・ガドギエン・オースポン(飛空行商人・男)の暮らし II
とりあえず機会さえあれば、購入用の金銭に関しては余裕があるため、見逃さない様にしたいと前向きな言葉を聞くに及び、我が輩の興味はそちらにも生まれた。
この手の新しい仕事において、金銭に余裕があるというのも珍しいなと感じたのである。
時代時代におけるもっとも新しい商売というものは、華々しい外面に反し、内情としては常に切羽詰まったものである。
どの様な相手からも怪しげな商売をしていると見られがちであり、尚且つ出費も多いからだ。
我が輩が助言した様に、商売道具を新しくしようとする事自体は正しい選択の一つとなるわけであるが、それはそれとして、その正しい選択に対しても、本当にこれで大丈夫なのかとうんうんと頭を悩ますのがこの手の新しい商売というものだ。正しい選択が正解とも限らない。それが新しいという事なのである。我が輩にもその手の経験がある。
そんな前提の元、昨今の情勢も鑑みれば、ガドギエン・オースポンの懐事情に余裕があるのは、何かしら普通ではない収入があったという事になるはずだ。
あくまでこれはサントクマルク王国についての記録を残すという意味でしか無いのだが、何か最近あったかと我が輩は聞いてみる事にした。
当初、その手の話をはぐらかそうとしてきたガドギエン・オースポンだったが、そこは我が輩の口の上手さが勝利する事になる。
それと、このガドギエン・オースポンに対しては二、三程借りもあったのも、話を聞き出す事に繋がったのかもしれない。
何にせよ、友人の誼として括れる関係性により、ガドギエン・オースポンから面白い話を聞けた。
これもまた、王都における行商人の在り方と言えば良いのか、ガドギエン・オースポンはあまり表に出来ないものを王都外へと運んでいたのだそうだ。
密輸と一言で書く事も出来るだろうが、断言はしない。何せこの本は個人の罪を訴えるための本では無く、ただただ、この国の姿を書き記すためのものであるからだ。
本を読む諸君に関しても、その点を理解しておいて貰いたい。ガドギエン・オースポンに対して、本にこの様な事が書かれていたぞと言ったところで、我が輩、カルノク・ディ・フォークの妄想であると笑って流されるだろうし、我が輩自身に関してもその通りだと答える事になっている。そういう取り決めの元、この話を書かせて貰っている。
さて、そんな本当か嘘か分からぬガドギエン・オースポンの密輸業であるが、もっぱら内から外への仕事が多いとの事である。
この手の仕事もまた、縄張りや種類が存在しており、むしろ公然と出来るものより厳格であったりもするらしく、あくまで王都内部の何がしかを、サントクマルク王国のどこかの街か村、もしくは何も無いとされている原野まで、無許可かつ秘密裏に運ぶ。それこそガドギエン・オースポンが出来る唯一の不正であるのだろう。
この様な不正の形やルールもまた、王都、引いてはサントクマルク王国の風景の一つなのかもしれぬ。
ちなみに、それが行われる際のやり方はこうである。まずガドギエン・オースポンが普段、飛空船を保管しているのは王都郊外寄りの、やや寂れた区画であり、そこには飛空船離着陸用も兼用している大き目の格納庫が存在する。
一方、その格納庫に併設される形で、そこより小さい倉庫を用意している。小さい方の倉庫は出入口とは別に格納庫へ繋がる扉が存在しているわけだが、そこの鍵は、格納庫へ直接入るための扉と同様に、ガドギエン・オースポンが厳重に管理しており、扉そのものも、こそ泥がどれだけの工具を用意したところで侵入困難を感じる、そういう頑丈な扉だ。
一方、外から小さめの倉庫へ入るための扉はそうでは無い。鍵は金具を掛ける形で閉じるタイプの錠前であるが、これは商売上あまり金銭を掛けられない関係で安物を購入しており、容易く外されたり壊されたりする危険のある錠前であるのだそうだ。
実際、頻繁にその錠前は外されているとの事。小さい倉庫の中にあるものと言えば、箱が幾つか雑に置かれていて、それは飛空船に物を積み込む際に使用する、どこにでもある程度の木箱だから、盗む物は無いとガドギエン・オースポンは言う。
ただし一応、錠前が外された時は、必ず盗まれた物が無いかチェックをするわけだ。
勿論、何も入っていない木箱を持ち帰る盗人というのも居ないわけで、盗まれた物は無いと安心する……という体を装うのである。
実際、盗まれた物は無い。だから安心はしている。そこに嘘は無い。
一方、無かったはずの物が増えている。そんな事は想定していないので、特に確認せず、ただ木箱を放置するのは何なので、より厳重な格納庫内、それももっとも管理監視している飛空船の中へと木箱を配置しておく。
その木箱の中に、見知らぬ物が入っているなど、思いも寄らない。誰かから、何故こんなものを運んでいると聞かれたら、ガドギエン・オースポンはこう答えるわけだ。なんだそれは? 知らない物が乗っているぞと。
こうして自分の立場を安全な場所に置きつつ、木箱を通して、事前に取り決めした物を飛空船にて王都外へ運ぶわけである。
さらにこの様な手間を掛けているのは、ガドギエン・オースポン自身の安全確保以外にも理由がある。
例えば、ガドギエン・オースポンの倉庫へ密輸品を運び込む者の顔を見ない様に出来る。犯罪に関わる様な人間との接触は、それそのものが互いにリスクであるから、この様に物を所定の場所に置かせた後に、ガドギエン・オースポンとは出会わず去らせる事で、無用な諍いを避ける事が出来るのだ。この日に、錠前を外して密輸品を運び込んでおくという情報だけを知っておけばそれで商売は成り立つ。
何なら、誰から密輸品を持ち込まれたと調べられたところで、ガドギエン・オースポン自身顔も名前を知らないので、知らないと答えられる。これは取引する双方共に利となる。
また、この方法を取るならば、運び込む者だけで無く、木箱の中身も極力見ないで済む。何を運ぶかについては無論、先んじて知っておく必要があるものの、それ自体を良く観察はしない様に努めているとガドギエン・オースポンは話していた。
彼曰く、商売として運ぶ物への目線は、常に自分とは直接関係のない物だと心がけるのが、行商人にとって重要なのだそうだ。
密輸品に限らず、経験の浅い行商人はそこを勘違いして失敗する事があるからと。
行商人とは、根本的には物を運ぶ事で金を稼ぐ立場であり、その運ぶ物を所有していない。そういう観点が常に必要であるらしい。
商品を運んだ後は出来るだけ高く販売するし、運ぶ商品だって通常であれば自分で安く購入するわけで、一時的にでも自身の所有物となるのではと我が輩などは思うわけだが、そこが罠なのだという。
一時でもそれが自分の物だと思った瞬間、それへの扱いに躊躇が生まれる。もっと高く売れる、もっと安く手に入る。商売上の計算としてそれを考えるのは良いが、いざ始めた仕事に対して、余計な躊躇や未練をもって挑めば、その大半は損の形をして現れてくるのだと。
いざ予定通りに物を運び終え、相手にそれを渡して対価を得る瞬間、これは自分の物でもあるのだから、もっと有効な使い方があるなどと考えてしまえば、それは自分の身に降り掛かる危険となる……というのはガドギエン・オースポンの言である。
特にそれが、不正な手段で運んで来た密輸品であればもっとだ。
勝手に額を吊り上げ、これを運ぶのに苦労したから、多少の色を付けて欲しい。そんな事を言葉にした瞬間、自らの命が無くなる事だってある。信用も無くす。法に守られていない身で信用まで無くせば、それは命が無くなるより怖い目にも遭うだろう。
だからこそ、運ぶ商品は自分のものだと思わない。密輸品に関しては見たり把握する事も極力避ける。それがガドギエン・オースポンの商売であり、尚且つ、信用を失わない方法であるらしい。
この様な深慮もあって、手間を掛けながら飛空船へ密輸品を運込んでいるそうだが、さらに最後、この手間があるおかげで避けられている事があると、冗談めかしてガドギエン・オースポンは語ってきた。
何だと問う我が輩に対して、ガドギエン・オースポンはこう言うのだ。木箱は小さいから、人間一人は入らないだろう? と。
まあ確かに冗談の類である。普通人ならば乾いた笑いで流してしまうわけだが、我が輩は些か、想像力が豊かな方である。
その時、少し嫌な想像をしてしまった。
ガドギエン・オースポンよりもっと質の悪い行商人であれば、その手の事をする可能性もあるのか? などという想像である。




