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・アダー・スン・ジャックス(戦争技術実験官・男) III

 その仰々しい役職名に反して、想像以上に卑近であり、身近であり、普段の生活というものを語られてみれば、それなりに想像しやすいものであったので、やはりここに書き留めるに相応しいものであったと、我が輩自身は感じている。

 アダー・スン・ジャックスもまた、このサントクマルク王国で暮らす一人であり、飯を食べ、仕事をし、やはり飯を食べ、何かしら遊興時間を作りつつ、眠るという日々をすごしている。どこにでもいる人間だったという事だ。

 ただ、そんなアダー・スン・ジャックスの、どこにでもあるはずの風景は、戦前と戦後で違ったものになってしまっていた。

 サントクマルク王国とオグマドクト帝国の戦争は後者の勝利で終わり、国境の要衝であったオズフリアンクなどは、明確にオクマドクト帝国の領地として奪われる事となったのだ。

 サントクマルク王国の戦争技術実験官などという職がこの街に入り込む余地が無くなったと言える。

 一方、この話を聞いた時のアダー・スン・ジャックスは、酒場で愚痴を零せる程度に実入りのある生活をしていた。つまり別の仕事を始めていたというわけだ。

 戦争技術実験官という名前の後に、次はどういう仕事に就いたかと聞けば、名前など今のところ無いと答えられた。何なら、前のままの名前でもそれなりに意味は通るとも。

 いったいどういう類の仕事かと詳しく聞くために、酒をさらに二、三杯、ついでにつまみも二皿程奢る嵌めになったのであるが、漸く聞き出せた内容に寄ると、どうにもオグマドクト帝国側に雇われているそうだ。

 裏切り者などとは言うまい。かつての敵国に尻尾を振るくらいならば潔く飢えて死ねなどと言う権利のある者は、先の戦争で死んで行った者たちだけだ。死人は口を聞かない。文句だって言えない。

 それに詳しく聞いていると、アダー・スン・ジャックスが祖国を裏切って悠々自適に生きているとも言えないのだ。

 アダー・スン・ジャックスが現在している仕事は、オグマドクト帝国側にサントクマルク王国側の技術を翻訳して伝える事なのである。

 戦争技術実験官は勿論ながら、その手の技術に関して一般人より詳しい。さらにアダー・スン・ジャックス含め、オズフリアンクの住む人々は、国境を面したオグマドクト帝国の言葉を幾らか理解出来ている者が多いわけだ。

 この類の技術関係の理解というのは、既に理解してる者から聞いてしまうのが一番手っ取り早く、分かる言葉で説明されればさらに理解が進む。

 つまりオグマドクト帝国にとって、オグマドクト帝国の言葉でサントクマルク王国の戦争関係の技術を学ぶに、もっとも適した人間がアダー・スン・ジャックスであったのだ。

 相応の給金が出ており、生活には困らない日々を送れているそうだが、アダー・スン・ジャックスにとっては自身の道徳と、さらに周囲の目に悩まされているという。

 自分達を打ち負かして来た相手からの依頼を断るなどという選択肢も無かったであろうが、それでも、サントクマルク王国側の技術や知識をオグマドクト帝国に売り渡す様な仕事であり、敗北した国に砂を掛けてやいないか。王国民からは石を投げたい衝動を向けられてはいないか。そんな心配をしていたのである。

 勿論、我が輩は当たり前だと返した。

 じっくり話を聞いていた我が輩から見ても、王国に砂を掛ける仕事を始めてしまったなと同情するくらいなのだから、他の関係性の薄い人間なぞ、負けた国の人間がオグマドクト帝国側に尻尾を振り始めたとしか見るまい。

 ただ、だからアダー・スン・ジャックスに石を投げるかと問われれば、我が輩はそんな恥知らずな事は出来ないと答える。

 結局のところ、我々は敗北したのである。矜持を持って自らの命すらも掛けながら敵と戦うというのも選択の一つであろうが、拾った命を大事にしている者を追い詰めるというのは違うではないか。

 仮にアダー・スン・ジャックスが今後、オグマドクト帝国で相応の地位に付き、サントクマルク王国の民に鞭打ち始めたりすれば話は別だが、我が輩が話を聞いている限りにおいては、その様な男にも見えなかった。

 今後どうなるかは何とも言えないだろうが、そんなものはサントクマルク王国の明日と同様だ。

 何かしら王国の現状に不満なり思いなりがあれば、我が輩の様に本を書けば良いのである。いや、王国の風景を書き残そうなどというのも、奇特な人間が始める行為やもしれぬが、分かってくれる者は分かってくれるはずだ。

 少なくともこの本を手に取るであろう諸君はそうであろう。

 何なら、アダー・スン・ジャンクスの現状について事細かに書いておく方が、誰かのためになるのではないか?

 事がオグマドクト帝国に関わってしまうので、どこまでも聞けるものでは無いだろうが、それでも、オグマドクト帝国に雇われたアダー・スン・ジャックスの日々というのも聞く事は出来たのだ。

 朝起きて朝食を取りながら……というのは戦前と代わり映えの無い部分なので省くとして、実験のための思索だの、器具の調達などは勿論、やらなくなったらしい。

 代わりに、元々あったオズフリアンクの庁舎を再利用したらしいオグマドクト帝国軍の溜まり場……いや、既に帝国からは占領地統治のための役人なども随分と来ていると聞くので、オグマドクト帝国側の庁舎と呼ぶべきだろうか。

 兎角、そこに詰める日々なのだという。

 元々は書庫として使われていたであろうその部屋に配置された机に、山と積まれた書類の群れ。それらをひたすらオグマドクト帝国側の言語として翻訳するわけだ。

 時折、アダー・スン・ジャックスの上役になったらしきオグマドクト帝国側の役人への報告をするらしいが、それもまたオグマドクト帝国の言葉で行われる。拙い言葉使いだろうが、そこも含めてアダー・スン・ジャックスの仕事らしい。

 そういう仕事をずっとしていると、頭の中の思考まで帝国のものになって来そうで怖くなるとも語っていた。

 ある種の苦役にも聞こえてくる内容であるが、幾らか酒が進んでくると、扱い自体は良いとの話も聞けた。

 当初は帝国軍人の見張りらしき者が常に部屋を監視していたらしいが、真面目に仕事をしていると、何時の間にかその見張りも居なくなったそうだ。

 給金なども、初めは食事代程度のものから、徐々に生活費と呼べるものになった。仕事終わりに酒場で酒を二、三杯頼んでも蓄えを作れる程度の生活が出来ているという。

 そういう話を他人にすらすらと聞かせるから、こいつはオグマドクト帝国に尻尾を振っているなどと影で語られるのだぞと言いたくなったものの、聞き出している側の我が輩が言葉にするのもおかしく感じたので、口を噤む事にした。

 何はともあれ、現状のアダー・スン・ジャックスは問題無く、新しい生活に馴染みつつあるという事だろう。

 アダー・スン・ジャックスにとって戦争技術実験官という仕事は、地方に存在する端役の様なものだったかもしれないが、それに就くため、そうして就いた後に培った知識や経験、技術というものは、国が変わったとしても活かせる類のものだったというわけだ。

 これまで話を聞く限り、ひたすら真面目な性格だったのも利点と言えるのだろう。この手の人間を無下にする文化というのも珍しい。

 あいつは真面目一辺倒の朴念仁だと他者を指差す者こそ、有事の際には足場がぐらつくものである。確かそういう寓話もあったはずだ。

 何にせよ、それもこれも戦争を生き残れたからこそだ。文句も生活もあるというのは、生きているという事でもある。いくら真面目に戦争を行えたと手、真面目に戦って命を失っていれば元も子もあるまい。

 戦中、文字通りの前線であったオズフリアンクにおいて、アダー・スン・ジャックスもまた武器を取って戦う覚悟をしていたという。

 ただ、やはりその知識と技術は一兵士として消耗するより、後方で対帝国のための戦術だの兵器建造の指示に使わせるべきだという判断から、幸運な事に、命を落としやすい状況からは離れている事が出来たらしい。

 そう、幸運である。確かにその能力はアダー・スン・ジャックス自身の命を救ったかもしれないが、日頃、戦う手段を訓練し続けた兵士の多くは、その能力を活かしながら命を落とす事になった。

 この二者に違いがあるのだとしたら、結局のところ運が良かった運が悪かったに尽きる。運命とやらは、どうにも先が読めない様に出来ている。

 運命を左右する事など、それこそどこかの偉い神や精霊だのが出来る行為では無いか?

 だから生き残った人間は、その幸運に感謝しつつ、何かを残すために生きるべきなのだ。

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