・ファニンガー・イストラ(飛空船造船業・男)の仕事について II
最初は直感から来るものでしか無かったのだろうが、その後、船員として働いた経験が役に立って行く事になる。
飛空船が生まれた初期において、その言葉が示す通り、それは船の延長線や派生に当たるものだと考えられていたからだ。
目新しさに釣られた幾つかの工房が、浮遊石を木枠に収めて空に浮かばせれば良いのだろうという浅い知識の中で四苦八苦する中、水の上を進むの船の構造と同様に、先端を鋭くしたり、また浮遊石を櫂の様に用い、空中で前進するための力に変える方法等、ファニンガー・イストラの船員としての見地は重宝され、幾つかの工房に技術屋として雇われる事となったそうだ。
その時、あえて自身の雇い賃を低く提示し、ある種、好奇心の男である風を装っていたのが、ファニンガー・イストラに商才というものがあった証左ではあるのだろう。
工房側とてどう役に立つかすらはっきりしていない飛空船に関して、安く経験や知識を提供してくれるファニンガー・イストラは、界隈で歓迎される類の人間になれたのだ。ファニンガー・イストラにとっては、まさにそれが利のある話であった。
雇い賃が低いと言っても、複数の工房に雇われれば、生活の費用にはなる。それまでの蓄えと合わせて、一定、この生活を続けられる。そういう考えがまず一つ。
そうする中で、他者より多くの飛空船の見地が得られる。各工房から特段、重用はされないという身軽な立ち位置であればこそ、幾つもの工房に顔を出せる。むしろ今の自分だからこそ、唯一それが出来るのだから、積極的にするべきである。
そんな判断もまた、ファニンガー・イストラにとっての利の一つとなったのだろう。
だが何よりも、ファニンガー・イストラに後の地位を与える要因となったのは、幾つもの工房を回る中で、どこが契約相手、取引相手として適しているかを見定め目を得られた事だった。
この手の話の場合、表向き飛空船の技術力が高い工房というだけでは駄目なのだ。
ある特定の職人の腕に依存していたり、幅を利かせている場合もあるだろう。なんなら、目立つためだけに工房として無理をしている場合もある。
ファニンガー・イストラが後の取引相手として求めたのは、長く飛空船造船業を続けられる工房である。
要するに、何らかの儲けを出す。もしくは出す算段がある工房というのを、目敏く見つけ出し、頭の中に刻み込んでおいたのだ。
その刻み込みの量が一定を越え、飛空船への知識、そうして界隈全体における飛空船の技術が一定の水準へと来た段階で、ファニンガー・イストラは雇われるのでは無く、自らの身一つで商売を始めた。
漸く、ファニンガー・イストラは飛空船造船業と呼べる立場となったのだ。
ファニンガー・イストラはそれまで培った見地と人脈を自分の値札とし、高くそれを買い取れる出資者を見つけるや、F&K飛空船共同社というなんとも言えない名前の、飛空船に関わる全般を扱う会社を作り上げたのである。
全般とはつまり何を扱うのか? これを読む様な知的水準の高い諸君ならば当たり前に思う疑問だろう。
この様になんでもやるよなどと喧伝する相手というのは、総じて怪しい仕事をしている連中という事を経験で知っている。それは我が輩とて重々承知している。
だが、言ってしまえば当時、飛空船造船業というのは、それくらいに怪しい仕事であったのだ。
まともに飛ぶ飛空船というものを造れる工房がまだまだ少なく、その中で別の事業に活かせる水準となればもっと一握りのそれ。
なんでもするというより、なんでも出来なければ信用もされないという状況であった。
飛空船がどういうものか知りたいという要望が客からあれば、仮組みしたそれを丸ごと一台運んで、見学と説明を行う。
飛空船はどう活かすものなのかと問われれば、飛空船を用いた仮の商売方法から考案して、それに見合った飛空船の性能も披露する。
なんなら、その考案した商売に自ら手を出す事もあった。
そこで大儲けとでもなれば、もっと大々的に、この仕事はこういうものだと言えたやもしれないが、上手く行って、職人の明日の飯代をなんとか稼げるという類のものがせいぜいだ。
忙しく、実入りも少なく、日々は目まぐるしく変わっていく。
そんな中でただひたすら、飛空船というものの世間の認知を広げ、また具体的にする事。それらが唯一、飛空船造船業の仕事を表現出来る言葉であった。あくまで当時の話である。今はむしろ、飛空船というものがしっかりと社会に組み込まれている。後はどれだけの影響を広げていくかの話でしか無い。
それもそれで商売や仕事の範疇であろうが、ファニンガー・イストラにとって、まさにこの会社を設立してすぐの時期が、苦労も多かったが楽しくもあった時期だったそうだ。
世間に無いものを有る様にしていくというのは、どうしたって面白い。そんな言葉をファニンガー・イストラ当人から聞いていた。我が輩自身も、そこに共感するものもあった。
将来性なんてものも無く、その日その日で、やるべき事がまったく違っており、飛ぶかどうかも怪しい水準の飛空船を客に売りつけようとして、その客に実際乗って役に立つ事を証明してみろと、崖からその飛空船を飛ばす事になった時など、命の危機すら感じたものだ。しかし、それでも楽しかった。振り返ってみればそういう言葉でまとめられるだろう。
ファニンガー・イストラにとっての飛空船造船業。その前半はそんな苦労と汗と夢にまみれた日々と言えた。
そんなファニンガー・イストラにさらなる転機があったとすれば、楽しかったと言える日々から、楽しさが消えてしまった事だろうか。
時代というものは、一日一日を見ていれば遅々として変わらぬものであるが、何時の間にか変わっているものでもある。
目新しい、むしろ怪しい、一種の詐欺でもある。そんな目で見られた飛空船造船業が、文字通りの意味。つまり注文された飛空船を、与えられた予算の元、組み立てていくという仕事になって来た頃、ファニンガー・イストラのF&K飛空船共同社は、同業者の中で頭一つ抜き出た存在となっていた。
未だ不安定な部分も多い業種であるが、F&K飛空船共同社の飛空船はちゃんと空を飛ぶという言葉が巷間に広まってからは、街の広場で道化師の仮装をしながら、飛空船の機構を用いて噴水みたいに水を飛ばすなんて宣伝をしなくても良くなってきたわけだ。
あと、みんなこのままだと飢えるので、食事を奢れと出資者に脅しを掛ける必要性も無くなった。その点は良い事である。
悪い点があったとすれば、ファニンガー・イストラにとっての楽しみ、つまり世の中に無かったものを有る様にしていく開拓精神と言えば良いのか、それが別の物に変わってしまった事だ。
何というか、在り来りでもあるというか、ファニンガー・イストラは、自らの楽しみに、増えていく会社の収益というものを入れてしまったのだ。




