・ザリンジ・ホスマン(清掃人・男)の暮らし I
ザリンジ・ホスマンは王都においては数多く居た清掃人の一人である。
人が多く集まれば、その分、多くの不要なもの、不潔なものというものが発生するものである。
そういったものを適切な場所に運び、適切に処理するという仕事に就いているのが清掃人だ。
時に清掃人そのものが不潔な存在として蔑まれるという事があるものの、知者としての自覚のある者がそうである様に、我が輩も彼らを侮蔑で見る目を持たない。どう足掻いたところで必要となる仕事に蔑視を向けるというのは、自身の足元にある床石に、罅を入れる行為でしか無いからだ。
彼らあってこそ王都は清潔に保たれ、我が輩達が漫然と暮らす日々において、人々が集まれば当然に目にするはずの不快な物が、どうしてか目に入る事も無いのである。
この様な仕事をする人間が、蔑むべき相手としては縁遠い存在である事の証明として、ザリンジ・ホスマンの家庭に目を向ける必要もあるだろう。
彼の家には一人の妻と男三人に女二人の実子がおり、その全員が食と住む場所に困らない程の金銭を、ザリンジ・ホスマンは清掃人という職業の報酬として得ているのである。
無論、清掃人であるからそれが出来るという単純な話でもない。
一言に王都の清掃人と言っても、何を清掃しているかに寄ってその仕事の内容や実入りも違ってくるからだ。
犬や猫、さらにすばしっこいシティマウスの糞尿などを扱う清掃人は、誰もしたがらない種類の仕事だけあって、多くの報酬を期待出来るが、一方で身汚いという印象を持たれがちだ。
一方、都内の王立公園における清掃人などはその様な目からは遠い。公園を彩る一風景とすら見る者もいるかもしれない。
ただこの手の仕事は、草花の手入れや異種植物の刈り取り等を兼任しなければ、丸一日働いたところで、子どもの小遣い程度の報酬がせいぜいである。
とある貴族が、国で生きる人々への奉仕などと言って公園で清掃活動に勤しんだ事があるのだが、途端に食うに困る清掃人が多発したという話もある。
では、多寡のあるこの仕事において、ザリンジ・ホスマンはどの様な内容で、一家を支える報酬を得ているのか。
ザリンジ・ホスマンの場合、王都に存在する魔法大学の清掃人であるというのが答えになるだろう。
諸君らが知ってのとおり、魔法大学とは魔法を学ぶための学舎である。
我が輩も残念な事に、魔法について詳しくは知らないが、あれらが誰にでも学べて、また工夫した道具や紋様やらを用意すれば、料理を作る際の火力として使えたりする様なものだという事くらい分かっている。
時に隣国との戦争に利用される事もあるその知識、その技術であるが、利便性が高い以上、サントクマルク王国においてもそれを学び、研究を続ける場所というものが用意されるわけだ。
特に王都の魔法大学は正式名称が王立魔法大学であり、国王の御名において、その運営資金が臣民達からの税に寄って賄われている。
その点に関して、諸君らもいろいろと言いたい事もあるのだろうが、本書においてはとりあえず、不平不満はさて置かせて貰う。これもまた、書き綴る人間が我が輩以外にも多数居そうな話題だからだ。
ここで書きたい事は、王立魔法大学はその運営がかなり余裕のある、言ってみれば、財布に余裕のある集団だという事だ。
無論、その手の財布の中身が払われる先というのは、大学内で小難しく、理解不能な物事を語る教授陣の報酬だったり、これまた用途不明の実験器具、鈍器としての方が使い道のありそうな、ひたすら分厚く重い教本等の準備費用であったりするわけだが、大学内を清掃する清掃人の報酬としても使われている。
つまりこれが第一に、安定した金銭としてザリンジ・ホスマンの懐へと入っていくわけである。
ただし、やはりと言うべきか、その手の報酬単独では人一人が食っていくに精一杯という額でしか無いらしい。
食うや食わずやの生活をする人間にとっては、それでも喉から手が伸びる程の仕事と言えるのやもしれないが、ザリンジ・ホスマンが必要としているのは、一家族を支えるだけの報酬である。
ならばザリンジ・ホスマンは他に職を持っているのかと言う話であるが、あくまでザリンジ・ホスマンは魔法大学の清掃人一本で働く人間であった。
ザリンジ・ホスマンは一人を食わせる程度の報酬である魔法大学の清掃人という仕事を続け、何故か一家を支えるだけの金銭を得ている。
一見、矛盾や謎のあるこの状況、しかし少しでも専門的に働いた事のある者からすれば、すぐに答えの分かる話でもあるだろう。
ザリンジ・ホスマンの懐には、取り決め通りの報酬以外の金銭が、別の者からの支払いという形で入って来ているのだ。
謎の答えという程では無いが、例を幾つか紹介しよう。
魔法大学の学舎というのは兎角広い。一方でザリンジ・ホスマンを含め、清掃人は常時三名から四名程度であるそうだ。
その人数で学舎の廊下、講堂の掃除、庭の手入れ、教授や生徒用の寮の整頓といった仕事を行っていくと、どうしたところで不足が生じるのだと言う。
多くの場合、その不足分は、施設の利用者である教授や学生が何らかの形で補う事になるのだが、清掃人に直接依頼する形で便宜を図って貰うという事も少なくは無いそうだ。
特に教授から直々に研究室等の清掃を依頼されたとなれば、一度の報酬で大学側が月に用意するそれを上回る時もあるらしく、実入りの良い仕事であるとザリンジ・ホスマンは語っていた。
ただし、楽が出来る類の話でも無く、報酬を多く積まれる場合、その分だけ、なかなか難儀な清掃作業が待ち受けているという。
ある日、某教授より魔法の実験を行った部屋の清掃を早急に頼まれたザリンジ・ホスマンであったが、その教授が支払うと提示してきた額が相場より妙に多い事に、疑問と警戒心を持ったそうだ。
そうして掃除用具を持ってその実験部屋へと入った時、ザリンジ・ホスマンは安易に仕事を受けた自分の判断を、さっそく後悔したのだという。
実験部屋は実験を行っていた某教授の生徒が流したであろう血に塗れていたからである。
床に描かれた妙な紋様は、ザリンジ・ホスマンが部屋に入った時点でまだ鈍く光っており、それを赤黒い血の色が汚している。
机の上並んでいたであろう実験器具類はどれもばらばらになり、砕け、机の上に納まるどころか、壁に叩きつけられたまま、何やら粘性のものでべったり張り付いていたままになっている物まであったそうだ。
恐らく、何かしら爆発や衝撃が発生する類の魔法を実験する際、それが暴発した。魔法大学にただの掃除人として関係しているだけのザリンジ・ホスマンとて、見ただけでそうだと判断出来たらしい。
危険が伴う魔法実験は教授自らが行うのでは無く、その生徒が指示を受ける形で行う事が多いらしく、何より依頼してきた某教授が無傷であった事から、生徒の誰かがこの部屋で大怪我を負った光景を想像したザリンジ・ホスマンは、とりあえずその想像の中の生徒を不憫に思いつつ、慎重に清掃作業を開始したとの事。
自らが第二の犠牲者になりたくないから、必要以上に気を使ったとは本人の弁である。
なかなかショッキングな光景と話であるが、魔法大学の外に出て来ないだけで、この手の話はままあるのだそうだ。
大怪我を負ったであろうと想像した生徒であるが、ザリンジ・ホスマンは特段、その生徒がどこの誰かであるかは考えない様にしていた。
怪我人が本当に居ればまだ良いが、むしろどこにも居なくなっていたら怖いだろう? などと冗談めかして語っていたが、目は笑っていなかった。
この様に、清掃人当人に危険が及ぶ可能性も加味するのであれば、特別に報酬を貰うというのは妥当性が高く、また適切な清掃を行うために、魔法に対する知見も一定必要である事を鑑みれば、余人に不可能な仕事と表現出来るかもしれない。
少なくとも、我が輩が話を聞いていたザリンジ・ホスマンは、清掃人という仕事に誇りと自負を持っている様にも見えた。
清掃人とはまさに王都において必要不可欠な存在であり、誰でも出来る様な仕事では無く、また蔑まれる程に下劣な仕事では無いという事であろう。




