・ミタリー・ファンサリア(占術士・女)の暮らし I
王都の大通りには多くの店が立ち並び、出店なども賑やかであるとは既に書いているが、王都に限らず、そういう店の中には、食事や土産物以外を売る物も、時折混じっている。
例えば当人の芸を売るというのが代表的だろう。じっと突っ立っている人形を見ていると、突然動き出したその人形から小銭を要求されたり、笛を吹いているなと見ていたら、その人間の股の間からオヴィラッグが飛び出してきて小銭を要求されたりする。
その手の金を払うか払わないべきか微妙な水準の芸のうち、我が輩としては限りなく払わないべき側であると考えるのが、占術士の運命占いである。
明日何をすれば良いとか、ここ一月の禍福とか、商売をしていくにはどの方角が最適かとか、そういうのを一回いくらとかで占う事で生計を立てている、まさに怪しげな商売と言える。
露店と似た様な場所で珍妙な色をしたテントを張り、明かりも少ないその中で、うんだかんだと呪文を唱えたりする光景などは、諸君の頭の中にも浮かんで来る事だろう。
ただその内容に関して言えば、客に事前に用意した絵付きの札を選ばせたり、赤や青とかの色を塗った棒を何十本も用意し、雑に選んだその本数で未来を予想したりと、様々な形式があるらしい。何やら怪しいという共通点以外はバラバラな行為なのだ。
結局、まだ来ても居ない明日の事などを占うなど、そもそも不可能なのだろう。不可能な事から目を逸らすための目くらましとして、その手の煩雑な作業を行う。占術とはそんなものなのだろうと我が輩は考えている。
これを見ている諸君も注意した方が良い。軽い気分転換や好奇心のために占いをして貰うという行為を我が輩は否定しない。そういう事を楽しむ人間の心や余裕というのも、美徳の範疇ではあるのだろうし、持っている人間も馬鹿に出来ぬ程に多いから、この手の商売が成り立っているだから。
だが、高い金を払って、明日の商売ではどの商品に人が集まるかだったり、意地汚い金貸しの金庫や財布が、いったいどの様な服を着ていれば緩くなるかだったりを占って貰ったところで、何ら良い結果には繋がらない。これだけは断言しておく。
我が輩は我が輩自身でそれを証明出来る。些か紙の枚数が足りないくらいに実例があるので、ここでは書かないでおくが、とにかく諸君も、この手の怪しい商売にのめり込まない様にだけは忠告しておく。
そういう話を前提にして、あえて我が輩は、占術で金を稼いでいる人間より話を聞き、その生き方とやらを書き残す事にした。
思い出の中のサントクマルク王国は、何時まで経っても美しいものであるが、暮らしていれば良いも悪いものあった。
良いものばかりを残すというのも、ある種の詐欺になるだろう。我が輩は占術士では無いので、真っ当に、正面から、サントクマルク王国の姿についてをこの本に残していくつもりだ。
さて、我が輩が話を聞いた占術士の女の名前を、ミタリー・ファンサリアと言う。
外見は二十から三十くらいの女であるが、どうにも長命種の血が入っているのか耳が鋭く、実際のところの年齢は、外見だけでは分からないものであった。
話し方やら好む風俗の類から、七十代でもおかしくは無いのではと我が輩は睨んでいるが、当人に直接聞いてしまうと、良い大人が礼儀の一つも身につけずに身体だけ大きくなったのかなどと言った文句が、三つ四つ飛び出してくるので、分からないままとしておく。
さて、占術士としてのミタリー・ファンサリアは、大通りの出店では無く、そこから幾つか脇道へと入り、ちらほら民家が見える様な場所に店を構えていた。
店自体は大きくも無く、むしろ小さめの家にも見えたが、それでも占術士としては比較的見た目が良い店と言えるのかもしれない。
店の扉を潜れば、これもまた一般的と言えば良いのか分からぬが、占いをするための暗い空間があるのでは無く、明るく小さめの部屋に、酒場の様な丸テーブルが一つと椅子が二つだけ置かれていた。
ミタリー・ファンサリアの占いの場合、その椅子に客とミタリー・ファンサリアがテーブルを挟んで座り、客の運命を占うのである。
我が輩も試しに受けてみたところ、ミタリー・ファンサリアはまず、客の手を見てくる。実際に握り、じっと見つめる仕草は真剣そのものであり、迂闊に信じたくなるものの、この手の真剣さとて、詐術の類として利用する者がいる。良く良く経験のある我が輩だから、騙される事は無いものの。
その後、ミタリー・ファンサリアは机の上に、丸テーブルの端以外を覆うくらいの大きさをした、六角形の板を置く。
板は分厚く、また上側に複雑な紋様が描かれていて、それぞれの角ごとに区分けもされている用に見えた。
恐らく、占いの小道具の類なのだろうが、正直その板自体の価値も高そうに見えた。
小道具にしてはその紋様はしっかり板に刻み込まれ、まさか貴金属では無いだろうが、鍍金を施す事で、紋様に彩りを与えている。
また板の端の方は、やはりこれも高い宝石の類では無いだろうけれど、透明度のある鉱石かガラスの彫り物が、板と一体になって配置されていた。
何より我が輩の目から見て価値がありそうと感じたのは、この道具を作る上で、何かしらのルールを元に、厳密に作られたものであるという印象を持ったからだ。
我が輩自身、占術に関するものでは無いが、細かい物作りに対して門外漢では無い。
だからこそ分かるのであるが、ただ派手に、ただ占いをする人間が使いそうな形に、といっただけの紛い物では無く、そう作るべきという意図の元、この道具が作られた事が分かるのである。
もっとも、そのルールそのものが、何の意味も無い眉唾物であれば、道具が幾ら細緻であろうと、大した意味など無いわけである。
ただ、どの様なルールであろうとも、極めれば芸術にも繋がるため、興味を失う事は無かった。
だからこそ占いの最中、何度も煩い、黙っていろなどと不躾な事を言うミタリー・ファンサリアに対して、我が輩の好奇心は折れる事無く、どういう道具なのかを聞き取る事に成功した。
そんな聞き出した内容をここに残すが、ミタリー・ファンサリア曰く、そうして我が輩の実感にも通じるのであるが、大半の占術士を名乗る人種は、インチキなのだという。
当たり前ではある。明日の事だって分からぬのが人間であるし、事実と言えば良いのか分からぬが、ミタリー・ファンサリアとて明日どこで何をしたのかなどという話は、当てる事など出来ぬものらしい。
ミタリー・ファンサリアからの例え話になるが、我が輩が今、ここで誤字を書き込むという未来があったとする。それは確かな未来であり、これを語る事がまさに正確な占いであったとして、変える事は可能か? という話なのだそうだ。
もしそれが例え話上の確かな予言であるならば、当たるのではと我が輩が返すと、ミタリー・ファンサリアは誤字に注意すれば簡単に変えられるだろうと言ってきた。
考えてみれば当たり前である。例え運命とか予言だとかが幾ら正確であると仮定したところで、直近の何かしらの行動であれば、それとは別の行動をするというだけで変わる。
だから近しい、それも正確な予言などというのは占えないとミタリー・ファンサリアは話す。ある意味、これは真摯な話なのかもしれぬ。
机の上の置かれた板に、棒状のものを転がしたり、駒の様なものを配置したりといった、占いらしい占いをしながらも、占いにだって占えないものはあるとミタリー・ファンサリアは話しているからだ。
少しだけ、我が輩は自らの内心に限る話であるが、ミタリー・ファンサリアへの評価を上げてしまった事を記しておく。
これが危険なのだ。別にミタリー・ファンサリアが特別な事をしたわけでも無いのに、ただちょっと正直で、真っ当な事を言っただけで相手を信用するというのは、詐欺に嵌まる前段階でもあるのだ。
故に我が輩は、ミタリー・ファンサリアの話や行動を見抜く鋭き目を欠かさぬ様に、自分に言い聞かせていた。
これは手強いタイプのインチキ占術士だと、そういう目で見る事にしたのである。その場の雰囲気やミタリー・ファンサリアの語りに飲まれてはいなかった。信用して貰いたい。
続くミタリー・ファンサリアの話も、疑いの眼差しを欠く事が無かったと断言する。何せミタリー・ファンサリアはその後、当たる方の占いと当人が主張する占術についての話を始めたからだ。占いに当たる方も当たらない方も無いはずだ。
ただ、ミタリー・ファンサリア曰く、サントマルク王国における本物の占術士は、二種の流れがあるのだそうだ。




