雨とコロンと時々事件
獣人達が行き交う大通り。外にある席で昼間から酒を飲んでいる獣人達もいる。騎士団達の近くを親子が通り過ぎる。アッシュの隣で部下の一人が呟く。
「…はぁ、巡回とかめんどくさいな」
気だるげな様子の若い青年はため息をつく。アッシュの胸元にある騎士団のバッチが光を浴びて輝く。
「今は非常時だ。警備を怠るな」
彼は厳格な声で部下を叱った。部下は思い出した様に呟く。
「あー、確か人間がいるんでしたっけ」
近くの壁には指名手配の紙が貼られている。チェスの顔写真も一緒に載っていた。
「そうだ。それに、それだけでは無い。…ここ最近、獣人の本能を暴走させる薬も市場に出回っている」
アッシュはそう言って鋭い目で辺りを見渡す。
「薬の名前はブレイカー。神経や細胞に影響を及ぼす」
部下が肩をすくめる。
「物騒な名前っすね。そんなモンが出回っているんすか。厄介な事になりましたね。この件はチェスが関わっているんですか?」
「それは分からん。だが、奴は自身の縄張りで勝手な事をする者に容赦はしないだろう」
アッシュは腕を組んで答えた。その時、狐の獣人の部下が何かを見つける。
「あれ、あれって…」
その視線の先にいたのは凛とスイだった。二人は話しながら石畳の道を歩いていた。
「浮気調査ってことでしたけど…奥さんの勘違いで良かったですね」
「ああ、まさか旦那がサプライズの準備をコソコソしていただけだったとはな」
スイが肩をすくめる。その時、ぽつぽつと雨が降り始める。
「空は晴れているのに…通り雨かな」
凛が空を見上げて呟く。
「まずい!コロンの匂いが消える!」
スイは焦った声でそう言うと、自身のスーツを凛の頭に被せた。スイの匂いが凛を包む。
「やっぱり、喫茶店のマスターじゃないっすか」
狐の獣人の部下とアッシュが近寄って来た。スイは背中に凛を隠し、二人に笑顔で対応する。
「やぁ、奇遇だな」
アッシュの目が凛に向く。
「彼女はどうしたんだ?」
「雨に濡れてしまってね。あまり見ないでくれ。他に見せたく無い姿なんだ」
部下がひゅう、と口笛を吹いた。
「マスターも嫉妬するんですね。いやぁ、お熱いねぇ」
アッシュが不思議そうに尋ねる。
「番では無いのではなかったか?」
「恥ずかしながら、僕の片思いでね。今、口説いている最中なのさ」
スラスラと嘘をつくスイに凛は俯く。
(すいません、スイさん…!)
凛の様子が照れている様に見えたのか、アッシュはそれ以上深掘りして来なかった。
「そうか。俺達は今、調査中でね。市場でおかしな薬が出回っている。君達も気をつけてくれ」
部下が思いついた様に言った。
「あ、そうだ。この事件、探偵にも協力を依頼しましょうよ」
スイは瞬きをして二人を見る。
「それは…騎士団からの依頼かい?」
「いや、俺個人からの依頼だ。騎士団と探偵が共同線を張るには…少しややこしい事件なんだ。マフィアが絡んでいる。君達はあくまでも中立の立場でいたほうがいいだろう」
アッシュは疲れた様に言った。部下がからかう様に声をかける。
「団長も、人間を飼った方がいいんじゃないっすか?人間セラピーが必要ですよ」
凛の肩が強張る。スイがさりげなく前に出て凛を隠す。
「いや…俺はそこまで本能が強い訳じゃない。本能の強い個体は苦しみ、時に偏頭痛や不眠などの症状があるらしいが」
凛はその言葉にチェスを思い出した。彼は頭痛と隈があった。アッシュが二人に向き合う。
「君達に依頼したいのは…この件にチェスが関わっているかどうかの調査だ。騎士団よりも、君達の方が探りやすいだろう。ただ…危険ではある。それでも、引き受けるか?」
彼は真剣な顔で問いかける。スイが口を開く。
「この件は僕が対応しよう。彼女には手伝いを頼むよ」
スイはそう言って凛に笑いかけた。凛は頷いた。
「私も、出来る限りのことをします!」
アッシュは安堵した様に息を微かにはく。
「助かるよ。では、何か分かったら報告してくれ」
連絡先を凛達に渡して彼は部下を連れて巡回に戻って行った。
「僕らも喫茶店に戻ろうか」
「はい!」
凛はスイと共に喫茶店に戻り、騎士団からもらった書類をカウンターテーブルに広げる。二人は書類を一緒に覗き込む。
「これが…その薬か」
書類には注射器に入った緑色の液体の写真が載っていた。凛は事件の被害について書かれた内容に眉を寄せた。
「力を制御出来なくなり、破壊行動に出る…一刻も早く、なんとかしないと」
「ああ。だが…君は人間だ。凶暴化した獣人は危ない。無理はしないように」
スイの警告に凛は頷いた。
「チェスに接触して調査するのが一番だが…危険だ。まずは彼の周囲から調査しよう」
スイはそう言ってコートを羽織る。彼の白い尻尾が誘う様に揺れた。
「さて、助手君。聴き込み調査から始めようか」
凛はくすりと笑って返事をする。
「はい!」
後を追って店を出る。夕日が建物を照らし、オレンジ色に染めていた。
「獣人達に事件のことについて尋ねてみよう」
凛とスイは二手に分かれ、調査する。凛は道行くうさぎの獣人のご婦人に声をかけた。
「最近、獣人が暴走する事件について、何か知りませんか?」
「ええ、もちろん知っているわ。また被害が出たんでしょう?怖いわよねぇ」
ご婦人は不安そうに言った。他にも何人かに声をかけてみるが、目星しい情報は得られず、凛は肩を落とした。
「…はぁ…全然、駄目だった。明日、詳しいことは騎士団の人に聞いてみよう」
公園に入り、ベンチに座ろうとすると先客がいることに気がついた。
「チェ、チェスさん…!?」
彼の黒い耳がぴくりと動く。上半身をゆっくりと起こした彼は金色の目で鋭く睨む。目の下には、相変わらず隈があった。
「あ?…またお前か」
低い声で不機嫌そうに呟く。彼はしなやかな動作でベンチを降りると、長い足を踏み出す。一瞬の間に距離を詰められ、凛は息を飲む。すぐ間近に迫った金色の目が細められる。彼はすん、と鼻を動かし、凛の匂いを嗅いだ。
「…!」
(人間だって今度こそバレた…!?)
思わず息を止める。身体中に緊張が走り、強張った。
「…以前と匂いが違う。…お前、番が出来たのか?」
「へ…?」
凛が不思議そうに瞬きをすると、チェスは呆れた様に言った。
「ガキは知らねぇのか。匂いでマーキングしてコイツは番だって他に知らしめるんだよ」
彼はそう言って眉を顰めた。
「お前からは色んな匂いがして…本来の匂いが分からなくなっている。甘ったりぃ匂いと…知らない奴の匂いが混ざってる」
(甘い匂いは…コロンかな?)
チェスは不機嫌そうに尻尾を揺らす。
「マーキングなんてされてないですよ」
「…確かに、微かに匂う程度だな。マーキングなら…」
チェスは顔を寄せて擦り寄った。
「もっと明確に匂いをつける。こんな風にな」
間近でチェスが意地悪く笑った。凛は慌てて離れる。
「揶揄わないでくださいよ!」
「くく、安心しろ。ガキを番にする趣味はねぇよ」
そう言って彼は喉を鳴らして笑った。
(一応、私成人してるんだけどな…)
凛はこの世界だと実際の年齢より年下に見られる。彼ら獣人は人間である凛よりもずっと背が高いのだ。チェスは再びベンチに寝転がる。
「…はぁ、疲れた。ここ最近、縄張りで好き勝手やってる連中もいるしよぉ…」
チェスの目が凛を射抜く。
「おい、お前。こっちに来い」
凛は警戒しながらチェスに近寄る。すると手を捕られ、抱きしめられた。
「え!?ちょ、ちょっと…!」
「…うるせぇ。耳元で騒ぐな。頭に響く…」
(いや、そうさせているのは貴方なんですが…!?)
内心で突っ込みながらも具合が悪そうなチェスの様子に口を閉じる。近い。衣服越しに身体が密着する。彼のしなやかな筋肉や、温度を感じた。チェスは目を閉じてじっとしている。
「…」
「あの?ここで寝たら風邪ひきますよ?」
「寝てねぇよ」
彼は凛の肩に顔を埋め、息をはく。首筋に固い髪と吐息がかかって顔に熱が集まる。
「あの、本当に離れてもらって…」
肩を押すが、動かない。凛は気づいた。
(あ、私って力で獣人に敵わないんだ…)
相手は力を込めていない。でも、体重をかけられ箇所を押さえられている。動きを最低限の力で制御されている。凛はようやく、今のこの状況に危機感を覚えた。
「匂いが混ざってはいるが…落ち着く匂いだ」
ぼそりと呟いた彼は凛の顔を覗き込む。彼の顔色は先程より少し良くなっていた。
「お前に仕事をやるよ」
馬乗りになった彼が金色の目で凛を見下ろす。
「仕事…?」
「頭痛がさっきよりマシになった。お前の匂いを嗅ぐと、そうなるんだよ」
彼が顔を寄せて笑った。
「なぁ、たまに俺を癒やせよ。報酬は…このぐらいでどうだ?」
彼が小切手を手渡す。書かれた金額に凛は目を丸くした。
(ゼロが多い…!この世界の単価は知らないけど、絶対大金であることは分かる…!)
慌てて首を振って拒否する。
「こんなに受け取れません…!」
「あ?」
目の前にいるのは肉食獣。凛は必死に考える。
(チェスさんと一緒にいれば事件を調査出来るかも…!でも、人間だってバレるリスクはある)
凛は恐る恐る言った。
「えっと対価は…喫茶店でコーヒーを飲んでお金を払ってもらうことでいいですか?」
チェスが不可解そうに凛を見下ろす。
「はぁ?そんなことでいいのかよ」
「常連になってくれたら嬉しいです!」
凛の言葉に彼は黙って上から退いた。
「…閉店後。誰も居ない時に行く。コーヒーはお前が淹れろ」
彼はそう告げて静かに去って行った。建物の隙間に入り込み、影の中に尻尾が消えていく。凛はそれを呆然と見送った。
「コーヒー、淹れる練習しなきゃ…」
(なんだか、一日で大変なことになっちゃったなぁ…)
夕日に染まる空を眺めて凛は遠い目をした。その後、スイと合流すると彼は心配そうに凛を見た。
「遅いから心配したぞ。何かあったのかい?」
「だ、大丈夫です…」
(まさかマフィアのボスと居ましたなんて言えない…)
風が吹き、スイが片眉を上げた。
「…?何やら匂いがするな」
「えっ、私匂います!?お風呂には入っているんですけど…!」
凛は自分の腕を嗅ぐ。スイは笑って首を振った。
「いや、君から一瞬、獣人の匂いがしたんだが…気のせいみたいだ」
そう言って喫茶店へと歩き出す。空には一番星が輝き始めていた。辺りはすっかり薄暗い。
「すみません、心配かけて」
「はは、僕はこれでも寂しがり屋なんだ。心細かったぞ」
「ふふ、スイさんったら」
おどけて笑うスイに凛もくすくすと笑いながら帰り道を歩いた。月は半月になり、二人の道先を照らしていた。




