・ロルゾ・チェイクイン(オズフリアンクの見張り・男) II
発生した問題に対しては、むしろちゃんと向き合い、観察する事が重要ではないかと我が輩は思うわけであるが、山の中ではまた別の決まり事があるという事だろうか。
少なくともロルゾ・チェイクインは先達の言葉を受け入れ、見張り役を変わって以降も、山の中にいる間は、自身が体験した話について語らず、深くも考えずに居たそうだ。
そうして漸く交代要員がやってきて山を降りたその後、件の先達より話を聞けたそうである。
その先達はまず、ロルゾ・チェイクインは見た山中の赤い光は、本当に赤かったのかと尋ねてきた。
何故その様な事を聞いてくるのかロルゾ・チェイクインも疑問に思ったそうだが、言われて考えてみると、それが自然環境で良く見る色では無かったせいで、赤として見た気がして来たらしい。
正確にあの色を表現するならば、それは紫色だったとロルゾ・チェイクインは思い出したそうである。
すると、ロルゾ・チェイクインの返答を聞いた先達は深く頷き、それは山が脈打つ時の色であると話して来た。
山というのは生きている。ただ人間の範疇で見る様な生き方では無く、それは大地と紐付く生き方であるのだと。
大地にもまた大きな流れの様なものがあって、山というのはその流れが溜まる場所であり、だからこそ大地の歪みとしてそれは現れる。それが山に起こるおかしな現象であり、山でその事を話していると、その歪みをより大きくするのだと、ロルゾ・チェイクインは先達の言葉を借りて語る。
我が輩なりにはっきり書くと、迷妄の類である。我が輩はそう感じた。神々が作った大地という言葉もあるにはあるが、あれらはある種、寓話であろう。
大地が出来上がり、山や海や川が出来る行程というのはもっと、神々の意志なるものが介在していたとしても、迂遠で、複雑で、風が吹いたり、月が昇ったりと言ったものと同質の力であるはずだ。
いや、こう書くと何やら、ロルゾ・チェイクインの話を肯定する様な言葉に見えるかもしれないが、直接的に何者かの意志が引き起こす様な物事ではないと、我が輩はそう書きたいのである。
ただ、山の只中で、理解できぬものを見たというロルゾ・チェイクインの話を否定するわけでも無い。何なら、その先達がロルゾ・チェイクインに語った話にしたところで、無意味な寓話というわけでも無いとも思う。
というのも、山が紫色になったというロルゾ・チェイクインの話に、その先達は訝しむのでは無く、そのままを受け入れ、この手の寓話を後々に語ったという部分。ここに、ある種の真実があると我が輩は見るのだ。
恐らく、ロルゾ・チェイクインの先達もまた同じ体験をしたか、似た様な話を聞いたのだろう。山が紫色になるという現象を。
山は時折、紫色に染まる。少なくともオズフリアンク付近の山は。
そうであろうと我が輩は思う。我が輩が否定しているのは、それが誰かの意志に寄ったり、凄まじき大地の奇跡に寄るものでは無いという事だけだ。
例えばシルスマリ川が逆流する川であるのも、土中に含まれる鉱物の影響である事を、既に我が輩は書いているわけだが、それと同じ様な、何かの仕組みが山中にあり、時折、紫色に染まってしまうのだろうと見ている。
それが奇跡や神秘に思えてしまうのは、山というのはそれだけ人が少ない場所であるからだろう。
ロルゾ・チェイクインが体験した様な事を、もっと多くの人間が見聞きしていれば、もっともらしい説明というのが出来る様になるはずだ。
我が輩達が空気から息を吸って吐いているというのは、それを知らぬ者からは、何も無い場所から見えぬ力を取り入れている様に見え、それが出来ぬ人間は死ぬ。という字面と見る視点を変えれば、何やら神秘的な力をそこに見てしまうが、どこまで行っても息を吸って吐いての話でしかないわけだ。
だが、山とはそこまで身近では無い。だからこそ、そこで起こる異変はヴェールが剥ぎ取られないままに、そこに写る影だけを見て驚いたり畏怖したりする様な、そんな話として受け止められるのではないか。
というのも、我が輩がこの様に考えるのは、語ってくれたロルゾ・チェイクインの態度に理由があるからだ。
ロルゾ・チェイクインがこの話を語る時。そこには恐れや、強大なものへの信仰があった一方で、おいそれと語るべきでは無いという意思は感じなかった。
むしろ、我が輩が興味を持ちそうだから、聞かせてやろうという積極性もまた、そこにはあったのだ。
話し、共有し、今後の注意とする。そういう意図がロルゾ・チェイクインの語りからは感じられた。
もしや、山の中でこういう話をするなというのにも、一定、そうする事による利でもあるのだろうか。もしくは、避ける事が出来る危険がそこにあるか。
何にせよ、ロルゾ・チェイクインの先達も語っていたではないか。山の中でその話をするなと。つまり、山から降りれば好きに話せば良いというわけだ。冷静になり、安全を確保出来る街の方で話すべきだと、経験則で知っているのかもしれない。
山と近しい暮らしをしていない我が輩には分からぬ話であるが、彼らには彼らなりのルールがあり、ルールにはしっかりと意味があり、それでもやるべき仕事が当たり前にある。そう納得してしまう事としよう。
さて、そんなロルゾ・チェイクインの仕事ぶりについてを聞き取っているうちに、気になってくるのが、戦時中も変わらず仕事をしていたという部分である。
諸君らも重々承知している事だろうが、先の戦争においてサントクマルク王国と隣国オグマドクト帝国の趨勢は、前線都市オズフリアンクが突破される事でオグマドクト帝国側有利となって行った。
つまりオズフリアンクが突破され、占領、略奪の中にあった時も、戦争は暫く継続中であったし、その間も、ロルゾ・チェイクインは見張りの仕事をしていたのだという。
それが事実だとして、第一に気になるのが、そもそもそれに何の意味があるのかという事だろう。
既に敵国に侵略された後の街で、それでも仕事を継続して敵国の侵入を見張るという行為には、それをする理由が無い。そう思えたのだ。
そのまま尋ねる我が輩に対して、ロルゾ・チェイクインが返してくれた。それは意地の問題であったらしい。
勿論、敵国であるオグマドクト帝国の動向を探るというのは、サントクマルク王国という括りにとって、大なり少なり価値はあるだろう。
実際、戦争中にはオグマドクト帝国の目をかいくぐり、ロルゾ・チェイクインに接触した後、ロルゾ・チェイクインが持っていた知識を持ち帰ろうとしたサントクマルク王国の兵士は何名か居たそうだ。
その兵士達の試みが成功したかどうかロルゾ・チェイクインには分からぬ話だそうだが、それを試みるだけの価値は確かにあったという事だ。
ただし、ロルゾ・チェイクインにとって、兵士に情報を渡すためだけに山の中に潜み、時にオズフリアンクへと降りて必要な物資を調達していたわけでは無いらしい。
そんな決まりきった事への感情だけで、あんな酷く地道で、辛さしかない仕事は続けられないとすら語っていた。
だからこその意地なのだろう。侵略者に対して、なにくそという思いがロルゾ・チェイクインを動かしていたわけだ。
街が敵国の支配下にある以上、給金が入る予定も無いだろうに、良くやるものだと思う。オグマドクト帝国側から見れば、影響についても嫌がらせの範疇を越えないものであったろうし、山の中にいる個人相手に大軍を送り込む余裕とて無いだろう。
しかし、だからこそ、ロルゾ・チェイクインの仕事は戦時中も継続された。




