ無いですか…タオルで拭きますから、来てください」


凛は腕を引いて店内に入れる。抵抗も無く、彼はすんなりと喫茶店の中へ足を踏み入れた。凛は裏からタオルを持って来てチェスの髪を拭く。彼の髪はしっとりと濡れていた。彼の肩にかけたジャケットの裾から水滴が床に落ちる。


「…震えてるな。寒さだけじゃ無いんだろ?お前は俺が恐ろしくて仕方がない。違うか?」


チェスは凛の手を取り、顔を覗き込む。彼は愉しそうに目を細めて笑っていた。


(…この人が弱さを見せるから、忘れそうになるけど…この人を前にして油断したことは一度も無い)


凛は息を吸って答えた。


「怖いですよ。貴方はマフィアですから。それを忘れたことはありません」


凛は顔を上げ、目を合わせて言った。


「でも、怖いことと放っておけないことは別です」


チェスが微かに目を見開く。彼の目の下には薄くなった隈がある。


「…変な奴。興醒めした。もういい」


彼はタオルを凛の手から奪うと、ガシガシ、と乱暴な手つきで頭を拭く。彼はカウンター席に座り、黒い尻尾を揺らした。


「コーヒー。ホットで」

「はい!」


凛は準備してコーヒー豆を挽いた。静かな店内にコーヒー豆を挽く音だけが響く。やがてお湯を注ぎ始めると、湯気とコーヒーのいい匂いが漂った。


「お待たせしました。どうぞ」


カップを持ち上げ、彼は一口飲んだ。だが、すぐにカップをソーサーに戻す。


「…口に合いませんでしたか?」


不安になって尋ねると、チェスは顔を逸らした。


「…猫舌なんだよ」


どこか拗ねた子供の様な声でそう言って彼は自分の頭を凛の方へ差し出した。


「…ん」


癒しを求められていることを察した凛は手を伸ばし、彼の頭を撫でた。髪は湿っていたが、柔らかい。耳を撫でると、伏せられた。時折、ぴくりと動く。


「…耳の後ろ」


指示された通り、耳の付け根を撫でると満足そうに金色の目を細める。


…ゴロ、ゴロゴロ…。


(え、何の音?)


凛は周囲を見渡す。音の発信源はチェスだった。彼は喉を鳴らし、身体を凛に預けて来た。首元に顔を埋め、匂いを嗅ぐと彼は嗤った。


「…へぇ、そうか…これがなぁ…」

「…?」


呟きに凛は首を傾げた。身体を離すと、彼は凛に言った。


「最近、巷を騒がせていた薬のことはお前も知ってんだろ」

「…!」

(まさか探っていたことがバレた…!?)


凛は冷や汗をかくがチェスは気づかず続ける。


「あれの大元は叩いた。後の残党狩りは騎士団の仕事だ」


さらりと告げられた言葉に凛は固まる。チェスは大きくあくびをして、立ち上がる。


「じゃーな。代金はここに置いていく」


硬貨を何枚も置いて彼は去っていく。その背中に凛は慌てて声をかけた。


「待ってください、いくらなんでも多すぎます!」


振り返って彼は舌を出して笑った。


「また来る」


扉が閉まる音が響く。


(もしかして…小切手を受け取らなかったこと根に持ってたんじゃ…)


残された凛は立ち尽くす。夜の喫茶店には雨音が響いていた。



翌朝。顔を合わせたスイが新聞を見せてきた。新聞の見出しには、海辺にある倉庫で武器と薬の密売があったことと、騎士団がアンダー組のアジトを摘発したことが載っていた。アジトには薬が大量に保管されていたことが書いてあった。


「アジトや現場は押さえられたが、幹部は数人、姿をくらませて見つかっていないそうだ」


スイの言葉に凛は昨夜、チェスが言っていたことを思い出す。


(確か、大元は叩いたって…なら、昨日の返り血は…)


その時、店内の扉が開いた。


「まだ開店前だよ」

「すまない、騎士団団長のアッシュだ。新聞は見たか?」


入って来たのはアッシュだった。スイが新聞を掲げて揺らす。


「今、丁度その話をしていたところさ」

「アジトは摘発し、何人かは捕らえた。薬と開発データも押収した…だが、問題はまだ解決していない」


アッシュは深刻な顔で告げる。


「アンダーでは、人間の人身売買も行われていたことが発覚した。これは由々しき事態だ。騎士団は過去の人間達の行方を調査することにした」


スイの顔が険しくなる。


「それはつまり…元の世界に帰ったとされる人間を攫っていたということかい?」


低い声でスイが呟いた。アッシュが重々しく頷く。


「ああ。騎士団はこの件に対して重く捉え、全力で捜査するつもりだ。だが、この件は真実が判明するまで、他に漏らさない様に。慎重に対応する必要がある」


凛は目を見開く。声が震えた。


「…そんな…」


スイが心配そうに凛を見る。


「薬の密売にレン組の一部が関わっていたそうだが…消息を絶っている。チェスの判断では無く、独断の犯行だったのだろう」


アッシュはそう言って報酬を渡した。


「君達にまた、依頼を頼みたいのだが…」


アッシュの赤い瞳が凛に向く。凛の顔色は悪くなっていた。


「具合が悪いのか?」


凛は首を振った。


「…いえ、大丈夫です」

「そうか。ならいいんだが…無理はしないようにな」


アッシュは優しく微笑んだ。凛は頷く。


「それで、依頼とは?」


話を戻す様にスイが尋ねる。


「ああ、過去に元の世界に帰ったとされる人間の調査を頼みたい。王宮に資料が残っているはずだ」


スイは凛を見る。


「どうする?…断ってもいいんだぞ?」


凛は深呼吸して答えた。


「…いえ、王宮に行って調査します」


アッシュは笑顔を浮かべた。


「そうか。助かる。調査には俺も同行しよう。城を歩くには、許可と騎士団の監視がいるからな」


こうして、凛はスイとアッシュと共に王宮へ向かうことが決まった。満月まで、後七日。

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