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あなたに会うために回帰する  作者: ChaCha


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3/3

あなたに会うために回帰する

蝶々を追いかけていた小さな足が、ぴたりと止まった。


庭のベンチ。並んで腰掛けているお母様とお父様が、肩を寄せ合って笑っている。

その光景を見た瞬間、胸の奥で何かがぱんっと弾けた。


(お母様とお父様が生きてる!! 笑ってる!! 頑張った私! 今回は成功した!!)


握りしめた小さな掌の中で、捕まえた蝶がばたばた羽を震わせる。

その感触で、今の自分が「六歳の娘」であることを、ようやく思い出した。


――でも、本当の“私”は知っている。


あの夜のことを。

轟く爆音。城を揺らす衝撃。熱と光、崩れ落ちる天井。

伸ばした手の先で、お母様とお父様の身体から、あっという間に温もりが抜け落ちていったあの瞬間を。


何度呼んでも返事はなくて、名前を叫ぶ声だけが喉を焼いた。

あの世界で、私は両親を失った。


だから禁忌魔術に手を伸ばした。

大人になった私は、誰も足を踏み入れない地下書庫で、埃をかぶった黒い魔導書を見つけた。


『大いなる回帰魔術』

代償:術者の命、および世界時間軸の歪み。


ページいっぱいに「やめておけ」と書いてあるようなものだった。

でも、その時にはもう、私の世界は一度終わっていた。これ以上失うものなんてない、と本気で思っていた。


血を捧げ、詠唱を重ね、魂を削るようにして時間を巻き戻した。


一度目。

爆発の原因となる魔導装置を壊した。代わりに別の場所で崩落が起こり、両親は瓦礫の下で息絶えた。


二度目。

二人を城から遠ざけた。城の崩壊に巻き込まれないように。

けれど今度は、遠出先の橋が落ち、濁流に飲まれてしまった。


三度目。四度目。五度目。

原因をつぶせば、別の理由で、別の形で死がやってくる。

まるで世界そのものが「この二人は死ぬ」と決めているみたいに。


何回、何十回と回帰を繰り返した頃には、指折り数える意味すら失われていた。

魔導書の最後の一文が、やけに鮮明に脳裏に焼きついている。


『過去を変えるための回帰は、やがて他時点に“余波”を生じさせる』


最初は、意味が分からなかった。

けれどある時、詠唱の最中、意識がふっとずれた。


本来飛ぶはずだった「両親の死の直前」から、少しだけ時間軸が滑ったのだ。


見えたのは、夕陽に染まる寝室。

若い二人。まだ“お母様とお父様”になる前の、ライラとエリオット。

初夜を迎えるはずの夜。胸を高鳴らせながらも、どこか怯えたように笑い合う二人の姿だった。


(……あ、ここ、知ってる)


あとで気づいた。

お母様がときどき話してくれた「妙な夢」の話。

「何度も同じ夕焼けを見るのよ」と笑っていた横顔。

お父様が、「初夜の前は、理由もなく怖かった」とおどけて見せた仕草。


あれは全部、私の回帰が生んだ“余波”だった。


両親の死を回避するために何度も何度も時間を巻き戻すたび、世界は軋み、耐えきれないひずみを、より過去の一点――二人の初夜付近に逃がした。

その結果が、あの夜のループ。

原因不明の胸騒ぎも、同じ夕陽も、初夜のたびにやり直される「不自然な違和感」も。


(あなたたちの夜を乱していたのは、他でもない、この私の魔術だった)


そう理解したとき、笑うしかなかった。

両親を救うために選んだはずの回帰が、両親の始まりの夜を、何度も壊していたのだ。


やがて、代償は限界を迎えた。

私の命は摩耗しきり、術式は「死の夜」まで飛べなくなった。

戻れるのは、もっともっと前。二人がまだ若く、そして――娘である“私”さえ生まれていないはずの時代。


でも、最終的に私が目を覚ましたのは、この身体だった。


六歳の娘として、お母様とお父様の間に生きている今。

何度も自分の時間を削り、世界をねじ曲げ、それでも届かなかった結末の、その先。


(だからきっと、ここが最後の世界)


小さな胸の奥で、何度も死んで何度も回帰した“私”が囁く。

もう術式を組む力は残っていない。禁忌を発動させる器も、この幼い身体にはない。


でも、それでいい、とどこかで思っている。


蝶を握る指先に力を込めながら、私は走り出す。

春の風が、頬を撫でる。草の匂い。花の香り。全部が眩しい。


(本当はね。両親を救いたかった、なんて綺麗な理屈じゃなかったの)


あの夜に戻るたび、私が願っていたのはただひとつ。


もう一度、お母様に会いたい。

もう一度、お父様に会いたい。

叱ってほしくて、撫でてほしくて、名前を呼んでほしくて。


救いたい「誰か」じゃない。

会いたい「あなた」だった。


だから私は禁忌を選んだ。

世界が軋みながらも回帰を許したのは、きっと、その身勝手さに、どこか同じ匂いを感じたからだ。


ベンチの前で立ち止まり、両手をぱっと開いて、蝶を見せる。

お母様が目を細めて笑う。

お父様が「よく捕まえたね」と私の頭を撫でてくれる。


その温もりに触れた瞬間、胸の奥で、長い長い回帰がようやく止まっていく音がした。


(――やっと、届いた)


いつかこの世界でも、二人はいつか死ぬだろう。私も、きっと。

それは変えられない。

でも、今は確かに、生きている。ここにいる。笑っている。


その現在形だけは、もう誰にも壊させない。


私は幼い顔で無邪気に笑いながら、心の底では、静かに真実を抱きしめる。


何度世界が歪んでも、何度時間が悲鳴を上げても、きっと私は同じ願いを選び続ける。



あなたに会うために回帰する。




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