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・ミタリー・ファンサリア(占術士・女)の暮らし II

 一種は人より視点の高いものから助言を貰うもの。何でも神降ろしだとか精霊付き合いとか言うもので、そういう存在はそこらの人間より経験が豊富で、長大な視座を持っているから、しっかりと頼み込めば、的確な助言が貰えるものなのだそうだ。

 なんだそのインチキそのものの内容はと思った諸君らの意見は確かに正しい。だいたい神や精霊というのは、神話における主要人物だったり、何かしらの例えや寓話、信仰深くあったとしても、祈りを捧げる相手であって、気軽に意見を聞ける相手ではあるまい。

 ミタリー・ファンサリアに対してもその手の話をしたのであるが、見識が狭い。自分の目でしか物事を見ていない様な男が、どうして常識的な意見なんてものを他人に語気強く話せるのかと、散々に文句を言われた。神も精霊も知らぬが、どうにも年が上の相手の言葉は反論が出来なくて、その時の我が輩は困ってしまった。

 そうして、ミタリー・ファンサリアはその隙を突く様に、我が輩が疑問点を突くより素早く、話を続けてきたのである。

 自分より見識も考え方も上の人間がいて、そんな相手から助言を貰う事は有用である。それが神や精霊という言葉になった時、どうしてそんなに疑い深くなるのか。一方、そういう助言を聞ける立場というのは、それだけで立派であり、尚且つ特殊である。なのでこの助言を聞くことが出来る占術士とは、本当に、素直に役に立つが、稀少であり、そもそも他人のために働く動機が薄いため、なかなか出会えない。自分に対しての助言を聞いてきればそれだけで良き人生になるのだ。他人のために働いているなら、もうそれだけで立派に過ぎる人間である。等々、まあ語る言葉が尽きない女であると思ったものである。

 聞いたうえでの内容そのものは、真実であれば随分とご立派であるという印象は持ったものの、その立派に過ぎる人間とやらが目の前の相手なのかと、我が輩は勿論尋ねた。

 結局、自分はすごいのだという喧伝の類なのではと受け取ったからである。

 だが、ミタリー・ファンサリアは首を横に振り、確かに自分は本物の占術士であるが、何かの声を聞く方の占術士では無く、もう一方であると言ってきた。

 そのもう一方にも本物偽物があるそうだが、ミタリー・ファンサリア自身はやはり本物の方なのだという。

 眉に唾を付ける暇も無く語り続けるミタリー・ファンサリアに、見た目には分からぬ精神的加齢を感じたものの、良い大人である我が輩は、彼女がこう語ったと書ければ、それはそれでこの本に書くべき内容にはなるだろうと、賢明な納得をする事にした。老人の長話には抵抗しない。それが上手い生き方というやつだろう。

 そんな長話の中で分かってくるのは、ミタリー・ファンサリアがどういう占術士であるかである。それをこれから書くわけだが、なんでも運命の流れを見る方の占術士であるらしい。

 運命と来たのだ。言うに事欠いて運命だと。

 そんな物が分かれば苦労は無いし、我が輩や他の誰かの人生とて、もっとより良きものに出来るだろうに。

 今の世の中の指針に、その運命を見る占術とやらが関わっていない事が、何より、そんなものは存在しない証左だろう。第一、その手のものが本当にあったとしたら、我が輩の人生における大いなる過ちとて、起こって然るべきだったという酷な結論になるではないか。

 と、我が輩は今でも考えているわけであるが、実際に語った我が輩を見て、ミタリー・ファンサリアは鼻で笑い飛ばしてきた。非常に腹立たしい。

 さっきまで何を聞いていたのかと、笑って来たのである、あの女は。

 もはや話を中断して店を出たくなったものの、占術の代金は前払いであったため、結果が出ない事には勿体が無い。

 金銭の話題というのは、それを考えれば冷静さを取り戻せるものだ。その時の我が輩もまた、金が勿体ないという考えで、腹の奥の熱さを何とか抑え込んでいた。

 今ですら、なにくそという感情を抑えながら、他人の記憶に残るべき形へと、ミタリー・ファンサリアの話をまとめているのである。

 我が輩の寛容さというものがどれほどのものか、諸君らならば分かろうというものだ。

 ミタリー・ファンサリアの話に戻るが、未来なんてものはすぐ先の事だって簡単に変えられるものだと、再度、我が輩に伝えてきた。

 なのに運命と聞いて、多くの人間が勘違いするのだそうだ。

 運命は変えられない。生まれた時から決まっていると。

 後者は正しいが前者はただの勘違いであるとミタリー・ファンサリアは言ってきた。

 その二つは両立するものなのかと、良く分かっていないままの我が輩に対して、ミタリー・ファンサリアは我が輩の癖を指摘してきたのを憶えている。

 他人の話に退屈しているとき、お前は机の上に腕を置こうとするだろうと。我が輩の知らぬ、一方で気付いてしまうと確かに自覚する、その癖を指摘してきたのだ。

 非常に目敏いと感じた我が輩を、ミタリー・ファンサリアは肯定すらして来た。その癖を見抜く目こそが重要であり、だからこそ占術で食べて行けるのだそうだ。

 占術において癖というのは、生来にしても後天的にしても、当人の意識の外側で、当人の行動を決めてしまうものであるらしい。道が二手に分かれていて、どちらも目的地が一緒ならば、進みやすい方を選ぶ。その進みやすさという部分に、人は自らの癖を無意識の判断材料としている……のだと説明された。

 その様な意識外の選択と癖の影響というのは、個人個人の行動において、実は日々の大半を占めている。常に意識しながら手足を動かしている時間は少ないし、常に意識しながら生きている人間だって少ない。

 これが社会ともなれば、多くの部分が意識せず、それでも全体を動かしているという事になる。それこそが運命と呼ぶものの正体なのだとミタリー・ファンサリアは語る。

 人の運命とはすなわち、特に何も考えていない時の人の行動であり、その人の属性、何気ない行動、これまでの人生などを読み取り、経験則と合わせれば、その人がどういう人生を送るかを、大まかに知る事が出来る。

 そうして、見えてきたその人間の運命と、実際に生きていく社会とを照らし合わせれば、疑似的な将来の予測も可能になるのだという。それが出来るのがミタリー・ファンサリアであり、本物の占術士の一種という事であるらしい。

 机に置かれた板もまた、個人の運命と社会全体の動きを照らし合わせるための道具であり、適宜ミタリー・ファンサリアから飛んでくる質問や、向けられる目も、客の運命を知るための手法という事なのだそうだ。

 理屈としては通ってはいる。その時の我が輩はそう思ったものの、今にして思えば、どこか胡散臭さは残っている気もする。

 人の意識しない行動が、人の人生や社会の動きを決めてしまうというのが真実であったとして、それをどの様に解釈すれば、より良き将来を予想出来るというのか。

 人の数は限りなく、さらに意識してしまえばそれが変わるというのなら、どれだけ予想したところで、先の事は不確実なままではあるまいか。

 当時もそれに似た言葉をミタリー・ファンサリアに向けていた気もするが、その時は、大きな動き程、人一人が意識したって変わらないものだから、細かい部分では無くその大きな動きの方を自分は占うし、助言すると答えて来た。

 実際、ミタリー・ファンサリアが我が輩への占いをしたその診断結果は、今やっている事をより大きく、能動的に行えば、サントクマルク王国という枠の中においては、良い影響を与えるだろうなどと、曖昧で大層な内容であったと記憶している。

 どうとでも取れる内容である。商売については向いていないから、今後も金儲けなど積極的に考えるな、などという話もついでに聞かされたが、そこもどうとでも取れるだろう。そのはずである。

 大まかにまとめるならば、雰囲気はある。言っている事も思いの外まともではある。簡単に受け入れてしまいそうになるという事でもあるから、要警戒ではあろう。

 一度の占いで時間にして一時間程度。人に寄れば倍掛かる時もあるというが、これを日に三度程出来れば、生活費は十分に稼いでいけるそうなので、なかなかの高価格と言えるのかもしれない。

 ただ、公平な視点で見るというのであれば、ミタリー・ファンサリアが占いで生活をしているという事に対して、我が輩からとやかく言える物でも無いかもしれない。

 サントクマルク王国には多くの仕事をしている人間がいて、それで王国というものは成り立っているのだから、その部分に文句を言えるのは法か生活を共にする者くらい。そのどちらも我が輩では無いのだ。


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